112話 平凡以上の幸せ
アカネは、幼女の姿から同じ運命を辿ることになった。
ここで、予測し得なかった問題が発生する。
幼女の姿で一族の寿命を得るアカネは、その姿から一切成長しなかったんだ。
当然のように、アカネは十年も待たずに疑問を抱くことになる。
でも……先代たちは頑張った。
「若返りの犠牲になった幼女の家系は、死ぬまでその見た目が幼いらしいぞ?」
「日の光を浴びないし運動もしないんだから、成長しないのは当然だろ?」
「残念だが、乳が成長しないのも同じ理由だろう……」
姑息な言い訳を続けた結果――二代目アカネは、百年目に我慢の限界を迎えることになる。
続く三代目は、さらにその記憶が薄れていた。
村を守るという使命感以外はほとんど覚えていないくせして、一族の願いを阻止せよという何らかの想いは根強く残っていたらしい。
三代目アカネは、長の頑張り虚しく、先代よりも少し早い九十五年目に我慢の限界を迎えた。
「――それが、つい五年前の話。幼女の姿で四回目の運命を辿り始めたのが、お前――四代目アカネ……アタシの、妹だ」
語りを終えたマツリは、そっと目を伏せた。
アカネは、じっと口を結び、溜めた涙を流すのを我慢していた。
そんなアカネを見るマツリの目は、少し前から、実の妹を見る優しいものへと変わっていた。
レイも、目の前の儚げな幼女を見つめる。
改めてよく見ると、幼少期の自分に似ている部分もあった。
レイは、今の自分の目を『二重で、猫みたいですごく可愛い』と、控えめに評価している。
だが今のその目は、努力の結晶により得たものだったのだ。
中学校を卒業するまでは、一重で切れ長な目がコンプレックスだった。
卒業後、人目の付かないところで『目を限界まで見開き続ける』という行為を続けたところ、高校に入学する頃には今の可愛い目が完成していたのだ。
低俗な情報誌の記者達は、小・中学校の卒業アルバムを持ち出しては、何度も整形疑惑を面白おかしく記事にしてきた。
私は、何度その雑誌を破り、焚き火の燃料にしてきたことか――などという回想はどうでも良いとして。
そんな、幼少期の自分を彷彿とさせるアカネの目を見たレイは『今思えば、こっちはこっちでキツネみたいで可愛い……』と、こちらもどうでも良い評価をしていた。
そんなどうでも良いレイの目線には気付かず、アカネはようやくその顔を上げる。そして、睨むようにマツリを見た。
「この、大馬鹿者……が」
アカネは、マツリのことを叱りつけてやりたかった。
でも、目に浮かぶ大粒の涙がそれを邪魔した。
四代目ともなると、アカネはほとんどの記憶を失っていた。
目の前の、何代目だかわからない村長。この子は初代の自分の子孫で、今の自分の姉なのだという。
その見た目はおそらく、胸を除けば初代の自分そっくりなのであろう。その純真な性格はきっと、初代の自分が愛したという男性にそっくりなのだろう。
そして、やっぱり、次女のことだけは誰一人として思い出すことが出来なかった。
それは、きっと――
「一族の姑息な、ワシへの想い……なのじゃろうな……。なぁ、マツリよ……。お主は……お主らは、何故にこんなワシの幸せなどを望むのじゃ?」
「……アタシは、初代アカネの生い立ちとか、本当の想いとか、そんなのは知らない。アカネのことを愛したそのときの長だけが知っていて、敢えて語り継がなかったんだろうな。でも、そのときの長の想いならわかる。
アカネは、おそらく平凡を求めて壁の外にやって来たんだろう。ただの平凡が、アカネが求める幸せだったんだろう。アカネはこの村に平凡を与えて、この村で平凡を感じてきた。きっと、今の自分は幸せだと感じている筈だと、アタシたちはそう信じて、その平凡を守るアカネを守ってきた。
でも、本当は……アカネに、平凡以上の幸せを知ってもらいたかったんだ。平凡以上の、本当の幸せを望んでもらいたかったんだ。
この村にもいつか、本当の平穏が訪れる。それは、誰もが望むことなく訪れる平穏だ。誰もが、次には平穏以上の良い出来事、幸せを望むことだろう。
アカネはきっと、今度は村人の平穏以上の幸せを望み始めるに違いない。本当は、自身の幸せを望んで欲しいけど……でも、それで良い。その平穏以上の幸せを知って、少しでも感じてもらえるのなら。
だから……そのときまで、アカネに生きてもらいたい。それが、アタシたちの本当の望みだ」
マツリのその答えに、アカネは涙を溜め続けることが出来なくなっていた。
溢れる涙と共に、記憶の奥底に眠っていた想いが流れ出した。
「あぁ…………ワシは、幸せじゃったとも。ワシはずっと、平凡な人生に憧れておったのじゃろう。……平凡なら、人に傷つけられることも、嫌な思いをすることも無い。嫌みや妬みなど持たずに、人と想い合うことも出来るじゃろう。そんな平凡を……幸せを、ずっと、ずっと……ワシはこの村で感じておったのじゃ。
……村のためなんて、それは……嘘じゃ。ワシは、自分が幸せでありたいがために、壁の外にまで出て、平凡を見つけて……つくり続けてきたのじゃ……。
そんなワシなのに……そんなワシが、家族に想われて……幸せじゃないわけがなかろうが! これは平凡なんかじゃない……本当の、幸せなのに……。
あぁ、何故に気付くことも出来なかったのじゃ……。こんな運命が続くことも無かったやもしれぬのに…………うぅ……あぁ……わあぁーん!」
アカネは、溜まりに溜まった想いを流し続けた。
想いを流すアカネは、力と意思だけを与えられただけの、その見た目どおりの幼女なのだ。
マツリは、そんなアカネの肩を抱き、頭を撫で続ける。
レイも、もらい涙で視界を滲ませていた。
マツリの妹は……歴代の次女たちは、どんな気持ちで自身の運命を受け入れてきたのだろうか。
仕方の無いことだと、結局は最後までアカネの本当の幸せを願ったのだろう。
でも……きっと、目の前の幼女のように、涙を流したに違いない。
母の、姉の胸で、泣いたに違いない――
涙が落ち着くと、アカネは真っ赤な目で微笑んだ。
「全く……。お主らが悪い! などと言えるわけが無かろうが。その責は明らかにワシらの方が大きいのじゃろうて。ワシのこの力が、一族の寿命を奪ってきたのじゃ。ワシの想いに応える最善の与奪がそれだと、ワシの力が選んだのじゃからな……」
「まぁ、今更誰が悪いとか、そんなのどうでも良い。だって――世界が拡がったんだ! そうだ、もう既に本当の平穏が訪れてるんだ。
アカネも村人も、本当の幸せを望むことが出来る。アタシだってそうだ。今までの一族の分まで、限られた生を幸せにしてみせる!」
マツリは頭の後ろで手を組むと、豊満な胸をこれでもかと張り、笑った。
そのポーズは私への当てつけか? と、片眉を上げるレイは、同じ表情をするアカネと目が合った。
そう言えば、デリカシーを持ち得ない長たちは、先代アカネが貧乳だったと語り継いできた。
歴代の次女たちのからだが弱いのも、おそらくその栄養のほとんどを姉の胸部に奪われたからだろう。
この子とはきっと、運命的に気が合うに違いない。
二人は見つめ頷き合ったのだった――