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装飾性を重視した城が魔王城だとすると、ハミルトン城は実用性を突き詰めた城だ。目前の城の外観は、堅牢な岩の砦と同じ無骨なものだった。約束の時間にハミルトン城まで来ると門が開く。入口の前では使用人達が列を作ってオレ達を出迎えてくれていた。
「「いらっしゃいませ、魔王ナタリア様。ようこそハミルトン城へ」」
使用人の格好をした人型のスライム達が、機械動作と同じ精密さで一斉にお辞儀をする。五十人は並んでいるのではないか。その迫力に気圧される。洗練された 礼儀作法は、相手を威圧する効果があった。また、スライムの声は人間の物より若干高く、聞き慣れない発声がオレをたじろがせる。
「……ナオトよ。どうしたのじゃ? 早う、参ろうぞ」
「ん、ああ、そうだな」
ハミルトン城の入口で行われた使用人総出のお迎えも、ナタリアにはどこ吹く風だった。さすが魔王というだけあって、こういった厚遇に慣れているらしい。眉 ひとつ動かさず、当たり前といった様子でナタリアは使用人の一人に案内されて奥へと進んで行った。オレは遅れてナタリアの後に続く。こういう分野でナタリ アは頼もしい。
ハミルトン城は内装も色気が無かった。装飾品らしきものといえば、廊下に飾ってある長剣や槍、斧といった武器類がほとんどだ。武官上がりという領主の性格が見て取れる。それとも、国境防衛という業務に合わせたイメージ作りだろうか。
やがて、オレ達は客間と思われる扉の前に案内され、使用人が扉をノックする。
「領主様、魔王ナタリア様と臣下一名をお連れしました」
「よし、入れ。それとお前は仕事に戻れ、あとで何かあったらその時に呼ぶ」
「承知いたしました。お客様、こちらにどうぞ」
領主の言葉を聞いて、使用人が扉を開く。ナタリアは気負いなく、するりと部屋に入って行った。顔見知りだからか緊張が全く見られない。オレは心臓が爆発しそうだというのに。くそ、取って食われる訳じゃないと開き直って、オレも部屋の中に入った。
客間は廊下や外観と同じく簡素な室内だった。戦争用の砦の一室というイメージが強い。その中でテーブルと二つの座談用ソファーだけが妙に豪華だ。いかに も、お客様に気を使いましたと言わんばかりに存在を主張していて、ちょっと趣味が悪い。ニキ・ハミルトンは、そのソファーのひとつの真ん中に座っていた。
「おお! ナタリアちゃん! 久しぶりだな。元気してたか?」
「ニキよ。お主は相変わらず良くわからんな。今は全裸がマイブームなのか?」
ニキ・ハミルトンは全裸のおっさん型の青いスライムだった。魔界で生活するスライム種は、他の国民と変わらず高い知能と疑似発声による言語コミュニケー ションを有している。また、性格は穏やかなため、種族戦争に発展することは無く、魔界の国民として広く認められた存在だった。着衣文化にも理解があり、大 抵の人型スライムは服を着ている。
だが、目の前に座る公然ワイセツ物をオレはどう捉えれば良いのかわからなかった。スライムの全裸は無罪なのだろうか? というか、絵面的にダメなんじゃな いだろうか? 魔界の倫理観や常識というのは奥が深く、謎は尽きない。青いジェルが放つ肉感のリアリティに、オレは戸惑いを隠せなかった。
「おう! ところで、ナタリアちゃん。後ろの兄ちゃんは誰だい?」
「そうであった。ナオトよ、こっちに来て名乗るが良い」
「……魔王ナタリア様の臣下、ナオトと申します。以後お見知りおきを」
とりあえず、礼をしておく。バイト経験で表情を誤魔化すことには慣れていたはずだが、今は全く表情を隠せていないと思う。当初は緊張で疲れを感じていた が、今は全く別の意味で疲れを感じている。理解の及ばないモノを必死に理解しようとする疲れだ。なんだこれ。どうして股間の生々しさを誰も気にしないの か……。
ナタリアがオレと出会った経緯をニキに話していた。ニキはその話を聞くと、表情をしかめた。スライムの擬態でも感情で表情が変わるらしい。少し間を置いてから、ニキはオレを見て発声した。人間のおっさんより高いおっさんの声で、話しかけてきた。
「すると、兄ちゃんは異世界人というわけか。魔界はどうだい? やっぱり異界とは全然違うのか?」
「そうですね。やはり違います。……ですが、不思議と似通っている部分も多いので、そこに驚いています」
「ほう、似通っているねえ。ちなみに異界のどんな場所から来たんだ?」
