33話 願い事
――神の家でお世話になって、早二週間が経過した。
ワタシもミュウも、未だに行く当ても仕事すら見つかっていなかった。
「焦らなくても良いですよ。何だったらずっとここに居ても良いのです。特にミュウちゃんは――ふぉっふぉ!」
この神父、羊の皮を被った狼かもしれない……そんな疑惑を抱きつつ、主にはここブルベ村の住人の手伝いをして過ごしていた。
手伝いのほとんどは、退職後にしてみたいと思っていた農作業で、ここには平和でゆっくりした時間が流れていた。
住人は、全員が羊の獣人。だが、この世界には他にも様々なタイプの獣人や種族がいるらしい。
初めのうちはその姿に戸惑ったものの、羊の住人たちは人間を見慣れているようだ。
見た目ではなく中身を重視するこの世界に、どこか居心地の良さを感じていた。
どうやらそれは、ミュウも同じことを感じていたらしい。
というか、彼女は初めのうちは男性を見る度に取り乱し、ただならぬ狂気を放っていた。
数日間は、上半身を縄で縛り拘束されていたくらいだ。
彼女を裏切り殺めようとした男性が居たという事実は、彼女の口から教えてもらっていた。
住民のうち、わたしを除く男性全てが忌々しい男の姿そっくりに見えてしまうというのだから、仕方が無いことだろう。
それでもようやく、見える人たちが本当の彼ではないという事実を受け入れたのか。あるいは住人の、閉鎖的だが内に秘めた優しい心に触れたのか。
ミュウは徐々に、男性を見ても平静を保てるようになった。
これまで放っていた刺々しく禍々しい雰囲気も無くなり、時折だが笑顔も見せるようになった。
元々綺麗な顔立ちをしていたのだが、真っ黒い服とその雰囲気が、それを邪魔していただけだった。
神父を筆頭として、村の男性からは色目で見られ、女性の住人からも可愛がられるようになった。
年齢の近そうな女の子と楽しそうに女子トークをしているその姿を見ていると、親でもないのに何故か涙腺が緩んでしまった。
――その日の夕方、ワタシとミュウは礼拝堂の掃き掃除をしていた。
毎日掃き掃除をしても、ホウキにはいくらでも白い毛がまとまりついてきた。
この村の住人は漏れずに体毛がフサフサで、落毛は無限に発生するから仕方が無い。
ちりとりに溜まった大量の白い毛を見つめていると、
「ここでは逆に、毛が少ない方が羨ましがられると思うよ!」
と、ミュウはワタシの目よりも上部を見ながらハゲましてくれた。
「これでカツラでもつくろうかな――」
そんなことを呟き、ミュウの薄らとした反応を受けていると、神父が慌てた様子で帰ってきた。
「マッさん! また、叶いましたぞ!」
――この世界、この村に来てからというもの、ワタシの周りでは不思議なことが起きていた。
この村には、六十人ほどの羊の獣人が住んでいる。
この二週間、住人との世間話や神父との会話で、この村の住人のことが少しずつわかってきていた。
そんな中で、住人の『願望』のような話を聞き、ワタシが、「そうなると良いですな」みたいなことを口にすると、それが現実になることがこれまでに四回もあったのだ。
一回目は、行方不明だった神父の老眼鏡が見つかったこと。
そして二回目。礼拝堂で会話をしていた老人の、
「あちこちからだが痛くてね。せめて死ぬまで歩くことだけはしたいよ。だから、膝の痛みだけは良くなって欲しいな」
という話を聞き、
「そうですね。運動するにも歩行が一番です。膝が良くなると良いですね」
と、何気なく返していた。
その後、一時間程度の世間話を終えて老人が立ち上がると、
「――ひ、膝が、痛くない? しかも、なんだかからだが軽い気がするぞ!」
と、見た目からは想像も出来ないほどの軽やかな足取りで礼拝堂を出て行った。
そのときは、
「着座で出来る膝に良い運動を教えてあげたからかな」
と、ミュウと目を見合わせて驚いただけだった。
そして三回目。これも、礼拝堂に来ていた老人と会話をしているときだった。
その老人の長男が、赤の国の騎士団に入ると村を出たきり、ずっと何の音沙汰も無く心配だと言うのだ。
「それは心配ですな。せめて便りでもあれば良いのですが」
と返し、雑談を続けていると、
「お、やっぱりここにいたのかい! 喜べ、息子さんから手紙が届いたぞ!」
この世界の郵便配達人らしき住人が、息子さんからの手紙を手にしていたのだ。
