119話 青の国のブルドッグ
早朝――青の国の城下町イソラ。
ウッホ小屋で出迎えてくれた人懐こいウッホを見て、肉の口が蘇ったコタロウとミュウ。
涎が出るのをなんとか抑えると、目的地へと発った。
昨夜は神の家で質素な食事を取りながら、赤の国の様子を視界画面で見守っていた。
画面先では楽しそうな祭りの光景が延々と垂れ流されていたのだ。
何の肉だかわからない肉が炙られ汁を垂らす様に、二人は涎を垂らし見つめるしかない。
肉を求める口で、目の前の葉っぱやら豆やらを食しながらも、だが得られる情報にはしっかりと目と耳を向けていた。
その中でも目を見開いたのが、先祖と自身を合わせて四体もの変異種を討伐したという、マツリの身体能力だった。
垂直跳びは軽く百メートルを超え、重量十五キロ程度の幼女を上空百メートルまで放り投げるなどの離れ業を目の当たりにしたのだ。
さらに驚くべきは……というか、驚愕の事実なのだが――変異種を一体討伐したというマツリだが、それが直近の出来事で、壁が動いた後だったことが判明したのだ。
この事実で言えることが二つあった。
一つは、次の変異種の一新に向け、赤の国の変異種はよほどの理由が無ければ今後一切の討伐が不要だということ。
そしてもう一つ。壁の内側でも、身体能力を宿した住人が変異種を討伐すると、その力は討伐した住人に宿るということ。
力を宿した時点で、黒髪と同様に力の受け皿という存在へと変わったのだろう。
祭りに半ば巻き込まれたレイとシンジは、二日酔いから回復次第、次の行動を開始することになった。
それはもちろん、当初の目的である反発少女の復活。
こちらの動向は、目を瞑り休養を取りながら聞いていてもらえれば良いだろう。
――斜め通りをウッホ車で北東に進むこと三時間。
元々の北東端を通り過ぎると、五日前まで壁の外だった区域へと入る。
変異種の所在は、現在の北東端から南に三キロメートル程度の、壁の近くに位置していることがわかっていた。
青の国の騎士団も、拡がり後の調査を実施中らしいが、道の無いその場所には未だ立ち入っていないらしい。
斜め通りを二十分程度走ると、道の真ん中には現在の北東端を示す看板が現れる。
不可視な突き当たりには看板の他に、一頭のウッホと一人の男が立っていた――
「やっと来やがったな! ――強えヤツをこの目で見たくてよぉ、俺のアソコが疼いて溜まんねえんだ!」
ウッホの傍らに立つその男は、犬型の獣人。
モデルは……ブルドッグだろうか。皮のたるんだ、何とも愛嬌のある顔だが、そのからだはエグいほどに筋骨隆々だ。
男は、左の手のひらをグーパーさせてじっと見つめている。
きっと、疼いているのは左拳のことなのだろうが……アソコと言われてしまうと、何だかアレなのだ。
しかし……騎士団の団長って、こんなやつばっかなの?
コタロウは後頭部を掻くと、ミュウと顔を見合わせる。
『任せた』という表情か、あるいは『パス』という顔なのか。取り敢えず顎で指示されたコタロウは、大人しく団長に話しかけることにする。
「ブルドさん、だよな? 犬ころ……カインから聞いてると思うけど、俺がコタロウで、こっちのきょ」
「きょ?」
「……今日も可愛いこの子がミュウだ」
ついつい『凶悪そうな女』と言いかけたコタロウを、ミュウはまるで強化後のような人並み外れた反応速度で睨みつける。
二人の猛者相手に経験値を積みレベルを上げていたコタロウは、なんとか誤魔化し、事なきを得る。
「ああ、ブルドだ。二人の名前を聞いたんだが……おかしいな。ミュウは合ってるが、もう一人は『タコさん』と聞いたぞ?」
「合ってます。ところで、そちらは団長お一人なのですか?」
事実誤認を指摘しようにも、こちらも異常な反応速度でミュウに推し進められてしまう。
しかし……青の国の犬型獣人がブルドッグで、しかも名前がブルドというのは安易すぎる気がする。
しかもここで、コタロウは新たな説を考えた。
それは『各国の大神父と武の団長、同種族説』だった。
赤の国はオークで青の国は犬の獣人と、同種を確認済み。
今後、黄の国が猫の獣人で、緑の国が人間だったなら説立証だ。
「今日は、そうだ。何でもお前ら、力を知る力を持ってるらしいな? 黒髪と一緒に変異種の力を見るだけだから、『団長一人居れば余裕っすね!』って皆に言われてな。『そりゃそうだろう。ぶっはっは!』と、いつもより早起きして出て来てやったんだぞ!」
押し付けられた感が強い気がするが、何とも便利そうなキャラだから言わないでおこう。
そんなことを無言で伝え合い頷く二人。
目的地への道が整備されていないため、その場にウッホを待機させ、三人は壁沿いに徒歩で向かう。
疼いているという拳をバキボキと鳴らすブルドを先導に歩いていると、『あと八百メートルくらいだ』という声がシンジの視界画面から聞こえた。
マツリに酔い潰されたシンジは、昨夜の記憶を全て失っているらしい。
子づくりを望むマツリに何かをしでかした……いや、しでかされたのではないかと、コタロウが羨むような心配をするシンジ。
だが、それは全く無用な心配だったようだ。
相方のレイは、結果予知の力を駆使することでマツリをも潰し、祭りの覇者となっていたのだ。
そんなレイがマツリが潰れるまで見張っていたのだというから間違いないだろう。
「……森、だね」
「森、だな」
二人の視界には、少し前から鬱蒼とした木々見え始めていた。
ミュウは、その姿を肉眼で捉えるだけで力を知ることが出来る。
視力がかなり強化されることで、使い勝手も格段に向上しているのだが……見通しの悪いところでは最大限発揮することが出来ないだろう。
さらには、不安材料はまだあったのだ。
『くれぐれも気を付けてくれ。その場に居ないと、平面的な位置しかわからないからな』
シンジは、チマツリー村の地下にあるアカネの位置を知ることが出来た。
でも、それはその場に居たから、あらゆる角度の所在もわかっただけ。
シンジの居る場所からここまで数百キロメートルあるため、よほどの上空、あるいは地中でない限り上下の位置を正確に掴むことは不可能なのだ。
『あと百メートルくらい。うん――ミュウの目線の先で間違い無い』
「まだ、木以外には何も見えないんだけど……。まさか今回も樹木とかじゃないよね?」
「でも、視界に入ってれば力を知ってる筈だろ?」
「うん。まだ、記憶されてないから……。取り敢えず、もうちょっと近付いてみようか」
その言葉に、コタロウは不安しか覚えない。
ただし、その不安は森に入ってからずっと覚えていたもので、それが強まっただけだった。