121話 予知どおり
あっという間にも、ひどく長くも感じた出来事の後に、ミュウはその場に座り込んだ。
体の状態を確認するよりも先に、知り得た変異種の力を確認する。
「――口から発する音波を、まるでカマイタチみたいな斬撃に変えることが出来る。その音が高いほど鋭く、大きいほど威力が高い。音波の増幅機能も付属していて、音の出し方次第では百メートル先まで斬撃を飛ばすことが出来る」
力を口にしたミュウは、今度は目の前に両手をかざして、傷の状態を確認する。
激痛の走るその両腕には、まるで鋭利なふるいを押し付けられたかのような無数の切り傷が付いていた。
一目にはかなりの重症に見えるが、樹木に付いた痕とは異なり、血が滲む程度の浅い傷で済んでいた。
それも、力の強化で死ににくくなり、斬撃にも強くなっていたからだろう。
ふと、胸元を見てみると――着ていた衣類の上着だけが糸くずに成り果てていた。
ミュウの上半身は、こちらも切り傷で真っ赤になりわかりづらいが、胸元を含む全てが露わになっていた。
取り敢えず手で胸元を隠すと、すぐに足下を見回す。
「あのムカデ、切り刻まれちゃったかな……」
ブルドよりも真っ先に、先ほど見つけた虫を気にするミュウ。
そんなミュウの横からは、ブルドの豪快な声が傷口に浸みるほどに響いた。
「おぉ、姉ちゃん。あんたの丈夫さも大概だな!」
目線を上げその姿を見ると、ミュウと同じく上着の布地部分が切り裂かれていた。
丈夫な革でつくられた部分だけが、激しく損傷を受けつつも形を保っている。
一方で、短毛のダルンダルンな肉体には一切の傷も見られない。
体毛に守られたのか、柔らかい皮膚のおかげなのか、あるいは……。
その無傷なブルドを目の前に考え込んでいると、すぐにコタロウが駆け付けてきた。
「予知どおりか! って、すごい傷だな……。待ってろ、すぐに治してやるからな!」
コタロウが変異樹から得た『自己再生』の力は、その名のとおり自己の損傷した部分を再生するという優れもの。
ただし、再生には自身の生命力を必要とする。
先ずは自身の生気を消費し、倒れるほどに消費がされると、次には寿命を消費するという。
おそらく、掠り傷程度を寿命に換算すると数秒程度――というのがコタロウの願望にも似た推察だった。
さらに、この力は周囲の生命力を吸収するという恐ろしい面も持っていた。
自身の生気を最優先するのは変わらないが、それを消費してもなお再生が完了しない場合――次に自身の寿命を消費するよりも、周囲から生命力を吸収することを優先するのだ。
しかも、その次に優先するのが自身のではなく他者の寿命という、知られたら誰も近付いてくれなくなる恐ろしい力なのだ。
そんなコタロウの力――強化後には『他者の再生』が出来るようになっていた。
他者とは言え、生命力消費の優先順位には変わりが無いのだが。
ミュウの切り傷は、薄らと血が滲む程度とはいえ、相当に酷いものだった。
全身の傷跡が消えるほどまでに再生させると、コタロウは立つことも叶わず、「ぶひぃ」と声を漏らして仰向けに寝転んだ。
「お前の再生の力もすげえけど、俺の防御力もすげえだろ? ぶるっはっは!」
豪快に笑うブルドは、コタロウの目にも、一切の傷を負っていないように見えた。
ミュウは、胸元を手で押さえながら、体中の傷が消えていることを確認し始めた。
そんなミュウの姿から慌てて視線を外すコタロウ。
実は、自身の生気だけではミュウの完治は叶わないと踏んでいた。
無駄に生気が溢れていそうなブルドから奪う気満々だったのだが――ミュウのからだから傷が消えるにつれ、消費される生気の代わりに精気が漲っていたのだ。
それも仕方の無いことで……切り傷で真っ赤だった皮膚が、ほとんど日に焼けていない真っ白な美白肌へと変わっていった。
スレンダーなその胸元を、これまた小枝のように細い片手だけで隠すというエロス……。
疲れを忘れて再生を終えたところで、一気に体力の限界を思い出したのだった。
――などということを口走るのは、変異種と対峙するよりも危険な行為だと知るコタロウ。
目線を外すと、大人しく仰向けに目を閉じることに決めた。
「ブルド――さっき、防御力って言った? もしかして、ご先祖様が変異種を討伐したことがあるとか?」
ブルドに背を向けたミュウは、腰に巻き付けていた道具袋から麻製の手ぬぐいを取り出し、胸部に巻き付けた。
『布面積が少なく済んで良かったな!』
目を開けたコタロウが微塵にでもそんな目を見せたら何をしてやろうか。
そんなことを想像しつつ、ミュウはブルドへの疑問を口にする。
「おぉ、布面積が少なく済んで、効率的なからだだな!」
お前が言うんかーい!
口から出そうになった言葉と、からだから放ちそうになった殺気を抑えると、ミュウはただ睨み付けることに徹する。
コリーもそうだったが、こいつらはデリカシーを持つ習性が無いのだ。
最近、ミュウは便利な言葉を覚えていた。
こんな輩のことを『頭チナマッグ』『チナマッグ風』と呼ぶらしいのだ――
「俺んとこの、じじいのじいちゃんのおじいちゃんのおじいさまが変異種を討伐したらしいぜ? 一体だけど、俺の家系は、ほぼほぼ防御力が強化されるらしくてな。あれくらいの斬撃じゃあかすり傷も負わないぜ!」
何故に、世代を遡るほど呼称に敬いが増すのか。
また一つツッコミを入れたいミュウだったが、ぐっと堪えて話を進める。
「攻撃は最大の防御とは言うけど……。でも、さっきの体当たりを見る限り、その防御力を攻撃力に変えることも出来るんだね。ただのゴツい犬ころかと思ったけど」
「ぶわっはっは! 目付きだけじゃなくて口も悪いんだな。胸は小さいが――嫌いじゃねえぜ! ところで、変異種は逃げちまったけど、これで良かったのか?」
昨日、視界画面を見ていたミュウは、レイと精神的なダメージを共有していた。
どうやら、この世界は小ぶりなお胸の良さがわからないらしい。
「……あわよくばタコロス兵器を投入して討伐したかったけど……今回は相性が悪かったみたい。取り敢えず、予定どおり力を知ることは出来たから、任務成功ってことで。――ブルドは? 青の騎士団で討伐隊とかつくられそう?」
「どうだかな。取り敢えず帰って報告するが――俺らには厄介な相手かもな」
任務を遂行したミュウとブルド。
ようやく揺れの収まった大樹に背を向けると、北東端に向けて歩みを進めた。
こちらも予定どおり且つ予知どおりなのか――仰向けに横たわるコタロウは一人、声を発することも叶わずその存在を忘れ去られるのだった。