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08話 糸吉心結『完膚無きまでの復讐』

 目が覚めると、眼前には雲一つ無い真っ青な空が広がっていた。

 それは、久しぶりに見る青空。

 いや、これまでも晴天の日があったはずだが、わたしの目が曇っていたのだ。


 そもそも、空を見上げるという行為自体が無かった。

 わたしが見ていたのは……目で追っていたのはただ一人、忌まわしいあの男だけだった。


 ……目が覚めてすぐに、こんな気持ちしか込み上げて来ないなんて……本当に、わたしは壊れているのだ。


「でも、仕方が無いよね? だってわたし、あいつに一度殺されたんだから……」


 目を閉じると、まばゆい光を遮断する。

 わたしに光など不要だ。闇に生きて、あいつを殺すことさえできれば良いのだから。




 ――あいつと出会ったのは、高校三年生の夏。

 地元で一番の進学校に通っていたわたしは、恋愛などと言う浮かれたものには目を向けず、ただ勉学に励んでいた。

 と言うのは、表向きのわたし。


 実際は異性を意識していたし、オシャレをしたいし、友達と遊びたかった。

 それをさせなかったのは、わたしの両親、そして環境だった。

 両親ともに偏差値の高い高校を出て、一流大学に進み、一流の企業に勤めている。

 それが普通だと思っている両親は、自分たちの子供も自分たちと同じ道を普通に歩むものだと思い込んでいた。



 別に、勉強が嫌なわけでは無い。

 ただ、決められた道を歩まされているのが嫌だった。

 それでも、勉学にしか励めない環境に置かれたわたしは、まるで勉強をするだけの機械のように、ただひたすら大学に進むためだけの知識を身に付けていた。


 そんなある日、予備校で夏期講習と自主学習を終え、二十二時に帰宅しているときのこと。

 帰宅途中にあるコンビニの前には、いかにも勉強が出来なそうな顔をした男が、三人でたむろっていた。

 よく見かける三人で、制服を着ている姿を見かけたこともあるから、高校生なのだろう。


 『勉強だけしかしないわたしと、勉強だけをしない彼ら。今も、そして将来も、彼らの方が楽しい人生を過ごすんだろうな』


 日々努力をしている自分は、人に迷惑をかけること無く、一般的に充実した幸せな人生を歩むのだろう。

 一方で彼らは、ただ今を楽しむことだけを考えて過ごしている。

 そんな彼らがこの世に生を受けている意味などあるのだろうか……などと思うものの、そんな目で見たら面倒に巻き込まれそうだし、いつもどおり単語帳に目をやる振りをして早足にやり過ごそうとした。


 でも、その日はいつもと違う展開を見せた。


 その中でも一番頭の悪そうな男が、わたしの進路を通せんぼするように立ち塞がったのだ。

 何やら赤い顔で、これまた頭の悪そうな目でこちらを上目遣いに睨んでいる。


 表情と、そして匂いで気付いた。この馬鹿は飲酒をしているのだ。

 未だ座ったままの二人に横目をやると、アルコールと思われる五〇〇ミリリットルの缶を地面に置き、たばこを吸っていた。


 面倒事を避けるように、単語帳に目をやりながら道路を横断し、反対側の歩道を歩こうとする。

 だが、


「んだよ、シカトすんじゃねぇよ、ガリ勉ちゃん!」


 その馬鹿は、わざわざわたしの前に走り寄ると、手に持っていた単語帳を奪い取った。


「なになに? ……エー、ビー……何これ、英語? 読めねぇや。ぎゃはは! でもさ、別に読めなくても良くね? 日本から出なきゃい良いし、外人と話すことも無ぇしな!」


 悪いことをして海外に逃げることはあるんじゃない?

