103話 レデーブースト
長の家を出てすぐのそこは、円形の大きな広場。
丈の短い真っ赤な草が、芝生のように生え揃っている。
一足先に外に出たマグサは、その中央で不敵な笑いを浮かべ、仁王立ちしていた。
「おい、お前ら。よく見とけよ!」
マグサは少し膝を折ると、両腕を大きく振り、その場でジャンプをした。
――垂直跳び。成人男性の平均は、五十五センチメートルくらいか。
それが、まさか……レイは、マグサの跳んだ先を、首を動かし見上げていた。
「なん、だと……? ご、五十メートルは跳んでやがるぞ!?」
ロキが驚愕するのも無理はない。
重力に逆らい五十メートルほどの上空に浮かんだマグサは、直ぐに重力に従い落下を始め、『ダンッ』という大きな音とともに着地する。
あの高さまで跳べるということは、物凄い脚力をもっているということ。
つまり、あれほどの高さから落下しても、その衝撃に耐えることも出来るということ。
冷静に分析するレイを余所に、ロキとビエニカは目を輝かせて盛り上がる。
「お前、すっげえな!!」
「おぉ。さすがの俺でも、あそこまでは跳べねえぞ!」
「なっ、俺、すげえだろ? ――そんでよぉ、この村にはピューッて走ってピョーンて跳んで侵入したってわけだ。どうだ、思い知ったか!」
「あぁ、すっげぇ思い知ったぜ!」
「おぉ、久しぶりに思い知ったぜ。がはは!」
久しぶりに思い知るってどういうこと?
たしかに、私も少しは思い知ったけど……この村、この人対策してないの?
この村の囲いを五十メートル以上高くしないといけないから、難しいのはわかるけど……。
あぁ、そうか――アカネ様の、予言の力で平穏が保たれているから。
こいつがいくらピョーンと跳んで侵入しようが、この村には平穏以外の何も訪れない。
だとしても……いつも、どのような結末を迎えるのだろうか――
動いたのは、レイのすぐ隣に立っていたハチベエだった。
何も言わずに広場に立ち入ると、マグサと対峙する。
「悪いけんど、今日もアカネ様は不在だべ!」
「……え、嘘、今日も!? ――ちっ。どうやら無駄足だったようだな。また来るから、次来るときは居るように言っておけ!」
マグサは腕を大きく振りかぶり、勢いよくハチベエを指さした。
そして直ぐに、回れ右をする。
……え? まさか、本当に帰るわけ?
まさかの展開に唖然とするレイ。
そっとハチベエに走り寄ると、小声で確認する。
「まさかと思うけど、いつもこんなやりとりで終わるわけ?」
「んだ。あいつ、すんげぇアレなんだべ」
「あぁ、ロキみたいなアレってことね。……まさかと思うけど、昔からずっと?」
「んだ。おらほらも、あいつらも。ご先祖様の代からずっとずーっと同じやりとりだって、そう聞いてるだ」
「あはは……」
もっと血生臭い侵攻で、血祭り的な現場をイメージしていたレイ。
思わず顔を引きつらせて笑ってしまう。
「――ちょっ、待てよ!」
颯爽と立ち去ろうとするマグサを、ロキが呼び止める。
そうだ。帰るのは結構だが、ここで拡がりの事実を知らせるのが最も効率的なのだ。
さすがのロキも、任務を思い出したに違いない。
そう思ったレイは、だが信じられない言葉を聞く。
「俺たちとの勝負がついてねぇぞ!」
「そうだ! 逃げんな!」
えっと……あんたら何か、勝負してましたっけ?
顔を引きつらせたまま頭を抱えるレイ。
当事者以外、周りの五人も皆、唖然としてその光景を見つめていた。
「そ、そうだったな。だが、しかし……俺とまともに戦えるのは、マツリくらいのもんだぜ?」
「祭り、だと? そんな面白そうな祭り、いつ何処で開かれんだ?」
「ゴロツキ、お前は馬鹿か! 決闘を申し込む。それが祭りの始まりだろうが!」
「さっすが団長! ……って、誰がゴロツキだ!」
ハチベエを見ると、溜め息混じりに首を振っている。
うちの低俗が、チナマッグのそれを下回った瞬間か。
「何言ってんのかわかんねえが……良いだろう。そう、だな……けけ……けっはっは! 良いこと思い付いたぜ! 二人がかりでも、何人がかりでも良い。俺の背後をとってみろ! それだけで、お前らの勝ちを認めてやろう!」
「なんだと!? そんな簡単なことで良いのか? ……いやいや、殴り合おうぜ?」
「がはは! わざわざ自分の土俵に誘ってくれてんだ。それで勝てばただの勝利じゃねぇ。大勝利だぜ!」
「そうか! さっすが団長だぜ!」
目の前で追いかけっこを繰り広げるのは、幼児並みの知能を持つ三人の成人男性。
だが――マグサは口だけの男ではなかったようで、その脚力から繰り出される動きは相当なものだった。
衝撃波を放ち進路を妨害するロキ、意外と俊足なビエニカも、赤い草を撒き散らすだけで近付くことすら出来ない。
「くっそ! ちょこまかと、うっぜえやつだ! 団長、何か良い策は無えのかよ!」
「うっせぇ! あったらやってらぁ!」
息を切らす、大きい幼児二人。
もう一人の大幼児は、涼しい顔に低俗な笑みを浮かべていた。
図らずも、ロキたちがこの戦いに勝利すれば、拡がりの事実を信じてもらえるかもしれない。
それでも、ただの時間の無駄だとしか思えないレイは、目の前の茶番を終わらせることにする。
「ねぇ、マグサ。私、あなたが上空に跳び上がるの、もう一回見たいなぁ!」
「何だお前は! こっちは忙しいんだ。話しかけるな!」
精一杯の可愛い声でお願いするレイには見向きもせず、悪態だけを向けるマグサ。
遂に、レイの我慢は限界を迎える。
「――良いから、跳びなさい。ロキは、そいつが跳び上がって落ち始めたら、衝撃波を放ちなさい。空中じゃ身動き取れないでしょ? ビエニカ、あんたは落下地点で槍を構えて立ってるだけ。――はい、早くして」
この村に来てから、レイには腑に落ちないことだらけだった。
胸の内で何かが溜まり続け、今にも破裂しそうだったのだ。
『レデーブースト』
視界画面から聞こえてきた謎の言葉。
まさしく今の私の状態を指すのではないか。
オーク超えの威圧感がさらにブーストし、誰もその言葉に逆らうことは叶わない。
「は、はい……じゃあ、俺、跳ぶよ?」
「お、おぉ。じゃあ俺は、衝撃波を放つけど……当たっても、死ぬなよ?」
「じゃあ、俺は落下地点で槍を構えてるから……突き刺さるけど、死ぬなよ? ――って」
「「「やるかっ!!」」」
大幼児の総ツッコミが広場に轟いた。
次の瞬間――
「はい、私の勝ち」
いつの間にか、マグサの背後を取っていたレイ。
勝ち誇った顔で微笑んでいたのだった。