第一章 闇内オウマと将棋部5/5
勝負に使用される人間は全部で四十体。彼らは皆、勝負に利用するためオウマにより拉致された白ノ宮学院中学校の空手部部員だ。グランドに作られた光の盤面。そのマスで呆然と立ち尽くしている空手部。彼らの頭上には魔法陣が浮かび瞳には光がなかった。
「どうも普通の様子じゃなさそうだね。彼らに何かしたの?」
空手部を指差しながらそう尋ねてくる詰丘に、オウマは意地悪く笑いながら答える。
「駄々をこねられても面倒じゃからな。ちょいと意識を封じ込めておる」
「それも君の魔法ってやつ?」
「手品なのかも知れんがな。それよりどちらの組を選択する?」
盤面の両側に分かれた二組。その面々をしばし観察して詰丘がジト目を瞬かせる。
「そうだね。空手部の連中なんてどいつも同じに顔に見えるんだけど……とりあえず玉が強そうな組を選択しようかな。うん……あの体の大きい奴がいる方に決めよう」
「そうか。ならばわしがそちらの組を操作するゆえ、貴様はもう一組を操作するがいい」
さらりとそう告げたオウマに、詰丘がカクンと肩をこけさせる。
「なんだよ。私に好きな組を選ばせてくれるんじゃないのか?」
「選択しろとは言ったが選択させてやるとは言ってないぞ?」
「……まあいいけどさ。それでどうやって駒を動かせばいい?」
「駒の移動先を口頭で伝えればよい。さすれば駒が勝手に移動と攻撃を行うでのう。わしが好きな組を選択したのでな。先行は貴様にくれてやる。好きなように命じてみよ」
「ふうん……それじゃあ、7六歩」
詰丘がそう言うと、盤面の7七にいた男が「オス!」と声を上げながら一歩前のマスに進み出た。自分の指示通りに動いた男を見て、詰丘が面白そうに笑みを浮かべる。
「本当に動いたよ。何だか男を手玉に取っているみたいでちょっとした快感だね」
「それは何よりじゃ。どれ……ならばその快感をさらに与えてやろうかのう。3四歩」
オウマの声に応じて、盤面の3三にいた男が「オス」と声を上げて前進する。オウマと詰丘の角――の役割を持った男――が互いに射程圏内に入る。オウマの意図を察して、詰丘が僅かに頬を紅潮させた。
「誘ってくるね。いいよ。折角だから応じてあげる……2二角」
盤面の8八にいた男が雄叫びを上げながら2二の男へと駆けていく。迫りくる男に対して、2二の男は身動き一つしない。駆けていた男が2二の男に肉薄して――
2二の男の鳩尾に正拳突きを食らわせた。
殴られた男が地面に転がりのたうち回る。すると直後、男の頭上にある魔法陣が一際輝いて男の姿を掻き消した。戦闘不能だと判断して男を盤面から退場させたのだ。
「うわ痛そう……格闘技とかテレビで見たことあるけど、生はやっぱり迫力が違うね」
詰丘が可笑しそうに笑う。相変わらず余裕ある彼女だが、野次馬の中には目の前の暴力行為に若干引いている者もいた。放送席にいる保坂もその一人のようで、顔を青くして体をカタカタと震わせている。
『へえ、あんな離れたところから一気に移動できるものなんですね』
あっけらかんと尋ねてくるユウに、保坂が『え、ええ』と顔を青くしたまま頷く。
『各駒はそれぞれ動きが違うけど、角は斜め方向なら何マスでも進めるの。その特性から角や飛車は攻撃の起点となることも多いわ』
『詰丘さんの駒がオウマの駒を倒したから状況的にオウマは不利なんですかね?』
『確かに部長が先制したけど、すぐに飛車か銀で部長も角を奪われるだけだから、この段階でまだ有利不利もないわ。ただ今回の特別ルールがどう影響するかは分からないけど』
意外にもまともに実況と解説をしているユウと保坂。二人の話を聞き流しつつ、オウマは詰丘の様子を見やった。ジト目に興奮の色を浮かべて詰丘が楽しそうに言う。
「さあ君のターンだね。どうせ私の角を取りに来るんだろうけど、飛車と銀のどちらの駒を仕掛けるつもりかな? どうやら私の角は結構強いらしいよ。もし下手な攻撃を仕掛けようものなら反撃を受けるかもね」
「確かにわしの角を一撃で沈めたことを考慮するに中々の強敵らしいな」
「体格だけを見れば、私の角に勝てそうなのはそちらの玉ぐらいだね。君がどう動くのか。楽しみだよ。持ち時間は好きなだけあげるからじっくり考えていいよ」
オウマは腕を組んで瞼を閉じた。指し手を悩んでいるわけではない。やるべきことは彼女の中ですでに決まっていた。後はただ自身の決断を信じることのみ。閉じていた瞼をゆっくりと開く。オウマは薄紅色の唇から犬歯を覗かせて――
その表情に荒々しい笑みを浮かべた。
「5二玉」
