182話 準備(二)
「さて――どうせあんたのことだから、会場で私たちの話なんて聞いてなかったでしょ?」
「おぉ、よくわかったな。さすがはアオだぜ」
「ふん。単細胞なあんたのことは、あんたのお母さんより知ってる自信あるわ」
「へぇ。じゃあ、母ちゃん呼んで確かめてみるか。おーい、母ち」
「やめぇい!」
皆まで言う前に、ロキの頭を平手打ちして止めるアオイ。だが、無駄に硬く刺々しい頭を全力で叩いたことをひどく後悔する。
負傷した手を抑えつつロキの様子を伺うも、まさか目の前にいるアオイが映像ではないことには一切気が付くことはなかった。
「オレの部屋はまんま再現されてるけど、さすがに母ちゃんは居ないか」
「意識世界なめんじゃないわよ。そのドアの先、階段を降りたところで母ちゃんは惰眠をむさぼってるでしょう。でも、そうじゃないの。あんた、その姿で母ちゃんに会おうって訳?」
「あ……確かに、さすがの母ちゃんもちょっとはビビるかもな」
ちょっと、という控えめな表現に、だがアオイは深く頷く。「何ふざけた格好してんだテメぇ!」と、ローキックをお見舞いする母ちゃんの姿すら思い浮かぶのだった。
「もしかして此処って、何でも出せる空間だったりするか?」
「うん? まぁ、そうね。本当は一メートル四方も無い狭い空間なんだけど。意識世界だから、どんな大きさのどんなモノでも思い通りに出せるよ。取り敢えず最初は皆が準備しやすいように、転送直前の場所を再現してるだけ」
「すっげ! じゃあさ、最近ずっと思い出せなくて気になってるナニか、出せるか?」
ロキは、ここ数か月――おそらく案内人であるアオイとの出会い直後からか。頭の片隅で引っ掛かっている記憶のような何かの存在に気が付いた。
思い出せなくてモヤモヤするけれど、言葉で説明するのが難しかったため、アオイには話していなかった。
「ふーん……どうせ、夢で見た強ぇ生き物か、美味ぇ食べ物あたりでしょうよ。取り敢えず、記憶そのものを映像として出力してみようか」
よほど楽しみなのか、両拳を握りしめ、目を輝かせるロキ。
全身凶器のように刺々でどぎつい紫色、黒く淀んだ三つ目を持つ化け物に、アオイはこっそりと誰かの姿を重ねて微笑んでいた。
仮想モニターが出現すると、次の瞬間、何かが映り始める。
――真っ白い背景に溶け込むように、三人の姿が現れた。
全体的にうっすらとぼやけていて分かりづらいが、おそらくは小さな子供と、その両親だろう。
聞こえてきたのは、父親のものと思える声。
『ミュウは賢いなぁ。さすがはアオの娘だぜ』
「うわぁぁあ!!」
初めて聞くアオイの絶叫とともに、映像はモニターもろとも消失した。
訳も分からず、ロキはほんの数秒の映像を思い返す。
写っていた三人は、誰だったのか。ミュウというのは、二人の子供の名前なのだろう。
父親と思われる男性の言葉も、後半のほとんどがアオイの絶叫で上書きされていた。
自分の頭の中に宿っていた謎の記憶――そして、アオイのひどい慌てる様。
ロキは全てを思い出した。
「これ――前世の記憶、だろ?」
「……」
顔を真っ赤にして、アオイは俯いたまま。
だが、何かを諦めたのか、はたまた何かを決意したのか。顔を上げると、小さく息を吐き、そして、口を開く。
「うん、実は――」
「オレ、母ちゃんに連れられて映画館で見たんだった。でもさ、アクション系以外は好きじゃないし、ほとんど寝ててまともに見てなかったんだわ」
「……ん?」
「半分寝てたけど、ぼんやりと覚えてたんだな。そうか、映像のワンシーンだったのか。あぁ、スッキリした!」
「……え?」
「だから、前世の記憶だよ。今、すっげぇ人気ある映画らしいぜ? そっか、お前、まだ見てないから慌てて消したんだな」
「…………そ、そうそう。ネタバレなんかしたらぶっ殺すんだから! あはは……」
大きな溜め息とともに、アオイは小さく笑った――
「げっ! まだ何も説明してないのに、もう十五分も過ぎてるんだけど!?」
「別によくね? 準備なんて五分もありゃ終わんだろ」
「あと四十五分で、あんたに新しい異世界を理解させる……不可能……? いや、頑張れ私」
「新しい……?」
アオイの深い溜め息とともに、眼前にはまたも仮想モニターが出現した。
「あんたのために、映像を使って説明するよ。先ず、新しい異世界は地球みたいな球体なの。はい、こんな感じ、丸いでーす。これを説明用に一旦、真っ二つに切ります。そして、二つ、切り口を下にして並べます」
「……なんか、二つ並べるとアレみたいだな、おっぱ」
「あんたは小学生か! ……さて、次は二つとも、均等に四色に塗り分けます。片方は赤、青、黄、緑の四色で、もう片方は――」
「同じ色っぽいけど、何か暗いな」
「そう、こっちもベースの四色は一緒だけど、ちょっと黒が混じってるの」
「そういえば、さっきまでいた会場から見えた草原、いつもより暗かったな。それに……そうだ、空も暗かった気がするぜ?」
「でしょうね。あんたたちがいた会場は、魔界だったから」
「魔界、だと……?」
「そう。新しい異世界は、ヒトと魔物の世界が分けられているの」
「へぇ。でもよぉ……じゃあもう、魔物はヒト里を襲えないってことか?」
「そこは、これまでどおり襲えるから安心してほしい。物騒だけど、あんたら魔物の仕事だからね」
会話をしながら、アオイは、まるで実物に触れるかのように、二つの半球体を持ち上げる。
そして、二つを所定の位置でくっ付け、球体へと戻した。
「分かたれているけど、二つの世界を遮るものは何もない。自由に行き来出来るよ」
「ふーん……じゃあ、分ける必要なんてあったのか?」
「バランス調整のため……なんて言ってもわかる訳ないよね。まぁ、これからする説明を聞いてれば、さすがのあんたでもわかるでしょうよ」
「どうだかな。それはお前の説明次第だな」
「ふんっ。何様よ、全く……」
鼻で笑い、だが心底楽しそうに、アオイの説明は続いた。