144話 無力
一体何が……誰が、悪いのか。
無論、悪いのはあいつらだ。それでも……自分の無力さ、無能さに要因があるのも事実に違いない。
曇りきった空を一瞥すると、曇りきった心からは溜め息と嘆きだけが漏れ出た。
もう少しで、彼女が此処に来てしまう。
全く……彼女にとって、迷惑この上ない話なのだ。
僕に出来ることなど、あいつらの言うことを聞く他に無い。彼女だって、応えなど決まりきっているに違いない。
全てはあいつらの自己満足のため……そして、この先にどんな目論見があるのかは、考えたくもない。
何も出来ないままに、この日を迎えてしまった。
考えた。出来ることが無いか、ずっと、ずっと考えてきた。
でも、無かったんだ。結局、無力な僕に出来ることなんてただ一つ。
強者であるあいつらの言うことを聞くことしかない。
結局、為す術なく……あぁ……この時を、迎えてしまった。
『トッ、トッ……』
綺麗なリズムを刻む足音が、僕の正面、およそ三メートルほど離れた位置に止まった。
視界に入ったのは、彼女の真っ白いスニーカー。下ろし立てのように綺麗な白地には、所々に金色に輝く刺繍がされている。
お洒落で気品も感じるそれは、彼女に相応しいと感じた。
俯いたまま見つめていると、その足下からでも少し困惑した様子が見てとれた。
「話って、何……?」
僕の頭頂部に、彼女の……新宮優芽の透き通った声が降り注いだ。
彼女は、なんて優しいのだろうか。
ただ僕の言葉を待って、ただ応えるだけで良いのに。一切の建設性を持たないこんな無駄な時間に、少しの労力もかける必要など無い筈なのに。
それならば、僕がさっさと済ませれば良いのだ。
出来ることは、ただの一つ。たった一つの言葉をかけるだけ。
それしか、出来ないのだから。
一瞬だけ顔を上げると、彼女の全身を捉える。
腕を組み、その豊満な胸を強調した姿勢で、真剣な表情で僕の言葉を待ってくれていた。
再び俯くと、意を決して口を……開こうとした、その時だった。
何かが、僕の中で溢れた。そんな気がした。
曇りきった心に一筋の光が差し込んだ。そんな気がした。
そうだ……僕に出来ることは、たったの一つなんかじゃない。
否定されるのが怖くて、出来ないと決めつけていただけ。
誰にも肯定なんてされなくていいじゃないか。むしろ、否定されても仕方ないじゃないか。
そう、無力で無能な僕の存在なんて、もともと否定の対象でしかないのだから。
やるべきことを一瞬で変えると、最後に、彼女の姿を脳裏に焼き付けたいと思った。
全身を一瞥したら、すぐに踵を返そう。
フェンスに向かって走って、ただ、それを乗り越えれば良いだけ。
たったそれだけのことだったんだ。それが一番簡単で……そう、一番楽になれるんだ。
上げた僕のその顔は、もしかすると、にやけていたかもしれない。
真剣だった彼女の表情が、怪訝そうに、綺麗に整った眉をひそめている。
腕を組んだまま、控えめな胸部の前で、綺麗な人差し指は催促するように時を刻んでいた。
最後にまた、足下に視線を戻す。
すぐに踵を返して、走り出す筈だった。
筈だったのに……そこに、一瞬の戸惑いが生じた。何か、違和感を感じた。
いや、それは違和感なんてものではない。
決定的に、何かがおかしい。
彼女の足下を見たまま、僕の時間は一瞬、止まっていた。
彼女の足は、学校指定の、濃紺の革靴で覆われている。まるで購入したばかりのように輝く、濃紺の……革靴?
だがすぐに、僕のからだは時を刻むことを再開する。
そうだ、考えたって仕方がない。
考えるのも、何をするのも、全てを終わらせる。それが、僕のやるべきことなのだから。
彼女に背を向けた僕の表情は、すっかり晴れ渡っていた。
そしてやっぱり――にやけていたに、違いない。