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プロローグ1/1

「まったくもって驚嘆するわ」


 古びた王城。その奥に位置する玉座。王の権威により満たされた空間。ざらついた薄闇が沈殿するその空間に、水面に雫を垂らすように声が落とされる。


 ポツリと落とされた声が波紋となり空間に広がる。波紋が空間全体に広がるまでにコンマ数秒。波紋が消えて空間に馴染むまでに数秒。それだけの時間をかけて落とされた声は意味となり形を持った。彼女は息を吐いて紅が引かれた唇をニヤリと歪める。


「たかが一個体の人間がこれほどの力を有しておろうとは……」


 この言葉には二つの意味がある。一つはその言葉通り、力を有した人間への驚愕。あるいは称賛。そしてもう一つは、その言葉を発している彼女が人間ではないという事実。


 彼女は魔族だ。数百年、或いは数千年前より世界に君臨し続けてきた人間。その人間の前に突如として現れた天敵。それが彼女を含めた一族――魔族という存在だった。


「人間は脆弱じゃ。その肉体は知恵のない獣にさえ劣り、犬コロに喉元を噛み切られ絶命することも珍しくない。世界の頂点にして最弱たる種。それが貴様ら人間じゃ」


 彼女は皮肉を込めてそう語る。


 魔族は強靭な肉体を有していた。単純な膂力において他の生物を圧倒する。脆弱な人間は知恵を駆使して世界に上り詰めた。だが魔族はそのような回りくどい手法など必要ない。純粋な暴力で世界に君臨する。魔族にはそれが可能だった。少なくとも彼女はそう考えていた。それだけに彼女は驚きを隠せない。


「その人間風情に魔族が――魔族の王たるこのわしが敗北するとはのう」


 彼女は口元に笑みを浮かべて足元を見下ろした。床に広がった赤い液体。血液。おびただしい量のその血は全て彼女の体から流れ出たものだ。床に力なくついた両膝。その両膝が自身の血だまりに濡れている。彼女は笑みを深くしながら認めた。


 これは致命傷であると。


 出血により冷えた体。動きの鈍いその体に難儀しながら彼女は視線を正面に移動させた。魔王が支配する王城。魔王城。その玉座の中心。そこに一つの影がある。


 金色の髪に碧い瞳。血に濡れた表情を精悍に引き締めた一人の若い男。その男は魔王を討伐するためこの王城に現れた人間であり、そして今まさにそれを成し遂げようとしている勝者だ。強大な魔族を脆弱な人間が討伐する。その不可能を可能としたこの男は――


 人間から勇者と呼ばれていた。


「これで最期だ……魔王」


 勇者たる男が瞳を鋭くする。だがその力強い言葉とは裏腹に勇者たる男もまた彼女同様に満身創痍であった。傷と血にまみれた勇者。とうに絶命してもおかしくない重症だ。傷付いたボロボロの体。それを引きずるようにして勇者が彼女へと歩いていく。


 近づいてくる勇者を魔王たる彼女はじっと見つめる。彼女の表情に湛えられた笑み。自身に止めを刺そうとする勇者を前にして、彼女の笑みは一切揺るがない。だがそれは彼女に余裕があるからではない。無様に泣き叫ぶのが性に合わないというだけだ。


「魔族に殺された大勢の人間。その苦しみを……今ここで晴らす」


 荒い息の合間に吐き出された勇者の言葉。その滑稽な言葉に彼女はクツクツと笑った。


「苦しみを晴らすとは異なことを。強者が弱者を支配する。それが世の理じゃろう? 貴様ら人類もまたそうして世界に君臨したのではないかえ?」


「……確かに僕たち人間が魔族にどうこう言える義理なんてないのかも知れない」


 意外にも勇者から肯定が返され、彼女は眉尻をピクリと動かした。彼女を見据えている勇者の碧い瞳。濁りのないその瞳に僅かな陰が差す。


「僕たち人間に正義があるなんて言うつもりはない。これは人間と魔族の戦争だ。人間はこれまでも戦争を繰り返してきた。ただこれまで蹂躙する側であった人間が、今回は蹂躙される側だったというだけの話なのだろう」


「……ならばわしら魔族を非難することがお門違いだと理解できるじゃろう?」


「それでも……僕は貴女を倒す」


 勇者の瞳に差していた陰が力強い眼光により消失する。


「僕の大切な街を……大切な人を奪った貴女を許すことはできない。それが見当違いの怒りであろうと……貴女たちが僕の大切なものを奪うのなら僕は戦う」


「……人間という種ではなく……貴様はあくまで個人として戦っているということか。ならば貴様に問うてみよう」


 魔王の彼女は答えの知れる問いを投げた。


「仮にこのわしが貴様のいう『大切な存在』に含まれたのなら、貴様は今回のように命懸けで戦えるのか? 人間ですらない魔族であるこのわしのために」


「戦える」


 間を空けずに勇者が答える。止めを刺そうとする勇者を前にしても常に笑みを浮かべていた魔王。その彼女の笑みが音もなく消える。勇者の返答が彼女の予測と異なっていたためだ。彼女の前に立ち止まる勇者。肉厚の剣を握りしめながら勇者が言葉を続ける。


