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82話 ゴロウ(その一)

 ――二百五十年前、俺はこの世に生を受けた。

 そこには当然、生を与えた男女が居る、ということ。


 男は、俺が産まれてからこの異世界にやって来るまでの間、刑務所から出ることは一度も無かった。

 男は、頭が悪かった。物事の理解、判断が他の誰よりも遙かに劣っていたのだ。


 そんな男は十五歳の時に、十四歳の女と愛し合った。

 その女のお腹に自分の子が宿ると知ると、直ぐに、その悪い頭で考えた。


『俺が二人を幸せにしてやる!』


 男は、頭は悪いが、人を思いやることだけは出来た。

 自分のことは何も考えられないのに、人のことを考えることだけは出来たのだ。


 男は、二人を幸せにするには大金が要ると考えた。

 そしてそれは、とても自分では稼ぐことが出来ないほどの金額。

 ならば――と、男は何も考えずに、大金を持つ人間を殺めて奪うことを選択した。


 法に触れた男は、隔離された世界で、生涯をかけて罪を償うことになる。

 人のことを考える頭があるのなら、何故、殺めた人のことを考えてあげられなかったのか。

 女と子供、二人のことを考えるだけで、頭の容量が一杯になってしまったのだろう。

 そう、男は頭が悪かったのだから。




 そんな男が心から愛した女。

 それが、俺の母親だ。

 女も違えずに、頭が悪かった。 


 そのお腹に子を宿して暫くすると、愛する男が自分たちのために殺人を犯した。

 母は、頭が悪い上に、お人好しだった。

 男が罪を償うまで、どんなに長きに渡っても、この子と待ち続けようと誓ったのだ。


 母は、俺を産んだ直後から、その身を売ることで生計を立てることになる。

 たまに男と面会して愛を確かめ合う他は、見知らぬ客と、愛の無い交わりを続けた。



 俺が十八歳になって直ぐのことだった。

 肉体労働から帰った俺は、今にも崩れそうなあばら屋から走り出てくる男とすれ違った。

 その顔には、皮膚が抉れ大量の出血をもたらすほどの、生々しい傷跡が付いていた。


 嫌な予感とともにあばら屋に入った俺を迎えたのは、母の遺体だった。

 一糸纏わぬ姿で、首を絞められて死んでいた。

 その手の爪には、人の皮膚と思われる真っ赤な滓が大量に付着していた。


 間違いなく、先ほどすれ違ったあの男の仕業だろう。

 母と事をなした後で、金を踏み倒そうとでもして、首を絞めたに違いない。



 母の遺体を見て、俺の中から何かが崩れ落ちた。

 いや、抜け落ちた、と言うべきか。

 そこには、ぽっかりと、埋めることの出来ない穴が空いていた。




 ――物心が付いて暫くすると、世の中の不条理さに気付くことになる。


 世の人間は皆、俺のことを『罪人の息子』と呼んだ。

 名前など、あって無いようなものだった。

 俺の『五朗ごろう』という名前は、五番目に生まれた男の子という訳ではない。

 母と男が好きな数字が『五』だったからに過ぎない。


 別に、名前を呼んで欲しいとは思わなかった。

 でも、せめて、母の他にも一人くらいは、俺を俺として見て欲しかった。


 でも、それは叶わぬ思いだった。

 何もしていないのに蔑まれ、悪人だと決めつけられた。

 何か悪いことがあると、全て俺のせいにされた。



 俺に生を与えた二人がそうだったから、当然だが、俺も違えず頭が悪かった。

 でも、そのおかげか、どんな扱いをされても余り気にせずに生きることが出来た。


 母はいつも『あんたにだけは幸せに生きてもらいたい』と言っていた。

 こんな俺が幸せに生きるなんて、どう考えても不可能だったのに。

 それに気付けるだけ、母よりはまともな頭を持っていたのかもしれない。



 でも、母が俺の幸せだけを望むように、俺も母の幸せだけを願っていたんだ。

 じゃあ、俺が幸せに見えさえすれば、母も幸せになる筈だ。

 そう考えた俺は、何も考えずに、母の前では幸せそうな息子を演じ続けた。


 頭の悪い母は、頭の悪い俺の演技を信じきっていたんだろう。

 死ぬその前日も『わたしは幸せだよ……』などと言って、泣いていたのだから。




 ――そんな母が死んだ。

 俺は生きる希望を、意味を失った。


 次の日、ぽっかりと空いた穴に初めて、他人の誹謗中傷が響くことになる。

 頭が悪かったから気付かなかっただけで、傷付くというのは、こんなにも痛いことなのだと思い知った。


 その日、帰宅すると、布切れを掛けただけの母の骸に身を寄せて、目を閉じた。

 もうこれ以上、痛い思いはしたくなかった。


 目を閉じて、自分のたった十八年の人生を振り返った。

 自分が生きてきた証など何一つ無い、全く無意味な人生だった。

 母のために生きてきたのだから仕方が無い。

 俺の存在を唯一認めてくれる、そんな母が死んでしまったのだ。



 このまま母と寄り添って死ねば、一緒にあの世に行くことも出来るのに違いない……。

 頭の悪い俺は、そう考えた。


 このまま、母と共に朽ち果ててしまおう。

 あぁ……このまま、時が止まってくれれば良いのに……。

 母と永遠の時を一緒に過ごせるのだから……。



 頭の悪い俺は、最後に、時を止めるなどという馬鹿げた力を欲した。

 そして、その生を終えた。



 ――ふと気が付くと、燃え盛るような真っ赤な草原の中に居た。

 一緒に居た筈の母の姿は、何処にも失くなっていた。

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