第一章 闇内オウマと将棋部4/5
そして次の日。白ノ宮学院中学校のグランドにて決戦の火蓋が切られた。
時刻は午後四時。グラウンドは『KEEP OUT』の文字が印刷されたテープにより封鎖されていた。グラウンドの周囲にできた人だかり。グラウンドを追い出された運動部の生徒と騒ぎに駆けつけてきた野次馬だ。ざわざわと喧騒を立てながらグランドを眺めている生徒たち。その彼らの視線の先。そこにはグラウンドの中央で佇んでいる――
二人の女子生徒の姿があった。
グランドの中央で睨み合う女子生徒二人。魔王軍代表にして魔王――白ノ宮学院中学校一年の闇内オウマ。そして将棋部代表にして部長――白ノ宮学院中学校二年の詰丘将希。両者ともに挑戦的な眼光をその瞳に湛えて、口元に小さな笑みを浮かべていた。
『それではこれより魔王軍と将棋部の命運をかけた決戦を始めさせて頂きます』
グランドの隅に設置された放送席にて光月ユウがマイク越しにそう話す。突然の実況に騒めく生徒たち。混乱する彼らのことは特に気にせずユウが淡々と言葉を続ける。
『実況はボク――白ノ宮学院中学校一年の光月ユウが担当させて頂きます。不慣れゆえお見苦しい点も多々あると思いますが皆さまよろしくお願いします。そして解説には――』
ユウが隣の席にいる女性を手で示す。長い髪をポニーテールにした女性。彼女の顔には血の気がなく、まるで怯えているようにカタカタと体を震わせていた。
『将棋部の副部長――白ノ宮学院中学校三年の保坂守美子さんをお呼びしています。保坂さん。今日はどうぞよろしくお願いします』
『どうして私が……どうして私が……どうして私が……』
青い顔でブツブツと呟いているポニーテールの女性――保坂守美子。どうやらこの立ち位置は彼女の本意ではないらしい。だがそのことに気付いてないのかユウが首を傾げる。
『どうかしましたか、保坂さん。トイレに行きたいなら今のうちに――』
『ち、違うわよ!』
セクハラとも取れるユウの発言に、保坂がバンバンとテーブルを叩いた。
『どうして私が解説なの!? 私は部長と貴方たちとの勝負には無関係なんだからね!』
『ボクが将棋のこと何も知らないって言ったら、詰丘さんが保坂さんに解説させるって』
『部長ぉおおおおおおお!』
保坂が頭を抱えて絶叫する。目尻に涙を浮かべる保坂に、将棋部部長の詰丘が悪びれる様子もなくニヤニヤと笑う。部長の態度にがっくりと肩を落とし保坂がボソボソと言う。
『というか……グラウンドを封鎖するなんてよく学校の許可が下りたわね』
『許可って何ですか?』
『何って――まさか無許可なの!? 勝手にグラウンドを封鎖したら駄目じゃない!』
またも声を荒げる保坂に、ユウが『大丈夫です』と無邪気に微笑む。その返答にぽかんと目を丸くする保坂。ユウがガッツポーズするように拳を握りしめて大きく頷いた。
『なんかえっと……大丈夫です』
『根拠は!? 大丈夫な根拠を教えて!』
『それじゃあ学校に賄賂を贈ります』
『これ以上罪を重ねないで!』
「――って、うおいコラァアアアアアアア!」
楽しげに会話するユウと保坂に、待ちぼうけ状態のオウマは声を上げた。
「わしらはいつまで睨み合ってなければならんのじゃ! さっさと進行せんかい!」
『あ、ごめんねオウマ』
ユウが手元のカンペに視線を下して、『えっと……』とイベントの進行をする。
『対戦者二名をご紹介します。まずは放送席から向かって右側。白ノ宮学院中学校一年――闇内オウマ。それに対するは白ノ宮学院中学校二年――詰丘将希さんになります』
オウマと詰丘が周囲の生徒たちに手を上げる。初めは困惑していた生徒たちだが、何やら面白そうな雰囲気を感じたのか、彼らから二人に向けてパラパラと拍手が送られた。
「よくぞ逃げずにこの場に立った。その勇気に免じて全力で叩き潰してくれようぞ」
「ここまで盛り上げたんだ。どんな勝負かは知らないけど私を失望させないでよ」
オウマと詰丘が互いに挑発して、放送席正面の定位置へと歩いていく。オウマと詰丘が歩いている間、ユウがイベントの詳細を生徒たちに説明する。
『この勝負は魔王軍と将棋部の一騎打ちとなります。そして敗者は勝者のあらゆる命令に従う義務が生じる――つまり勝者の支配下に置かれることとなります』
『なんか仰々しいけど……そもそも前から貴方たちが話している魔王軍って何なの?』
もはや諦めたのか保坂がそう疑問を口にする。魔王軍という単語にざわつく野次馬。怪訝な顔をする保坂と野次馬に、ユウが『えっと……』と首を傾げつつ曖昧に答える。
『オウマは魔王の生まれ変わりで、この中学校で魔王軍を再建したいようです。それで色々な部活を魔王軍の配下に加えて、魔王軍をどんどん拡大したいみたいですね』
『魔王の生まれ変わりって……あの子っていわゆる中二病なの?』
顔をしかめる保坂にユウがニコリと笑う。
