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89話 想い

 変異種に全てを奪われていたゴンゾウは、影も形も、言葉も残さずに消えてしまった。

 まさかの幕切れに戸惑い、誰の口からも言葉は出てこなかった。

 暗く湿っぽい静寂を破ったのは、誰かの笑い声。


「くっく……」


 笑い声には違いないが、その声は泣いていた。

 その声が拓いた道に沿うように、一つの影が動く。

 それは、つい先ほどまで泣き崩れていたミドリだった。


 真っ赤に泣き腫らしたその目には、未だに涙が残っている。

 それでも、その表情は何かの決意を表明していた。


「ゴロウ……これから、あなたを導きます」


 まさかこの雰囲気の中、生き残った途端に導くことなど、誰が予想したことだろうか。


「嘘、でしょ?」

「こんな直ぐに……?」

「ちょっと、さすがに急すぎじゃ……」


 それぞれが驚き口を開くも、ゴロウ自身は既に覚悟を決めていた様子だった。


「……わかった。でもな、さすがに一つだけ確認させてくれ」


 ゴロウの目にも涙が浮かんだまま。そんなゴロウに、ミドリは小さく頷く。


「コユキの……残滓ざんしの力は、シンジに宿ったんだよな?」


 その問い掛けに唯一応えることが出来るミュウに視線が集まる。


「……はい。不死の力は、シンジさんに宿っています」

「……そっか。うん、安心した!」


 目に溜まった涙を指で拭うと、ゴロウはぶっきらぼうな笑顔をつくった。

 そしてすぐに、「ミドリ、俺の気が変わらないうちに、さっさと導けや!」と、これまたぶっきらぼうに言い放つ。



 キュリー汁でむせていないゴロウは、その場に最後の言葉を残した。


「シンジ。短い付き合いだったけど、楽しかったぜ! よくわかんねえけど……姉ちゃんとうまくいくと良いな!

 レイ。お前、しかめ面ばっかしてると顔が歪んじまうぜ? 美人なんだし……それに、あんまり人を睨まない方が良いからな?

 ミュウ。復讐なんてつまんねえこと考えるより、今を楽しめよ!

 あと、コリー……お前、あのときの同僚だろ? いろいろ聞きたいことはあるけどよ、取り敢えず、今まで見守ってくれてありがとな!」


 あっさりとした最後の言葉を聞き終えると、ミドリはゴロウの肩に手を置いた。


「それでは皆様――後ほどまた、お会いしましょう」


 まさにあっという間の出来事だった。

 ゴンゾウ、コユキに続き――ゴロウとミドリの姿が、部屋の中から消えたのだった。




 ――目を開けると、そこには二人の姿があった。

 白髪の男と、黒髪の女。年齢はどちらも五十前後といったところ。

 記憶を失っている男は、俺のことは聞いた情報でしか知らない筈。

 女は何かを必死に伝えたいような、でも伝えることが出来ないのか、ただ強く口を結んでいた。


 ポケットに手を入れ、それがあることを確認すると、俺は口を開いた。


「……すっげえ疲れた。喉乾いちまったぜ。なぁ、ミド……じゃなくてユキ。キュリー汁くれよ!」


 目を見開き驚くミドリは、だが直ぐに何かを察したのか。

 キュリー汁を取りに、慌てた様子で俺の部屋から出て行った。

 部屋に残ったゴンゾウは、少し気まずそうに、ミドリが出て行った扉を見つめている。


「なぁ、ゴンゾウ……俺のこと、何て聞いてる?」


 あのとき、そしてその後も、ゴンゾウにそれを確認したことは無かった。

 ゴンゾウとの関係は、直ぐにまた以前のように戻っていたから。

 それに、あのときは緑のお腹に二人の子がいることを聞いて、嬉しいという感情で頭が一杯だったのだ。


「わたしたちと同じ時期に、この世界にやって来た……ゴロウくん、だね? 時を止める変異種を討伐して得た懸賞金で、わたしたち黒髪が安心して住めるこの家をつくってくれた。元々持っていた力と合わせて、自身を時と共に封印して……たった今、一年ぶりに目が覚めた」



