127話 世界の始まり
送り届けてくれた騎士団員に礼を言うと、七人は思い思いに帰りの移動手段が去りゆくのを見届けた。
振り返ると、見えない壁に向き合う。
ここでレイから、昨晩決めた段取りの確認がされた。
「アオイの力で壁を大きく切り取る。タコロスを先頭に、私、キィ、ロキ、シンジさん、おじいさん、ミュウ、アオイの順に立ち入る。
切り取った壁は、時間が経つと元に戻るらしい。もしもタコロス一人が入った時点で元に戻ってしまったら――タコロスとはここで永遠にサヨナラ。尊い犠牲ってことで、良いよね?」
「良いわけあーー」
「じゃあ、アオイ、よろしく」
もしかすると、これがこの世界で最後のツッコミになるかもしれない。
そんな想いの込められたコタロウ渾身のツッコミは、小悪魔のようにニヤけるレイに制止され、未遂のままに終わった。
立ち入る順番は、話し合いの末に決められていた。
もしかすると、一度に立ち入れる人数には限りがあるかもしれない。そんな不測の事態にも対応出来るよう、アオイの力を借りたレイが二番目に配置されることに。
それならお前が一番先に……と思うことすら許されないコタロウは、何故だか自然と先頭に配置されていたのだった――
アオイが右の手の先を見つめると、そこには黒い鎌のようなものが現れる。
「うわ……見えないナニかを刈り取る力って、鎌もちゃんと具現化されるんだ……。ねぇ、それで――」
「試しに俺の魂を刈るなよ?」
今度はコタロウがニヤけた顔で毒ボケを制すると、レイは眉をひそめて睨みを利かせる。
そんな二人のやりとりには構わず、アオイは右手の鎌を壁に向けると、地面から大きく半円を描くように動かした。
そして、次の瞬間――アオイは地面を蹴り、前方へと駆け出した。
予測も出来ない行動に、誰もが目で追うだけで止めることはなかった。
何もわからなければ、アオイが前方約二メートルの位置に駆け着けただけに見えただろう。
だが、アオイは間違い無く切り取った壁を通り抜けたのだ。
暫く呆然としていたコタロウだったが、自分が真っ先に立ち入ることを思い出すと、すぐにその足を動かす。
手を前方に差し出しつつ、先ほどアオイが抜けたその部分に駆け寄るが――コタロウの手は、見えない壁に触れた。
「マジかよ……元に戻るの早すぎだろ!」
壁の先では、アオイが内側を見回しているのが見える。
どうやら、見えない壁は視覚を遮ることはないことがわかった。
「……そっち側と何ら変わらないよ。そっちの声が聞こえるし、わたしの声も聞こえるでしょ?」
七人の大きな頷きが、アオイの問いの答えに代わる。
次に、アオイは振り返り壁に向き合うと、先ほどと全く同じ行動を取る。
今度は「ただいま」という声とともに、また壁を通り抜け戻って来たのだった。
見えない壁は、人と力の行き来を阻む。
変異種が一新すると、外側の壁は変異種の力を奪い討伐しながら移動する。
そんな特殊すぎる壁だが、通り抜ける力さえあれば自由に行き来することが出来るらしい。
入ったが最後、戻れないということは無いとわかり安心するも、アオイの行動はその場の全員に責められた。
たった数日の付き合いでも、同じ世界にやって来た言わば運命共同体。
しかも、世界攻略に大きく役に立つような力を二つも宿しているのだ。
ミュウから「死ぬのは勝手だけど、わたしたちの見てないところでやってよね」と言葉を掛けられると、心なしか表情を和らげたアオイは「ごめん」と呟き頷いたのだった。
改めて、アオイが壁を切り取り一人ずつ立ち入るという一連の行為が始められる。
予定どおりの順番で、最後にアオイが立ち入ると、八人はその歩みを中心へと進めた。
事前の情報では、中心への立ち入りを阻む壁は、直径が一キロメートルほどのドーム状につくられているらしい。
つまり、この世界の中心には、立ち入ってからおよそ五百メートルで到達するということ。
進むほど、遠目にぼんやりと見えていた青と緑の草原が、段々と迫り来る。
起伏の存在しない草原には、木々も一切生えていない。
見るも鮮やかなその光景は、だがあまりにも非日常的で、七人は一言も発さずにただ眺めて歩くことしか出来なかった。
七人の歩みは、四色の草原が交わる場所――世界の始まりに到達する。
あまりに幻想的なその地点には、遠目にも『二つのモノ』が浮遊していることがわかっていた。
近付き見ることで、それはサッカーボールほどの大きさの球体であることが判明する。
いずれも高さ一メートルほどの手に届く位置に浮いていた。
一つは、柔らかく温かい金色の輝きを見せる球体。
もう一つは、痛々しく冷たい、見るも悍ましい黒色に澱む球体。
前者に生を失った女神が、後者に力を失った厄災が封じられているであろうことは、誰の目にも明らかだった。
「もしも俺たちが、神が望む力を持っていたなら……ここで、女神を復活させることが出来るのか……?」
「――ていうか、なんか、思ってたのと違くない? てっきり神の声でも聞こえてくるかと思ったけど?」
「だよな。『汝の願いを言うが良い……』とか『我、汝の選択を見守るだけの存在なり……』とかな。もうちょっと待ってみるか?」
コタロウとレイの呟きに、誰もが周囲を見回しながら頷き待機する。
そんな中、ロキは一人腕を回し準備運動を始めるも、三狂女子の冷たく鋭い目線に止められる。
その場には暫く、球体と静寂だけが漂っていた。
体感で十分が経過したところで、七人からはすっかり緊張感が消え失せ、その場の黄色い草原に腰掛け始める。
「何も無かったな……」
「ほんと、拍子抜けも良いとこだね。どうしようか、取り敢えず……玉に触ってみる?」
「うっかりにでも厄災の封印を解いたらマズいだろ。まぁ、何もしないで帰るのもなんだし……触るなら、金の玉だろうな」
「じゃあ、言い出しっぺってことで、タコロスよろしく」
「いや、言い出したのはレイだろ!?」
「なに? まさかあんた、女子に『金玉に触れろ』とでも言うわけ?」
「関係あるか!? この女子、普通に金玉って言ってるし!」
ぶつぶつと文句を言いながらも、コタロウはゆっくりと立ち上がり、金色に輝く玉の前に立つ。
「不死のシンジが触るべきだよな……」
残りの不満を全て吐き出すと、コタロウは一度振り返り、全員の表情を一瞥する。
固唾を飲む男性陣とは裏腹に、女子三人がニヤけていた気がするのは見なかったことにする。
ただし、そこには見て見ぬ振りを許せない姿が一つあった。
それは腹を抱えて、大笑いしたいところを我慢するような――キィの姿だった。