27話 なんで……二人も、いるの?
わたしは、糸吉心結。
今わかっているのは自分の素性と、忌々しいあの男と再会して、その左目を潰してやったこと。
そして、また殺されたこと。それだけ。
また殺された、はずなのに……
わたしは、薄暗い世界をただ歩いていた。遠く、地平線のすぐ上にぼんやりと浮かぶ月に向かって。
何時間歩いただろうか。だいぶ前から、足の感覚は失われていた。
ぼんやりとした光が、徐々に朝焼けのようにその輝度を増すと、遠くに何か構造物のようなものが見えた。
近付くにつれ、それは赤茶色をした建物の集まりで、そしてそれらを囲む柵のようなものも見えた。
「もしかして、集落かな……」
今にも走り出したかったが、足が思うように動かない。
ゆっくりと一歩一歩、足を動かすとようやく柵の切れ目に到着した。
そこには木製の立て札のようなものが植えられており、『ブルベ村』と書かれていた。
「日本語ってことは、ここ、日本だよね? カタカナの村……無いことはない、もんね……」
とにかく、今は生を実感したかった。
そのためにも、あの男以外の、生きている人間にただ会いたかった。
その集落の建物は赤いレンガづくりで、換気機能か、はたまた内外を覗くための穴には、木の板が立てかけられていた。
「まさか、ガラスが存在しないなんてことは無いよね……」
ガラスどころか、地面には背丈の短い青い草がびっしりと生えており、コンクリートやアスファルトで覆われた地面も一切見られない。
まだ、朝早いのだろう。外を出歩く人の姿は見られなかった。
少し歩くと、その集落の中心と思われる場所に、他の建物よりも大きな建物があった。
他の建物とは異なり、その出入り口にだけは扉が設置されていなかった。
「すみませーん……」
と、小さい声をかけながら中を覗くと、そこにはわたしが思い描く『教会』のような光景が広がっていた。
学校の教室くらいの部屋の中には、お祈りをするためと思われる長い椅子と長い机が合計六セット置かれている。
でも……部屋の中には、思い描くような十字架や信仰対象の像などの類いは置かれていないようだ。
代わりに、正面の壁には一枚の肖像画と国旗のようなものが掲げられていた。
「あの肖像画の人を信仰してるのかな……」
その部屋の中にも、人の姿が見られなかった。
開けた場所に置かれた長椅子なのだから、少し横になっても言い訳ができるだろう。
一番後ろの長椅子に横になると、何も考える間もなく、眠りに就いてしまった。
――夢を見た。
あの忌々しい男がわたしに向かって優しい笑顔を見せている。
いつも見せてくれていた、わたしが大好きだった笑顔。
手が届きそうなほど近くにいるはずなのに、近付くことが出来ない。
夢の中のわたしは、男に手を差し伸べて、言った。
「すぐに殺してあげるから、待っててね。うふふっ」
夢の中のわたしは、笑っていた。
……目を覚ますと、見えたのはどこかの天井。そして、天井に差し出した自分の右手。
その掌を顔の前に持ってくると、何度か閉じたり開いたりしてみる。
「そっか、椅子に横になって、寝ちゃったんだ……」
窓のような隙間から差し込む光の中で初めて、親指の爪が真っ赤に変色しているのに気がついた。
……そうだ、あいつの左目に指をねじ込んだんだっけ。
左手の親指でその赤い部分に触れてみると、それはただ付着しただけの血の塊だった。
「あいつの血かな? ……あれだけじゃ、死んでくれないよね……」
ぼそっと呟くと、すぐに男性の声が聞こえてきた。
「良かった、目を覚ました!」
男の声というだけで、あいつではないかと身構えてしまう。
だが、よくよく考えると、その声はあの男よりもしゃがれた高いものであることに気が付く。
体を起こすと、その声のする方を向いた。
そこには一人、白髪交じりの老人が立っていた。
そしてその人は、パワースポットツアーで同じバスに乗車していた七人のうちの一人だった。
「あなたは、バスに乗っていた……あの、ここはどこですか? わたし、目が覚めたら青い草の上に仰向けになっていて……」
「あぁ、そうでしょう。わからないことだらけでしょう。ひとまず、これを飲むと良いですよ」
老人は、何かが注がれた木のコップを差し出してくれた。
少しの間その手に持っていたのか。受け取ると、そのコップは生暖かかった。
何やら毒々しい青色の液体が入っており、思わず目線がその液体と老人の顔を往復してしまう。
「ふっふ。初めはその見た目に躊躇することでしょう。からだに良いかどうかは別として、味は紅茶に似て美味しいですよ」
この老人とは話したことも無いし、信用できる人間かどうかわからない。
でも、その目と微笑みを見て、少し安心している自分がいた。
その青い液体を口に含むと、生ぬるくて少し粘着質のあるそれは、たしかに紅茶の味がした。
久しぶりにモノが喉を通ったからか、むせてしまう。
「飲み物は逃げないから、ゆっくり飲むといい」
老人に背中をさすられながら、ゆっくりと中身を飲みきった。
「ありがとう、ございます。それで、ここは……?」
「わたしにもわからない。……まだ、この村の住人には会っていませんかな?」
「はい……夜明け前にこの建物に入って、ここで休ませてもらって……目を覚まして初めて見た人があなたなので……」
「見れば、ますます訳がわからなくなるでしょうな」
住人を見ると訳がわからなくなる?