 思ったとおり、ただそれだけの情報が伝えられていた。

 この時間軸で何が変わったところで、シンジたちが待つあの世界が変わることはない。

 よくわからないが、つい先ほど、ミドリはそう教えてくれた。

 それなら――俺の自己満足の世界なら、何をしても良いだろう。


「なぁ、ミド……ユキのお腹には、二人の子供がいるんだろう?」

「な、何故それを……?」

「ユキが……母ちゃんが、あんたのことをすっげえ好いてることを知ってんだ!」

「まさか……君は、ユキの息子……? そうか、あれほどの美人だし、性格も素晴らしい。現世で家庭を持っていたとしても何らおかしくは無い。でも……何故わたしに隠して……」

「……俺みたいな馬鹿息子がいることを知られたくなかったんだろうな。それに、俺よりも馬鹿な男に捕まっちまったんだ。母ちゃん自身、思い出したくもない過去の筈だぜ?

 でも、安心してくれ。母ちゃんは、あんたのことを誰よりも好いてるからよ! そんなことより――あんたのこと『父ちゃん』って、呼んで良いか?」

「……いいとも。あぁ、もちろんだとも!」


 一方的に偽りを語る俺に戸惑う様子を見せつつも、ゴンゾウは微笑んで承諾してくれた。

 そこへ、キュリー汁が入った木のコップを手に、ミドリが急ぎ戻った。


「あぁ……冷たい方が美味いけど、この時代じゃ仕方無いよな……」


 ポケットから取り出した薬をキュリー汁に入れた。

 滋養強壮の薬だと、また口からでまかせを言った。

 ただ頷くゴンゾウに反して、ミドリは口元を両手で押さえている。何も言わずに、俺の言動を見守ることを決めたようだ。

 大神父の役目を失っているミドリは、果たしてどこまでわかっているのだろうか……。


「あっ!」


 部屋の片隅を指さして大声を出すと、ゴンゾウは驚きそちらに目をやった。

 その隙に、俺は横から抱き付く。


「ご、ゴロウくん? 何を……」


 その優しい温もりを確かめると直ぐに、ゴンゾウから離れる。


 コップを手に取ると、一気に飲み干そうとして止めた。

 ついさっき看取ったゴンゾウの最後を思い出したのだ。

 キュリー汁を一気に飲んだら最後、言葉を発せなくなるのだから。



「じゃあ――父ちゃん、母ちゃん。長生きしろよ!」


 ぶっきらぼうに言い放つと、毒薬を入れたキュリー汁を一気に飲み干す。

 むせ返り薄れる意識の中で、俺の名前を叫ぶ声が聞こえる。


「ゴロウくん! ゴロウくん!」


 最後なのだから、ゴロウと呼んで欲しい……。


「ごめんなさい……ごめんなさい!」


 ミドリは、何を謝る必要があるのだろうか……?


「ユキ、一体どういうことだ?」


 ……ちょっと、待った……ユキ、だと?

 ……まさか、記憶が戻っていないとでも言うのか?


「ゴロウ……本当に、ごめんなさい……」


 意識が暗闇に飲まれる中、最後に聞こえた言葉の残影が鈍く光り、直ぐに消えた。


 ……そういう、ことか……。

 くっく……最後まで、馬鹿だったな、俺は……。




 ――ゴロウの選択を見届けたミドリ。

 役目を終え、本来なら直ぐにでも元の場所に戻るところだった。


 四色の草原が交わる場所で、ミドリは人目に憚れることなく号泣していた。

 たとえ別の時間軸だとしても、ゴロウの想いを叶えてあげたかった。

 でも、それは出来なかった。


 役目を一時放棄していただけの私の他に、大神父の記憶が宿ることなどあってはいけない。

 ゴロウの想いは、そんなことわりという名の運命に阻まれたのだ。


 ゴンゾウに寄生していた変異種は、ゴロウに移ることが出来なかった。

 ゴロウには一度寄生していたという、まさに既成の事実があったから。


「あぁ、ゴロウ……本当に、ごめんなさい……。こんな場所でしか、本当のことを伝えることが出来ない私を、どうか許して下さい……。

 全ては、あなたを思ってのこと。

 わたくしたちは……わたしたちも、あなたのことを、心から――」



 秘めることしか出来なかった種々の想いは、

 一粒の涙となってミドリの頬を伝い、

 緑の大地に、流れ落ちた――

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