107話 チナマッグ風
一週間前のこと。
マツリは、壁の近くに生息する一匹の子猫を見つけたと言う。
「あまりに可愛いから、連れて帰ろうと思ったんだけど……村の皆に反対されると思って、やめたんだ」
「そりゃそうだべ。どうせすぐ飽きて、他に人に任せんのが目に見えてんべ」
「そうじゃな。よくぞ思いとどまった、マツリ。偉いぞ!」
ハチベエとアカネの言葉に、レイは強い違和感を抱いた。
長なのに、猫を飼うのに許可が要るの?
しかも、年相応じゃない子供扱いされてない?
それに……壁近くの子猫って、何だか覚えがあるんだけど……。
「いい加減、子供扱いはやめてくれよ! それにアタシ、飽きっぽくなんてないからな! ――飼うのを諦めてからは、なるべく愛着が湧かないようにと思って、遠目で観察を続けたんだ。でも、五日前……今度は、強そうな熊を見つけてさ。そっちを見張ることにしたんだ!」
「たった二日で飽きてるじゃん!」
日常茶飯事なのか、誰も反応しないその場に、レイのツッコミだけが響く。
もしかして、この子もチナマッグ寄りなの?
そうか……私に似ているけど、知力として注がれる筈の栄養が、全てその胸肉に……。
きっとそうだ。そうに違いない。
「今日、子猫のことを思い出してさ。久しぶりに見に行ったんだけど……居なくなってたんだ。何かの動物の骨が目印で、いつもその近くに居たのに……」
はい、確定しました。
その骨はあの反発する女の子の、人骨ですね。
しかし……もしも本当に連れ帰ろうとしていたら今頃、マツリも骨と化して並んでいたのではないか。
飽きっぽい性格と、おそらく村人から『野良猫を無責任に連れ帰らない』『怪しいチナマッグには付いていかない』と言い聞かされてきたおかげで命拾いしたのだろう。
似た顔のためか、他人事とは思えないレイ。ホッと、大きな息を一つ吐いた。
「近くを探し回った結果、猫は見つからなかったけど……他のことに気が付いたんだ。斜め通りにブッ刺さってた、内側の端を示す看板。あれが、無くなってたんだ」
「おぉ。俺が引っこ抜いて、今の端に移設してやったんだぜ?」
ビエニカが胸を張り得意気に答える。
「何この、メチャクチャ強そうなオーク……。――あと、近くの草原が不自然に抉れてたのは謎なんだけど……」
「あぁ。俺が衝撃波を放ったら、派手に抉れたんだぜ?」
「何このチナマッグ……」
「誰がチナマッグだ!」
「そうだ! やけに親近感しか湧かないけどな、こいつは俺たち誇り高きチナマッグではない!」
つまり、ここに居るのは誇り高きチナマッグが一人と、チナマッグ風が三人。
そんな四人のせいで、この場はすっかりチナマッグ化してしまい、話が一向に進まない。
そんな折に、シンジが脱チナマッグを図るべく、まとめに入る。
「要するに――見えない壁が無くなっていることに気が付いた。それで、世界が拡がったことに気が付いた。そういうことだね」
要すると数秒で終わる話だった。
「そのとおり! ――って、あんたも黒髪かよ。しかもあんた……アタシ好みの良い面してんじゃねえか! からだつきも文句無し……。よし、アタシと――子づくりしようぜ!」
「……はぁ!? ちょっとあんた、冗談はチナマッグだけにしてよね!?」
前半だけなら『やっぱり、好みも一緒やーん!』と思うだけで済んでいた筈。
だが後半の、黙認など到底出来ないとんでも発言に、レイは大声で口を挟む。
「んだよ、貧乳の姉ちゃん。アタシの求愛を邪魔してくれるんじゃ……ね……え?」
更に、史上最大級の悪口に顔を歪ませるレイを見て、マツリの動きが止まった。
マツリはこの時初めて、冷静にレイの顔を直視したのだ。
「あんた、アタシに似てない?」
「気付いただか? 色は違うがそっくりだべ。ちいと年増……ゴホン。年増だけんど、目付きと威圧感はほぼ同じだべ」
信じられない悪口の連続に、レイは言葉も出ない。
『ちょっとそこのうっかり野郎! 咳払いして誤魔化すかと思ったら、何をまんま同じ悪口ほざいてるわけ!?』
代わりに、胸の内で激しい罵りを始める。
「ふーん……可愛いじゃん! え……なに? まさか二人、夫婦なわけ? ――アタシに似たその人を選ぶってんなら、まぁ、許せなくはないかな……」
「ちょっ……な、何を!?」
何を嬉しいことを言ってくれるのか。
『まさか、私たちが夫婦に見えるの? この子、やっぱり私に似て良い子なの?』
レイの胸の内は、激しい怒りから歓喜へと一変していた。
「そ、そうだ! そんなこと、あるわけないだろう!」
シンジも、レイに続いて否定を始める。
あぁ……事実誤認だけど、そんなに否定しなくても……。
でも――私も、マツリと同じかもしれない。
彼が、私に似ているこの子を選ぶのなら、それはそれで容認できるかもしれないのだ。
もちろん、判断基準が乳の大きさでなければの話だが。
「あ、そうなの? じゃあ、アタシと子づくりしようよ! そりゃ、黒髪同士も良さそうだけどさ……黒髪の力に、アタシの力が加わったら……ぐふふっ! 最強な子供が生まれること間違い無しだろ! なっ?」
「アタシの……」
「力?」
「――腰を据えて、話をすべきじゃの」
アカネのその一言に、レイ、シンジ、チナマッグ風の三人は、幼女の後に続き長の家へと戻った。
誇り高きチナマッグと言えば。
「壁の有無を確認するまで――俺は信じないからな!」
最後にそう口走ると、村人から「二度と来るなよ!」「迷子になるなよ!」と声を掛けられる中、ピューッと走りピョーンと跳んで、村を去っていったのだった。