第一章 闇内オウマと将棋部3/5
登校初日となる今日。本格的な授業は明日からということで、各教室でのオリエンテーションが終わると下校時間となった。帰り支度を整えて教室から廊下に出るオウマ。廊下には新入生の他に、上級生と思しき人の姿があり新入生に声掛けをしていた。
「卓球部に入部してくれる人はいませんか? 明るくアットホームな部活動ですよ」
「俺と一緒に空手をやらないか!? 空手は心身ともに鍛えられる熱いスポーツだぜ!」
「あの……その……漫画に興味がある人……その……誰かいませんか?」
どうやら部活動の勧誘らしい。廊下を歩きながら窓から校庭を眺めてみる。校庭にも呼び込みやチラシを配っている生徒の姿が見えた。敷地内の至るところで勧誘が行われているのだろう。ここでオウマの隣を歩いていたユウが「そういえば」と彼女に話しかける。
「オウマは部活とか入るつもりなの? 小学校の時は帰宅部だったけどさ」
「何を言うておるか。先も話したであろう。わしは魔王軍を再建するという使命がある。部活などに現を抜かしている暇などないわ」
むすっと表情を渋くするオウマに、ユウが「そうなんだ」と他人事のように呟く。
「ボクはちょっと部活とか初めてもいいかなって思ってたんだけど……でもそれならボクたちは今どこに向かってるの? てっきり部活の見学に行くとばかり思ってたんだけど」
「見学ではないが、部活をしている連中に用があるのは違いないな」
「どういうこと?」
「見てれば分かるわ。えっと……この資料によると目的の部室は別校舎じゃな」
オリエンテーションで配布された部室マップ。それを確認しながら廊下を進んでいくこと五分、オウマはとある教室の前で足を止めた。オウマの隣に並んでユウもまた足を止める。教室の扉に張られた一枚の紙。そこに書かれた文字をユウが読み上げる。
「将棋部……?」
「左様。では早速入るぞ」
困惑しているユウには構わず、オウマは躊躇うことなく扉をガラリと開けて教室の中に足を踏み入れた。部屋の中にいた複数人の生徒がオウマに振り返る。部室に並べられた机と、その机の上に置かれた将棋盤。扉の張り紙から当然だが――張り紙は部活の勧誘期間中にだけ貼られることになっている――、ここが将棋部の部室で間違いないらしい。
「えっと……もしかして新入生? 入部希望者かしら?」
ポニーテールの女性がおずおずとオウマに声を掛ける。背後にいるユウが教室の扉を閉めたことを後ろ目に確認しつつ、オウマはポニーテールの女性に問い掛けた。
「将棋部なる組織の長は誰じゃ?」
「お、長って?」
狼狽する女性に、オウマはニヤリと笑い口元から犬歯を覗かせた。
「つまりここで一番偉い奴じゃよ。その者をわしの前に連れてこい」
「つまりその……部長ってことでいいのかしら? あの……すみません部長」
ポニーテールの女性が部屋の奥に声を掛ける。組織の長たる部長が現れるまで腕を組んで待機するオウマ。ここで背後にいたユウが彼女に近づいてきてポツリと言う。
「オウマ。ここに居る人たちは上級生なんだから、ちゃんと敬語を使わないと駄目だよ」
「何を言うか。確かにわしは人間としてはたかだか十二歳じゃが、前世である魔王時代を含めれば数百歳は軽く超えておる。敬語を使用する理由などないわ」
ユウの苦言をそう一蹴したところで、一人の女性がオウマの前に立ち止まった。おかっぱ頭の目付きの悪い少女。髪をポリポリ掻きつつ少女が面倒くさそうに呟く。
「……君たち誰なの?」
ジト目でそう話し掛けてくる女性に、オウマは瞳を鋭くして見返した。
「貴様がここの長――つまり部長か? 折角じゃ。名前を聞いてやろう」
「……随分偉そうだね、君は。私は二年の詰丘将希。それで君たちは?」
「新入生の闇内オウマじゃ」
「同じく光月ユウです」
オウマに続いてユウも自己紹介をする。ジト目の女性――詰丘将希が「ふぅん」と気のない返事をして小さく嘆息した。
「……見学だったら適当にしてって。空いている将棋盤も勝手に使っていいから」
「気を使ってもらい悪いが、わしらは別に遊戯をしに来たわけではない」
「……それじゃあ何しに来たわけ?」
詰丘が胡散臭そうに目を細める。オウマがギラギラと目を輝かせて笑みを深くした。
「単刀直入に言おう。貴様ら将棋部はこれより我が魔王軍の配下となってもらう」
「……は?」
「魔王たるわしに絶対の忠誠を誓い、魔王軍の手足となり働けることを感謝するがいい」
オウマはそう話してふんぞり返った。しんと静寂が鳴る。ジト目をさらに訝しげに細めている詰丘。将棋を指す手を止めてオウマと部長とのやり取りを眺めている部員たち。しばしの間。詰丘がジト目を一度瞬きさせ――
露骨なまでに大きく嘆息した。
「これは何の悪ふざけ? それとも演劇部の稽古の一環とかそういうの?」
