102話 マグサ
世界の拡がりを知らせることで、チマツリー村にどのような変化が訪れるのか。
本来なら、それは私たちには関係の無いこと。
ただし、この村に黒髪が居ることを知った以上、それは関わるべき事物へと変わってしまった。
アカネ様という黒髪は、予言の力で生き存えると共に、この村の平穏を守り続けてきた。
村が壁の内側に位置したことで、今後はその予言も不要となるに違いない。
ただし、ここで唯一問題となるのが、チナマッグ村の襲来だった。
とは言え、チナマッグにも拡がりの事実を知らせれば済みそうな問題ではあるのだが……世界が拡がったという嘘を吐き続けてきた低俗な連中、それがチナマッグの民なのだ。
レイは、今後の動向を謀るためにも、先ずは状況を確認することにした。
「ねぇ、エビカニ。この後、チナマッグ村にも知らせに行くわけ?」
「俺はビエニカだ! ――チナマッグ村って、そもそも何処にあるんだ?」
機密情報ではないからか、村人は素直に『東の山奥』と答えた。
ただ、その村人が強面のオークには微塵の怯えも見せないのが、レイ的には解せなかった。
「じゃあ、俺らじゃなくて北部調査隊の仕事だろうな。あっちの隊長は知の団長なんだ。――なんか、俺らと逆の方が良かったかもな。がはは!」
低俗そうなチナマッグ村には、武力担当の自分たちが相応しい。
それは誰の目にも明らかだったが、まさかビエニカ自身にもわかっていたとは。
どうやら知能が幼児以下のロキよりはマシらしい。
「それでその、アカネ様は一体何処に? あと、村長も――」
レイが確認したかったことを、シンジが代わりに口にした、その時だった。
「それ、俺にも教えてくれや。けははっ!」
突如聞こえてきたのは、これまで部屋の中には存在しなかった低俗な笑い。
声のする方――部屋の出入り口を見ると、そこにはいつの間にか、一人の男が立っていた。
年齢は二十歳くらいだろうか。
レイは、瞬時にその男を見た目だけで判断する。
――結論から言うと、好みのタイプではなかった。
まずはそのファッションから。
上半身は、裸の上に何かの毛皮をノースリーブのベスト風に羽織っている。
バキバキに割れた腹筋と、ムキムキな上腕二頭筋を見せつけたいという魂胆が見え見えだ。
でも、かなり引き締まった細マッチョな体つきが、私好みであることは認めよう。
下半身は麻製のゆったりした長ズボン。こちらは機能性重視なのだろう。
燃えるように赤い短髪は、だが――何故か前髪と襟足だけが長めに伸ばされている。
親に言われるまま何の疑問を抱くこともなく、今の今まで続けてきた親孝行か。
あるいはチナマッグで流行っている髪型なのか。
そして、最も重要なのがその顔面だ。
実に彫りが深い顔立ち。意外にも、つくりだけで言えば、その低俗な笑いからは想像出来ないようなイケてる面子だった。
だが結果は、百点満点中で七十五点。
ヘラヘラと間の抜けた表情と、私の好みからは大きく外れた髪型が、大きな減点対象である――
一瞬の沈黙の後に、部屋中がその侵入者にざわつく。
「ま、マグサ!? また来やがったな!」
「んだ! よぐもまぁ、毎度毎度、チナマッグから遠路はるばるお越し下さりやがって!」
「頭領のくせに、暇人か!」
どうやらこの侵入者は、噂のチナマッグ村の、しかも頭領のようだ。
そして、その名はマグサ……やはり、村名の由来は『血生臭い』で合っているようだ。
しかし、その若さで頭領ということは――世襲制か、顔で選ばれたか、あるいは嘘吐き選手権優勝者とか……それはどうでも良いとして。
こんなところまで侵入されておいて、村人の緊急事態感が希薄すぎる気がする。
一応、黒髪の力を求めるという大義名分があるのだから、暇人と言ってやるのもどうかと思うのだが……。
「これ以上、チナマッグの侵入を許すな!」
「んだ! 此処はいづも通り、おらほとカサブに任せろ! お前らは門を守るだ!」
カサブ……瘡蓋……?
ハチベエとカサブを除く村人たちは、一斉にマグサの横を走り抜けると、外へと出て行った。
一切の妨害をしないマグサ。ただ立ちすくむマグサの横を、ただ走り抜ける村人たち。
レイは得体の知れない違和感を感じたが、それよりも問題は、残った二人の村人だ。
一人は、うっかり家系のハチベエ。
もう一人は、とても腕が立つとは思えない、むしろ色白で痩身のカサブ。
いつも通りの二人だと言うのだが……不安要素しか無い人選だ。
とは言え、レイが問題視しているのは村人のことだけ。
この場に問題は皆無だと安心しきっていた。
何故なら、ここには知力が幼児以下の代わりに、武力に能力値が全て振られた、ロキとビエニカがいるのだから。
「おい、てめえ! どうやってここまで入って来やがった!?」
門番を倒して侵入した、と考えるのが普通なのだろうが――その姿を見るまで、誰もが一切の騒ぎも耳にしなかったのだ。
珍しくまともなことを問い掛けるロキに、その場の誰もが驚く。
そんなロキを見て、マグサでさえも驚いた顔をしていたのだが、その理由は一人異なったようだ。
「お、お前ら……見ねえ、顔だな。まさか……世界が拡がった、とでも言うのか……?」
もしかすると、このマグサとかいう頭領も、拡がりの事実に勘づいていたのかもしれない。
そして、初見の私たちを見ることで、確信へと変わった……?
「おぉ、気付いてたのか? 話が早くて助かるぜ! そうだぜ、拡がったから、さっさと帰って他のヤツらに知らせてやれ! がはは!」
「……う、嘘を吐け! だ、誰がそんな低俗な嘘を信じるか!」
マグサの信じられない一言に、その場の全員が口を揃える。
「「お前が言うな!!」」
あのロキでさえ、このときばかりはツッコミ役に回っていた。
視界画面の先でも、コタロウとミュウが激しいツッコミを入れ、目の前の老人の寿命を縮めていた。
やはり、チナマッグは低俗な連中で間違い無かったのだ。
きっと、見ない顔を寄越しては、『世界が拡がった!』という嘘と共に、チマツリーを襲ってきたのだろう。
見ない顔を見ると、世界の拡がりだと思い込む。マグサは、そんな嘘と、長い襟足と共にこれまでを過ごしてきたのだろう。
だから、拡がりの事実を嘘としか認識できないのだ――
総ツッコミに襲われたマグサは、状況が掴めずに狼狽え始める。
この男に拡がりの事実を信じさせるのは、骨が折れそうだ。
どうすべきか、レイたちが頭を使うその一瞬の隙をつき、ロキが暴走を始めてしまう。
「そんなことより、どうやって侵入したんだよ!」
いやいや、あんたの仕事は拡がりを知らせることでしょ?
この人、知らせる対象の村の、しかも頭領だよ?
この人が信じれば、任務完了なんだよ?
「――俺が、どうやってここに入ったか? ……けっはっは! 仕方無えなぁ。教えてやるから、表に出ろや!」
まるで『俺に付いて来い!』と手招きしながら外へと出るマグサに、ホイホイ付いていくロキとビエニカ。
呆れて身動きの取れないレイたちは、『あの二人だけで良いよね?』と目線で確認し合い、ため息混じりに頷く。
だが、これ以上の面倒事は避けるべきだと思い直すと、重い足取りで三人の後を追った。