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うっかりオレの方が先に寝てしまったらしい。
目を覚ますと絨毯を敷いた床が横になって見えた。起き上がると身体から毛布が落ちる。アイツが掛けてくれたのだろうか。小粋なことをする。ナタリアの寝て いたベットを見ると、彼女はベットから居なくなっていた。どこ行ったのだろうか? とりあえず、オレは顔でも洗いに行くことにした。
廊下を歩きながら、これからのことを考えてみる。当面の目標はニキ・ハミルトンに会うことだ。ナタリアだと相談の相手にすらならないから、これは決定事項 だ。その前に、身の回りを最低限、整えなくてはならない。ナタリアでは整理整頓の仕方すら知らないだろうから、これはオレがやるしかない。あと、気になる のは物資の補給ルートだ。ナタリアは金銭感覚が狂っていると思うので、オレが買い物をするしかない。……あいつ本当になんなの? マジで使えない。
とりあえず、住居スペースを絞って使わない部屋に鍵をかけてしまおう。書類は立ち寄り易い茶室にでも置いておければ良いが、あの量だと管理できないと思わ れる。いっそ執務室を金庫に見立てて、戸締りだけしっかりしておけば大丈夫だろうか。廊下に飾ってある装飾品は売るしかない。賃金の安い仕事をして時間を 潰すよりは、それで生活費を賄いつつ、大きな事業を計画して一発当てるしか方法はないからだ。あー、くそ! 行きあたりばったりなプランしかなくて胃にく る。
洗面室の扉を開けると、そこには一糸まとわぬナタリアがいた。
「ぎゃああああ! ナオト! お主、なななな何をしておるのじゃあ! 妾は着替え中じゃ、立ち去れええ!!」
「うおお! ごごごごごめん! つーか、べったあ! 手垢つき過ぎてべったべたなアクシデントだろ!」
鍵くらいかけろよ! 一つ屋根の下で男といるんだから、それぐらいは配慮してくれ頼むから。オレは急いで洗面室から出て扉を閉める。でも、目の保養には なった。あいつの胸って結構大きいのな。腰とかきゅっとくびれてるし……。いやいや、違う違う。あいつに会ったら、言おうと思ってたことがあったんだ。
「おーい、ナタリアー! 聞こえるかー?」
「なんじゃ! この変態が!」
「その変態が城内をうろついてるんだから、戸締りはしっかりするもんだろ、普通。……じゃなくてだな」
「自分のことを棚に上げるでない。中に居るかどうか、ノックくらいするのが紳士の嗜みじゃろう?」
「それは、まあ、置いておいてだな。その、昨日は言い過ぎた。……すまなかった。ごめん」
「…………」
長い沈黙が返ってきた。……それは、まぁ、あまり思い出したくない内容だろうし、ほじくり返して良いようなものでもないから、これ以上はやめておこう。オレは朝飯でも食べようと思ってその場を去ることにした。
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厨房らしき部屋を見つける。その散らかりようにオレは呆れた。
「せめて食ったら片付けろ。つーか、清潔にしようって思わねーのか?」
腐ったソースやら果物の皮やら芯やら変色したヘドロやら……とてもお嬢様のお食事の後だとは思えない惨状が広がっていた。動物が好き勝手に暴れた後みたい だ。なるほどね、ゴミ出しという概念すら知らないわけか。出てきた物を食べるだけしか知らないんだろうな。我慢だ、我慢するんだ。彼女が無知なのは周囲に 教える人間がいなかったせいでもある。
「ふむ。どこに行ったのかと思ったが、ここか。丁度良い。ナオトよ、御覧の有り様ゆえ、厨房の中を掃除してたも」
後ろを振り返ると、着替え終わったナタリアがいた。黄金シルクのロングウェーブヘアー。透き通ったルビーの瞳。陶器のような白肌。艶めかしく赤い唇。折れ てしまいそうな華奢な背丈。黒と赤のゴシックドレス。ゴミだらけの惨状を作った張本人とは思えない、美しい少女が立っていた。オレはため息を吐く。
「そうだな、掃除はしよう。だが、ナタリア、お前も手伝え」
「何を言っておるのじゃ? 掃除は使用人の仕事じゃろ? 妾がどうして使用人の仕事をしなければならぬのじゃ」
「人手が足りなくて一人だと厳しいからだ。この城にはオレ達二人しかいないんだし、協力して仕事をしないと時間がいくらあっても足りなくなる」