 そんなことを思いながら、単語帳は諦めて踵を返した。


 予備校に逃げ込んで、父に迎えに来てもらおうと思ったのだ。だが、この馬鹿はそれをさせなかった。


「勉強より楽しいこと教えてやっからさ、こっち来いよ。ぎゃはは!」


 手首を掴まれ、強い力でコンビニの二人のところに連れて行かれる。

 と思った、そのときだった。



「おい、やめろよ!」


 わたしが歩いて来た方から、男子高校生が一人、走るようにやって来たのだ。


「警察呼ぶぞ? お前ら高校生だろ? 飲酒とたばこしてるんだ、立派な犯罪だよな」


 その高校生は携帯電話の画面を馬鹿に見せつける。

 そこには通話画面が表示されており、通話相手の電話番号は『110』となっている。


「もしもし?」


 スピーカーモードにしているのか、電話先からは警察と思われる人物の声が聞こえてくる。

 馬鹿は何も声を発さずに走ると、座っていた二人に何かを説明し、三人急ぎ足でその場を走り去った。


「女の子が不良に囲まれていましたが、警察に電話していると知ったら逃げていきました。……の、はい、そのコンビニ前です。高校生三人が飲酒と喫煙を……たぶん高校は……」


 しっかりと事実を通報する、真面目そうなその男の子。

 同じ予備校に通う、別の高校の生徒だった。


 頭を下げてお礼を言うわたしを、その人は家の近くまで送ってくれた。


「家の人に心配かけたくないだろうから」


 そう言うと、その人は家から三十メートルくらい離れたところで去って行った。

 その後、その人はわたしを毎日家まで送ってくれた。でも、いつも家には近付かなかった。

 とても気遣いが出来る、気さくな人だった。


 その人とは勉強の話を一切しなかった。

 好きな食べ物、動物、将来の夢など、自分のことを自分の頭で考えて話した。

 そんなことを楽しく話すことができる初めての、そして唯一の人だった。



 助けてもらった日からちょうど一か月が経ったある日。

 その日も二人で二十二時に予備校を出ると、その人は家の近くまで送ってくれた。

 でも、その日はいつもと違うところがあった。

 別れ際に、その人はわたしに告白をしてきたのだ。


「一目見たときから、君のこと、糸吉いときち心結みゆうさんのことが好きでした。もしも付き合ってくれるなら……明日も、家まで送らせて下さい!」


 ただそれだけを告げて、その人はその場から走り去った。



 断る理由なんて無かった。

 次の日、二十二時に予備校を出ると、その人は出入り口に立っていた。


「今日も、家まで送ってほしいな」


 そう言うと、その人は満面の笑みで頷き、わたしの手を取った。

 その日から、手を繋いで帰った。


 その後、二人の関係は進み、からだの関係も持った。

 その人と進路の話をすると、わたしが目指す大学よりはるかに劣るところに進学するのだという。

 予備校に通い、いつも遅くまで勉強しているものの、要領が悪いのか成績が伸びないらしい。

 それでも、日々寡黙に励む姿を見ていたわたしは、そんな彼とは大学でもお付き合いを続けたいと望んでいた。


 志望校に合格したわたしは、両親から下宿先を知らされた。

 既に契約手続きまで終えており、そこは大学に隣接する、セキュリティが万全なアパートの2LDKの部屋だった。

 一人には広い気もするが、「勉強部屋と寝室は分けた方が良い」というのが両親揃っての意見だった。


 そのことを彼に伝えると、


「……もしも心結ちゃんが良いって言ってくれるならだけど、一緒に住んでも良いかな?」


 一緒に住みたいというわたしの心を読んだのか、彼は大学でも付き合いを続けたいと言ってくれたのだった。



 大学生になって十一か月が経った、三月のある日。

 いつもは大学の図書館で二十二時まで勉強をして帰るのだが、その日は図書館の臨時修繕が行われており、利用が出来なかった。

 仕方が無いので、早めに帰宅をして家で勉強することにした。


 彼は学費を自分で支払っているらしく、勉強よりもアルバイトに力を入れていた。

 アパートの家賃はどうせ親が払ってくれているし、少しでも彼の負担を減らしたいと思い、折半をすることは無かった。

 それに、両親からの仕送りも一人暮らしのわたしには十分すぎるほどだったから、毎月、彼に少しの金額だが分け与えていた。


 まだアルバイト中だろう。

 そう思い、部屋のカギを開けて中に入った。