息子の無事を泣いて喜ぶ住人に、ワタシもミュウも、もらい泣きをしていた。
四回目は、ミュウが若い女の子から恋愛相談を受けたときのこと。
隣村のイケメンとの恋愛成就を願う女子に、ミュウはひどく悩んでいた。
殺したいほど想い合う相手との恋愛経験はあるのだが、基本は感情を持たない勉強マシーンと化していたのだ。
「あなたみたいな誠実で可愛い女の子、男が放っておかないですよ!」
羊の見た目などよくわからない中、『孫の居る自分が代わりに』と、ついつい気休めを言ってみた。
女の子の嬉しそうな眼差しとミュウの冷ややかな目線を浴びていた、そのときだった。
何故か急に、礼拝堂には五人もの男子が我先にと競うように入って来たのだ。
まるでお見合い系のテレビ番組のように、五人の男子が思い思いのことを言うと、『お願いします!』と女の子に手を差し伸べた。
その誠実な女の子はちゃんと、意中のイケメンを選んでいた。
隣村のイケメンが何故このタイミングでここに居たのかも謎だが、運良くその場は最高の結末で解決したのだった。
でも、それがワタシに相談した結果だと思われていまい、その場に居合わせた他の女子たちからも次々と恋愛相談を受けることになってしまったのだ。
とは言え、その後も気休めしか言えず、しかもその一つも叶わなかったのだが。
「――何だか、マッさんに相談すると物事が解決する気がしますな」
恋のキューピット扱いを受けたその日の夕食時に、神父がそんなことを言っていた。
「たまたまでしょう」
と、そのときは笑って答えていたのだが。
――そして今日、また何かが叶ったというのだ。
「隣村の井戸に水が湧きましたぞ!」
「――はい?」
「ほら、昨日の夕食の時に話していたでしょう? 隣村の井戸が枯渇して、少し離れた川から水を汲むのが大変だって、隣村の村長さんが嘆いていると」
そう言えばそんな話を聞いてワタシは、
「水脈が枯渇したのなら、新しい井戸を掘っても無駄でしょうね。水路をつくるのも大変でしょうし……適度な雨が降るとか、また水が湧けば良いですね」
と返していた。それが叶ったというのなら――わたしが願いを叶えることが出来るという前提で考えるのなら、五回目と言える出来事だった。
「でも、たまたまの可能性も高いよね? おじいさんが口にするタイミングが奇跡的に良かったのかも。ほら、恋愛成就したのも一人だけだったし。ね?」
ワタシが恋愛マスターなどともてはやされるのが気にくわなかったのか、ミュウはやたらそのときのことを気にしている。
「それなら、試してみませんか? これまでマッさんは人の願い事を聞いて、『それが叶えば良いな』みたいなことを口にして、実際に叶っている。そんな気がする。
では、マッさんが今日までに聞いた人の願い事の中で、『もしもこれが叶ったら、たまたまとは言わせないぜ!』などと言えるものはありますかな?」
そんなことがすぐに思い浮かぶはずが無い――ことも無かった。
「あるのですが――いや、でもこれはちょっと……」
「おじいさん、もしかして、ベッさんの奥さんのこと?」
ミュウの問い掛けに、ワタシは頷いた。
ベッさんという好青年の奥さんが昨日、若くして亡くなったのだ。
明日の朝には土葬の儀が執り行われる予定だった。
礼拝堂で奥さんのことを思い弔うベッさんはずっと、
「もっと一緒に……ずっと楽しく、笑って暮らせると思っていたのに。一緒に居たかったのに……」
と嘆き泣いていた。わたしの涙腺も大爆発していた。
軽々しい言葉をかけることができず、ベッさんの近くで一緒に奥さんを思い弔った。
「これは、まさか叶うとは思えません。それに、もしも叶うとしても――人の命をわたしなどがどうこうして良いとは思えません……」
「ふぉっふぉ。それは、叶ったら悩むことにいたしましょう。取り敢えずは、もしも叶えばみんな幸せ、叶わなくてもそれが道理なのですから。
――寿命で亡くなった方を生き返らせるのは、自然の摂理に相反するものでしょう。でも、今回の場合は、病が原因です。病が回復する可能性も、最後まで諦めていなかった。
そうですね……生きているうちに、病気が治れば良いと願ってみるのが、最善だったかもしれません」
わたしは一息つくと、ベッさんが悲しむ顔、そして、もしも叶ったときの顔を思い浮かべた。
そして、心の底から願い、それを口にした。
その夜――ベッさんの奥さんが息を吹き返した。