「妾は魔王じゃぞ? 魔王は掃除を使用人に任せるものじゃ」
「そうだな、魔王は掃除を使用人に任せるものなんだろうな。だけど、オレに城から出て行かれたくなかったら、これぐらいのことはやってくれ」
「……お主も、妾を見捨てるのか? どうしてそんな意地の悪いことをするのじゃ? 妾は、なぜ嫌われてしまうのじゃ?」
「お前のことは嫌いじゃないが、好きというわけでもない。オレに好かれたかったら、そうなるように行動してみせろ」
使用人服に着替えてくるようナタリアに言って、オレも着替えを探しにいく。丁度、庭師っぽい服の上下を見つけたので、それを着た。麦わら帽子もあったが、室内だから被らない。ついでに園芸道具の一部を持っていく。戻ってみると、使用人姿のナタリアがいた。やはり素材が良いだけあって、なかなかさまになっている。
「なんだ、結構、似合っているじゃねーか」
「ふん……。魔王より使用人の方が似合うと申すか。こんな屈辱は初めてじゃ」
「違う。お前は綺麗だから、なに着ても可愛いらしいなって意味で褒めたんだよ」
あ、やばい。つい、そのまま思った言葉が口から漏れた。ナタリアは、目を丸く見開いてオレを凝視している。そりゃ、まぁ、オレ自身が驚いているくらいだから、ナタリアはもっと驚くだろうな。なんか、段々とオレの頬が熱くなってきた。どうにか誤魔化さないと。
「あ、あ、あのなあ、えと、今のは、その、だな……」
「どうしたのじゃ? ナオトよ、急におかしくなって……まさか風邪か!? そういえば、顔も赤くなっておるのじゃ!」
「なんで、そうなるんだよ!」
「うぐっ!?」
ツッコミとしてナタリアの頭に手刀を落としてしまった。しかし、助かった。ナタリアが馬鹿で助かった。
なんとか、いつものペースを取り戻したオレは、そのまま何事も無かった振りをして掃除を始める。まず、シャベルスコップでゴミを掬って、重ねた麻袋に入れ ていく。その後、ゴミが無くなってソースとか謎の汁とか液体状の汚れだけになったら、それを雑巾で拭って捨てる。最後に厨房の棚にあった台所洗剤で水拭き と空拭きを交互に行った。すると、一部だけ綺麗な状態に戻った。
「見てたか、ナタリア。こうやって掃除するんだ」
「おお、お主は存外に手際が良いのう。褒めて遣わすゆえ、この調子で残りもやってたも」
「なに逃げようとしているんだよ。お前もやるんだ、こっちに来い」
「嫌じゃ。なんかこの汁が汚いのじゃ」
「おめーが食ったもんじゃねーか。汚くねえよ。……ただ、ちょっと腐ってるだけだ」
人はそれを汚いという。嫌じゃ嫌じゃと抵抗するナタリアを背中から押し込みつつ、なんとか掃除させることに成功した。……勢い余って、頭から突っ込ませたというエピソード付きだが、とりあえず、厨房は綺麗になった。最初見た時と比べて、建て直したかと思うくらい見違えた。
「ふぅ、終わったのう。……くくくく。妾にかかれば、これくらい造作もないことじゃ」
「よし、一段落着いたな。じゃあ、まだまだやることがあるから、さっさと後片付けをしてしまおう」
「まだ何かやるのか!? これだけやれば、今日はもう十分じゃないかの!?」
「こんなもん、準備運動みたいなもんだろ。日が沈む前に、あと三つ四つやらなきゃいけないことがあるから、余裕はないぞ。むしろ時間を取られたくらいだ」
借金返すのが目的なんだから、掃除する時間すら本来は惜しい。もともとは飯を食おうとして、厨房に来ただけだったからな。この掃除自体がイレギュラーだ。 とりあえず屋敷中の整理整頓と、買い物する品のリストアップだけは今日中に済ませたい。その過程で一つ二つやらなきゃならない仕事が出てくるだろう。
「服が汚れたな。ゴミを捨てたら着替えてくる。ナタリアもそうした方がいい。終わったら遅いけど朝飯にしよう」
「ふむ。そういえば、妾も朝食を取るために厨房に来たんじゃったな。よし、心得た。着替えてくるゆえ、朝食を用意してたも」
オレはゴミの詰まった麻袋を持って外へ向かう。とりあえず、焼却炉があったので、そこに投げ込んでおく。ナタリアは黒炎の魔術が使えるみたいなので、時間 がある時に燃やしてもらうことにしよう。全部入れるのに厨房と焼却炉の間を三往復。……ナタリアにも手伝ってもらうべきだったか。着替えて戻ってくるころ には、ナタリアは待ちくたびれた様子でいた。ちなみに元のドレスに戻っている。オレは執事服を拝借したので、THE・魔王と使用人の図になっていると思 う。
