133話 意識世界その3
世界保存機関は、取り決め事項を含む、移住計画の詳細を発表した。
すると、移住希望者は前回アンケート時の約二割から一割弱にまで落ち込んでしまっていた。
希望を取り下げた者の意見には、『期待していた世界と違うから』というものが多かった。
だがしかし、一番の要因は別にあり、そして誰の目にも明らかだった。
その当時、意識世界への移住に要する費用は、一人当たり日本円にして約五百万円。
当時の平均年収を軽く上回るその費用から、移住は容易に希望が出来るものではなかったのだ。
それでも、いずれ現実に何も残す必要が無いのだからと、財産を手放してまで移住を希望する者もいたのだが。
その他にも、人々が半永久的な生を望むに踏み止まる理由が多々あった。
その一つに、タロウが確立した『意識の情報化技術』が挙げられる。
その人の、そっくりそのままの意識を意識世界へと転送出来るということは、その意識を現実の人工体に宿らせることも可能ということ。
ただし、むやみに意識体を増やす行為を重く捉えた世界政府は、『意識体の重複を禁ずる』という法を制定した。
これは、意識本体があるうちは、その意識を他の人工体に宿してはならないというもの。
それでも、人々はその技術に大きな希望を見い出した。
意識を情報化して保存しておけば、その人がいなくなっても、その意識だけは残るのだ。
意識世界への移住と絶対的に異なるのは、その人自身――本体は死して意識本体も消失しているところ。
ただし、周囲の人間だけは、情報化した時点のその人の意識と、死ぬまで生を共有出来るのだ。
例えば、長年連れ添った最愛の配偶者に先立たれてしまった場合。
残りの生を独りでなく、残されたその最愛の意識と過ごすことが出来る。
その意識は、ただ端末に出力して語り合い、意識を交わらせるも良し。その人に似せた人工体に宿すも良し。
さらに、人より寿命の短い犬や猫などの生き物の意識でも、同様のことが出来る。
もちろん、その見た目までを完全に再現することは、当時の技術では不可能だったのだが。
情報化した意識は、移住民のそれと同様に、厳重なセキュリティのもとに保存がされる。
意識の情報化に要する費用は、一人当たり日本円にして約五万円と、移住と比べると格段に利用のしやすいものだった。
しかも、その費用は初期の登録時に必要とするのみで、その後は無償での上書きが可能。
さらに、宿り先は個人の別負担となるが、その出力費用は無償で、アフターサービスも万全だった。
実際、世界の人口の約七割を超える人間が、意識の情報化を希望した。
ただし、この技術の利用には制限もあった。
法により、意識を重複させることは出来ない。当然ながら出力先は一つのみとなる。
さらに、一度出力した意識はバックアップも残らず、出力先の意識体にしか存在しなくなる。
せめて意識だけでも半永久的に残したいと、そう願う者も多くいることだろう。
だがしかし、出力した意識の残存期間にも制約がつくられた。
それは、意識自身がその存続を望むまで、あるいは出力を実施した人の生が終わるまで。
意識体が現世に溢れ返ることを防ぐ措置であるとともに、意識を人の命と同等に取り扱うことの現れでもあったのだった。
――かくして、世界人口の約一割が第一陣として、意識世界へと移住した。
当初、政府は移住人口の目標値を、当時の世界人口の約二割に設定していた。ただし、それは計画開始十年後における数値。
予定どおり、移住希望者は年月の経過とともに増加することになる。
計画開始後、一割もの人口がいなくなった現世だが、その時間は何の支障もなく過ぎていった。
そして計画も、何の不具合も報告されることなくその経過を重ねていく。
先ずは、その安全性を危惧していた者たちが、次々と移住の希望を始める。
さらには、時間の経過とともに移住に要する費用削減も叶えられ、最終的には日本円で三百万円にまで落ち着いたのだった。
そして、計画開始から十年。
目論見通り移住者が世界人口の約二割に達すると、それ以上の希望は締め切られることとなった。
――タロウも、妻と娘と三人、意識世界への移住を完了させていた。
計画の提唱者である故、機関の総統を担うタロウ。自身を含む機関関係者全員に対し、二つの選択権を与えていた。
そのうちの一つは、もう一つの選択の大前提ともなるもの。
至極単純且つ人生を左右する大きな選択、『移住するか否か』である。
当然だが、半永久的にこの計画を持続するには、現世と意識世界それぞれで計画に携わる人間が不可欠となる。
だが図らずもその決断は、両世界でちょうど二分したのだった。
そして、もう一つの選択権。それは、移住を選択した場合のもの。
『通常の移住民として、一度目の生に限り、この計画に携わるか』
『年齢を重ねることなく、一生涯、この計画に携わるか』
機関の関係者として、移住後も、意識世界で計画に携わることになる。
前者を選択した場合――定年で機関を退職し、一度目の死を迎えると、例に漏れずに選択の場に導かれる。
そこで選択するのが現代か、あるいは過去か。それに関わらず、その記憶はリセットされ、機関と関わることは一切無くなるだろう。
もちろん、生まれ変わっても再び、機関への就職を望めば別であるが。
後者を選択した場合――移住後は情報の操作により、一切の年齢を重ねない。
一生涯、現実と同じ時が流れる現代意識世界で過ごし、記憶がリセットされることもない。
さらに、その生活に支障が及ぶことはない。
不老不死の化け物だと疑われることのないように、機関がつくった高性能人工意識という誤認がされるだけなのだ。
しかも、この選択をした場合、望めば身近な二人までこの条件が適用される。
もちろんそれは、親族や配偶者に限るが、一生涯を特定の人間と過ごすことが可能なのだ。
とは言え、やはり『一生涯』というのが、関係者の決断を大きく揺るがせた。
関係者の八割が通常の移住民となることを望み、後者を選択したのは、残る二割に止まったのだった。
ちなみに、タロウの妻レイチェル、そして娘のアオイは「後者一択!」と歓喜し、タロウ本人には選択権が与えられなかったという。
……それ、わたしじゃない?
いいえ。だってアオイさん、コタロウさんとレイさんの娘じゃないですよね?
――何事も起きないままに、計画開始から五十年もの時が経過しようとしていた。
意識世界の、機関本部の管制室では、密かに五十年経過のその瞬間を祝おうとする姿があった。
それは、タロウを始めとする、チーム一生涯の七人。大型モニターに表示されたカウントダウンは、いよいよ五秒前を示した。
「五――四――三! 二! 一! うおぉ――」
『ビーーーッ!!!』
両手を突き挙げ叫ぼうとする者、拍手を始めようとする者、指笛を吹こうとする者。
全員の気分が最高潮となったその瞬間――部屋にけたたましく鳴り響く警報音が、全てを上書きした。