09話 日暮昌晶『人の幸せ』
『完膚無きまでの復讐』のスキルを得た女性の画面が暗転した。
最後に見えたのは、いやらしい笑みを浮かべたチャラそうな男の顔。
きっと、この復讐女の首を絞めて殺そうとした、元恋人の顔なのだろう。
「しっかし……マジでリアルだな。結果予知はやばすぎるだろ。あの子が自分の目で見てるのかわからないけど、俺にも見えるって……うぇっ、思い出すだけで気持ち悪ぃ……」
謎の生物に頭を割られる瞬間。そして、ホルマリン漬けにされている姿。
いずれもトラウマレベルの光景だった。
「でも……異世界モノにはバトルがつきものだからな。これからリアルな死体も……どうすっかなぁ、モザイクでもかけるか? それとも、可愛いアニメタッチでデフォルメでもするか?」
今後の対策は後で考えるとして――二つの真っ暗な画面と、四つの一時停止された画面を同じ大きさにする。
「我ながら良いところで止めたよな。続きが気になって仕方無いわ。でも、じいさんだけまだ目覚めないって……もしかして、目を覚ます前に誰かに殺されたとか?」
五人の物語をそれぞれ良いところまで見て、既に二時間は経過している。
だが、一向に暗い画面が続いていた。
「緑、赤、そして青か。今のところ草の色だけだけど、エリアが三つあるっぽいのがわかったな。とすると、じいさんは青いとこかもな。
……さてと、どこから続きを見るか……まさか、あの少年が恋愛要素を取り込んでくれるとはな。でも、異世界での第一印象は最悪だったな。
復讐女は生き返るまで見れないし。結果予知とカリスマも気になるけど……やっぱ、ここから見るか」
『絶対的強者』とタイトルを付けた画面の一時停止を解除しようとした、そのときだった。
真っ暗だったじいさんの画面に、真っ青な空が映ったのだ。
「なんだよ、老人って漏れずに早起きだと思ってたけど。まぁ、いいや。どれどれ、草の色は……やっぱり青か。じゃあ、二人ずつ同じエリアにいるってことだよな。
しかし、組み合わせもなかなか良いじゃん。
緑エリアには頭脳戦を繰り広げそうな美女美男。赤エリアには、最強の矛を持った少年と、最強の盾を持った少女。そして、青エリアには復讐を願う女と、人の幸せを願うじいさん。……面白くなってきたぜ!」
目覚めは良いのか、じいさんの目線はすぐに立ち上がり、青い草原をゆっくりと歩き始めた。
『バスに乗っていたはずなのに……寝ている間に何が……』
そう言えば、他の五人のうち三人は都合良く自分の名前を呟いていた。
とは言え、どうせ画面にはスキル名しか表示しないため、名前はどうでも良かった。
『わたしは、日暮昌晶……どうやら記憶はあるようだ。帰りのバスで目を閉じて、気が付いたらここに……しかしこんな光景、テレビでも見たことが無いぞ? もしかしてあの世なのだろうか』
どこかわからない場所を、だがその足を止めずにじいさんは歩き続けていた。
『あれは、道か?』
その目線は、地肌が露出した地平線まで伸びる道を捉えた。
そして、
『ん? 何かが、落ちている?』
百メートルほど離れたその道のすぐ脇に、何かを見つけたようだ。
「おいおい、やめろよな? すっげぇ、何か嫌な予感がするんだけど……」
俺の予感は当たった。というか、それしか思い浮かばなかったのだが。
それは、復讐女の亡骸だった。
首をへし折られ、頭部と胴体は皮か肉かでかろうじて繋がっている。
夥しい量の出血は既に終えており、真っ白に変わり果てたその遺体の目は、何かを呪うように大きく見開かれていた。
『うっ、うぐぇ……』
凄惨な光景に、じいさんはその場に嘔吐したようだ。
「うっ……」
真っ暗な空間に実体があるのかわからないが、俺もその場に嘔吐した。
何とか吐き気を抑えながら、じいさんは再度その遺体を視界に入れる。
『この子は……バスに乗っていた女の子じゃないか!?』
変わり果てたその姿では、とてもじゃないが見分けが付かないだろう。
おそらく、全身真っ黒なその不気味な格好で気が付いたに違いない。
『あぁ……何が、あったんだ? 何でこの子がこんなところで死んでいる? 一体、何が……誰がこんなひどいことを……』
亡骸を捉えるじいさんの視界に両手が映り合掌されると、すぐに視界が暗転する。
復讐女を弔っているのだろう。
十秒ほどで視界が開けると、
『何か掘るものは……無いよな。せめて、草をかけてあげよう』
じいさんは亡骸の足を持つと、青い丘へと引きずり始めた。
途中で頭部がちぎれてしまったが、じいさんは構わずに、まずはその胴体を丘の上まで引きずり終える。
丘を下ると頭部を拾い、胴体のすぐ上に置いた。
死後硬直のためか、その表情も、手も動かせないようだった。
じいさんは青い草を毟り始めた。根が浅いのか、あまり力を加えること無く毟ることができるようだった。
それほど時間をかけることなく、遺体はすぐに青い草で覆い尽くされた。
『可哀想に……せめて、安らかに眠って下さい。あぁ……こんな老いぼれが生きて、若人が先に逝ってしまうなんて……』
じいさんはまた合掌すると、目を閉じた。
『残りの人たちは無事だろうか……どうか、バスに乗っていた人たちが無事でありますように。もしも死んでしまっていたら……あぁ、こんな老いぼれの命で良ければ、いくらでも与えます。だから……だから、みんなに生を与えてください!』
その瞬間、真っ暗な世界が崩壊を始めた。
暗闇がひび割れ、その隙間から光が差し込む。
「おい、嘘だろ!? 生を与えてください、って……俺、生き返っちまうじゃねぇか! やめろ、まだここに……もっと居させてくれ――」
瞬きをすると、世界が変わっていた。
見えたのは、どこかの天井。
その他に、この場所を特定する確定的なものも見えるが、一旦置いておく。
仰向けのまま、顔を横に向けた。
壁には大きな旗と肖像画が掛けられている。
逆方向を見ると、椅子に座り、壁に向かって熱心に祈りを捧げる獣人の姿が見えた。
――あぁ……生き返ってしまった。
まさか、じいさんが復活の呪文を唱えるとは……でも、早すぎだろ!
