104話 小悪魔スマイル
シンジは、一部始終をその目で見ていた。
同行者の動向を視界で捉えるという大義名分を得たシンジ。直視とまではいかないまでも、レイのことを常に見るようにしていた。
密かに彼女を思うシンジにとって、それはまさに暁光。
共に行動出来るだけでも嬉しいというのに、常に目が保養状態で保たれるのだ。
一つだけ気になるとすれば……それはコタロウから借りている視界画面に映る人物の目付きだろうか。
シンジが借りているのは、コタロウ自身の視界画面。
その画面は、ほぼいつも、同行者であるミュウの姿を映し出している。
コタロウを見る目がただキツいのか、あるいはレイに頼まれて、視界の先に居るシンジを監視しているのか……。
レイは、怒りに我を忘れる女性を演じ、ヤンチャな三人を煽り始めた。
思惑通りにその場が混乱するとすぐに、彼女はその美しい姿を消したのだ。
まだ日中という、彼女の『姿を消す力』が発動する時間帯。
もちろん、シンジにもその姿は見えなかったが、その力の所在で彼女の動きを追っていた。
次に姿を現したときには、マグサの背後を取っていたのだ。
しかも、彼女の代名詞とも言える『小悪魔スマイル』を浮かべて。
しかし……敵の油断を誘うためとは言え、あのときは本当にマジギレしているように見えたものだ。
レイのその行動に、シンジは感動すら覚えていたのだった――
前方に跳び距離を取ったマグサは、振り返り、背後の気配をその目に捉える。
「なん、だと……? お前は、さっきまであっちに居た女……? み、見えなかった……お、俺の目にも、見えなかったぞ!?」
はい、正解です。
私のゴキ……じゃなくて、姿を消す力で、文字どおり見えなくなっていたのだから。
茶番を終わらせたいレイが予知した『最善の結果』には、マグサの背後を取り可愛く微笑む自分の姿が映っていた。
予知などしなくても、どんな行動を取っても導けそうな結果ではあったのだが。
さて、と――この後はどうしようか。
その場の勢いでしか生きていないこいつらは、勝者が敗者に何かするだとか、そんな決めごとはしていなかった。
勝った負けたをただ騒ぐだけなのだ。
取り敢えずレイは、勝者が何らかの特権を手に出来ないものか、探ってみる。
「私が勝ったんだから……言うこと、聞いてくれるよね?」
レイは依然として、意図的な微笑みと共に、マグサに問い掛ける。
「ふ、ふざけるな! 誰が、お前なんかの……お前な……ん……っ!?」
先ほどまで目が泳いでいたマグサは、ようやくレイの微笑む姿を直視した。
すると、猛抗議していたはずのその身が、一時停止状態に陥る。
やはり……と、レイは複雑な思いを抱く。
レイは、自身の微笑みが人に威圧感を与えることを自覚していた。
――現世で、可愛すぎる棋士として脚光を浴びた私。
思ったことを物怖じすることなく口にする強気な性格に、メディアはこぞって『小悪魔すぎる』というキャッチフレーズを付加した。
小悪魔ランキングという謎の番付で、三年連続第一位となり殿堂入りを果たした私。
小悪魔とルビが振られるほどそのイメージが定着した私の微笑みは、『小悪魔スマイル』と呼ばれた。
そんな私はと言えば――ずっと、ずーっと、腑に落ちなかった。
実は、私は怖いものが大の苦手だった。
日本の幽霊、海外のゴーストや悪魔の類は、その言葉を聞くだけでも悪寒がするほどだった。
小悪魔ということは、その度合いが小さいものの、だが悪魔には違いないということ。
性格がキツいと自覚しているから、人間性が小悪魔と言われても何とか我慢出来る。
でも……笑顔が小悪魔って何!?
つまり、まぁまぁ悪魔的な笑顔ってことでしょ?
見るもおぞましい、あの悪魔の笑みに例えられるとは……。
そして、つい最近、追い打ちを掛けるような出来事があった。
本物の小悪魔スマイルを目にしたのだ。
どぎつい紫色で、しかも一つ目という恐ろしい形相の変異種。まさに小悪魔と言える生き物だ。
それが、最後に母親に向かって感動的な一言を発する際に、微笑んだのだ。
皆が感動で涙するときに、私だけは激しい悪寒を覚え、怖くて涙をしていたのだ。
つまり、私の小悪魔スマイルは、あれに匹敵する怖いものだということ。
もちろん、怖いものに耐性を持つ人も居るし、ミュウのようにあれを可愛いという猛者だって居る。
それでも――自分では可愛いとさえ思っていたのに、まさかこの笑顔が人に恐怖を与えていたなんて……。
そんな、私の微笑みを直視したマグサ。
その目に浮かんでいたのは、戸惑いや怯えの類。
それは、勝利ついでに威圧感を与えようという私の目論見どおり――だったのだが、すぐにそれ以外の謎の感情が色濃く現れ始めたのだ。
あの目は……そうだ。インプを見たときのミュウそっくりではないか。
そうか、こいつは悪魔耐性マックス……悪趣味なのだ。
じゃあ……この微笑みは逆効果だったか!?
激しい妄想を繰り広げるレイに、マグサが顔を赤らめながら口を開く。
「さ、さっきは油断しただけだ! てっきり二人がかりだと思って……ひ、卑怯だぞ!」
その一言に、一気に冷静を取り戻し、さらにブースト状態にまで戻りそうになるところを何とか堪える。
「あんた……何人がかりでも良いって、最初に自分で言ったよね? ……その尖らせた口、切り落としてあげようか?」
微笑みをキープしたまま、威圧感だけは保とうと、少し睨みを利かせてやる。
すると、マグサはその顔を真っ赤にさせ、俯いてしまった。
悪趣味で、しかもどMだったとは……。
このまま喜びを与えるだけでも、言いなりになるかもしれない。
ただ……先ほど反論してきたように、さらなる施しを求めてくる可能性だってある。
そう考えたレイは、一瞬で名案を思い付いた。
「……わかった。あんたにチャンスをあげる。五十秒以内に私に触れることが出来たら、あなたの勝ち。触れることが出来なければ、私の勝ち。
負けた方は、勝った方の言うことを何でも、一つだけ聞く。これでどう?」
私の『姿を消す力』は強化を得たことで、誰も触れることの出来ない完全な透明人間になれるのだ。
残り時間は三分ほどあるし、負ける筈が無い。
ここで完全に勝利することで、拡がりの事実を言い聞かせるつもりだった。
すると、マグサは何かを考え始めた。
というか、ニヤけているから、何を考えているかはわかる。
きっと、『あんなことやこんなことも……?』などと、小学生レベルのいやらしいことを考えているに違いない。
「……何でも、だと? そ、それはつまり、あんなことやこんなことも……?」
やはり。どうせ叶わぬ願いだし、どうせスカートを捲るとかそんなレベルのやつだろう。
そう思いつつ、レイは後悔していた。
言い聞かせることを二つにしておけば、もう一つで僕にすることも出来たかもしれないのだ。
いや……そうか。
初めから僕にすれば良いのだ。
そうすれば、勝手に拡がりの事実も信じる……。
「――決めた。その勝負、受けて立つぜ! もしも俺が勝ったら……お前を、俺の正妻にしてやる!」
「――はい?」