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30話 一人目の脱落者

 念願の異世界転生、四日目の午後。

 この世界に製本技術があると知るなり、俺は直ちに執筆作業に取りかかった。


 午前中の第一回物語りを大盛況のうちに終えたものの、この話が世に広まるにはかなりの時間がかかることを実感した。

 いずれ、住人から住人へと話が伝わり、余所よその町に伝わり、王の耳に届くことだってあるかもしれない。

 でも、他国との交流がそれほど盛んではないこの国から、余所の国に伝わることは期待できそうにない。


 当初の目的である『王を見る』を果たすことはできたとしても、現在の目的を果たすことは叶わないのだ。

 今の目的――この世界を攻略するために必要なのは、まずは自身が願い得たその力。そして『情報』なのだ。



 物語りの直後に知ることになった、この世界に唯一存在するという『童話』の存在。

 そこには、この世界の謎が全て記されているのだが、その所在は神の家に仕える者、そして神の導きを受けた者にしか知らされることが無いという。


「この童話の内容、今度の物語りに加えても良いか?」


 山羊の神父に試しに聞いてみたのだが、


「ふぉっふぉ。それは出来ないでしょう。やってみればわかりますよ」


 と、笑って返されていた。まさか、俺がこの物語に干渉できないのと同様に、この童話の存在と内容を世に広めることも出来ないのか?

 それは神父が言ったとおり、そして俺が思ったとおりだった。

 そっくりそのままを言葉にすることも、そして文字にすることも出来なかったのだ。


 それでも、やはりその言葉を上手く変換することで、それらは語ることも文字にすることも可能なようだった。


「じゃあ、『壁』を『地割れ』にして、『力』を『魔法』にして……よし、これなら、わかるやつにはわかるだろ」


 一応、神父にも了解を取ると、六人の物語にこの童話の内容を加えることに決めた。

 了解を取ったのは、変に動いて神父の信用を失わないため。そして、俺のミミズが走ったような下手な文字を清書してもらうためだった。




 物語を言葉ではなく、文字にする理由。

 まず、この世界には神の家に伝わる童話以外は、教育を目的とした書物しか存在しないという。

 加えて、今日の物語りで実感したのが、この世界には娯楽といったものがほとんど無さそうだ、ということ。

 そんな中、突如興味心をくすぐる書物が現れたら……これはベストセラーとなること間違い無いだろう。


 神父に頼んで、できるだけ多くの本をつくってもらって、他国との交易物にでも混ぜてもらう。

 そうすれば、他の転生者の目に付く可能性だって高いはず。

 中身はかなり別の言葉に変換されているものの、例え頭がアレそうなあの少年だって気付くはずだ。

 この本に書かれていることが、自分たち転生者の、そしてこの世界の物語であることに。



 そして、俺には執筆を急がなくてはいけない理由があった。

 この世界を攻略するため、そして生き延びるためには『情報』が絶対不可欠なのだ。


 それを思い知ったのは、初日に起きた出来事。


 何も知らないが故に、まさか初日に一人目の脱落者が現れるとは思いもしなかった。

 しかも、転生者の中でも最強の力を持ったはずの、あの少女が――




 ――燃えるような綺麗な赤髪。髪と同じ色をした、優しい瞳。甲冑を身につけたそのからだは、それでも逞しいとわかるものだった。

 その男性の左手にくっつくように佇むのは、白いドレスを着た黒髪の綺麗な女性。


 二人は微笑み、わたしを見て立っている。

 二人とも、最後に何かの言葉を口にした。声は聞こえなかったけれど、その口の動きから、どちらも短い、単純な言葉だとわかった。


 赤髪の男性、グレンは『ありがとう』と言っていた。

 黒髪の女性、バーバラは『死なないで』と言っていた。



「――死なないで?」


 目の端を指で擦ると、薄らと涙が溜まっていることに気が付いた。


 わたしは、あらゆるものを跳ね返す力を得た。そして、それを発動させるための条件は、ただ『反発』すること。

 それは、あらゆる物事に反発しているわたしにとっては容易いことだった。

 はずなのに……わたしは見極めることができなかった。

 結果、グレンを悪霊としてこの世に縛り付ける何かを刈り取り、愛する人との再会を果たすことが出来たのだが。


 反発しかしてこなかったわたしには、グレンの優しさを最後まで信じることが出来なかったのだ……



 まるで黒い靄が心に入り込んだかのようにモヤモヤとする中、わたしは仮眠させてもらった家を出た。

 太陽の傾きと共に、その輝きが少し小さくなった気がする。


 体感で二時間くらいは眠っていただろうか。

 長時間歩いた脚の疲れ、黒い靄と対峙した精神的な疲れも、だいぶ回復しているのを感じた。


 百年前に住人が居なくなったという寂れた村を出ると、この村に入る前に歩んでいた先へと進むことにした。


 歩いてすぐ――わたしは、壁にぶち当たった。

 それは正真正銘の、だが、目には見えない壁だった。



ったぁ……何なのこれ――この先には行けないってこと? 透明過ぎるガラス、かな……」


 叩いても蹴っても、そこには防弾ガラスのような見えない何かがあるようだった。

 しかも横方向、高さ方向ともに、届く範囲にはずっとそれが続いているようだった。


「見えない、何か……あぁ、そう言えば。グレンの鎌は見えない何かを刈り取るって言ってたな。もしもわたしがそんな力を手に入れたら……信頼とか優しさなんて、この世界には不要だよね……こうやって『スパッ!』って――」


