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ニキ・ハミルトン領主に会いに行くことになった。
使用人の給料すら払えないという魔王一派の資金については、先日街に下りて装飾品の一部を売って補充した。(ナタリアが頭がおかしいレベルで衝動買いしようとしていた以外は)特に街で問題も起こらず平和に解決した。これを旅費に国境付近のハミルトン城まで行くことになる。
ハミルトン城までは、付近の街に機関車が走っているので、機関車に乗って向かう。現代日本から来たオレは、鉄道といえばJRや電車しか知らないため、魔力 で動く機関車というものが楽しみだった。ナタリアも機関車に乗っての旅行は初めてなので楽しみらしい。(それを聞いて不安を覚えた)
オレとナタリアは当日の朝早く駅のプラットフォームに来ていた。
「しかし、魔界というのはわかっていたけど、やっぱり人間以外の住民って結構いるなあ」
機関車の停留する駅そのものは日本とほぼ変わらないが、列を作って並ぶお客が人間だけではない。角の生えた鬼やぷるぷるしたスライムや翼の生えた悪魔な ど、バリエーションが豊富だ。街に下りて資金を調達したときも、人間以外の住人にどぎまぎしたり、威圧感を覚えたりしたが、まだ慣れそうにない。
「ナオトよ。見てたも。そこで駅限定の弁当が売っていたのじゃ」
「頼むから、目に付いたもの全て買う癖をやめてくれ。街に下りたときも、それで厄介な目に遭っただろ」
「しかし、限定じゃぞ? 買わなければ手に入れる機会が無いのじゃ。ここは少々金銭を消費したとしても手に入れるべきじゃろう」
「商売の常套句に引っ掛かってんじゃねーよ。自前の弁当持ってきたのに、買ったら意味ないから」
《限定》の文字が印刷されたバスケット二つをぶら下げて、ナタリアはしょんぼりした。つば広帽子から流れる黄金ロングウェーブヘアー。無垢なルビー色の 瞳。きめ細かく滑らかな白肌。艶めかしく赤い唇。抱きつくと折れてしまいそうな華奢な背丈。気品に満ちた赤と黒のゴシックドレス。相変わらず綺麗な少女 だった。油断すると見とれてしまいそうで困る。
「いいじゃろ、別に。妾の財布から出したのじゃから」
「いや、まあ、そうなんだが、それにしても食べ物を買うのは無駄遣いだろ」
「せっかくナオトにもやろうと思って二つ買ったのに……」
「ありがたいけど、お前の無駄遣い癖が気になって素直に喜べねーよ」
「ナオトの弁当は不味くて食べられたものではないからのう。これは必要経費じゃ」
「よし、言いやがったな。美食が贅沢で、贅沢は敵だって今度こそ教えてやる」
金銭の管理はオレの役割になっていた。ナタリアには小遣い制でお金を渡している。ナタリアの金銭を預かることに一種の罪悪感を覚えているが、ナタリアが良 いというので言葉に甘えていた。オレの感覚で言えば、他人に財布を預けるなど言語道断だが、ナタリアが管理すると衝動買いで城の資産を食い尽くすので、こ れはしょうがない処置だろう。
「お、来たみたいだな」
蒸気機関車がプラットホームに入り込んで来た。動力に魔力が使われているためか、石炭動力とは違い煙は透明だった。それ以外は日本の明治時代かスチームパンク小説に出てくる蒸気機関車そのままだ。
機関車がガスを吹いて止まる。機関車の扉が開いて、オレ達は列を守って乗り込み、指定された座席に向かった。
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思ったより快適な車内だった。もっと揺れるものかと思っていたが、振動は少ない。ただ、汽笛と水蒸気エンジンの音が大きかった。まぁ、これはこれで風情があるから良いが。
「速いのう。みるみる景色が過ぎてゆくのじゃ」
窓の景色を見るナタリアはご満悦な様子だった。オレとしても魔界の景色は新鮮だ。全体的に日本の景色と比べて暗い色合いをしているのは、魔界が空気には闇のマナが多く含まれているかららしい。
