172話 二十四時間前
奇しくもそれは、五十年前に七人の意識が消えたのと同じ過去の時代。
あらゆる不測にも対応し得る筈の一時間、出来たことは何もなく、もはや為す術のないことを知っただけ。
結局また、七人の意識が謎世界へと消えるのを、指を咥えて見ていることしか出来なかったのだった。
ヤマダタロウは、咥えた指を一度強く噛むと、決意とともに口から離す。
それは、七人の意識が消えた十秒後のことだった。
管制室で少しの話し合いがされた後に、直ぐに結論は付けられる。
およそ五十年後――次にまた七人の意識が消えるかもしれない、その二十四時間前までに出来ることは何一つ無い、と。
――異世界の運営が開始されてから、およそ三十日に一度、意識世界のメンテナンスが行われてきた。
メンテナンスのため、月末のその日の0時0分0秒に、百万分の一秒だけの時が止められる。
それが複数回続けば、現代意識世界のスーパーコンピューターであれば、その誤差を認識するかもしれない。
当然だが、そのごくごく僅かな空白さえも埋める措置は施されていた。
運営から四十九年と、三六五日目のその日。
月末のメンテナンスは、いつもどおり行われた。
それは、七人の意識が消える二十四時間前のこと。つまり、そのときには、時止めは可能だったのだ。
そしてそれは、九十九年と三六五日目のその日も同じだった。
だからこそ、二十四時間前の時止めが可能だとわかったからこそ、一時間前の時止めも可能であると思ってしまったのだった。
そして、来る一四九年と三六五日目の0時0分0秒。
これまでと同様、時を止めることは出来るだろう。
管制室で行われた少しの話し合い。それは『どのタイミングで時を止めるか』というもの。
ただし、ここでは、そんなことを考えても無駄だと考えられて終わったのだった。
時止めを無効化したのは、謎世界をつくった誰か。
その誰かなら、時止めをした意識世界の時を、再び進める――時止めを解除ことも容易なのではないか。
誰もがその可能性を否定出来なかった。
だからこそ、二十四時間前に止めようが、例えば五十年前に止めてしまおうが、結果は変わらないと考えられた。
結果、時を止めるのは、二十四時間前。
それまでに出来ることは何一つ無いと、そう、結論付けられたのだった。
――また、五十年が過ぎようとしていた。
この五十年では、新たにやって来た七人に、生き残りは現れなかった。
謎世界で起こっていたことを、実は、管制室は全くと言ってもいいほどわかっていなかった。
一切の情報を入手することが出来なかったのだ。
それは、謎世界と管制室とを繋ぐ、先発調査隊のゴロウの視界が失われたから。
指を咥えて見ていることすら、出来なかったのだった。
二十四時間前。
長く、ひどくもどかしい時を経て、管制室がようやく動く。
先ずは予定どおりに、全ての意識世界の時が止められた。
だが、時止めは無意味に終わり、四百年前の意識世界の誰かが犠牲者となるだろう。
そして、その誰かは、わかりようがない。
ただし――あまり意味は無いにしても、選ばれるその七人の傾向は、ある程度だが掴んでいた。
最初の七人――例えば、伊君伊蔵、西野茜、霧島務。
次の七人――例えば、月舘五朗、兼茂謙蔵。
選ばれる七人は、いずれも黒髪の日本人。その名前はいずれ漢字で形成されている。
そして、いずれも、姓名に同じ漢字、部首、あるいはつくりが複数個使われていたのだ。
伊君伊蔵なら、『尹』という漢字が姓名合わせて三つ使われている。月舘五朗は『月』、謙蔵権蔵は『兼』と『茂』。
とはいえ、それがわかったところで、過去の世界の意識体からたったの七人を特定出来るわけでもない。
何の意味があるのかわからないが、わかりようが無いし、やはりわかったところで意味は持たれない。
とうせ、時止めも出来ないのだから。
どうせ、七人の強制転送を止める手立ては無いのだから。
だからといって、出来ることが何一つ無いわけではなかった。
止めることは諦めるとしても、それなら、強制転送前に万全な準備を整えてやれば良いのではないか。
誰が対象となるかわからないのなら、意識世界の全ての住人に、事前に最強装備をさせれば良い。
結局のところ、管制室――集中管理意識体がしたことは、意識世界の時止め。そして、先発調査隊のそれとほぼ同じ機能を、全ての意識体に組み込むこと。
時間としては、たった数秒の作業が完了すると、あとは完全に見守ることしか出来なかった。
ちなみに、組み込まれた機能は、たったの一秒間だけその効果を発動する。
犠牲となる七人だけは、気付かぬままに発動したその機能とともに強制転送し、機能の一部は謎世界にて実体化するのだ。
ただし、一つだけ。活動限界機能だけは、組み込むものの、限界の設定だけは躊躇われた。
本当は、活動限界を永年に設定したかった。謎世界に強制的に転送させられても、再び元の意識世界へと帰還する可能性を高めたかった。
ただし、それは、いつまで続くのかわからない謎世界での暮らしを強要することに近い。
実体化された活動限界は寿命へと変わる。永年の場合、それは不老となる。
先発調査隊に組み込んだ機能の一つに、自己再生機能もあった。ただ、再生機能は実体化されることが無かった。
老いることはなくても、致命傷を負えば身体機能は失われ、死ぬ。つまり、不死ではない。
だからこそ、活動限界だけは、設定しなかった。出来なかった。
四百年前の意識世界の時止めが解除されたのは、七十七分と七秒前のことだった。
七へのこだわりは何なのかと、皮肉めいた苦笑やら舌打ちが飛び交う。
ただただ見守ることしか出来ないまま、時は十秒前へと至り、大型モニターではカウントダウンが始まった。
「……ゼロ」
誰かの心の声が漏れ出ると、大型モニターのカウントダウンが消え、七つの視界画面だけが残った。
いずれの画面も、絶命してからは暗転したまま。
しばらくすると、一つの画面が光を映した。
眩い太陽の輝きに目を逸らした、誰かの視界画面。
そこには、真っ赤に燃える大地が広がっていた――