「遅いのじゃ。妾は空腹ゆえ、さっさと朝食を持ってくるがよい」
「はっ、申し訳ありません、魔王様。ただいま準備いたしますので、もう少々お待ち下さいませ」
「……なんじゃ、急に腰を折るなど気持ち悪いのう。というか、お主、それらしく振る舞えるではないか。ずっとその調子でいるわけにはいかんのかのう?」
「ちょっと、ふざけただけだ。お前は食器を持ってこい。とりあえず、目玉焼きとサラダとパンを乗せる分があれば良いから」
「目玉焼きってなんじゃ?」
「マジか。じゃあ、えと、これぐらいの大きさの皿を用意してくれ」
「わかったのじゃ。……いや、そもそもどうして妾が準備しなければならんのじゃ? 妾は魔王……」
「さっき言った協力というやつだよ。はい、行った行った。手元が狂うと爆発するから、食器を持ってくるまでオレに話しかけるんじゃねーぞ」
爆発する物を食べさせる気なのか!? と驚愕するナタリアを無視する。厨房にある調理器具は、日本の物とほとんど変らなかった。だが、コンロが別物だ。な んだこれ? どういう構造? コンロっぽい形だから、火が出る器具なのは想像できるが、ツマミを回しても火が出てこない。宝石らしき物が嵌めてあるので、 俗に言う魔道具というやつだろうか。困ったなあ。
「仕方ねえ。先に野菜を切っちまうか」
「なんじゃ、お主、コンロも使えんのか?」
「戻ってきたか。ああ、オレのいた世界の物と違うみたいで、よくわからないんだ」
「貸してみるがよい。ほれ、これで点いたじゃろ」
ナタリアがツマミを回すと、ボウっと火が出てきた。あれ? ツマミを回すのはオレもやったんだけどな。そんなことを考えていると、ナタリアが言った。
「何をしておるのじゃ? はよう作ってたも」
「え? ああ、わかった。しかし、さっきもツマミは回したのに、なんで点かなかったんだろ?」
「魔力が入って無かったようじゃからな。入れ忘れじゃろ」
「魔力? あー、なるほどね。なぁ、ナタリア。魔力が無いやつって、この世界だとどういう扱いになるんだ?」
「そのような者がいるはずないじゃろ」
「そんな扱いか」
まさか、オレには魔力が無い、なんてことはないよな? コンロのような日用品にまで魔力が必要な世界だ。魔力の有る無しは死活問題になる恐れがある。あとで確かめるなり、対策を練るなり、考えなければならない。重要な項目が一つ増えた。
「……ところでナオトよ」
「ん? なんだ? ……お前、初めて見る表情しているな。なにを考えたらそんな珍妙な顔になるんだ?」
「その白くて丸い物はなんじゃ?」
「鶏の卵だよ。こっちの世界には卵料理が無いのか? お前が召喚した時にスーパーの袋ごと持ってきた食べ物なんだけど、生ものだから保存が効かないし、今日食ってしまおうかと思ったんだ」
「卵? そういえば、ドラゴンの卵は至高の珍味と聞くが……ひっ……な、中からでろでろした物が垂れてきとるぞ!? 良いのかそれは!?」
「これをフライパンで焼くんだよ。別に毒は無いから安心しろ」
「う……でろでろした物が白く固まっていく……。異世界の住人はおぞましい物を食すのう……」
「そういう評価になるのか。まぁ、卵を食べるって、よく考えたらおぞましいことかもな」
こうして朝食の準備は進んでいった。
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「う……まずい。ナオトよ。異界の料理は妾の口に合わぬ。下げよ」
「ああ、なんかすまねえ。料理ができるって言っても男料理とか、節約料理しか作れんし、この城にある調味料は目玉焼きに合わねえからな。ナタリアの口には合わんだろう。そのまま残しておいてくれ、あとでオレが食う」
「く、食うじゃと!? 人の残した物を食すのは畜生のすることじゃぞ? お主は品というものを考えぬのか!? やめよ! 妾はお主のそのような惨めな姿は見とうない!」
「んー、そうなるのか。わかったよ。目玉焼きは捨てよう。……なけなしのお金で買った卵だと思うと、結構くるものがあるんだけどな」
食卓でのカルチャーギャップは、思ったよりも大きかった。日本との共通点も多いのに、微妙なところで合わない。食べ物は特にそれが現れている気がする。今後の課題かもしれなかった。つーか、ナタリア。品とか言うなら、厨房の惨状は何とかならなかったのだろうか……。