「そういえば、ニキ・ハミルトンについて、いくつか確認したいことがあるんだが……」
「お主、またそれか。城に居た時にも散々説明したじゃろ」
「まあ、そうなんだけど、念のためだよ」
「ナオトのそういう心配症なところはどうかと思うのじゃ」
ニキ・ハミルトン領主。先代魔王が魔界統一の旗上げをした頃から武人として腕を振るっていた古参の将だ。部隊指揮に優れ、魔界を統一したあとは国境地域を 任される。領主として着任してから、魔物に防衛線を突破されたことは無く、魔物という災害と直接向き合う立場から国民に人気が高い。ナタリアはあまり好き な人物ではないとのこと。あと、スライム。
「このスライムっていう情報のせいで、どういう人物なのか全くわからなくなった」
「スライムはスライムじゃろ。他に言いようもない。ニキはいけ好かぬスライムじゃ。そういえば、妾を見ると、よく口説いてきたぞ」
「マジかよ。というか、スライムにとってナタリアって恋愛対象になるの? 魔界では普通のことなのか?」
「そんなわけないじゃろ。だから余計にムカつくのじゃ」
「ああ、なるほど」
軽口が好きなイタズラ者タイプ、とオレは勝手に予想を付けた。
機関車がプラットホームに入り、目的地であったハミルトン城に最寄りの街に到着する。魔界の街は木造と煉瓦造の建物が多いヨーロッパ風の街並みだ。懐中時 計を見ると、午後の三時を過ぎたくらいだった。ハミルトン城に到着する約束が午後六時。移動時間が一時間ほどと考えると、約二時間は街で時間を潰さなくて はならない。
「時間が空くな。ナタリア、どこか良いところはないか?」
「妾に訊かれても困る。あまり外出は多くなかったからのう。この街の地理も詳しくはないのじゃ」
適当に歩いてみるという意見に落ち着いた。五分も経たないうちに、財布の金をばら撒く勢いで買い物をするナタリアの所持金がゼロになる。追加の小遣いをせ がまれたが、当然のごとく聞き流した。何か有益な情報でも転がっていないかと市場を物色していたが、歩いて回るうちに、オレ達は見慣れない路地に迷い込ん でいた。
「ふむ。表の市場とずいぶん雰囲気の違う場所に来てしまったな。ナオトよ、引き返すかえ?」
「ああ、なんか狭いし裏路地って感じで良くないな。妙なことに巻き込まれないうちに戻ろう」
「残念! お前達はすでに囲まれている!」
最後の言葉はオレ達のモノじゃなかった。気が付くと物陰から、わらわらと薄汚い浮浪者風情の男達が何人も出てくる。しまった、と思った時には、路地の前と後ろを三十人くらいに囲まれて逃げ場がなくなっていた。
リーダーらしき男が前に出て来て、大げさな身振り手振りでポーズを決め始めた。きっと彼は、舞台役者を目指していたけど、何か事情があってチンピラになったんだろう。そうじゃないなら、きっと最初から相当頭おかしいに違いない。
「用件は一つ! 有り金を全て置いていけ!」
「すげーシンプルでわかりやすいけど、金だけは絶対にやらん。却下だ。……ナタリア、下がってろ」
「がめついのう。じゃが、その気骨こそ妾の臣下じゃ。……ところで、前と後ろから囲まれているのに、妾はどこに下がれば良いのじゃ?」
「……上?」
「冗談かの? ああ、じゃが、どうせ上から逃げるのじゃろ?」
「当たり前だ。相手にしてられん」
「逃がすわけがなあああい! 者ども、かかれ!」
前と後ろから襲いかかる浮浪者どもに、オレは光属性《拒絶》の派生魔術《拒絶の壁》を使う。光属性の魔術は物理的、あるいは魔術的な干渉を防ぐことを得意とする。オレ達と浮浪者の間に輝く魔力の壁が生まれた。すると、浮浪者達は光の壁に阻まれる。
「がはぁ」
「ぐふぅ」
「いや、壁作ってたの見てたじゃろ? なんでお主らは突っ込んで来るんじゃ?」
「後ろのヤツが押してきやがった!」
「前のヤツが邪魔で見えんかった!」
