150話 残滓くん
――戻ったことがわかると、アオイは直ぐに、大型モニターへと目を向けた。
其処に映るのは、目を瞑り何かを熱心に語る少年。そして、真剣な表情でそれを聞く少女の姿。
その光景に、一瞬だけ僅な笑みを浮かべると、次に管制室内を見回す。
誰もが、その目線を一心に、モニターへと注いでいた。
モニターに映る人物が突如入れ替わったことは、誰もが認識している筈。だから、アオイがこの場に戻ったことも当然、誰もが認識している筈だった。
だがそんなことよりも、この先の少年少女の動向が気になって仕方がないのだろう。
モニターに映る二人の行く末など、もはやアオイにも、この場にいる誰にも関係の無いことなのに。
何故なら、残滓とやらの消滅は既に確認されているのだから――
「まぉ、仕方ないか……」
一つ小さく息を吐いたアオイは、次に議論すべきことを考えつつも、少し前のことを振り返った。
――十分ほど前のこと。
「そ、それどころではありません! 今すぐに、残滓を……あの少年を、ここに転送してください!」
そう叫ぶのは、タロウの半永久社畜仲間の一人、カイン。
歩く無駄知識、歩く雑学王などと呼称される彼は、知識を披露する限られた時間以外は、それこそ気配すら感じないくらいに存在感が薄い。
自分から話を始めることもなく、感情の起伏もほとんどない。ましてや、大声を出す姿など誰もが想像すら出来ないだろう。
そんな彼が、まさかひどく慌てた様子で、大声で叫ぶとは誰も予想が出来ないことだった。
それ故に、何か非常な事態が起きていることは明らかだった。
タロウも、三人を問い質したいところを我慢して、状況の把握に努める。
「ここに転送したところで、解決出来るものなのか?」
「……わかりません。でも、今の状況は危険すぎます!」
「だよねっ! 残滓くん、青春してるねぇ! ――えぇ、まるで謀ったかのような状況です」
「がはは! 残滓、これから告るのか? 面白れぇ!」
タロウの問い掛けに、金髪の天然美少女、キィはいつもどおりの軽快さを見せる。
赤髪のマッチョ、コリーはいつもどおり豪快に笑う。
そして、普段は空気のようなカインだけは依然として焦りを見せていた。
「ほら、件の女の子が来てしまったではないですか!? ――ええぃ、話している暇などありません。レイレイさん、一刻も早く転送を!」
レイレイとは、集中管理意識体の愛称。人格の基となっているレイチェルをはるかに上回るその冷酷さから、生みの親のタロウが名付けていた。
カインの懇願に、レイレイは瞬時に応える。
ただし、演算速度が世界最高峰のレイレイにしてみれば、それは十分に熟考を重ねた結果だった。
「わかった。じゃあ、転送するから――後はよろしくね。アオイ」
「――――――ほぇ?」
中途半端に放出された声を名残に、ソファに深く腰掛けていたアオイの姿が消えた。
そして次の瞬間には、アオイが居たその場所には、別の少女が座っていた。
その少女は、直ぐに目を見開き驚く。
そしてその目には、同じく驚愕する面々が映ったことだろう。
そんな部屋の様子などお構い無しに、レイレイがモニターの向こうに入れ替わったアオイに告げる。
「少年の情報、全部、頭に入れておいたからね。あと、こっちもそうだけど、心の声も聞こえるようにしてあるから」
――モニターに映るのは、変わらず、残滓が入っていると思われる少年。
そして、向かい合うように立っているのは、先ほどその少年のもとにやってきたばかりの少女と入れ替わったアオイ。
十五歳の姿を保ち続けているアオイは、何の違和感も無く、少女と同じ制服を身に付けていた。
『――否定されたっていいじゃないか』
モニター越しに、少年のものか、あるいは残滓のものともわからない、心の声が聞こえる。
何やら思い詰めている様子の少年は、すぐに振り返ると、屋上のフェンス目掛けて走り出した。
「と、止めてください! 残滓は、災厄が持っていた『憎しみ』の感情なのです。
やつは、どんなに小さな憎しみも増幅させる――そう、誰かの命を奪うまで! それは他人の命でも、自身のものでも。そして、命を奪ったら、また別の誰かに乗り移る……」
カインの叫びはモニターに跳ね返ると、部屋の中に残響する。
すると、モニターの先では思いもよらない動きが見られた。
『壁谷裕幸!』
アオイが少年の後ろ姿に声をかけ、引き止めたのだ。
『――頑張れ、壁谷裕幸!』
そして、あろうことか、自らの命を絶とうとする少年の応援すら始めたのだ。
そんなアオイの様子に、レイレイが『ふふん』と嬉しそうに声を漏らし、言葉をかける。
「うん。たぶん、それが正解。アオイ、彼の全てを肯定して」
「そんな、まさか……本当に、飛び降りてしまいますよ!?」
カインの心配を余所に、モニターではアオイの肯定が始まった。
――残滓の行動に変化が生じ始めた。
それは全て少年の心の声、あるいは残滓の声が物語っていた。
「自分を殺そうとする、あるいは自殺しようとする人間を肯定することなんて、絶対にしないでしょう? 否定を養分に、その憎しみをさらに増幅させる……恐ろしい存在だね」
レイレイの解釈に、部屋の中には大きな溜め息が充満していたのだった。
――少女の微笑みを最後に、モニターはゆっくりと暗転を始めた。
続きが気になり『マジか!』と叫ぶタロウと、その目に涙を溜めて微笑むレイチェル。
そして、カインたち三人は、心からの安堵の表情を浮かべていた。
「どうでも良いんだけど。……私と入れ替わりに来たあの子、此処でずっと見てたんでしょ? 何か、言ってた?」
元の世界に戻るときには、管制室での記憶は消去された筈。
そんな彼女は、笑顔と共に彼の願いに応えていた。
此処ではどんな様子で彼のことを見ていたのか、ふと気になったアオイだった。
「うん……あの子、彼の心の――本当の声を、ただずっと真剣に聞いてた。自分に何が出来るだろうって、口にして、最後まで考えてるみたいだった」
レイチェルの答えに、アオイはまた微笑みを浮かべる。
「当然、ここでの記憶は無いんだよね?」
「もちろん。でもね、此処でもあっちでも、あの子はあの子だから。本当の言葉には真剣に向き合う……うぅっ、本当、良い子だわ……」
レイチェルが思い出し泣きを始めると、アオイは直ぐに話題を変える。
「――残滓とかいう危険な存在は消えた。じゃあ、説明してくれるよね?」
アオイの目線が、今度はしっかりと掴むように、カインたちを捉えた。
「――えぇ。全てを、話しましょう」
「任せたよ、カイン! ――えぇ、知を司るイケメン犬(笑)にこそ相応しい役割……」
「だな! ミドリは何故か正真正銘の緑になっちまってるしな。がはは!」
全てを丸投げされた――託されたカイン。
部屋の隅に置かれた観葉植物を一瞥すると、鼻から小さな息を吐き、その口を開いた。