第五章 闇内オウマと魔王リリス2/5
体育館内部。オウマは生徒会会長の戸塚正義と対峙していた。否。その男はすでに人間の皮を脱ぎ捨てている。全身に刻まれた不気味な文様。黒く染められた眼球と銀色の瞳。側頭部から伸びた捻れた角。戸塚正義を偽装していた存在。その正体は――
世界の天敵たる魔族だ。
「久しいのう、魔王スキアー」
オウマは笑みを浮かべながら戸塚正義を偽装していた魔族――魔王スキアーに話し掛けた。スキアーから感じられる魔力の気配。その重圧。それを脆弱な人間の体でひしひしと感じながら、オウマは淡々と言葉を続ける。
「許嫁と言うならば、わしは貴様が迎えに来たことに涙を流して感激せねばならぬな。しかしどういうわけか、貴様の顔を見たところでトンと涙が出てこぬわ」
「照れているのかい?」
スキアーの的外れな発言に、オウマの笑みから鋭い犬歯が覗く。
「ほざけ。許嫁など親が勝手に決めただけのこと。わしはただの一度も了承した覚えなどないわ。だというに何を勘違いしたか、こんな異世界にまで追いかけて来るとはのう。立派なストーカーじゃ。警察に通報するぞ?」
「そう邪険にされると傷付くな。魔王リリス。君にこうして会うために私がどれだけ苦労したか。魔族であり魔王である君ならそれを理解してくれると思うのだがね」
スキアーが自身の胸に手を触れて、黒眼に浮かんだ銀の瞳を輝かせる。
「私たち魔族は世界を喰らう種族だ。ゆえに新しい世界を求めて魔族は常に世界間を渡り歩いている。だが世界間の移動には膨大な魔力が必要だ。このような辺境の世界なら尚更ね。往復に必要な魔力を補充するのに十年以上の時間を費やしたよ」
「だから労をねぎらえと? ふざけるではない。そのようなこと誰も頼んでおらんわ」
「労えとは言わない。ただリリス。君に対する私の想いの深さを理解してほしい」
「気色悪いだけじゃ」
スキアーの言葉をそう一蹴して、オウマは瞳を鋭く細めていく。
「そもそも、わしの転生先であるこの世界をどのようにして探した? 星の数ほどある世界。ただ闇雲に探すだけでは、わしを見つけるに有限の時では足りなかろう」
「簡単な話さ。私は君が転生術を使用するところを観ていたんだ」
オウマの眉尻がピクリと動く。スキアーが種明かしをするように両手を広げる。
「もっとも、あくまで魔力の気配を探っていたという意味だがね。君を常にそばで感じていたかったのさ。おかげで君が転生術を使用したことを私は感知して、その魔力の流れから君がこの世界に転生されることを知った」
「……皮肉のつもりがガチのストーカーじゃったか。もしやこの世界での生活も……」
「もちろん観察していたさ。たださすがに辺境の異世界だからね。以前のように頻繁には無理だった。本来であれば将来の妻である君からは片時も目を離したくないのだが。至らない夫で申し訳ないと思っているよ」
「念のために確認するが……わしがトイレや風呂におる時に覗いたりはしておらんな?」
「……失敬だな。私は紳士だ。淑女が嫌がるような行為は弁えているつもりだよ」
紳士はストーカーをしない。何にせよ最悪の事態だけは回避された――スキアーが嘘を吐いていないことが前提だが――ようだ。オウマはとりあえず安堵して口早に言う。
「呆れてものも言えんな。貴様とて魔王の名を冠した魔族。自身が支配すべき世界があるじゃろう。その役割をほっぽりだして、異世界の覗きに精をだしておるとはな」
「私の世間体を気にしてくれているんだね。ありがとう。リリスは優しいな」
「……ポジティブ過ぎんか?」
「だが心配はいらない。私の担当する世界には魔族に反発する種族などいないからね。魔王とはいえ私など飾りのようなものだ。何もせずとも部下が滞りなく作業をしてくれる」
「ゆえにこの異世界にも旅行感覚で長期間滞在できるというわけか。ちっ……有休取れまくりのホワイト企業か。貴様の担当世界が過労死するほど忙しければ良かったのにのう」
「ありがとうリリス。逆説的に私が過労死していないことを喜んでいるんだね」
「……逆説的と言っている時点で、そのポジティブさは無理があるぞ」