「狭い路地なのに、三十人で囲むのは多すぎたんじゃねーか?」
《拒絶の壁》で時間を稼いでいる間、オレは新しい《拒絶の壁》で窓から窓に橋をかけ、上に向かう逃げ道を作った。浮浪者を防ぐ盾の耐久時間も長くないから、さっさとナタリアを連れて逃げよう。オレはナタリアの手を引いて光の橋を登っていった。
「まてーい! 逃がすかー!」
「……ふむ、お主らに一つ聞きたいのじゃが、どうして悪事を犯すのかえ? 悪人の犯罪理由とやらも今後の参考に聞いておきたいのじゃが」
「止せよ、ナタリア。そんな奴らの話に耳を傾けても良いことないぞ」
ナタリアは箱入り娘だったせいか、世の中の悪意に疎い部分がある。今回の質問もそういった世間知らずな性格から出た質問だったのだろう。だが、相手と相手の持つ答えが悪かった。
「馬鹿な魔王が、100億円とかいう馬鹿な金額の借金を作ったからさ! そのしわ寄せが私達に来て、私達は貧乏になった。先代魔王が御存命であれば、こうはならなかっただろう。無能が国の頂点に立ったせいで、明日の食費すら手元に無い!」
ナタリアは顔面蒼白になった。マズイと思って彼女を抱える。オレは屋根の上に急いだ。彼らの言い分はわかるし、正しい。確かに、ナタリアの借金が国民の一 部を苦しめたのだろう。先代魔王の政治力があれば、貧困層が出現することもなかったかもしれない。だが、それは、ナタリア一人が背負う罪じゃない。そもそ もなにも知らずに政権を被されたナタリアこそが、被害者の第一号ではないか。
「ナタリア、聞く耳持つな。時代の流れに適応できなくて失敗するやつはどの時代にもいる」
「じゃが、しかし……」
「それに、お前は責任を負うには政治を知らなさすぎた。お前に責任を押し付けるには、周囲の教育環境が悪過ぎる。オレは、お前こそが被害者だと思う。それは、お前と一緒に生活してきたオレが保障してやる」
「じゃが、しかし、ナオトよ。無知を理由にするのは卑怯な気がするのじゃ……」
なにも言い返せなくなる響きがあった。第三者のオレから見れば、無知な若い王様を国のトップに据えた周囲にこそ罪があると思うが、ナタリアから見れば、目 の前にいる浮浪者達はナタリアの罪の被害者であり、ナタリア自身こそが悪なのだ。ナタリアはオレと違って、その手で直接目の前の人間を害している。そこ に、オレの言葉が届く余地は無い。
「……ナタリア、どうする?」
建物の屋根に上ったところで、オレはナタリアに訊いてみた。本当は、今すぐナタリアを強引に連れて行きたかったが、ナタリアにはやりたいことがあるだろうと思って足を止めた。
「……ナオトよ、妾らの資金から、彼らにいくらかやってたもう」
「言っておくけど、それは良いことではないし、褒められたことでもねーぞ」
「わかっておる」
「この金の使い方は誰も救わねえからな」
オレが預かった資金の三割を屋根から下にばら撒いた。浮浪者達は喜んでそれに手を伸ばす。「うひょー! 同情させてみるもんだぜー!」などという奇声も聞こえてきた。ナタリアがどういう気持ちで彼らに金銭をやったのか、彼らには一生わからないだろう。
「行こう。彼らもこれで、当分の食事はなんとかなるだろう」
「…………」
「泣くな。涙を拭って前を見ろ。泣いたって金が稼げるわけじゃない。オレ達は100億円の借金を返すためにここにいるんだ。彼らのためにも足を進めよう」
「わかっておるのじゃ」
「さあ、行こう」
オレはナタリアの手を引くと、屋根を伝って、表通りのほうに向かった。ナタリアは終始、顔を俯かせていた。自分のやってきたことが人の生活を奪っていたと 知った時、オレだったらどう思うだろうか? オレは日本に居た時に、ろくでなしの親を持つことと貧乏な環境で生きることを知ったが、誰かの生活を脅かした ことはない。
この時ばかりは、魔王という権力と王族の家庭を持ったナタリアに同情した。ナタリアに傲慢さはあっても邪気は無いからなおさらだった。