巻き戻り冤罪令嬢、元凶が死んだと知らせを受けてからの物語
処刑台の周りはひっそりとしていた。
立会人が二人、処刑人が二人の本当に最低限しかいなかった。まるで平民の処刑のよう。しかし、人目につかないようにというのは、伯爵令嬢に対する配慮なのかもしれない。例えそこが暗く汚れた牢の片隅だったとしても。
立会人の一人が朗々とメーラヴィナの罪を並べ始める。
メーラヴィナにはこれらの罪に覚えはない。だが反論の場さえ用意されずにここに連れてこられた。
――……私が処刑されることは、すでに決まっていたのだろう。あの、婚約破棄を宣言された瞬間には。
枯れたと思っていた涙がほほを伝う。
ああ、まだ泣けるんだ、とほっとした。もう表情は動かない。泣きわめこうが笑おうが怒ろうが、嫌な顔をされるだけでいいことなど何もないのだ。
昔は、どうだっただろうか。子供の頃は笑っていたはずだけれど、もう遠い記憶だ。
言い残すことは、と言われて首を振る。
もう疲れていた。早く、終わらせてほしかった。
処刑人の片方がメーラヴィナを桶の前に跪かせる。もう片方は斧をだらりと垂らすように持っていた。せめて痛くないように、と願う。桶の底は黒々として、何も映していない。私の心を映しているようだと思った。目隠しをされて、背をグッと押される。
自分は天国に行けるだろうか。それとも、天使にも罪人だと言われるだろうか。
そんなことを考えたのが最後。
伯爵令嬢メーラヴィナ・エル・シュタールは、18歳の生涯を閉じた。
― * ―
目が覚めたとき、訳がわからなかった。
私は処刑されたはず――生き残ってしまったの?
がばりと起き上がり、その場所がどこなのか確かめようとして、さらに困惑した。
「ここは……」
見おぼえがある。
見おぼえはあるが、遠い彼方から引っ張り出された記憶だ。
そこは『私の部屋』だった。義妹に譲ってすっかり模様替えされてしまったはずの私の部屋が、もと通りの姿でそこにあった。
「どういうこと……」
ベッドから降りようとして、自分の服装に気がつく。
ふわふわとしたネグリジェ。こんな柔らかな生地を身に付けたのはどれぐらいぶりだろう。ドレスや学園の制服も良い生地だが、しっかりしていてこんな肌触りにはならない。なにより下着が違う。
「どういうこと……」
同じ台詞を繰り返して、辺りを見回していると、軽いノックの音がした。
「おはようございます。お目覚めでしたか」
にっこりとほほ笑み入ってきたのは、懐かしい顔。子供の頃私の世話をしてくれていたルイゼだ。
ところが久しぶりに会った彼女は、そんな時期などなかったかのように、ごく普通に世話をしはじめる。頭の中は疑問符で一杯だ。
まさか、と浮かんだとき、私の口は勝手に動き出していた。
「ルイゼ……」
「はい、メィさま、どうかなさいましたか?」
懐かしい。私をメィと呼ぶのは彼女だけだ。死んだ母はラヴィナと呼んでいた……
……じゃなくて。
「今日は……何日かしら」
「水の月3日でございますね」
即答してくれるルイゼに、ごくりと唾を飲み込む私。
「……何年の?」
「帝歴403年にございます」
きょとんと不思議そうな顔で答えてくれるルイゼ。
帝歴403年。――12年前だ。
「嘘だ……」
そうして見た私の手は、ずっと小さい。ルイゼの顔も、記憶のままなのはおかしい。もっと年月分の差異があるはずなのに。
私が部屋を追い出されたのは7歳の時だった。12年前なら私は6歳。ああ。
「メィさま!? 大丈夫ですか!?」
フラついた私をルイゼが支える。6歳の子供の体重は軽々と受け止められた。
私は、死んだはずで、死んだはずなのに6歳の頃に戻ってきてしまった。
昔を、思い出したから? 笑顔でいた頃を考えてしまったから?
またあんな苦しみを繰り返すの?