もしかするとここは日本ではなくて、外国の人でも住んでいるのだろうか。
でも、立て札の標記は日本語だったし……そんな訳のわからなさだろうか?
「まずは、わたしがボケ老人でも正気を失った人間でもないことを断っておきます。その上で、事前にお伝えしておきましょう」
住人のことを教えてくれるのだろうか。
わたしは、微笑みの消えたその老人が続ける言葉を待った。
「この村の住人は皆、羊なんです」
「……ひつ、じ?」
人が住んでいない代わりに、羊がたくさんいるということだろうか。
それとも、もしかすると『執事』と言ったのかもしれない。
たしか、年代だか地域性だかで『シ』を言えなくて『ヒ』になってしまう人がいたような……いや、逆だったか?
「実際に見てみないとわからないだろうね。じゃあ、神父を呼んでくるから、ちょっと待っていておくれ」
老人は部屋の奥の扉を開けると、その中に姿を消した。
そしてすぐにまた、誰かの手を引いて戻ってきた。
その人物は――
「あぁ……また……よくも、わたしの目の前に!」
それは、神父のような真っ白い衣を身につけた、あの忌々しい男だったのだ。
気付くと椅子から立ち上がり、地面を蹴っていた。
だが、一歩目で足がもつれ、その場に転倒してしまう。
「ど、ど、どうしました!?」
「ふぉっふぉ……あなたと同じ黒い髪。珍しいお客人に間違いありませんな。でも……」
「殺して、やる……殺して……うぅっ、あぁ……」
手を出さなくては、何も出来ないまま殺されてしまう。
そんな焦りの中、もつれた足が全く動こうとせず、床を這いつくばるように男に向かった。
「そんな、殺すだなんて……さっきまで普通に会話をしていたのに……神父、この子のことを知っているのですか?」
「うんにゃ。全く初めて見るお嬢さんですね。はて、人に恨みを買った覚えは無いのですが?」
「恨みを買った覚えが、無い!? よくもそんなことを……」
「ふむ……こんな綺麗な女性、一度見たら忘れないはずですが……」
『心結は可愛いよ』
『綺麗だよ』
あの男がいつもわたしに言ってくれていた言葉たち。
参考書しか友達がいなかったわたしを、唯一女として見てくれた……でも、そんな言葉を一体何人の女にかけていたのだろう。
堪えようのない怒りが込み上げると、地面を一心不乱に這いつくばる。
床に突き立てた爪が割れ、血が滲んでいることなど気にもならなかった。
「ひぃっ……」
よほど恐ろしい光景に見えるのだろう。怯えた目でわたしを見る老人は、小さい悲鳴を上げた。
そんな悲鳴、そして表情には気づくことができた。
あぁ、そうか。まだ理性が残っているみたい。
……わたしだって、こんな姿を他人に見せたくない。
でも、あいつがいるから……あいつが生きている限り、仕方が無いんだ……
「ふむ……そこまで情熱的に見つめられるのは初めてですじゃ。ところで……ちなみに、あの方はどう見えますかな? あぁ、そこのあなた。身の危険を感じたら、すぐにお逃げなさい」
「何を、言って……」
それでも、背後に気配を感じ、男が指さす方向を見てしまう。
いつの間にか、誰かが出入り口から中を覗いていたようだ。
そしてそれは――
「まさか……な、んで……なんで……二人も、いるの?」
まさか、瞬間移動でもしたのか。
前を向くと、神父の格好をしていたあいつが、まだそこに立っている。
もう一度出入り口を見ると、やはりそこには、また別の格好をしたあいつが立っていた。
「なん、なの? もう……わかんない、よ……」
老人が言っていた『訳がわからない』とはこのことだったのか。
まさか、あの男が二人も住んでいる村ってこと?
……男への復讐心だけでなんとか保たれていたわたしの意識は、そこで途切れた。




