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第五章 闇内オウマと魔王リリス4/5

「……ユウ?」


 オウマはポツリと呟く。体育館の出入口付近に立っている少年。光月ユウ。見たところ怪我をした様子もなく無事だ。闇に呑み込まれたと思っていたため、オウマは幼馴染の無事を確認して安堵した。そしてそれと同時に胸を強く締め付けられる。


 今は彼の顔を見ることが辛すぎた。


 ユウがオウマへと歩き出す。表情を曇らせているユウ。校内で起こっている異常事態に不安を感じているのだろう。ユウがオウマの五メートルにまで近づいて――


「止まれ、光月ユウ」


 スキアーがそう呟くと同時に、ユウの眼前に魔法陣が輝いた。


「スキアー!?」


 ユウの足がピタリと止まる。スキアーの魔法に動きを封じられたのだ。最悪の事態を想像して瞳を震わせるオウマ。彼女の不安にスキアーが「心配はいらない」と笑う。


「一時的に魔法で意識を奪っただけだ。殺してはいないさ。彼には長いこと君を守るための駒として働いてもらったからね。闇に呑み込まれることなくここまでたどり着いた、その幸運も加味して生かしてあげるよ」


 スキアーはそう語るが事実は違う。スキアーが光月ユウを殺さないのは、ここで彼を殺してしまえばオウマが完全に壊れてしまう可能性があるためだ。ようやくオウマの心を掌握したというのにそれは不味い。ゆえに彼は光月ユウを見逃すことにした。


「光月ユウ。君はもう家に帰りなさい。そして全てを忘れてこの世界で平穏に暮らすといい。今日起こった出来事も、私のことも、闇内オウマのことも、全てを忘れて」


 ユウがぼんやりとスキアーを見やる。緊迫感ないユウの表情。魔法で意識を奪われたためか()()()()()()()()()だ。スキアーがニンマリと歪んだ笑みを浮かべる。


「さあ光月ユウ。君はこの場から――」


「すみません会長」


 スキアーの言葉を遮って――


 ユウがあっさりと言った。


「ちょっとボク、オウマと話があるので、何の話をしているかよく分かりませんが、その話は後にしてもらっても良いですか?」


「……へ?」


 スキアーがポカンと目を丸くする。オウマもまた呆然と目を丸くした。「本当すみません」とスキアーにお辞儀して、ユウが改めてオウマに近づく。球状の魔法陣に囚われたオウマ。その目の前に立ち止まり、ユウが「もう」とプリプリと怒った。


「駄目じゃないか、オウマ」


「……だ……だめ?」


 オウマは意味が分からず首を傾げる。ユウがくるりと周囲を見回して大きく嘆息した。


「この足元にある黒いヘンなの、オウマの仕業なんでしょ? まったく……いつも言ってるだろ。人に迷惑を掛けるような手品はしちゃ駄目だって」


 どうやらユウは、足元にある闇がオウマによる魔法――彼曰く手品だが――と考えているらしい。きっぱりと濡れ衣なのだが今はそれを指摘している場合でもない。オウマはパチパチと瞳を瞬かせると、子供を叱るような表情をしているユウに尋ねる。


「ユウよ……お主はその……大丈夫なのか?」


「大丈夫って何が? この黒いヘンテコな奴のことなら、なんかバアアアッと襲ってきたかと思えば、すぐにバアアアッと離れていっちゃったけど?」


「ぎ……擬音ばかりで分かりにくい……というか今しがたスキアーの魔法を――」


「ところでオウマ。さっきから気になってるんだけど……これって何?」


 オウマの疑問を差し置いて、ユウがオウマを拘束している魔法陣に手を伸ばした。オウマですら破壊できない強固な魔法。ユウの指先がその魔法陣に触れて――


 パキンと音を立てて、魔法陣があっけなく砕け散る。


「あれ……壊れちゃった」


 ユウがきょとんと首を傾げる。魔法陣の拘束を脱してオウマは体をふらつかせながらも体勢を整えた。ユウの肩越しに見えるスキアー。魔王たるその彼があんぐりと口を開けて硬直している。ユウがポリポリと頬を掻いて「ま、いっか」と気楽に頷いた。