オウマは嘆息する。この男は決して馬鹿ではない。だが自分の能力に自信があり過ぎるせいか、どのような悪口や皮肉も自分への誉め言葉に変換するという悪癖を持っていた。この件をこれ以上話しても無駄だと悟り、オウマは話題を切り替える。
「この学校の生徒会長として潜り込んでいた理由はなんじゃ?」
「事前にこの学校に潜り込んでいたのは君がこの学校を受験することを知ったから。生徒会長に立候補したのはリリスへのちょっとしたサプライズのつもりだった」
「サプライズ?」
「君の学校生活を支え続けていた敬愛する生徒会長。その正体が実は前世で離ればなれになっていた許嫁だった。なかなかドラマティックな展開だとは思わないかい?」
「……貴様はあの言動で、わしから敬愛されると思っておったのか?」
前言撤回。この男はただの馬鹿かも知れない。呆れて半眼になるオウマ。当然のごとく彼女の不満になど気付かず、スキアーが何かを思い出すように遠い目をする。
「私の子を産んでほしいと話した時、君の嬉しくも恥ずかしそうな顔は忘れられないな」
「……怯えていたんじゃよ」
「そうとも言う」
「そうとも言うてしまうのか?」
そもそもそれは生徒会会長としての発言であり、スキアーはその時点で自身の正体を隠していた。彼は一体どこに喜びを感じているのだろうか。一人勝手な妄想にふけるスキアー。その彼が銀の瞳をオウマに再び向ける。
「まあ生徒会長はお遊びの一つさ。本来はこの世界を訪れてすぐ、君を連れて元の世界に戻るつもりだった。しかし人間として転生した君は魔力が完全ではないようなのでね。このまま元の世界に連れ帰るのは危険だろうと様子を見ることにしたのさ」
「……選挙戦の賭け事も貴様の言うお遊びの一つと言うことか?」
「いや……あれは真剣な勝負だよ。君は許嫁である私をなかなか受け入れようとはしなかったからね。少しばかり強引な手法に出ることにしたのさ。魔族は契約を重んじる。口約束とはいえ私に敗北すれば、君は私を受け入れざるを得ないだろ?」
「……自身の正体を隠したうえでの勝負か。つくづく悪趣味な奴じゃ」
「私の正体を知れば君は賭けに乗らないだろ。だが私は君に敗北した。悔しいが仕方ない。君との関係は正攻法で深めていこう。時間はたっぷりとあるのだからね」
スキアーの銀の瞳が――
静かに細められていく。
「さてリリス。こうして君と二人きりで話ができるというのは喜ばしい限りだが、あまり長居していると誰かが体育館を覗きにこないとも限らない。君の魔力が回復するのをもう少し待つつもりでいたが――その問題に対する解決法もすでに見つかっている」
「……解決法じゃと?」
「さあ――リリス!」
スキアーが両手を広げる。
「君の世界に帰ろう。このような魔力も存在しない辺境の異世界など、君ほどの魔族がいるべき場所ではないだろう? 私と一緒にあるべき世界に戻り、再びその世界を――」
「貴様一人で帰れ」
スキアーの言葉を遮り――
オウマは冷たくそう告げた。
スキアーが口を開けたまま静止する。大きく見開かれたスキアーの瞳。その銀の瞳が小さく揺れている。オウマの言葉が信じがたいものだったのだろう。硬直したスキアーを黙したまま見据えるオウマ。冷たい静寂がしばらく続いて――
スキアーが見開いた瞳を鋭くした。
「……それはどういう意味かな?」
「わしは誰の指図も受けん」
オウマは淀みなく淡々と話す。
「貴様の手を借りて元の世界に帰るなどまっぴら御免じゃ。わしは帰りたい時に帰る。貴様は一人寂しく自分の世界へと帰り、お飾りの魔王として日々を過ごしておれ」
「リリス……今の君の魔力では世界を渡れない。意地を張らず私の言うことを聞くんだ」
「くどいぞスキアー。魔力など自力で回復させる。わしを誰だと心得る。わしは魔王リリスじゃ。貴様のような凡庸な魔王と同じ尺度で計るではないわ。何よりわしには――」
オウマは一呼吸の間を空けて言う。
「この世界でやり残したことがある。それが済むまでこの世界を離れるつもりはない」
スキアーの広げられた両腕。それがゆっくりと落ちていく。人気のない体育館。そこで対峙する二人の男女。人間の姿に化けていた魔族――魔王スキアー。そして魔族から転生した人間――魔王リリス。二人の強靭な気配。その人ならざる気配に怯えるように、体育館の窓ガラスがカタカタと風に揺れて鳴いた。