「もしも貴女が僕にとって大切な存在であったのなら、僕は貴女を守るために戦う。僕にとって人間や魔族という種の違いはさして大きな問題ではないんだ」


「……人間の勇者であるはずの貴様が失言ではないかえ?」


「しかしそれが僕の正直な気持ちだ」


「……なるほど。理解できたぞ」


 彼女はふうと一つ嘆息して――


 ギラリと狂暴に眼光を輝かせた。


「貴様が心底気に食わんということがな!」


 彼女が声を荒げたその直後、彼女と勇者を球状の魔法陣が包み込んだ。周囲に展開された魔法陣に表情を強張らせる勇者。満身創痍で集中力を欠いていたため、彼女の魔法の気配に気付いてなかったのだろう。狼狽する勇者に彼女は再び笑みを浮かべた。


「わしが貴様との雑談をただ楽しんでいるとでも思うたか? 全てはこの魔法を完成させるための時間稼ぎ。油断したなこの愚か者め」


「――っ! 一体何をするつもりだ!?」


「安心しろ。この魔法で貴様を消してしまおうなどとは思うておらん。否。結果的に貴様は消えることになるが魂までは消え失せん。これは――()()の魔法じゃ」


 周囲に展開された魔法陣がその輝きを強くしていく。歯噛みしながら後退しようとする勇者。だがすぐに彼は力なくその場に崩れ落ちた。もはや勇者に逃げる体力など残されていない。彼女と同様に膝をついた勇者が、目の前の魔王に瞳を鋭くする。


「転生……だと?」


「魂をそのままに別の生物として生まれ変わるのじゃよ。わしはもはや助かるまい。ここで貴様を討とうとも所詮は相打ち。そのようなことわしのプライドが許さぬ。真の決着は転生した先の世界にてつけてくれる」


「そんな……魔法が?」


 魔王と勇者。互いに睨み合う両者。勇者の碧い瞳に語り掛けるよう彼女は牙を剥いた。


「貴様の魔力はわしら魔族において猛毒。容易には貴様に魔法を掛けることは叶わぬ。ゆえにわれら魔王軍は敗北した。だがこの魔法はわしの残された全魔力を注いだもの。いかに貴様とてこの魔法からは逃れられん」


「……ぐ!」


「覚悟しろ人間の小僧めが。貴様の魂にもはや安息はない。これより幾多の転生を繰り返そうと、貴様の魂が擦り切れるまでその身を微塵に切り刻んでくれる。永遠に終わらぬ死の輪廻。魔王たるわしに敵対したその愚行。後悔するがいいぞ」


 魔法陣の輝きがさらに増した。魔法が発動するまで十数秒。勇者の姿が魔法陣の光に塗りつぶされる。魔王は目を焼かれる痛みに瞼を閉じた。再び瞼を開いたその時には、自分は別の生命体に転生しているだろう。そう魔王は考える。するとその時――


 光の中から小さく笑う声が聞こえた。


「いいだろう。受けて立つ」


 勇者の声だ。魔王の脳裏に浮かんだ勇者。その想像上の勇者が強気に笑っていた。


「貴女の狂気が僕にだけ向けられるというのなら望むところだ。何度転生を繰り返そうと僕は貴女の狂気をその度に止めてみせる。貴女が狂気から解放されるその時まで」


「……自ら永遠の地獄を望むというか。何とも不可思議な男よ。だが覚えておくがいい。今後一切このような奇跡は起こらん。貴様はわしに八つ裂きにされる。それは絶対だ」


 魔王である彼女は荒々しく吠えた。


「転生後すぐに貴様を見つけ出して殺してやる! どこに隠れようとも無駄じゃ! 転生先の世界を破壊しつくしてでも貴様をあぶりだして腸を引きずり出してくれるぞ! 貴様の苦しみこそがわしの愉悦! せいぜい恐怖して苦悶に泣き叫ぶことじゃな!」


 魔族の長。強大な魔力を有した破壊の神。魔王。その彼女が喉を破かんばかりに哄笑する。脆弱な人間。下等生物ながら魔王の逆鱗に触れた愚か者。勇者。その男を思うままに蹂躙する。魂までも貪りつくす。転生後に行われるだろう殺戮に思いを馳せつつ――


 魔王は魔法陣の光に意識を溶け込ませた。


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[良い点] 最高のプロローグでした!! これは絶対に面白いのです〜ヽ(=´▽`=)ノ
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