53話 人生最大の汚点
前話の最後を修正しています。
※外にいるのが二人ではなく一人。
この日、僕は人生最大の汚点をさらしてしまった。
しかも、思い人である彼女に――
「澪川、零……さん?」
面識は一切無かったが、彼女のことはよく知っていた。
可愛すぎる棋士として脚光を浴び始めてからずっと、人知れずその姿を追っていたのだ。
様々なメディアで取り上げられるも、誰もが棋士としての姿ではなく、その容姿でしか彼女を評価しなかった。
それでも、棋士としての自分を貫き続ける彼女の姿には、人知れず尊敬の念を抱いていた。
もちろん、その容姿も好みのど真ん中に違いが無かったのだが。
パワースポットツアーでは、初めて生で見る彼女のオーラに圧倒されて、結局最後まで話しかけることが出来なかった。
それを、一方通行の思いだけで、名前を口にしてしまったのだ。
彼女は綺麗な形の眉を片方だけ上げると、怪訝な表情を浮かべた。
当然の反応――ではないだろう。彼女は有名人なのだ。
街中でその名前を口にする輩も多かったことだろうし、僕もそのうちの一人なのだ――って、何だろうか、この違和感は。
……ん? ……あっ! か、髪の色が変わってる!?
パッと見で彼女だと認識して、相当浮き足立っていたらしい。
何故すぐに気が付かなかったのか。彼女の髪色は、鮮やかな赤紫色に変わっていたのだ。
バスで最後に見た彼女の髪は、テレビで観るよりも黒く輝いていたのに。
そう、まるでさっき見た黒い害虫の――
「うっ、ぐうぇ……」
一部始終をリアルに思い出し、さらには何とか嗚咽を堪えていたことも思い出してしまい、とうとうその場に嘔吐してしまった。
そう――最大の汚点……汚物をさらしてしまったのだ。
「ぎゃははっ! 姉ちゃん、いきなり悪ぃな。俺たちさっき、すっげぇ気持ち悪ぃゴキ……変異種と対決したばっかなんだ。俺はギリギリ堪えたけど、シンジの思い出しゲボも仕方無いと思ってくれよな!」
ロキよ、フォローは良いけどお前、真っ先に吐いてたよな?
何か僕だけ我慢できずに吐いたみたいに聞こえるんだけど?
「……あんた、口の横にゲボの痕が付いてるけど?」
「マジか!? ちゃんと拭いたはずなのに……」
おぉ、ちゃんとバレてくれた。
両手に白い手袋を付けた彼女は、僕たちの姿を見てずっと表情筋をピクピクと微動させていた。
清楚と形容されてきた彼女にとって、僕たちの汚物のような存在に堪えられないのだろう。
「ごめん……テレビで何度も見たことがあったから、勝手に見知っている気になってしまった。――ところで、どうしてここに?」
口の中が苦くて酸っぱくて気持ち悪いが、彼女のためにも汚物は一刻も早く立ち去らなければならない。
「さっき、こいつ……オーク族のコリーっていうんですけど。このコリーが言ったとおりです。一緒にこの世界にやって来たと思われる黒髪が、この町にいるって噂を聞いたから、こいつ……コリーとやって来たんです」
さっき言ったよね? と言わんばかりの冷たい表情を浮かべる彼女に、少しだが嬉しさを覚えてしまう。
大御所にも物怖じしない、少し気の強そうなところも大好きだったのだ。
でも――強面のこのオークのことを『こいつ』って呼ぶんだな……それに、そう言えばオーク超えの女って言われてた気がする……
「そう、か……まずは、君が無事だとわかって安心したよ。――あぁ、他の人のことはわかるかい? 女性がもう二人と、男性が二人いたよね」
またやってしまったのか、彼女の片眉はまたも大きくピクついた。
こんな汚物に無事を安心などされるのが気に障ったのだろうか。
「えっと……ごめんなさい。私は、ここに来てからずっと一人なんです。ずっと、こいつ……コリーと各地を巡ってきました」
彼女の視線は、僕とオークの姿を何度か往復した。
そうか――用事を済ませて、一刻も早くこの場を立ち去りたいに違いない。
とすると――用事はきっと『情報の共有』に違いないから、僕からその話題を切り出すとしよう。
「立ち話じゃなくて、腰を据えて情報の共有をするべきだよね。……あぁ、もちろん迷惑じゃなければ、だけど」
「――私も、そのために来ましたので。でも、あなたたちは一仕事終えたところだから、落ち着く時間も必要でしょう? そうですね……明日のお昼に、城下町の神の家に集合というのはどうでしょうか。あなたたちもすぐに、騎士団本部に帰るのでしょう?」