ガタガタと震えるからだを、ルイゼは懸命にさすってくれる。どうなさいましたか、大丈夫ですよ、とルイゼの方が泣きそうな声で。
その声に少し落ち着いて、大丈夫、と答えようとした瞬間、ルイゼはこう口にした。
「新しいお母様も妹さまも、きっと仲良くなれますからね」
と。
新しい母親。新しい妹。
ざっと頭から血の気が引く音がする。
その二人は私を苦しみの底に突き落とした本人。
そうか、そうだ。6歳の時だった。あの二人がやって来たのは。
お母様が亡くなった翌年、父が連れてきたのだ。私がまだ幼いからと。そのさらに翌年に弟が生まれたことから、嫡男の問題もあったのかもしれない。
その二人が、やって来る。
私の顔色を見たルイゼはベッドに横たわるよう告げると、医者を呼ぶと言って部屋を飛び出していった。
私は震える腕を抱え込むようにして布団に潜り込んだ。
私は、
私は。
あの地獄の苦しみをまた最初から受け直すために生まれ直したのか。
私はそれほどに神様に嫌われたのだろうか。
何がいけなかったのだろう。何が、神様の気にさわったのだろう。
ああ、どうかお許しください。お許しください、神様。
朝は誰より一番に起きて屋敷中の埃を払います。
どんなに無茶な用件を命じられても、必ずこなしましょう。けして文句を洩らしません。喜んでしてみせます。
夜は誰より遅くまで勉学を積みましょう。
国内の貴族の名前や略歴はもちろん、周辺諸国の貴族も完璧に覚えてみせます。語学は周辺諸国と古代語、神代語に加えてメルシア語、神聖魔法文字も覚えます。マナーやダンスももっと完璧になります。楽器だって刺繍だって、歌や料理だってやってみせましょう。
身のほど知らずな、王太子の婚約者なんて立場は望みません。今度こそはきっと選ばれないでしょう。
だから、だから。
「どうか許して……」
そうして強く強く祈りながら、私はそのまま気を失うようにして眠りについた。
― * ―
寝て起きれば、私は高熱が出て動けなくなっていた。
体が熱くて寒くて。ひどく怠くて力が入らない。けれど、頭はふわふわとしている割に周りがよく見える。
父が何度も何度も心配そうに見に来てくれた。あんなに心底心配そうな顔をした父を見たのは初めてだった。声は出しづらかったので、簡単な受け答えしかできなかったけれど、ひどくしっかりと話を聞いてもらえた気がしたのが不思議だった。
それだけで、前世のすべてが洗い流されたような気がした。
そうして熱が下がった朝。
見舞いに来てくれた父に、青い顔をした侍従が知らせを持ってきた。
曰く、領地からこちらに向かっていた義母と妹が、事故で馬車ごと谷に滑落した、と。
― * ―
義母と妹は、シュタール家が持つ領地の二つ隣に領地を持つ子爵家の出身だ。領地を持たない法衣貴族に嫁いでいたが、夫が突然の病で亡くなり。実家に戻っていたのを父が見初めたという話だった。
その領地からここまでは複数のルートがあるが、最も短距離で早くたどり着けるルートには、深い谷川を横目に進む道があり、たまに落石による事故が起こる危険な場所として知られている。
危険と言っても、死亡例は少なく、普段から領民も使うような道。聞けば山側に落ちた落石を避けるように通ろうと、谷側へ馬車を寄せたところで、操作を誤り馬が暴れだしたとか。
まぁ、当の御者も同時に亡くなっていて、調査をした父や隣領主の部下と、護衛や、荷物や侍女を乗せて後付きをしていた馬車の御者の証言を総合した結果の憶測だが、妥当だろう。
これを、義母の葬式に参列した父から聞かされ、私は唖然とした。
あの、恐怖の対象だった義母と妹が消えてしまった。
しかも、こちらの領地に着いてから手続きするはずだったため、戸籍上ではまだ母でも妹でもない。
私はへたへたと座り込み、また父とルイゼに心配そうに介抱された。
義母も妹もいない?
神様は、私を同じ運命に辿らせようとしたのではないの?
だとしたらなぜ、私は6歳の私に生まれ変わったの?