 玄関には彼の靴と、見知らぬ女性ものの靴が置いてあった。


 心臓の鼓動が早くなり、足が動かなくなった。中に入ってはいけない気がする。だが、確認をしなければいけない。

 無理矢理に足を動かすと、足音を立てずに中に入った。


 何やら物音が聞こえる寝室のドアを開けると、ベッドの上では彼と、そして見知らぬ女が交わっていた。

 しばらく呆けて見続けるわたしには一向に気付かず、男は腰を振り、女はあえぎ声をあげていた。


 ショルダーバッグが肩から落ちた。彼はその音で、ようやくわたしに気付いた。


「何を、してるの? その人……誰?」


 何とか声を発して、真意を正そうとした。

 いつもの笑みを浮かべ、だが何かを一瞬考えた彼は、素っ裸のその格好のままわたしを押し倒すと、素手でわたしの首を絞めてきた。


 手足をバタバタと動かし抵抗すると、近くにあった小物入れに触れ、モノが散乱した。

 ついこの間、彼が愛読する雑誌を捨てるときに使った荷造り用のヒモが、近くに転がってきた。

 それを見つけると、彼は一瞬わたしの首から手を離し、今度はそのヒモでわたしの首を絞めた。



 あのときのあいつの言葉は、決して忘れない。


「あーあ、すっげぇ都合良い女だったのに……死ぬまで一緒だと思ったのに……なんてな。ぎゃはは!」


 あのときのあいつの顔は、決して忘れない。

 出会ったあのときと全く同じ。いつもの笑みを浮かべた、あの顔を。


 わたしはずっと、幻覚を見ていたようだ。

 危ないところを助けてくれた彼が、まるでヒーローのように格好良く、優しく見えてしまっていたのだ。

 こんなにもいやらしく、路傍の馬鹿と同じようにニヤけるこんな男の笑みが、眩しく、見えてしまっていたのだ……




――目を開けると、眩しい青空を見た。

 正真正銘の、綺麗な青空。壊れたわたしには眩しすぎる。

 気を落ち着かせながら、その場に立ち上がった。


「あぁ……わたし、死んだのね?」


 視界の上半分は、真っ青な空。下半分は、群青色の地面が広がっていた。


「地獄にしては、綺麗……」


 しゃがんで地面を見ると、背丈の低い、濃い青の草が生えていることがわかった。

 まるで群青の絨毯のような草原が一面に広がっている。


「帰りのバスで、ものすごい衝撃を感じた。それ以降のことは覚えてないから、きっと、事故に遭って死んだんだ。……あぁ……あぁ! 忌まわしいあいつに、まだ何もしてやれていない!

 殺したいのに、殺してやりたいのに、見つけることもできなかった! ……なのに、何で、わたしだけが……また、殺されたの?」


 両肘と両膝を青い地面に付けると、目からは大量の涙が溢れてきた。


「願ったのに……藁にもすがる思いで、復讐を誓ったのに……」



 何か、音が聞こえてきた。


 『ギシギシ』


 音のする方を見ると、青い地面に一本の地肌が走っている。

 道、だろうか。その道の上を、馬のような生き物が荷車を引いて歩いていた。


「わたしのお迎え、かな……」


 ここがどこだかわからない。でも、わたしは死んでいるのだ。

 大人しく最後を受け入れようと思い、その荷車の前に歩いた。


 馬のような生き物は、わたしの目の前で止まった。

 近くでよく見ると、馬の体に狼のような頭がくっついていた。


「なんだ、人間か?」


 荷車の先頭で生き物を操縦していた人物が、被っていたフードを捲る。


「――!?」


 その素顔を見た瞬間、わたしはその人物に飛びかかった。

 油断していたのか、為す術無くわたしに左目を抉られた。


「ぐぁっ! て、めぇ……」


 その人物は右手一本でわたしの首を掴むと、頭上に持ち上げた。

 ものすごい力で骨がきしむ。

 その音が段々と大きく鳴り、


 『ベキャッ』


 骨が砕ける音か、わたしの断末魔か。

 その音を最後に、目の前が真っ暗になった。




――あぁ、最後にまた会えた……願いが、叶ったみたい。

 殺せなかったけど、左目を潰せただけマシだよね。

 また、首を絞められて……今度こそ殺してくれたよね?


 うふふっ。これでわたしも地獄に行けるね。


 ねぇ……言ってくれたよね?


 『死ぬまで一緒』


 って。


 うふふっ。先に待ってるからね。


 地獄でずっと、死ぬまで一緒…………死ぬまで、殺してあげる!

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