「そのどちらでもない。愚鈍な貴様らにも分かるよう少し細かく説明してやる」
眉をひそめている詰丘に、オウマは淀みなく話を始める。
「わしの最終目標は世界征服。その足掛かりとして、わしはこの白ノ宮学院中学校を魔王軍の拠点とするつもりじゃ。しかし現在の魔王軍はわしとユウの二人だけしかおらん。ゆえに学校にある個別組織を配下に加えて、まずは魔王軍の拡大を図ろうというわけじゃ」
「……だから将棋部を配下に?」
「閉塞的かつ独立したコミュニティ。そして特有の技術知識に長けた集団。有象無象を闇雲に軍に引き入れるより、すでに組織化された連中を配下とするほうが効率良かろう」
「……はっきり言っていいかな?」
詰丘が溜息まじりに言う。
「世界征服だとか魔王軍の拡大だとか、君の言っていることがまるで分からない。私はあまりゲームとか漫画とかやらないんだけど、その類の話をしているのかな?」
「ゲームや漫画ではない。これは現実の話をしているのじゃ」
「……そうだね。一番分からないのは、君がそれを真面目に話しているということだ。明らかに常識離れしているのに君はそれを絶対的な自信で話をしている」
「だったらどうだというのじゃ?」
オウマの問い掛けに――
仏頂面だった詰丘が小さく笑う。
「君たちに少し興味がわいてきたよ」
詰丘のその返答に、ポニーテールの女性が「部長」と窘めるような声を出す。
「あまり部員たちを面倒なことに巻き込まないでくださいよ。そうやって面白そうだと感じたら何でも首を突っ込もうとするのは部長の悪い癖なんですからね」
「将棋も人生も先が読めないから面白いんだろ? 世界征服と魔王軍だぞ? これは数手先さえも見通せない未知の盤面だよ。なんだかドキドキしてこないか?」
「ドキドキなんかしません! この子たちの頭がただ痛いだけだと思います!」
「私もその意見には賛成だ。だが重要なことは事実かどうかではなく、私がそれを楽しめるかどうかだ。まあそう怒るなよ。対処は私がするからさ。それでお二人さん。具体的に将棋部をどう配下に加えるつもり? 当然だけど私たちも簡単には従うつもりないよ」
不安顔のポニーテールの女性を軽くあしらい、詰丘がそのジト目を鋭く細める。挑発的に睨んでくるその彼女に、オウマもまた瞳を細めて強気に笑った。
「貴様ら将棋部とわしらで勝負をしようではないか。わしらが貴様らに勝利することができれば貴様らはわしらに従う――つまり魔王軍の配下となる。それでどうじゃ?」
「勝負の内容は?」
間を空けずに返された詰丘の問いに、オウマもまた間を空けず答える。
「わしは寛大じゃ。貴様らの得意分野である将棋で勝負してやる。もっとも貴様らがしている詰まらぬ児戯とは異なり、わしの魔法による実戦を想定したゲームとなるがな」
「魔王軍の次は魔法と来たか。そこまで大風呂敷を広げて何を見せてくれるのか。楽しみだな。それで重要なことだけど、私が勝ったら君たちは何をしてくれるの?」
「この男――ユウが何でも言うことを聞いてやる。パシリでも何でも好きに使うがいい」
「当然のように生贄にされた」
オウマの無茶ぶりにユウがポツリと呟く。だが特に反論もないようだ。「……なんでもね」と詰丘がユウをジロジロと見やる。どう転んでも自分には被害がないと安心するオウマ。詰丘がこくりと頷いてさらりと言う。
「それじゃあさ、君……もし私が勝ったら私と付き合ってよ」
「……え?」
「それは駄目じゃぁああああああ!」
ユウがポカンと目を丸くしたと同時、オウマは反射的に絶叫していた。詰丘がおもむろにユウに近づこうとする。オウマは慌てて詰丘とユウの間に割り込むと「がるる!」と犬歯を剥いて威嚇した。顔を赤くして震えるオウマに詰丘が眉をひそめる。
「何でもって言ったじゃないか。結構かわいい顔しているから好みなんだけど」
「何でもとは言ったがそれだけは駄目じゃ! パシリでも奴隷でも家畜でも、意味なく殴ったり骨をへし折ったり、捻じったり千切ったり潰したり蒸発させたりと大概のことは許すが、付き合うことだけは容認できん!」
「ボクとしては他のことも容認しないでほしいんだけど」
「基本的に性的なものは受け付けんぞ! なんかこう太腿やら胸の谷間やら、パンチラやらの女の武器でユウを誘惑しようなどと、間違っても考えるではない! 良いな!」
「……そんな恥ずかしい真似しないよ」
赤い顔から湯気を立ち昇らせるオウマに、詰丘がどこか呆れ気味に嘆息する。
「もう中学二年生だし恋人ってのを経験して見たかったんだけど……まあいいか。こちらの要求は考えておくよ。それじゃあ早速、勝負に移ろうじゃないか」
そう催促する詰丘に、オウマは顔の赤らみをどうにか鎮めつつ咳払いした。
「ま、まあ落ち着くがいい。こちらにも準備というものがある。今日は宣戦布告をすることが目的じゃ。勝負は明日。グランドにて行おうぞ」