「日本という国から来ました」
「日本ねぇ。……なるほど」
ニキは、なにやら思案しているようだが、その中身までは推測しようがない。だが、ふと、今の質問から閃いたことがあった。
「ひょっとして、オレ以外にも異世界からやってきた人っていますか?」
「わからないな。俺様もそう思って兄ちゃんに訊いてみたんだが、日本という地名に覚えが無くてね。まあ、召喚魔術は時間軸のズレから呼び出すという説もあ るから、魔界の過去か未来からやってきてるかもしれねえし、並行世界から呼び出してるかもしれねえ。何か期待したのかもしれないが、すまんね。何もしらね えよ」
「そうですか」
「まあ、とりあえず、せっかく来てもらったんだから、世間話でもしながら茶菓子を摘まもうぜ」
「それもそうですね。ご馳走になります」
オレはニキの勧めに従って、目の前の食べ物に手を出した。ふと、ナタリアの方を見ると、彼女は俯いたまま、一向に手を出す様子がない。彼女の性格であれば、美味しい物を食べて良いと言われれば遠慮なく食べるはずだ。表情も暗いし、なにか様子がおかしかった。
「ナタリア、どうした? 具合でも悪いのか?」
「ナオトか。違う、体調ではない。……のう、ニキよ。この茶菓子なのじゃがな」
「ん? ナタリアちゃんは不満かい? 他に欲しい物があるなら、持って来させるけど」
「そうではない。この茶菓子を街の貧困層の住民に分けてやることはできないじゃろうか?」
その言葉に、オレとニキは動きを止めて固まった。
「ニキよ。街には明日の食費すら無い貧困の民がおるのじゃ。彼らが苦しんでおるのに、なぜ、妾らはこうして紅茶や菓子を楽しんでおるのじゃ? 妾らが、茶 菓子を我慢すれば、その分は貧困の民に分け与えることも可能じゃろう。のう、ニキよ。苦しんでいる民が居るのじゃ、妾の頼みを聞いてたもう」
ふと、なぜだかオレは、公園で段ボールに住むホームレスの姿を思い出した。屋根付きのアパートに住むオレと、段ボールに住むホームレスの差は当たり前のこ とだと思って、気にも留めたことがない。しかし、ナタリアなら、そんなホームレスにも手を差し伸べるだろうか? 差し伸べると思った。なぜなら、ナタリア は世間知らずだからだ。世間知らずだからこそ、オレが忘れてしまった人間本来が持っている優しさを、無くさずに持っている。
ナタリアの赤い瞳は、無垢で綺麗な子供のように、穢れの無い憂いを秘めていた。オレは、あと何年生きても、ナタリアのような美しい目をすることはできないだろう。拙い願いだったが、笑い飛ばせない純粋さがあった。
「……こりゃあ、驚いたな。俺様の知っているナタリアちゃんなら、そんなこと絶対に言わないぜ」
「街で貧困の民に会ったのじゃ。ニキも会ってみれば、わかるじゃろう」
「いや、それはねえ。そんなことを言うのはナタリアちゃんくらいだ。参ったなあ。言っていることはわかるんだが、実際にやると色々と面倒が起こる」
「ただ、茶菓子を分けるだけじゃろう? なにが面倒なのじゃ?」
「こっちにも寄こせというヤツが現れて収集が付かなくなる。あと、貧困層じゃないグループから、不公平だというクレームが来るな。俺様の名前でやると、ボランティアじゃなく公共事業になっちまうのも問題だ」
「皆、貧困の民より裕福じゃろう? なぜそのようなことが起こるのじゃ?」
「魔界は実力主義社会だ。実力が評価されなければ機能しない。それは貧富の差が無ければ機能しないという意味だ。それに実力主義社会の一番の成功者は、ナタリアちゃんのお父さんだぜ。このシステムが平等だと言ったのは先代魔王様の言葉でもある」
「お父様が……? じゃが、これは本当に平等と言えるのじゃろうか……」
話し合いは政治討論に発展していった。領主として地域を治めるニキと純粋の塊であるナタリアの意見のぶつかり合いは聞いていて面白い内容だった。――――特にナタリアの、この演説だ。
「話を聞いて分かったことがあるのじゃ。国民は集団の集合体であるゆえ、必ず意見の食い違いが起こる。そこにどれだけ客観的な意見を取り入れようとも、民 自身が道を間違える可能性がある以上、真の意味で平等はなり得ない。で、あれば、道を間違えない完璧な王を頂点に据え、民が王の指示に従えば、完璧な国を 造ることが可能じゃ。お父様は、ゆえに魔王として国の頂点に立ったのじゃろう」