せめてこの世界のことをもっと知ってから……しかも、みんなの物語を良いところで止めてたんだぞ!?
って……ここでも見れたりするのか?
暗闇の世界でやっていたように、目の前に画面をイメージした。
すると、これまでと同じように、そこには六つの画面が現れた。
――良かった……それに、うん。俺以外には見えないみたいだ。
よし。とりあえず……目の前の問題をどうにかしよう。
瞬きの後に映ったのは、神の家の天井。
そして、俺を覗き込む山羊の神父の顔だった。
肉眼だと、その顔はさらにリアルだった。
ちゃんと毛繕い、あるいはシャンプーとリンスをしているのか。撫でたくなるような綺麗な白い顔の毛。
だが、草食動物特有の離れた目、そして角は本物のそれで、全く可愛らしさが感じられない。
――俺、目を開けてるし、何よりさっきからずっと目が合ってるよな? なんでこの神父、全然驚いてないんだ? まるで俺が生き返ることがわかっていたみたいじゃないか。
それもそうだけど……何か喋れよ!
何? このままずっとにらめっこが続くのか?
心の声が聞こえたのか、神父はその口を開いた。
綺麗な白い歯を見せると……歯ぎしりを始めただけだった。
「いや、喋れよ!」
ついつい自分から言葉を発してしまった。
対人スキルゼロの俺は、生き返ったばかりで声が出ない振りをしようと思っていたのだ。
それなのに……しかも、さっきの闇空間で大声を上げながら見ていたせいか、喉の調子も頗る良い。
「おや、すみません。あまりに驚いてしまって、声も出ませんでした」
「嘘つけ! 全っ然、一ミリも驚いてないだろうが!」
「ふぉっふぉっふぉ!」
――おぉ、『ふぉっふぉ』って笑うやつ初めて見た。
そんな感想よりも、落ち着き払った目の前の山羊に聞きたいことが山ほどあった。
寝転がったまま話すのも失礼だろう。
腹筋が皆無の俺は、回転してうつ伏せになると、両手両足を使って何段階かの作業の後に立ち上がった。
山羊の神父は思ったよりも小柄で、身長一七〇センチの俺でも見下ろすほどだった。
「神父さん、俺……生き返ったんだよな」
いきなり会話をするのはあまりに不自然だろう。
まずは『生き返った? わー、奇跡だぁ(棒)』な感じを醸し出すべきだろうと思ったのだ。
「ふぉっふぉ。そのようですな。まさに神のお導き……いや、選ばれたのかもしれませんな」
「選ばれた? そもそも、神って誰のことだ?」
「神は、神です。神以外の神などいません」
「そこの、壁に掛かってる絵の人か?」
その肖像画に描かれた人物は、どう見ても人間だった。
でも、神の家に奉られているのだから、これが神なのだろう。
「……おや。記憶を失ったか。それとも、別の世界からやって来たのですか?」
別の世界、だと?
もしかしてここ、異世界転生先の定番なのか?
本当に訳がわからず困惑する様子の俺を見て、
「あの方は、この国の王様です。神ではありません」
神父は優しい口調で教えてくれた。
「別の世界……というか、この世界のことを教えてくれないか?」
六人の物語の冒頭しか見ていないため、この世界のことはまだ草の色くらいしかわかっていない。
「良いでしょう。……ところであなた、行く当てはあるのですかな?」
「……無い」
あわよくばここに住まわせてもらいたい。
そんな期待を込め、正直に答える。
「ふぉっふぉ! これも神のお導きなのでしょう。物置として使っている部屋があります。そこに住むと良いでしょう」
マジか、拠点ゲット!
だが……
「俺、何も知らないし、何も持ってないんだ。当然、お金も……」
無銭で居住して、無銭で食事を提供してもらい、無銭で光熱費を使いまくる。
これまでと同様のクソニート生活など許してはもらえないだろう。
「えぇえぇ。そうでしょうな。でも、焦る必要はありませんよ。まずはこの世界のことを知ると良いでしょう。いずれ、あなたにも適材適所が見つかるはずです」
三十二年間、自分の部屋に引きこもるのが適材適所だった俺だ。
その望みは限りなく薄いだろう。
そんなことは正直に言えず、ただ申し訳無い顔で俯いた。
「どれ。あなたの部屋に行きましょうか。そこに地図もありますから、いろいろと話をしてあげましょう」
神父は奥の部屋へと続く扉を開けると、廊下を奥へと進んだ。
一番奥の部屋の前で立ち止まると、その扉を開ける。
どうやらそこが物置で、俺がお世話になる部屋のようだった。