『――え!?』
保坂が素っ頓狂な声を上げる。オウマの指示により玉の役割を担う男が一歩前進した。ぽかんと目を丸くする保坂。困惑している保坂にユウが不思議そうに首を傾げる。
『どうかしたんですか? オウマが何かヘンなことしちゃいました?』
『ヘンと言うか……てっきり部長の角を何かしらの駒で攻撃すると思っていたから』
保坂と同じことを考えていただろう。詰丘もオウマの指し手に困惑している様子だった。しばしの間。詰丘が髪をポリポリと掻いて次の指し手を口にする。
「……1一角」
「5三玉」
詰丘の角がオウマの香車を殴り飛ばしたとほぼ同時、オウマの玉が目の前にいた自軍の歩を殴り飛ばした。このオウマの暴挙に保坂がぎょっと表情を強張らせる。
『ちょ――ちょっと! 自分の駒を倒すだなんて反則だわ!』
「これは実戦的な将棋だと説明したはずじゃ。自軍だろうと邪魔になれば排除する。それを躊躇う理由などあるはずもなかろう」
まるで悪びれないオウマに、保坂が息を詰まらせる。瞳を尖らせて詰丘を見据えるオウマ。二呼吸ほどの間を挟んだ後、詰丘がその表情をハッとさせた。
「まさかこのまま玉だけでこちらの陣地に乗り込んでくるつもりなのか?」
詰丘の問い。オウマはギラギラと眼光を輝かせて「無論じゃ」と答えを返した。
「策を巡らすなどわしの性に合わんのでな。真正面から全ての敵を叩き潰してくれる」
「……馬鹿げている。こんなやり方、とても将棋だなんて言えない」
「だがこれこそ――王たるわしの実戦じゃ」
狼狽する詰丘にオウマはそう断言した。
「わしはこれまで常に最前線で戦い続けてきた。雑魚の掃除を部下に任せることはあれども、目標たる敵は必ず自らの手で仕留めてきた。この力だけを頼りにのう」
「……一体何の話をしている?」
「詰まらぬ昔話じゃよ。ほれ何をしておる。貴様の番じゃぞ。早く駒を動かさんか」
詰丘がギリリと奥歯を噛みしめてポツリと次の指し手を口にする。
「……5八飛車」
「5四玉」
間を空けずオウマが駒を進める。詰丘が小さく舌を鳴らして「4八銀」と駒を動かす。詰丘の意図を察して、オウマは「なるほどのう」と面白そうに頷いた。
「守りを固めるつもりかえ? では5五玉」
「同角!」
オウマの指し手に被せるように、詰丘が次の指し手を叫ぶ。詰丘の角がオウマの玉に背後から襲い掛かり、その拳を玉の脇腹に突き刺した。体格の大きなオウマの玉が脇腹を打たれて体をよろけさせる。ここでオウマの玉が倒されてしまえば、その時点で詰丘の勝利が決定する。玉の体が横に傾いていき――
倒れる寸前のところで踏みとどまった。
この直後、詰丘の角がオウマの玉により殴り飛ばされる。地面を何度もバウンドして仰向けに倒れる角。角の頭上に浮かんでいた魔法陣が輝いて角の姿がふっと消えた。敵陣の角を返り討ちにして、オウマがクツクツと肩を揺らす。
「これで目障りな角が消えたな。そして次はわしのターン。5六玉」
「……同歩」
詰丘の歩がオウマの玉を蹴りつける。僅かに体をよろめかせる玉。だがやはり倒すまでには至らず、歩もまた玉の反撃を受けて地面に転がった。
「5七玉」
「同銀」
銀が玉に回し蹴りを見舞う。角に打たれた脇腹を再度叩かれて堪らず地面に片膝をつく玉。だが崩れ落ちてすぐに玉が拳を振り上げて銀の顎を打ち上げた。
「5八玉」
膝を揺らしている玉にオウマが冷徹に指示する。詰丘の飛車に先制攻撃を仕掛けるオウマの玉。だが玉の拳に打たれても飛車は倒れない。これまでの連戦が玉の体力を確実に奪っていたのだ。攻撃を耐え抜いた飛車が玉に反撃する。飛車の拳に腹筋を貫かれて玉が両膝をついた。ついに勝負が決した。野次馬たちはそう考えただろう。だが――
「がぁああああああ!」
膝をついた姿勢のまま玉が飛車に体ごとぶつかる。玉のタックルに転倒する飛車。そして運の悪いことに飛車がグラウンドに落ちていた石に後頭部をぶつけた。
「同金」
詰丘の玉を目前にして、オウマの玉に敵兵たる金が襲い掛かる。オウマの玉はもはやボロボロで力などほとんど残されていない。だがそれでも驚異の粘りをみせるオウマの玉に詰丘の金も苦戦した。幾度も繰り返される攻防。そして三十秒が経過して――
詰丘の金が力なく崩れ落ちる。
「どうにか親玉の前までたどり着くことができたようじゃな。しかしやれやれ……たかだか五人を仕留めるに随分と苦労させられた。わしが想像したより情けない奴じゃ」
そう落胆するオウマに、詰丘が「情けない?」とピクリと眉を揺らした。
「冗談だろ……まさか本当に全員を倒してここまで来るなんて思わなかったよ」
