19話 赤の国 3
その壺は、大きいとはいえ子供が入れるようなサイズでもなかった。
声の主は、もしかすると壺の背後に潜んでいるのか。
遠回りに横に行くと、恐る恐る後ろを見てみる。
だが、そこには誰の姿も無かった。
「――足音が小さくて軽い。どうやら騎士団員では無さそうだな」
間違い無く、その声は壺の中から聞こえた。
先ほどの悪寒は、今はただの恐怖へと変わっていた。
だが不思議と、その『男性のものと思われる声』は、人を安心させるようなものに感じた。
「わたしは……たまたま、この村? の前を通りかかって……その、怪しい人間ではありません」
怪しいのはあなたです。という思いを込めてそう言った。
「もしかして、女の子かい? ――怖い思いをさせたなら申し訳ない。命を受けた者以外、この村に立ち入ることはできないはずだから、何者かと思ってね……」
出入り口には、立ち入りを阻害するものなど何も無かったし、普通に入ることができた。
この人は何を言っているのだろうか。
「あぁ。少しするとここに、見回りの者がやって来る。ここは無用な立ち入りが禁止されている。と言うか、入れないんだが。変に疑われる前に立ち去ることを勧める」
「見回り? どこからやってくるのですか?」
「もしかして、何も知らないのか?」
「はい。ここ、どこですか? 日本ですよね?」
壺の中から、息を飲むような音が聞こえてきた。
「まさか……君も、ニホンからやって来たと言うのか!? ――おぉ、これは運命なのだろうか!」
声色から、この人物が信用に足ることはわかった。
でも、信用できるのと信用するのとは話が別だ。
そもそもなぜ壺から声が聞こえるのか謎だし、どうやらヤバい人のようだ。
お言葉に甘えて、この場を立ち去ろう。そう思ったのだが、
「僕を解放してくれないだろうか」
壺の中の男は、わたしにそうお願いをした。
「解放? じゃあ、やっぱり壺の中に? ……なぜ?」
「そうか、訳がわからないよな……僕は、壺の中に封印された。もう百年も前の話だ」
なるほど。この人は、百年前にこの壺の中に封印された。以上。さてと、今度こそ本当に立ち去ろう。
「ちょっと待ってくれ……僕の名前はグレン。君は、バーバラと同じくニホンから来て……黒髪なんだろう?」
バーバラ? 黒髪?
「あの、さっきから何を言っているのですか? あなたの名前がグレンだというのはわかりました。バーバラが誰かわからないし、黒髪だから何だと言うのです? そもそも、あなたは何者で、何で壺の中にいるの?」
一先ず、この問い全てに納得のいく回答が無ければ立ち去ろう。
ヤバいけれど、悪い人ではない様に感じるのだ。
「見回りが来るまで、もう少し時間があるはずだ。話を聞いてもらえるだろうか?」
「その話、長いですか?」
一度、街中で『世の中に不満を持っていませんか』と声をかけられたことがある。
大いなる不満を持っていたわたしは、ホイホイとその人に付いて行った。
結局は怪しい宗教団体で、長話の末に危うく幹部入りさせられそうになったのだ。
それ以来、知らない人の話は五分以上聞かないようにしている。
「この百年、ずっとずっと、何万回と思い返していることだ。手短に話すことも出来るさ」
「……五分でお願いします」
「ゴフン? わからないが、簡潔に話すことを約束しよう」
壺男は、わたしにこれまでの経緯とやらを話してくれた。
それは、百年前に起こった出来事だった。
「ここ、赤の国の、当時の国王には娘が三人いた」
「アカノクニ? は?」
「え? 質問してくるの? いや、それだと手短に話せん。質問は後でまとめて受け付ける」
あらすじの無い、どこかの国の昔話と思って聞けということか。
とりあえずその場に腰掛けると、膝の上にあごを乗せ、大人しくその話を聞いた。
――三人の娘、その末っ子がバーバラだ。
他の王女は燃えるような赤い髪色なのに、なぜか一人だけ真っ黒い髪色をしていた。
騎士団の団長だった僕は、ひょんなことからバーバラと出会い、愛し合った。
王女三人には既に婚約者がいたから、それは、禁断の愛。許されるものでは無かった。
三十日に一度、城から抜け出したバーバラと密会を重ねた。
でも、それを隠し通すことなどできなかった。僕は、バーバラの婚約者に告発されたんだ。
団長の立場を追われ、チェーリという辺境の村に追放された。
村への道中、『叶わぬ恋だったのだ』と、バーバラとの楽しかった思い出を思い返し、そして心の奥底に封じ込めようとした。
でもそのとき、ある言葉を思い出した。
あるとき、バーバラが言っていたのだ。
そのとき彼女は笑っていたから、冗談だと思い一緒に笑い、聞き流していた。
「本当はね、ニホンってところから来たの。わたし……近いうちに殺されるかもしれない」
気になったのは、後半の、命が狙われているかもしれないというところだ。
もしかすると誰かの、何かしらの陰謀なのではないか?