「それはそうと、オウマ。すぐにこの黒いヘンなのを消して。そしてみんなにちゃんと謝るんだ。ボクも一緒に謝ってあげるからさ」


「いや……そもそもじゃな……これはわしの仕業ではないのだが……」


「オウマ以外に誰がこんなことするのさ。会長まで巻き込んで……会長の恰好はコスプレかな? 今日は随分と手が込んでるね。こんな大きなものまで体育館に持ち込んで――」


 そう言いながらユウが『異界の門』に手を伸ばした。体育館の天井付近まである巨大な門。その太い柱にユウがポンポンと手を触れる。すると瞬く間に門に亀裂が入り――


 門がバラバラに砕けて空間に消えた。


「あ……また壊れちゃった。なんだろう……もしかして弁償しないと不味いかな?」


「ば……馬鹿な……」


 眉をひそめるユウにスキアーがガチガチと歯を鳴らした。何年も魔力を溜めて召喚した『異界の門』。それが易々と破壊されたのだ。驚愕するのも無理はない。スキアーの瞳が震えている。魔王たる彼が怯えている。だがユウは彼の反応に気付きもしない。普段変わらない()()()()()()()()顔をしている。幼馴染の平然としたその様子を見て――


「……ふ――ふはははははははははははははははははははははは!」


 オウマは腹を抱えて笑った。


「そうか! そうじゃった! ひひひひ――わ、わしとしたことが失念しておったわ! こやつが魔法で操られているなど――くくくく――あり得んではないか!」


「ど……どういうことだ!?」


 スキアーが声を荒げる。オウマは目尻に涙を浮かべつつ「ひーひー」と笑いを堪えた。ユウが目をパタパタ瞬いている。オウマの笑う理由が分からないのだろう。何も理解していない幼馴染にまた吹き出しつつ、オウマはニヤリと笑みを浮かべた。


「そうか……スキアーよ。貴様はユウのやつと直接会うのはこれが初めてなのだな。確かに異世界から覗き見しているだけでは、気付かなくとも無理なかのう」


「な……なんだと?」


「ユウの気配を注意深く探ってみよ。面白いことが分かるぞ?」


 スキアーが戸惑いながらもユウをじっと見据える。銀色の瞳を輝かせながら細めていくスキアー。その彼の視線をぼんやり見返すユウ。二呼吸ほどの間を空けて――


 スキアーの顔が面白いように蒼白となる。


「ま……まさか……この魔力は……」


「さすがはストーカー様じゃ。わしを滅ぼした存在の気配も把握していたか。その通りじゃよ。光月ユウ。こやつこそが魔王リリスを打ち倒した勇者――その転生した人間じゃ」


 オウマはそう勝ち誇るように告げた。額にじんわりと汗を浮かべるスキアー。自身の致命的な失態を悟ったのだろう。オウマはクツクツと肩を揺らして犬歯を剥いた。


「貴様も聞いているな。勇者の特性を。奴の魔力は我ら魔族の魔力における猛毒。勇者には魔族の魔法が容易に効かぬのじゃよ。絶大な力を誇っていた魔王リリスが人間である勇者に滅ぼされたのもそれが理由。あらゆる魔法を無効化され――わしは敗北した」


「ならば……私が施したはずの魔法も――」


「無効化された。こやつは初めから貴様の魔法になど影響を受けていない。こやつは自分の意思でわしと出会い、自分の意思でわしとともに過ごし、そして――」


 闇内オウマを守ると――


 自分の意思で話してくれたのだ。


(幻などでは……なかったのじゃ)


