132話 意識世界その2
意識世界への移住と聞いて、まず疑問に思うのは『意識世界では何が出来るのか』『何をするのか』だろう。
極論を言うと、何でも出来る。
ただし、不特定多数の人間が移住するとなると、そこには決まり事が不可欠となる。
決まり事のある世界、そこはつまり、現実世界となんら変わりがない。
よって答えは『現実で放棄あるいは国に納めた財産が手元に戻った上で、移住前と同様の生活を送ることになる』だ。
意識がある以上、感覚があるから傷付くと痛いし、致命傷を受ければ死ぬこともある。
飢餓状態にもなるし、それが死因ともなり得る。
意識世界でもやはり現実と同様の衣食住は必須であり、それを確保、維持するためには働いてお金を稼ぐ必要もある。
現実世界がスキャンされ続け、そこでは現世と同様の時が流れ続ける。
移住前の取り決めだけは意識世界特有のものだが、それを除くと、法律や規則は現世となんら変わりがない。
罪を犯せば罰せられるし、処刑されることだってある。
むしろ、あらゆる行動が情報として残ってしまう意識世界では、言い逃れが一切通用しない。
ただし、実際には死なないのだからと、わざと罪を犯す者が現れることも懸念された。
その措置として、現実世界へと引き戻し、現世で罪に処すること。さらには、二度と意識世界への立ち入りを禁ずることが考えられた。
では次に、意識世界で死を迎えたらどうなるのか。
本来それは、現世で仮死状態のまま保存されている本体へと還ることを意味する。
だが実のところ、一度死を迎えた移住民の取り扱いが、最も考えに苦しんだ点だった。
現実世界と決別した移住民は、意識世界に戻るしかない。
とは言え、死した移住民はその時点で、それまでつくりあげた居場所を失うことになるのだ。
技術的には、情報民を操作して死ぬ前と同じような環境をつくりあげることは可能だ。
だが、意識世界には世界人口の約二割が移住することになる。
一人一人に見合った環境を再構築するのは、困難を極めるのだ。
そこで、考えに考えた結果、二度目以降の人生を始める際には『選択肢』を与えることにした。
死を迎えて意識が途絶えた移住民を、本体には還さずに『選択の場』へと導く。
では、そこで何を選択することになるのか。
それは、『結局のところ、いつまで移住を続けるのか』という疑問への回答と重なる。
結局、移住を続けるかどうかも本人の意思――つまり、選択に委ねるのだから。
保存装置は、絶対に人の立ち入りが出来ない場所に安置するし、維持管理も半永久的に行われる予定だ。
そのため、地球が消滅でもしない限り、移住を望めばそれは半永久的に継続可能なのだ。
ただし、半永久的ということは、何百年、何千年という長い時を意識世界で生き続けるということ。
中には生を続けることに疲れ、本当の終わりを望む者も現れることだろう。
選択は、大義的には移住を『続ける』『終える』の二択となる。
ただし、ここで世界保存機関は、「その決定を移住民に委ねるとはいえ、偏に死を選ばせてはならない」という至極当然な意見を世界政府から呈される。
ただし、この意見は人道的な観点によるものであると同時に、超長期的な将来展望による一つの提案でもあった。
あくまで例外中の例外であるが、現実での地球上の人口がある一定値を下回り、社会機能維持に何らかの異常が生じた場合。
本人の意思を踏まえつつ、移住民を現実に還すことも考えるべきだというのだ。
元々、タロウも自分たちには他者の生を終わらせる権利など無いと思っていた。
だから、移住の終わりは、ただ意識を途絶えさせること。
意識世界との繋がりだけを切断し、仮死状態のまま無意識での保存を続けることを考えていたのだ。
結果――移住を終了することを選択した場合は、その先で『無意識のまま生き続ける』『完全に生を終える』の二択に分岐されることになった。
後者の選択肢は、揉めに揉めた末に追加したもの。
人は誰も、他者の生を終わらせる権利など持ち得ない。
そして、本当の終わりを望む者の死を拒む権利も、持ち得ないのだから。
選択肢に戻り、移住を継続することを選択した場合。
難しいのはこの場合で、移住民が意識世界で二度目の生を迎えるには、その環境づくりが課題となる。
そもそも、この計画は『移住』が目的であって『永住』を約束するものではない。
例えば移住するのが意識世界ではなく、月や火星と言った他の場所ならば、人は残された生を新天地で謳歌することに心血を注ぐことだろう。
意識世界とはいえ、本来なら一度の生を終えた時点で、本当の死を迎えて当然なのだ。
意識を戻して二度目の生を迎えるなど、自然の摂理に反するものなのだから。
計画の提唱者で、機関の総統を担うことになったタロウには、考えがあった。
二度目の生を迎えるというのは、つまりは生まれ変わるということ。
それなら、文字どおり変えてしまえば良いのだ。
意識の中の記憶だけをリセットして、赤子から生を始める。
意識世界の中でも子は生まれ続けるから、移住民のその意識を、その子に宿すのだ。
宿り先は、国籍を含めてランダムに選ばれる。
子どもが親を選べないのは現世でも当たり前のことだし、そこに他者との差別があるとは言わせない。
尤も、二度目以降、生のある内は前世の記憶を思い出すことは叶わない。
だから、そのときの人生の善し悪しを思い知るのは、再び『選択の場』に戻ってから、となるのだが。
そして、タロウの考えは加熱していく。
どうせ記憶をリセットするのなら、何もそこは、現世をスキャンした世界でなくても良いのではないか。
また別の世界をつくりあげて、そこに転送しても良いのではないか、と。
「別世界……つまり、異世界だ! ファンタジー要素てんこ盛りで、俺好みのおっとり巨乳美女なんかもいっぱいつくって――」
レイチェルに心身共にボコボコにされたタロウは、別世界を異世界ではなく『過去の世界』とすることに決めた。
……いいえ。だから、コタロウさんとレイさんのことではありません。
だってあなたたち、夫婦じゃないでしょう?
――タロウはすぐに、新たな技術を開発した。
それは、スキャンした現実世界の情報全ての時を、過去へと遡らせて顕現するもの。
遡る時間は、その時点から最大で四百年前までに設定した。
これにより、現代と四百年前の意識世界が、一本の時間軸で繋がったのだ。
結果、選択の場で移住の継続を選んだ場合。その先で、行き先を選ぶことになる。
選択肢は『現実と同じ時間の流れる現代世界』『過去の世界』の二つ。
前者を選べば、すぐに宿り先がランダムに選ばれ生まれ変わる。
後者を選ぶと、次には行き先の年代を選ぶことになる。ただし、それは四百年前までを五十年単位で分けた、七つの時代からしか選べないのだが。
それはただの管理面からの都合で、四百もの年にそれぞれ移住民を分散させるよりも、たった七つの時代に分けた方が、圧倒的に楽なのだ。
もちろん、選択する側もその方が選びやすいだろうと、そんな配慮も少なからずあったのだが。
行き先の選択を終えると、選んだ時代の誰かと誰かの子どもとして、その生が始まるのだ。