彼女もきっと、罪に問われるだろう。婚約者というものがありながら、別の男と淫らな関係を持ったのだから。
一見平和に見える城の中も、実のところは権力争いでドロドロしていると聞いたことがある。
とすると、もしかすると僕とバーバラが出会ったのも誰かの――
絶望的に嫌な予感が僕を襲った。
でも、荷車で拘束された身では何もできなかった。村に着いてから隙を見て抜けだし、城へと向かおう。
そんな僕の思いは、生きているうちに村から出ることは叶わなかった。
僕は、村に着いてすぐに、拘束されたまま中央の広場に運ばれた。
そしてそこで、村人の手によって焼き殺されたのだ。
どうやら処刑は国王からの命令だったらしい。
最後に村長と思われる老人が、「済まんな」と小さく言うのが聞こえた。
死に際に、脳裏にはバーバラの姿が浮かんだ。
不吉な黒髪の子と恐れられ、でも、その容姿はどの王女よりも美しかった。
王女なのに、いつも白い歯を見せて豪快に笑っていた。強く抱きしめたら壊れてしまいそうな華奢なからだをしていた。誰よりも澄んだ心で、誰よりも優しかった。
彼女の全てが愛おしかった。
僕はどうなっても良い。地獄に堕ちたって仕方が無い。
でも、彼女は……バーバラは――声が出る限り、彼女の名前を叫んだ。
炎は喉を焼き、いつまで声が出ていたかはわからない。でも、意識が無くなるまで叫んだ。
目の前が真っ暗になった。からだの感覚は無いが、意識だけはあった。
「死後の世界は真っ暗闇なんだな」
そんな呟きを思うと、遠くに光が見えることに気付いた。
意識をその光に向けると、それはどんどん近付いてきた。
どうやら、それはどこかの部屋の灯りで、僕はそれを窓の外から覗いているのだ。
目を凝らすと、誰かがベッドの上で蹲っているのが見えた。
そこに居る綺麗な白いドレスを着た女性、それを見間違えるはずが無い。
それは、バーバラだった。
僕のことを思い、涙を流してくれているのだろうか。
部屋にはもう一人、男性が居た。それは、婚約者の男だった。
どこぞの商会の長男で、いつも何かを疑うような目をした男だった。
声は聞こえないが、男は彼女に向かって大声を上げているように見えた。
全く耳を貸そうとしない彼女に男は近づき、その肩に触れようとした。彼女は男の手を振り払った。
怒りに我を忘れたのか、男はどこかからナイフを取り出すと、彼女の心臓に突き刺した。
すぐに自分の行いに気付いたのか、男はその場に尻餅を付くと、慌てふためき四つ足でその部屋を立ち去った。
胸にナイフが突き刺さったまま、彼女はベッドに仰向けになった。
その頭部だけがベッドからはみ出し、こちらを向いた。
苦痛に歪んだその顔が、何かを見つけると一瞬驚き、そして微笑んだ。
彼女は微笑んだまま、目を閉じて動かなくなった。
その口が、最後に僕の名前を呼んだような気がした。
僕は、またも絶叫した。その闇の中では、声さえもかき消された。
やがて、目の前の光景が闇に飲まれていき、バーバラの微笑みも消えて無くなった。
次に気が付いたとき、辺りはまだ闇のままだった。
でも、それはさっきまでの全てを覆うような闇では無かった。
しばらく呆けていると、その闇が夜空であることがわかった。
辺りを見回すと『パチパチ』と、広場でたき火が燃えている様子が見て取れた。
視覚も、聴覚もはっきりと機能しているようだった。
意識もハッキリしているのに……からだの感覚、そして生きている感覚が全く無かった。
右手を顔の前にかざしてみる。感覚が無いから、そんな行為を思い浮かべてみた。
そこに見えたのは、真っ黒い何かだった。靄と表現するのが近いだろうか。
左手も同様だったが、そこには何かが握られていた。握っている感覚が無いから、付属していたというべきかもしれない。
それは、大きな鎌のようなものだった。
足音が聞こえ、見ると村人が一人やって来たようだった。
その村人は、悲鳴のような大きな声を上げた。
「あ、あ、悪霊だぁ……俺たちを、殺しに来たんだぁ!」
ドーム型の家からは、次々と男が出て来て、広場に集まった。
誰もがその手に武器を持ち、だがその目は何かに怯えるように泳いでいた。
その全ての目が、僕のことを見ていた。
そうか……あぁ、僕は、悪霊になったんだ。