「……君のやり残したこととは――」
長い沈黙を挟んだ後、スキアーがおもむろに口を開く。表情を変えずスキアーを見据えるオウマ。スキアーが二呼吸ほどの間を空けて言葉の続きを口にした。
「君が学校で話していた――魔王軍を再建することかな?」
「……さてな」
スキアーの問いをはぐらかす。オウマの回答に、スキアーが瞳を閉じて嘆息した。
「正直に話そう。リリス。私はこの点にかんしては君の意図がまるで分からなかった。どうして脆弱な人間で魔王軍の再建を図ろうとするのか。ずっと疑問に感じていた」
オウマは何も答えない。口を閉ざしたままスキアーをただ見据える。スキアーがのんびりとした動作で眼鏡を外して、その眼鏡を無造作に床に落とした。眼鏡が床に落下してカンッと音を立てる。スキアーが閉じていた瞳を静かに開いていき――
その銀色の瞳を禍々しく輝かせた。
「だがリリス――私はようやく君の気持を理解することができたんだ」
この直後、体育館の至るところから漆黒の闇が噴き出した。「なっ!?」と目を見開いて狼狽するオウマ。噴き出した漆黒の闇が瞬く間に体育館の床を満たしていく。そして満たされた闇から触手のような腕が伸びて、獲物を探すように不気味に蠢き始めた。
体育館の床を満たした漆黒の闇。その闇から伸びた触手のような腕。このような現象がこの世界で起こるはずもない。これはこの世界には存在しない力。魔法の力だ。オウマは瞬間的に魔法の根源を探した。体育館の下。地中深く。そこに魔力の奔流を感知する。その魔力の規模は体育館を優に凌いでおり――
白ノ宮学院中学校の全域を包み込んでいた。
「スキアー! これは何のつもりじゃ!?」
絶叫するオウマに、スキアーがクツクツと肩を揺らしながら微笑みを浮かべた。
「驚くことはない。私はねリリス。君を理解したんだよ。だから私も手伝おうというだけだ。君が目指している魔王軍の再建をね」
「わしの魔王軍じゃと?」
表情を強張らせるオウマに――
スキアーが猟奇的に笑みを歪める。
「人間は脆弱で使い物にならない。ならば使えるよう造り変えてしまえばいい。人間を魔族に造り変えて魔王軍を再建する。それがリリス――君の望んでいることだろ?」
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「きゃあああああああああ!」
「くそ――なんだコレ!?」
一年C組の教室。その床に突如として噴き出した漆黒の闇が、不気味な腕を伸ばして計楽と詰丘に絡みつく。腕を乱暴に振るい絡みつく腕を払おうとする計楽と詰丘。だが二人の抵抗を嘲笑うように、不気味な腕は二人の全身を軽々と拘束して――
闇の中に二人を引きずり込もうとした。
「詰丘さん!? 計楽さん!?」
ユウは咄嗟に二人に駆け寄ろうとする。だが直後、闇が噴水のように噴き出して思わず足を止めた。闇に引きずり込まれた二人の体がすでに腰まで沈んでいる。
「こいつは――まさかオウマと会長が関係しているのか!?」
「いや――怖い! 止めてよ! 助けて! 助けて光月くん!」
抗いようもなく闇に沈んでいく詰丘と計楽。計楽が瞳に涙を浮かべながら、ユウに助けを求めて手を伸ばした。ユウはすぐ二人に駆け寄ろうとする。だが闇色の腕に邪魔されてなかなか前に進めない。どうにか闇色の腕を掻い潜り二人に手を伸ばすも――
その伸ばした手は二人には届かず、二人の全身があっけなく闇に呑み込まれた。
「――一体何が?」
窓から外を覗いてみる。校舎の外でも同様に地面が闇に覆われており、闇から生えた腕が生徒たちを呑み込んでいた。恐らくこの闇は白ノ宮学院中学校全体に広がっているのだろう。奇妙な現象に呆然とするユウ。だが彼はすぐにハッとすると――
「――オウマ!」
その場を駆け出そうとした。
だがその直後、床を覆った闇から数十本の腕が伸びてユウの全身に絡みつく。体にまとわりついた闇色の腕。その悪寒に背筋が凍えた。それでもユウは懸命に足を進めようとする。体育館にいるはずの幼馴染――
闇内オウマの姿を脳裏に浮かべながら。
「……オウ……マ」
ここでさらに大量の闇が噴き出して――
ユウの全身を呆気なく呑み込んだ。