「では素直に観念するかえ?」
「それも冗談……君は自分の玉がいまどういう状態か分かってないの?」
幾多の戦いをくぐり抜けたオウマの玉。だがその代償は大きく彼は満身創痍だった。常に体が頼りなく左右に揺れており指で突くだけでも倒れてしまいそうだ。誰がどう見ても明らかだろう。オウマの玉にはすでに戦う力が微塵も残されていないと。
「ハッキリ言わせてもらうよ」
詰丘が不機嫌そうに言葉を吐き捨てる。
「詰まらない勝負だったよ。初めはあんなにドキドキしたのに、蓋を開けてみれば捻りのない力任せの戦略でさ。本当に君にはガッカリした。最悪だよ」
「何やら勝ちが確定したかのような言い草じゃが、まだ勝負はついておらんぞ」
「決まったようなものだろ? 君と私の玉を見比べれば一目瞭然じゃないか」
腕を組んで仁王立ちしている詰丘の玉。他の駒よりも一回り大きい体格に、全身を包み込んでいる鎧のような屈強な筋肉。その瞳に輝いている眼光は肉食獣のように凶暴で、目の前にいる獲物――ズタボロにされたオウマの玉を悠然と見下ろしていた。
「素人目に見ても、私の玉が只者じゃないのは分かる。君の玉が全快なら勝敗も分からないけど、立っているのがやっとの君の玉が私の玉に勝てる見込みなんてない」
「はてさて、それはどうかのう?」
「だったら試せばいい。次は君のターンだろ。早く駒を動かして終わりにしよう」
詰丘の言葉にぴんと空気が張り詰める。
グランドを封鎖して行われた決闘。魔王軍と将棋部の勝負。無関係な生徒にはその状況などまるで理解できなかっただろう。だが目の前で繰り広げられた死闘に彼らも心を引きこまれていたのか、最終局面を迎えたこの瞬間に誰もが固唾を飲んでいた。
放送席にいるユウと保坂もまた表情に緊張感を浮かべている。光の盤面が描かれた広大なグラウンド。そこに冷たい風が吹き付ける。大きく舞い上がる土埃。髪を揺らしながら睨み合うオウマと詰丘。舞い上がった土埃がゆっくりと消えていき――
オウマは最後の指し手を叫んだ。
「5九玉!」
オウマの玉がギラリと瞳を輝かせ――
懐から取り出したスタンガンを突き出した。
「んぎゃ!?」
スタンガンに痺れた詰丘の玉が後方に倒れる。どれほど体を鍛えていようとも人間の体が導電体である以上、電流を防ぐことなどできない。それはそれとして――
グラウンドにしんと冷たい静寂が鳴った。
グラウンドを囲んでいる野次馬。そして放送席にいるユウと保坂。さらには将棋部部長の詰丘。誰もがぽかんと目を丸くしている。葉擦れの音だけがグラウンドを抜けること十秒。オウマはゆっくりと息を吸い込んで――
「わしの勝利じゃあああああああああ!」
高らかに拳を突き上げた。
どこからともなく軽快なファンファーレがグランドに鳴り響く。さらに眩いスポットライトが勝者であるオウマに当てられて大量の紙吹雪が周囲に舞った。魔法による自作演出だ。クルクルと喜びのダンスを披露するオウマ。陽気に踊るその彼女を呆然と眺めて、詰丘が丸くしていた目をジト目に戻していく。
「……え? そんなのアリ?」
恐らくその言葉は、このグラウンドにいる全員の気持ちを代弁したものだろう。オウマはクルクル回していた体をピタリと止めて、唖然としている詰丘にニヤリと笑った。
「ありもへったくれもなかろう。わしは何も間違ったことなどしておらんぞ」
「いやだって……武器使ってるし」
「武器を使用してはならぬと誰が決めた?」
詰丘が息を呑む。返答に窮したその彼女にオウマは追い打ちとばかりに言葉を重ねた。
「勝利するためにあらゆる手段を講じることは至極当然。敵が素手だからとその流儀に合わせる必要などない。むしろ敵を出し抜くために率先して武器を使用するべきじゃ」
「……それは……そうかもだけど」
「貴様の敗因は自らが課した勝手なルールに縛られていたことじゃ。よく覚えておくがいい。ルールに縛られるようでは所詮三流。何者にも勝利したくば――ルールを従わせよ」
詰丘がむすっと表情を渋くする。飄々としている彼女としては珍しいその反応に、オウマは上機嫌にカラカラと笑った。瞼を閉じて顔を伏せる詰丘。口を閉ざしたその彼女にオウマはからかい口調で声を掛けた。
「なんじゃなんじゃ? 納得がいかんか? だが何を言われようと勝ちは譲らんぞ」
「……いや、文句なんてないよ。むしろその逆かな」
詰丘の返答にオウマは「ん?」と首を傾げる。詰丘が俯けていた顔を持ち上げて――
「前言撤回――君は最高だよ、オウマ」
その表情に屈託のない笑顔を輝かせた。