第五章 闇内オウマと魔王リリス5/5
白ノ宮学院中学校。そのグランドを覆い尽くしていた漆黒の闇。それが潮を引くように消えていく。闇が取り払われて土色の地面を覗かせたグラウンド。そこには闇に呑み込まれていた大勢の人の姿があった。地面に倒れたまま動かない人々。気を失っているようだ。魔族に造り変えられた者もいない。救出が間に合ったのだろう。
オウマは高度を落としていき大勢の生徒が倒れているグラウンドに着地した。金色の瞳を僅かに細めて足元を見据える。オウマの目の前の地面には――
全身を赤黒く焦がしたスキアーが倒れていた。
「……私を殺さないのかい?」
スキアーがポツリと呟く。どうやら正気を取り戻したらしい。
「取引じゃ、スキアー」
スキアーを見下ろしながらオウマはそう話した。仰向けに倒れているスキアーが怪訝に眉をひそめる。困惑しているスキアーにオウマは淡々と要求を告げる。
「貴様を見逃してやる。その代わり、貴様の魔法で人間からこの騒動の記憶を消せ」
「……記憶を?」
「貴様なら可能じゃろう? 全校生徒を操作して自身に投票させた貴様ならな。さすがに今回は騒ぎが大きくなり過ぎじゃ。これではわしの平穏な学校生活に支障をきたす」
「……君がやればいい」
「わしはこの手の細やかな魔法制御は苦手なのじゃよ。それで――どうするのじゃ?」
「……どうするもないな」
スキアーが力なく笑う。
「リリス……それは取引とは言わない。それは脅迫と言うんだ」
「魔族らしいじゃろ?」
オウマもまたニヤリと笑う。スキアーがゆっくり息を吐き出して瞳を閉じた。魔族であるスキアーならこの重症も数時間で完治するだろう。この男を野放しにすることに不安がないわけではないが、『異界の門』を失いこの世界に留まらざるを得ない以上、彼も今回のような無茶は自重するはずだ。
(次に似たようなことをすれば、今度こそ容赦なく殺してやるがな)
そんな不穏なことも考えつつ、オウマは深々と嘆息した。スキアーが化けていた生徒会会長。戸塚正義。その会長と体育館で待ち合わせたのは午後四時だ。それからまだ三十分も経過していない。だというのに疲労はすでにピークに達していた。
「……一つ教えてくれないか?」
スキアーの呟き。「む?」と眉をひそめるオウマに、スキアーがポツポツと言う。
「君は……私が君のために作ろうとした魔王軍に……反対していただろ……ならば……君が目指している魔王軍とは……一体どういうものなんだい?」
スキアーの問いにオウマはふと思案する。無視しても構わない質問だろう。何より答えたところで彼には理解できまい。言うだけ無駄だ。オウマはそう考える。
だが隠すほど大した話でもない。オウマをじっと見つめているスキアー。心からそれを疑問に感じているらしい。オウマは頬をポリポリ掻いて溜息まじりに口を開いた。
「わしは魔族の魂を持ち、人間の体を持っておる。ゆえにわしが目指す新たな魔王軍は、魔族だろうと人間だろうと関係のない種に囚われぬ軍勢じゃ」
「魔族も……人間も……?」
「尤もこの世界には人間しかおらんがな。とりあえず将棋部とプログラミング研究部は魔王軍の配下に加わった。世界征服を果たすため今後も軍の拡張をしていくつもりじゃ」
スキアーがポカンと目を丸くする。やはり答えを理解できないのだろう。しばしの時が流れる。スキアーが丸くしていた瞳を一度瞬かせてフッと笑う。
「念のため訊くけど……本気かい?」
「無論じゃ。わしにできぬ道理があるまい」
「……なるほど。さすがだよ、リリス」
スキアーが小さく息をつく。
「私には到底及びもつかない考えだ。どうやら私はまだ君の伴侶として未熟らしい」
「……やはり殺しておこうかのう?」
「最後に一つ……君ほどの魔王がどうして……人間などにそうも拘るんだい?」
オウマはふと口を閉ざす。
その問いは先程のように簡単ではなかった。今後の学校生活のために生徒たちの記憶を消す。再建する魔王軍に人間も配下として加える。それは魔王リリスに相応しくない考えだ。どうして人間との生活を守るのか。どうして人間とのつながりを求めるのか。どうして人間に拘るのか。魔王リリスと闇内オウマ。自分は一体――
何が変わったのだろうか。
「……わしは」
ここで突如、オウマの全身から魔力が抜け落ちた。魔王リリスとしての活動限界を超えたのだ。魔族から人間にその姿を戻して後方に倒れていくオウマ。力がまるで入らない。受け身すら取れそうにない。硬い地面へと後頭部が落下して――
「おっと、危ない」
地面に叩きつけられる直前、オウマの小柄な体をユウが優しく抱きかかえた。
「ふわああ!? ユ、ユウ!? おおお、お主……なぜここにおるのじゃ!?」
体育館にいるはずのユウに体を抱えられて、オウマは顔を真っ赤にして狼狽した。ユウが屈みこんだ姿勢から立ち上がり、腕に抱えたオウマにニッコリと微笑む。
「オウマがここに下りていくのを見て追いかけてきたんだ。それはそうとオウマ。すごく疲れてるみたいだね。そういえばオウマが例のコスプレした後って大抵疲れてるよね」
「お……おお……そうじゃのう……人間には危険な魔王の力を引き出したがゆえ――」
「あのコスプレってすごいクオリティだから着たり脱いだりが大変なんだね」
「いや……そそ……そうではなくてだな」
「少し保健室で休んだほうが良さそうだね。それじゃあ行こうか、オウマ」
「ここ、このまま行くのか!?」
ユウに抱えられた状態――いわゆるお姫様抱っこされて校内をうろつく。それを想像してオウマはさらに顔を沸騰させた。動揺するオウマにユウが不思議そうに首を傾げる。
「そうだけど……駄目なの?」
「駄目というか……はは、恥ずいじゃろ!」
「そうなの? でもなんかみんな気絶してるし、見てる人いないみたいだよ」
「それはそうじゃが……え、ええい! 背に腹は代えられんわ! と、特別にわしを保健室に運ばせてやる! だが急げ! 誰も目を覚まさないうちに保健室に行くんじゃ!」
「保健室に運ばれるのに何だか偉そう。まあいいけど。それじゃあ急ぐから――」
「ちょっと待たんか!」
ユウが駆け出そうとしたところで慌てて止める。きょとんと疑問符を浮かべるユウ。オウマは「あの……その……」とモニョモニョと口を動かすと――
赤くした顔を両手で隠してポツリと言う。
「や……やっぱり……ゆっくり歩いて」