『どうでしょう。でもそのオウマに付き合ってくれる詰丘さんも相当変わり者ですよね』
『……それを言わないで』
保坂が天を仰いで嘆息する。恐らく過去にも詰丘により迷惑を被られたことがあるのだろう。オウマと詰丘が定位置に付いたところで、詰丘が「さて……」とオウマに尋ねる。
「楽しみは取っておこうと敢えて聞かなかったが、どうやって勝負するつもりかな。君は実戦的な将棋だと話していたけど見たところここに将棋盤はないようだが?」
「貴様の目は節穴か? 将棋盤ならばホレ、目の前にあるではないか」
詰丘が眉をひそめる。オウマはニヤリと笑うと右手でぱちんと指を鳴らした。
グランドが青白い輝きに包み込まれる。ぎょっと表情を強張らせる詰丘。徐々に青白い光が線へと収束していき、瞬く間にグラウンドに9×9の光の盤面が生み出された。
「――さらに」
オウマは再びぱちんと指を鳴らす。グランドに現れた光の盤面。その各マスに魔法陣が展開されて、その魔法陣から人影がせり出してくる。魔法陣から現れた人影。それは白い胴着に身を包んだ屈強な男たちであった。
『な……なに? 一体何が起こったの?』
目の前で起こった怪現象に保坂が唖然とする。野次馬たちも大きくどよめいていた。動揺している彼らに、ユウがどこか得意げに説明する。
『これはオウマの魔法だよ』
『ま……魔法?』
『うん。まあオウマがそう言っているだけで、実際はただの手品なんだろうけど』
保坂がユウの説明に納得いかないのか『手品って……これが?』とブツブツと呟く。
無論これは手品ではない。オウマの正真正銘の魔法である。ユウがそれを手品だと信じ込んでいるだけだ。オウマはこれまで何度もユウのその認識について訂正を試みた。だがユウはそれを頑として聞かなかった。とぼけているようで頑固な一面もあるのだ。
(まあ……どう解釈されようと構わんがな)
むしろ手品だと解釈してくれた方が面倒もないかも知れない。最近になりオウマはそう思い始めていた。ゆえにその誤りをわざわざ指摘することも最近はしていない。
「これは……さすがに驚いたな」
呆然としていた詰丘の表情に再び笑みが浮かんでくる。
「こんなにスゴイ手品を見たのは初めてだ。それとも……本当に魔法だったりして?」
探るようにそう聞いてくる詰丘に、オウマは「さてのう」と敢えて言葉を濁す。
「それは貴様らの判断に任せるわ。それより貴様ならばとうに気付いておろう?」
「……まあね。9×9のマス目とそこに配置された人の並び。これは巨大な将棋盤だ」
詰丘のジト目に鋭い眼光が輝く。
「人間を駒に見立てて将棋をしようと言うことかな? だけどただそれだけで実戦的な将棋とは言い難いよね。まだ他にもこのゲームならではのルールがあるはずだ」
『……というか、なんで部長はそんなに冷静なんですか?』
保坂が声を震わせる。どうやら先に見せた魔法のショックがまだ抜けてないらしい。野次馬の中にも混乱している者が多いようだ。詰丘が保坂を一瞥して肩をすくめる。
「私が冷静だって? まさか。興奮して頭がおかしくなりそうだよ。魔法にせよ手品にせよ、これほど先が読めない展開は生まれて初めてだからね。そんなことより、ゲームのルールを説明してくれないか?」
そう催促してくる詰丘に、オウマは「別に複雑ではない」と前置きしてから言う。
「基本的なルールは将棋と同じじゃ。各駒の動きも同じで玉を先に仕留めた者が勝者であることも変わらん。ただひとつ異なることは各駒に戦力が設定されていること」
「戦力?」
「将棋の駒は機動力こそ違えども戦力に差はない。最弱の駒が最強の駒を屠ることも容易にできる。しかし実戦ではそうはいかん。各兵には各々明確な力の差があり、それを無視して戦略を練ることなど不可能じゃ」
「なるほど一理あるね。それでその戦力差がこの勝負ではどう影響するのかな?」
「駒が接触した際、行動中の駒が対象の駒に攻撃を仕掛ける。その攻撃により駒が戦闘不能となった場合、その駒は盤面から消滅する。だがその攻撃を耐えた場合は盤面から消滅せず、なおかつ敵に反撃することが可能じゃ」
「……なるほど。下手に高い戦力の駒と戦えば反撃を受けてこちらの戦力が削られるということか。戦力の高い駒を倒すにはそれ以上の駒をぶつけるか、或いは戦力の低い駒を複数回ぶつけて体力を減らしておく必要がある」
物わかりの良い詰丘に、オウマは「その通りじゃ」とその瞳を鋭く細めていく。
「最強の力を誇る魔王。それを打ち取るには数百万の兵を一度にぶつけるか、或いはただ一人――勇者と呼ばれる人間をぶつけるか。つまりはそういうことじゃ」
「具体例が随分とファンタジーだね。因みに将棋同様に倒した駒は使用できるのかな?」
「使用禁止じゃ。死者は蘇らんからな」
「オーケー。大体ルールは理解したよ」
詰丘がニヤリと笑って口早に言う。
「うずうずして待ちきれない。早く勝負を始めようか」