 長い時間をともに過ごしてきた。その間にたくさんの想いを相手に抱いて、たくさんの想いを相手から感じてきた。それは決して幻ではない。一方通行でもない。想いは確かに相手に伝わっていた。そしてその相手から伝えられた想いもまた確かなものだった。それを確信できた。それを実感できた。


 だから――もう大丈夫だ。


「……オウマ。ボクには二人が何の話をしているのかよく分かんないんだけど?」


 呑気に首を傾げるユウ。困惑している様子の彼に、オウマは軽い口調で告げる。


「そうじゃな。すまんかった。わしもこの茶番劇には飽きてきたところじゃ。お主の言うように、そろそろ幕を下ろすことにしよう。しかしユウよ、ほんの少しだけ待ってはくれぬか。終幕に相応しいとびきりの()()を会長に見せてやりたいのでな」


 オウマのこの言葉に、ユウがふと考え込む仕草をしてニッコリと微笑んだ。


「分かった。それじゃあ少しだけ待つよ。みんなが可哀想だからなるべく早くね」


「心配するではない」


 オウマの眼光がギラギラと輝く。


「そう時間など掛からんわ」


 オウマの宣戦布告。それを理解したのかスキアーの表情が警戒色に染まった。オウマは凶暴な笑みを浮かべて僅かに腰を落とす。冷えていた血液が熱を帯びて全身を循環する。体の芯から力が溢れ出る。オウマは興奮を抑えながらも集中して――


 魂の奥底に意識を潜り込ませた。


「……君の魔力は不完全だ。今の君では私と戦うことなどできない」


 スキアーの指摘は正しい。不完全であるオウマの魔力はスキアーのそれに遥かに劣る。まともに戦おうと勝ち目はないだろう。だがそれはあくまで――


 この()()()姿()であればの話だ。


「このわしを――魔王リリスを――」


 魂の奥底。そこに施された封印術。その封印術に意識を触れさせ――


「舐めるな」


 オウマは封印術を解除した。


 魂の奥底に封印されていた魔力が爆発的に膨れ上がる。オウマの全身からほとばしる桁違いの魔力にスキアーの表情が瞬間的に凍りついた。この世界には存在しない力。魔力。その未知の力に怯えるように大気が暴れる。そして溢れた魔力に呼応して――


 オウマの体が変異を始めた。


 オウマの全身が雪のように白く染まり、その白肌をキャンパスにして美しくも鮮やかな金色の文様が描かれていく。さらに黒髪のツインテールが金色に変化して、側頭部からは太く捻れた角が生えた。オウマは殊更ゆっくりと黒い瞳を瞬きさせる。オウマの睫毛に縁取られた瞼。その見開かれた瞼の奥に漆黒の眼球に浮かんだ金の瞳が輝いた。


「まさか……こんな……」


 スキアーが声を震わせる。怯えを顕わにしたその魔王にオウマは淡々と語る。


「当時の力を――魔王リリスとしての魔力を取り戻せぬわけではない」


 スキアーに一歩近づく。スキアーが即座に一歩後退した。オウマは荒々しい笑みを浮かべながらさらに一歩足を進める。スキアーの足がまた連動するように後退した。


「しかし人間の体にわしの魔力はちと刺激が強すぎてのう。封印術により魔力の大部分を魂の奥底に封じ込め、時間をかけて少しずつ体を魔力に慣れさせていたのじゃよ。ただし一時的であれば、その封印術を開放して魔王の力を取り戻すことができる」


 オウマは足をのんびりと進めながら全身をかざすように両腕を広げる。


「体への負担が大きいのでな。あまりやりたくはないがのう。しかし魔力に呼応して人間から魔族へと変異するというのは、なかなか面白い現象だとは思わんか?」


「ぐ……うう……」


「さて、何にせよスキアーよ。貴様ごときが随分な真似をしてくれたものじゃな。危うく貴様の術中に嵌められるところじゃったわ。さしもの温厚なわしも、今回ばかりは悪態を吐くだけで済ませるつもりはないぞ」