混乱のまま、私は自分の部屋に戻ろうとして……ふと思い立ち、何度も義母に呼び出された部屋に向かった。
そこは……義母の気配など全くない、私の母の香りだけが色濃く残る、この屋敷の女主人のための部屋だ。
ほぅ、と息を吐き出し、母とよく座ったソファに腰かける。
このソファも……義母が来てすぐにどこかに捨てられてしまった。母の遺品は大概捨てられたり売り払われたり、母の弟である叔父が知って愕然としていたっけ。けれど叔父より義母の実家の方が、同じ子爵でも力が強くて文句も言えなかった。
ほろほろと涙がこぼれる。
父はまた、別の再婚相手を探すのだろうか。嫡男の問題があるから、きっと探すだろう。そうしたらまた、新しい義母にこのソファは捨てられてしまうのだろうか。私はまた……邪魔な義理の娘、と虐げられるのだろうか……。
止めどなく流れる涙をソファに落としながら、前世の生活が思い出される。
二人がやって来た翌年、弟が生まれてから父は変わってしまった。
私のことを見向きもしなくなったのだ。
私の部屋は妹のものになり、お母様のいたこの部屋が義母好みにすっかり変えられたのと同じように見る影もなくなってしまった。ルイゼは解雇されて家から去っていき、私は使用人同様の扱いをされるようになった。学問や礼儀作法は教わるけれど、それは一つ年下の妹をサポートするためだった。
王太子の婚約者候補である妹をサポートするために、私は妹よりもずっと厳しく教育された。
しかし、婚約者として選ばれたのは、なぜか私だった。
候補は、血筋と位が最も良い侯爵令嬢と、その愛らしさと利発さを知られる妹の二人が有力候補なのではなかったのか。なぜ候補でもない私なのか。
疑問の渦巻くなか、私は正妃教育に埋没されていく。様々な知識をのべつ幕なしに詰め込まれる中で、当の王太子殿下とは軽い挨拶程度の接触しかない状態が続いた。
その間に、同じアカデミーに通っていた妹は王太子との仲を深め……。
王太子に、私が妹を虐待していると吹き込んだらしい。
その虐待の詳細を聞いて思ったものだ。ああ、私は義母と妹に虐待されていたのか、と。
まともに食べ物をもらえなかっただなんて、妹のふくよかな胸と私の体を比べればどちらがそうなのか、一目瞭然ではないだろうか?
身内をもストレスの捌け口に苛めるようなものが、民を幸せにできるはずがないと、王太子は私との婚約を破棄した。
弁明は、一切聞いてもらえなかった。
その後、どこぞの令息を殺しただの、国家機密を漏らしただの、王太子の殺害を計画しただの身に覚えのない罪の数々を疑われ、王城の牢の隅で首を落とされた。
――あんまりじゃないだろうか。
何がいけなかったのだろう。どうすれば良かった?
ソファの布に染み込む水滴を見ながら考え、ふと気がついた。
義母が、来なければ良いのではないか。
嫡男の問題があるが、これは私が婿をとると言う方法でなんとかなる。そうだ、そうすれば王太子の婚約者にもなれないしならなくていい。
伯爵を継ぐのだから、婿になりたいと言う人間はたくさん出てくるだろう。私が伯爵家の血を持つのだから、命を狙われる立場でもない。
解決だ。
私はグッと嬉しくなった。
正妃教育でざっと法律を学んだのが役に立った。しかも婿はアカデミー卒業までに決めれば良い。前世にはまともに通えなかったアカデミー。いろんなことをしてみたい。
私は心がずっと軽くなったのを感じた。
父が許可してくれるかはわからない。けれど、目標が定まったのは吉祥だ。まるでこれが本当の運命の筋道だったかのように、晴れ晴れとしている。
言うほど簡単なことではない。けれどもやりがいがあると思う。
― * ―
あれからどれだけの時が過ぎたのだろう。
「婚約を破棄する! ですって。あんな公の場で」
「まぁ……」
気の強そうな眦をつり上げて、ふわふわとした髪を揺らしながら少女は語る。私は眉を下げて頬に手を当てた。
「だから言ってやったのよ。証拠はございますか、って」
「それで?」
少女はニヤリと笑って、こちらに得意気に言い放つ。