汚い身なりを綺麗にして出直せと、そういうことだろう。
年下の彼女に段取りをさせてしまい申し訳無い気持ちでいっぱいだったが、汚物にはこの場を仕切る権利など無いから、仕方が無いだろう。
「わかった。じゃあ、また明日、神の家で――」
別れを告げると、手を小さく振る彼女は、威圧感を漂わせるオークを引き連れるように去って行った。
「しっかし……髪色のせいか、雰囲気が全然変わってたな。でも――やっぱ、すっげぇ美人だよな! まぁ、俺の初恋相手が一番だけど……はぁ……」
ロキは初めての恋、初めての失恋を思い出し、肩を落としていた。
僕はというと、彼女の姿をもう一度見ることが出来て、会話をすることが出来て、心が浮き立っていた。
そんな中、ゴロウは依然として何かを考える表情を続けていた。
「なぁ、ゴロウ。さっきから大人しいぞ? さっきの姉ちゃんがあまりに美人で驚いたか? それとも――そうか、まだ吐くのを我慢してんだな? さっさと吐いた方が楽だぜ? ほら、ひっくり返った変異種のお腹のグロさ、すごかったな――」
「お前っ、やめろ! ……うっ、ぐっ……」
ゴロウはその場に蹲ると、口を手で押さえた。
――遅れてやって来たマダルは、鋭意嘔吐中のゴロウ、嘔吐後の僕とロキを見るだけで何かを察したようだ。
「立ち会えなくて良かった……」
そう、小さく呟いていた。
その後、食欲が一切湧かない僕たちは、昼食を取り終えたマダルに変異種討伐の詳細をリアルに報告し、昼食を無かったことにしてあげた。
変異種を討伐した騎士団ならぬ汚物団の僕たちは、城下町への帰路についたのだった。
――翌日の正午頃。
僕は、ゴロウ、ロキと三人で神の家の礼拝堂に居た。
出入り口を注視していた僕の肩を、ロキが軽く叩いてくる。
「おい、あの姉ちゃん、奥の部屋から来やがったぜ? 何でだ?」
何でだと聞かれてもこっちが聞きたいくらいだが。
もしかすると――神々しいほどのオーラを放つ彼女は、この世界に降臨した女神として崇められているのかもしれない。
「なぁ、姉ちゃんよぉ。何で奥から来たんだ? あと、あの強そうなオーク、今日はいねぇのか?」
未だにあの子の残影を引きずるロキは、彼女には何の意識も持たないらしく、気になることを聞いてくれる。
だが、どう見てもそれは女神に絡むチンピラのようなのだが。
「あいつ……コリーはね、この神の家と深い関わりを持っているの。路頭に迷う私を拾ってくれて、しかもここに住まわせてくれて。
……ふふっ。素直に御礼を言ってあげても良いと思うくらいの恩義は少なくとも感じてる気がするかもね。
――あいつ……コリーはね、今日は仕事で別の町に行ってるから、ここには居ません」
『ふふっ』と微笑んだ直後のセリフだけは、何故か早口の念仏のようでうまく聞き取れなかった。
――つまるところ、深い恩義を持つあのオークは、今日はここに居ない、と言ったのだろう。
「そっか……あのさ、お願いすりゃ戦ってくれると思うか? 武の団長も何でか知らんけど、会ってすらくれねぇんだよなぁ」
「そんなの私も知らん――って、本題に入りましょう? 早速だけど、あなたたち、童話は読んだ?」
「――童話? 童話って、桃太郎とか、きびだんごのアレとかか?」
きびだんごのアレも桃太郎だろう。
絶対的知識量不足のロキに、彼女は薄らと微笑みを浮かべていた。
おそらく、そういう対象として見ることに決めたのだろう。
それにしても――童話とは何のことだろうか。
「あの――それは、この世界の童話ということ? 僕たちは聞いたことすら無いけど」
「そう、ですか。――この世界の神の家には、童話と呼ばれる本が代々伝わっています。その存在を教えてもらえるのは、神の導きを受けるとか、神の子に認定されるとか、よくわからない条件があるようです」
「じゃあ君は、まさか――女神認定されたから?」
「え――め、女神?」
「あ、いや……女性の神の子、略して女神……」
ついつい心の声が漏れ出てしまった。
何やら歯を食いしばるように無理に微笑みをつくってくれている彼女。
――きっと、ロキと同類だと思われたに違いない。
汚物をさらした以上、底辺に見られるのは仕方無いのだが。
「――私は、たぶんですけど……神の家に滞在して一か月が過ぎたから。それか、神の家への来訪者が累計一万人を突破したから。その記念で教えてもらえたんだと思います」
「そっか、それは運が良かったね! ――って、何その記念!?」