 小さく息を吐くと、何気無く、左手で見えない何かを刈り取る仕草を取った。

 左手の指先から黒い靄が漏れ出るのが見えた。

 それは太陽の光を纏うと黒く光り――そう、それは、鎌のように見えた。


 鎌が見えない何かに触れると、僅かだが何かに触れるような、まるで薄い水の壁を鋭利な刃物でなぞるかのような感触を覚えた。


「まさか……」


 グレンのあの力がわたしに宿ったとでもいうのだろうか。

 わからないが、わたしは試しに目の前の壁を切り取ってみることにした。


 左手に鎌をイメージすると、それはそのとおりに具現化された。

 手の届く範囲、縦に一メートル五十センチ、横に一メートルほどの長方形を切り取る。

 切った部分は見た目には何も変わらない。


 右手でその部分に触れてみると――そこには何物も阻むモノが無くなっており、その手は先の空間へとすり抜けたのだ。

 そのままからだごとその空間を抜けると、透明な壁の先の地面を踏みしめた。


 壁を抜ける前と全く変わらない赤い草の絨毯が、変わらずに地平線まで続いているのが見える。

 侵入を阻んでいた壁の正体はわからないが、嫌な予感が頭を過った。


「これ、もしかすると空いたままだと問題あるのかな……」


 切り取った部分が地面に落ちていないか、探してみようと思った。

 落ちているとしたらこっち側の草の上だろう。でも、赤い草の上をいくら探しても、わたしの手はその何かに当たることは無かった。


「もしかして、あっち側に落ちたのかな?」


 もう一度壁を通り抜けようと思って、今度は切り取った空間を手探りで見つけようとした。

 だが、先ほど空けたはずの大きな穴が、どこにも無くなっているのだ。


「壁が、復活した? ――それほど、この先には行って欲しくないってこと? それとも……逆に、何かが入って来ないようにしている……?」



 相変わらず何もわからない状況を打開すべく、取り敢えず歩き始めることにした。

 そしてすぐに、目の前に何かが現れた。

 それは草の色とほとんど変わらない、でも少し光沢を持った綺麗な赤毛の、小さな猫だった。


「うわ、超可愛いんだけど。色はアレだけど……猫、だよね? お母さんは近くにいないの?」


 その場にしゃがむと、『こっちにおいで』と右手の指を動かしてみる。

 子猫は首を傾げるという破壊力抜群の可愛い仕草を見せると、その短い足をよちよちと動かし、こちらに歩いて来た。


 なんとも愛くるしい姿に自然と笑みが漏れているのに気が付いた。

 目の前まで来たその子猫は、『ニー』と、これまた可愛い声で鳴いた。


「なんて可愛いんだろう……」


 ふと、差し伸べていた自分の右手を見た。


 着用している上着は、お気に入りの紫色の長袖パーカー。

 裾から伸びた不健康で真っ白いはずの手指が、パーカーと同じ紫色に変わっていた。


「……え?」


 痛みもかゆみも全く感じることは無かった。

 変色したその手は、すぐに皮膚と肉が濃い紫色をしたドロドロしたモノへと変わり、骨から剥がれ落ちた。


 その範囲があっという間に全身に及んだのだろうか。

 しゃがみ、体重を支えていた脚に力が入らなくなり、気が付くと青い空を見上げていた。

 視界がぼやけ、光が薄れていく。



「……何、なの……この、世界……」


 最後にそう呟くと、わたしは、闇に飲まれた。




 ――今日物語ったのは、全てが初日の内容だった。

 でも、それは初日の全てでは無かった。その情報量が多かったのもあるし、乞うご期待とするために寸止めしたからだった。

 加えて、俺自身、反発少女の身に何が起きたのかを理解できていなかったのだ。

 でもそれは、あの童話を読むことで理解できるようになった。


 それまでわかっていたのは、少女がゴーストを討伐して得た力が、見えない壁を切り取れるということ。

 壁を抜けた先で、少女が子猫の姿をした何かの目前で絶命したこと。

 あれ以来、少女の画面は黒いままなのだ。


 そして、童話を読むことでわかったこと。

 通り抜けたその先は、世界の中心では無く――変異種を封じ込めた、この世界の外側だったこと。

 外界で遭遇した第一変異種が、子猫の姿をした恐ろしい力を持つ何かだったのだ。

 あれは『人を腐らせる力』なのか、それとも『猛毒を付与する力』か。

 いずれにしても、少女の視界が捉えたあの光景は、トラウマレベルのひどいものだった。



 童話を読むまではいかなくとも、もしも少女がこの世界の最低限の情報を得ていれば……迂闊に外の世界に立ち入ることは無かったのではないだろうか。

 あんな、誰もが可愛いと思う子猫にだって、反発心を抱き続けることも出来たのではないか。

 そもそも、外界ではなく、まずは世界の中心に立ち入れる可能性を考えたはずなのだ。


 これで、現時点で壁を抜けることが出来る唯一の力を失ってしまった。


 でも――まだ手遅れでは無い。

 そう、あのじいさんの力なら、少女を復活させることが出来るのだ。

 俺を生き返らせたように、ただ、復活を願ってくれさえすれば良いのだ。


 そのためにも、俺は一刻も早く重要な情報を記して、転生者に伝えなくてはいけない。

 そして、あと必要なのは――蘇生の力か、あるいは時間を巻き戻すような力。


 今のところ、転生者にそんな力を持つ者はいない。そんな力を持つ変異種が現れて、誰かがそれを討伐する必要がある。

 そして世界の中心に立ち入り、女神を蘇生させ、この世界を終わらせる。

 そうすれば、おそらく生き残っている全員で現実世界に戻ることが出来るのだろう。



 ――ていうか、『女神が復活しますように!』って、じいさんが願えば終わりじゃね?


 よし、最重要事項として、しつこいくらいに記してやろう。

 六人の物語も読まないとだし……あぁ、忙しくなってきた!

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