「男爵令嬢の証言だけみたいだったから、ならばこちらには証拠がありますよと、たっぷり出してあげたわ。あの子、本当にたくさんの生徒に粉かけてたんだから」
「まぁまぁ……」
驚いたように扇を開くと、少女は大きく息をついて、同じように扇を広げた。
「その上で、浮気をなさる殿方は信用なりませんので、婚約の話はなかったことにしてください、と言ってしまったの。それで私と王太子の婚約は解消されたのですわ」
ぱたぱたと少し早めに扇ぐさまは、興奮を恥じたのかその時の屈辱を思い出したのか。
「あらあら、そうだったのね」
痛ましそうに微笑めば、大丈夫ですよ、と紅茶を含んだ。
ここは辺境伯邸、西の庭のあづま屋。
私は孫娘のジルフィアと一緒にお茶会をしていた。公爵家の出である夫は王城に出向いていて居ない。恐らくこの問題の後始末をしているのだろう。
元王妃の叔父であり辺境伯という夫を、休戦中である隣国とのバランスを取り続ける実力者である夫を、ないがしろにした今回の問題を何事もなく終わらせることなどできない。
あのときと同じように廃嫡かしら。あの子も子供には伝えても孫には甘かったのかも知れないわね。
「おばあさまも、かつて当時の王太子に正妃にと請われた経験があるとお伺いしましたが」
無邪気に聞いてくるジルフィアに、私はにっこりと微笑みを返した。
「ええ。でも私はその時にはすでに家を継ぎたいと決心していて」
「再三請われたと聞きましたよ?」
くすくすと笑う彼女に嫌味の影もない。この子は本当に私を自慢に思ってくれている。
私も一緒にくすくす笑う。
「私は正妃の器ではないもの」
「デルフィア王国の賢女がですか?」
笑い含みに言われたデルフィア王国の賢女、というのは私の異名だ。前世を含めて大量に知識を詰め込んだのが仇となってこんな大層な異名をつけられるに至った。私の功績と言われるものの大多数は、夫の功績なのに。
「きっと、頭でっかちで可愛いげがないと婚約破棄されたわ。辺境伯でも十分贅沢よ」
「頭でっかちで可愛いげがない……」
私がよく言われた言葉を言えば、ジルフィアが眉をひそめた。この子も賢い子だ。けれどそこを請われて婚約したのに。
「ジルフィアは愛らしいじゃないの」
「同年代からはそうは見えませんよ」
うって変わってほほを膨らませる孫娘は本当に可愛い。王太子とやらはよくもこの少女を手放す気になれるものだ。趣味が悪いとしか言いようがない。
「じゃあきっと、少し年上か精神的に成熟した方から求婚されるわね。お手紙は私にも見せてね」
そう言えば、ジルフィアはすぐに頷いた。
「ええ。もう届き始めていて、父母はおばあさまに相談するためにチェックすると言っていましたわ」
「そう。楽しみね」
王太子は生母の身分が低かった。なかなか子が生まれなかったゆえの側妃だ。ところが側妃が子を身籠ったとたんに正妃が身籠り、今は王子と姫の両方がいる。なんとも皮肉なことだ。
それでも子を生すために請うてきてもらった妃。長男を王太子にするために、王太子妃を血と権力のある家から選びたいと、私の孫娘が選ばれたのだ。
思えば、私が婚約者に望まれたのも、派閥のバランスと、母の祖母が王族であったという血の強さを加味されたものであった。
結局侯爵令嬢が選ばれたのだが、あの男はまたも婚約中に浮気した上に冤罪を被せて殺そうとした。令嬢が殺されずに済んだのは私と夫の仕業だ。思えばあれが、初の共同作業だった……。
あの男……元王太子は廃嫡されて、辺境の争いに巻き込まれて死んだ。侯爵令嬢は他国の有力貴族と結ばれ、今も幸せに暮らしている。
「おばあさま」
過去に思いを寄せていると、愛しい孫娘から声がかかった。
「ん、なぁに?」
にっこりと問い返すと、照れたようにジルフィアは聞いてくる。
「おばあさまは幸せですか?」
私は満面の笑みで答えた。
「ええ、とても幸せよ」
素敵な旦那さま、良くできた子供たち、可愛らしい孫もいっぱい。
虐げられることも冤罪を被せられることもない、忙しくも充実した時間。
これ以上の幸せなんてあるかしら。
神様は私を嫌ってなどいなかった。
神様、私に二度目の人生をありがとうございます。