 オウマは足を止めると――


 漆黒に浮かぶ金色の瞳を細めた。


「覚悟はできておるな――スキアー」


 スキアーの表情が一瞬にして強張る。そしてオウマが動き出すよりも早く頭上高く飛翔した。戦略も何もない。ただ闇雲に距離を取るための単純な退避。強者を前にした弱者の反射的行動。無様を晒したスキアーに嘲笑を浮かべて――


 オウマはスキアーに肉薄した。


「どこへ行くスキアー。わしから片時も離れたくないのではなかったのか?」


 いつの間にか眼前にいたオウマに、スキアーの表情が絶望的に歪む。魔王たるスキアーの反応速度。それを優に上回る動きで急接近したオウマは、スキアーに向けて愚直に拳を振り上げた。スキアーが両腕で防御態勢を取る。オウマは構わず拳を振り切り――


 スキアーの両腕を引き千切りながら彼の体を殴り飛ばした。


「――があ!?」


 スキアーの体が体育館の天井に衝突してあっさりと突き破る。オウマはニヤリと笑みを浮かべると、スキアーの気配を探りながら周囲に魔法陣を高速展開した。


 魔法陣に包まれたオウマの体がふっと消えて上空に出現する。空間転移の魔法だ。一瞬にして上空数百メートルにまで移動したオウマは、金色のツインテールを揺らしながら前方を見据える。彼女の視線の先には――


 ぼろ雑巾のような姿に変わり果てた、両腕のないスキアーが浮かんでいた。


「よく堪えた。褒めてやるぞ。以前より力をつけたのではないか、スキアーよ」


 スキアーが荒い息を吐きながらも奥歯を噛みしめる。さしものスキアーもこの皮肉をポジティブに受け止めるだけの余力などないらしい。スキアーの銀色の瞳が一際輝く。オウマの拳により千切られた彼の両腕が時間をかけて再生していく。


「はあ……はあ……認めない……私は……そのようなことは認めない……」


 スキアーがボソボソと呟く。虚ろな目をするスキアー。その瞳からはすでに正気が失われていた。しばしの沈黙。スキアーがカッと目を見開いて血反吐を飛ばす。


「私は認めない! リリスは私のものだ! 私のものになるべきなんだ! 君ほどの魔族がどうしてそれが分からない! 私は……私はこれほどまでに――」


 スキアーが両手をかざし――


 五つの魔法陣を高速展開した。


「君のことを愛しているというのにぃいいいいいいいいいいいいいい!」


 複数の魔法陣を介して増幅されたエネルギーがオウマに向けて放たれる。全魔力が込められたスキアーの魔法。迫りくるその脅威を前にして金色の瞳を僅かに細めるオウマ。上空に立ち止まっていたその彼女を、エネルギーの奔流が呆気なく呑み込んだ。


 空気さえも焦がす熱量。あらゆるものを破壊する衝撃。大した威力だ。もし上空ではなく地上でこの魔法が放たれていたら、白ノ宮学院中学校はおろか町ひとつが消し飛んでいたかも知れない。エネルギーの濁流に呑まれながらオウマはそう評価して――


 さっと右腕を一振りした。


 オウマを呑み込んでいた膨大なエネルギー。その全てが彼女の魔力で細かく分解される。スキアーの展開した五つの魔法陣。それがパキンと音を立てて砕け散る。唖然とするスキアー。オウマは上空でのんびりと一歩踏み出して――


 次の瞬間にはスキアーの目の前に立つ。


「わしのことは諦めろ……スキアー」


 呆然としたまま動かないスキアー。その彼に右手をかざして――


 オウマは牙を剥いて笑った。


「わしは、わしよりも強い男以外には――決して惚れん」


 戦意を喪失していたスキアーの体を――


 天を衝く巨大な光の柱が呑み込んだ。


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