それは、国民投票制の社会で育ったオレには衝撃的な政治理論だった。国民投票の対極にある、王政の理想形。千人の政治家など要らない。たった一人の絶対的 な王さえいれば、それで国は間違えることがないのだいう、わかりやすくも脆い政治理論だった。だが、オレはその頂点に立つ人物がナタリアであるなら、その 国を見てみたいと思った。あるいは破滅の未来が待っていたとしても。
「良いんじゃないか? オレは支持するよ。面白い」
「ありがとう。じゃから、妾の借金は何としても返さなければならんな。魔王としての地位を取り戻すために」
「ちょっと待ちな。俺様は反対だ。そもそもだな、キツイことを言うが、ナタリアちゃんはもうすでに魔王の資格が無いと判断されてるんだぜ? だから、 100億円の借金に対して誰も救済処置を出さねえ。まだ確定まで期間があるが、それは確認作業のようなもんだ。ナタリアちゃんには、政治を語る資格すらな い」
自らの愚かさと力量不足を自覚し始めたナタリアにとって、ニキの言葉は胸を刺し貫いたに違いない。ナタリアは口を閉ざして俯いた。出会ったばかりの頃であ れば、「妾は魔王である」という一点張りで通しただろう。そう考えると、今のナタリアが政治について語ることは、意味があることのように思えた。たとえ、 中身が伴なわなくとも、前に進めるはずだ。だから、オレは反論しようとした。
「ですが……」
「あのよ」
口を開こうとしたオレにニキが言葉を挟んできた。
「子供の夢を語るのはそこまでにしろ。旗上げの時から先代魔王に付いて行った俺様にとって、魔王という称号にどういう意味があると思っているんだ? そこんところをもうちょっと考えてくれ」
「ですが……」
「ですがじゃねえ。お前は一体なんなんだ? 魔王の臣下だと? おままごとの主従関係を結んでなにを勘違いしているのかしらねえが、魔王の地位は決して安いもんじゃねえんだ。その臣下だって異世界から来たぐらいでなれるようなもんじゃねえぞ」
「それはわかってます」
「わかるだと!? なにがわかるって言いやがるんだ! あぁ!?」
それは今まで温厚だったニキ・ハミルトンとは別人のような怒鳴り声だった。ナタリアはニキの迫力に委縮している。オレも思わず二の句が継げなくなった。
「……兄ちゃんはナタリアちゃんのお友達として最高だ。俺様だって、ナタリアちゃんの成長が兄ちゃんのおかげだって認めている。だがな、先代魔王様が築き 上げてきた世界が壊れていくのは見たくねえ。踏みこんで欲しくねえ領域にこれ以上踏み込むのはやめてくれ。怒鳴ったことは悪かったから」
ニキの心の内側が垣間見えた。ナタリアは、そんなニキに怯えて目に涙を溜めている。情けない魔王様だ。オレが居ないと、きっと何もできないに違いない。で も、それだけじゃない何かがあると、オレは信じている。信じたい。オレは意を決して、ニキの前で頭を地面に擦り付けて言った。
「ご怒りを承知でお願いします」
緊張で意識が飛びそうだ。
「助けてください。魔王様には援助が必要なのです」
「……お前、その行為が、今一番、俺様の機嫌を損ねるとわかってやっているのか?」
「……ナオトよ」やめるのじゃ、と言いそうなナタリアを目で制す。わかっている。一番タイミングが悪いのは承知だ。しかし、どこで協力を仰いでも断られる のであれば、一番印象に残るタイミングで訴えるしかないと思った。子供の夢を大人の現実として押し通してみせる。ここでそれをやらなければ、なにも成すこ となどできやしない。
「可能性がゼロではありません。貧困の民に心を痛める純粋さこそ、オレは本当の意味で政治に必要なものだと考えます。魔王様であれば、きっと今までにない魔界を築いてくださるでしょう」
「……兄ちゃんよ。今の自分を客観的に見てみろ。痛々しいなんてもんじゃねえぞ。場違いだ」
「オレは、ナタリアが魔王として相応しい器だと信じています」
椅子に座ってオレを見下ろすニキと、地面からニキを見上げるオレの目が合った。
「話にならねえ……」
ニキはそう言うと、静かに席を立った。
「……兄ちゃん、頭を下げるやつには二種類いる。誠実さに任せて頭を下げるやつは芯が通っていて格好良い。だがな、欲望に任せて頭を下げるやつの姿は畜生とほとんど変わらんぞ。兄ちゃんは後者だ。誠実の皮を被った我がままで、俺様を誤魔化せると思うなよ」
そう吐き捨てるとニキは扉から出て行った。誰かが、そっとオレの背中に手を置いてくれる。ナタリアだ。温かい手の平の体温がオレに謝っているように感じた。悪いことをしたと思った。ナタリアを置いてきぼりにして、オレだけで事を成し遂げようとした結果がこれだった。