06 四百年後
朝、十二色の虹を作っている噴水を見上げながら、俺は朝食のおにぎりを食べていた。
地上を生きる人間や他種族からしてみれ米粒にしか見えないような小ささだろうが、妖精の俺にはそれで十分。
「塩、ちょっと濃かったな」
「またおにぎり?たまには違うの食べたら?」
「ソーナか。いいんだよ、俺のソウルフードなんだからほっとけ」
日本での死、妖精への転生、ソーナとの出会い、あれからもう四百年も経った。
俺もまあ、随分と妖精に染まった。
人間だった頃の感覚は、正直かなり薄らいでいると思う。
「まあ、あなたの食生活に文句言う気はないわ。それより、この後暇なら温泉行かない?」
「また朝風呂かよ、好きだなお前。まあいいけど」
「じゃあ着替え持ってきてね。それともあたしの使う?」
「あー、帰るの面倒だしそうする」
「オッケー。じゃあ後でね、フィラ」
四百年って時は思うより長い。
こんな、人間だった頃には考えられないような会話も完全に慣れた。
妖精界の温泉は男女に分けられてなんかいない。当然だ、性別がないんだからわける意味がない。
とんでもない美少女にしか見えないソーナの全裸も、そのほかの妖精のストリップショーも、俺の心は引くほど動じない。
その状況に転生当初は「そうじゃねえだろ」と落ち込んだりしたもんだが。
「さて、行くかな」
まあ、性欲がないという状況にも完璧に順応したし、慣れれば心が動じないという意味では悪くない。
おにぎりを食べ終わり、風呂屋に向かう。
「よお、フィラじゃん。どこ行くんだ?」
「ソーナに風呂に誘われたんだよ。よかったらエマルも来るか?」
「いやー、オレはいいよ。ちょっと野暮用があってな」
その途中で、『炎』の妖精エマルに会った。
エマルは男っぽい妖精で、俺とも気が合うからずっと仲がいい。
四大属性を司るって共通点もあるしな。
「野暮用?珍しいな」
「ああ、ちょっとライプスに呼ばれてんだ。新しい技を覚えたから実験させてくれって」
「なるほど。じゃあ仕方ないな」
『槍』の妖精ライプスは、妖精の中でも一、二を争う戦闘好き。
『剣』を司るソーナに事あるごとに勝負を挑んでいるが、今のところ負け越している。
たしかエマルもたびたび付き合わされていたな。
「じゃあ、また今度誘うよ」
「おう。あ、そうだフィラ、あの話聞いたか?」
「あの話?コーラックさんがルイオスをいたずらで泣かせて、辺りにいたみんなに袋叩きにされた話か?」
「いやそれじゃなくて」
なんだ、違うのか。最近の話と言えばそれくらいしかないと思ったんだが。
妖精界には事件が少ない。百人にも満たない数しかいないし、全員が善性の心を持ってるんだから当たり前っちゃ当たり前だ。
ちょっとでも変わったことが起これば、すぐに皆に広まる。なんなら俺が風で広める。
「じゃあなんだ?」
「いや、俺もついさっき聞いたんだけどさ。地上での戦争、終わってたらしいぜ」
「へえ、あの呆れるほどでかいやつか?よく収束したな」
百年くらい前に始まった、地上での恐ろしい戦争。
時には他種族で、時には同族で。
国の数だけ争いが起こり、地上は血で染まっていた。
見ていられなかった俺たちは、しばらく地上を覗くのはやめようという結論になり、以後百年、地上を見る湖に近づく妖精はいなかった。
「結局、八十年くらいやってたみたいだ。不毛すぎる戦いに気づいたのか、徐々に戦争をする国が減り始めて、九割以上の国がやめたのが二十年前らしい。今は一つ一つの国が国力回復に努めてるってよ」
「そりゃ良かった、命があんなに価値の低い世界を見るのはあまりにも嫌だったからな。しかしよく気づいたな、誰もあそこは覗いてなかっただろ?」
「レッタが気づいたんだ。アイツは湖に行かなくても地上を見れただろ」
なるほどな。
『水』の妖精レッタは、俺が今から行く予定の温泉を管理している妖精。
水を司っているが故に、この村から少し離れている湖に干渉して、どこからでも地上を見ることが出来る。
アイツなら真っ先に気づいてもおかしくない。
「数十年おきにちょろっと地上を見てたらしくて、それで気づいたんだとよ」
「なるほどな。じゃあ後でちょっと覗いてみようかなあ」
「オレもそう思っててさ。結構な数が行くっていうし、どんな復興をしているのかも興味あるし」
「じゃああっちで会うかもな。………っとやば、ソーナ待たせてるんだった!」
「あ、そうだったな、悪い悪い」
エマルと別れて慌てて走ったが、時すでに遅く、ソーナの機嫌は最高潮に悪かった。
なんとか謝り倒して、結果的に許してもらうためにコーヒー牛乳を七本も奢る羽目になった。
その日の午後、俺はソーナと一緒に湖に向かった。
「八十年も戦争するなんて、一体全体なんでそんな不毛なことになったのかしら」
「大体の国が国力を失って、資源もアホみたいに使って、人も失って、大打撃を受けて、だからこそ意地でも引けなくなったんだろうな。あまりにも失ったものがでかすぎて、それで『何も得られませんでした』じゃ示しがつかないと思ったんだろ」
「はあ………人がいてこその国なのに、変なプライド振りかざして、いつの時代も地上の権力者はダメなのが多いわね」
まったくその通りだと思うが、基本的に人の悪口を言わないソーナがここまで言うなんて珍しい。
もしかして、過去に何かあったんだろうか。過去というか、前世に。
まあ、聞かないけど。いたずらに前世の話を聞くのは、妖精の中じゃ御法度だ。
「あそこよね?久しぶりだから記憶が曖昧で」
「ああ、合ってるはずだ」
羽根を羽ばたかせ、目的地へ下降する。
着いたのは、前世の世界じゃ考えられないほどに透き通った湖だった。
「あたしはフィラが見たいところに合わせるけど」
「俺は前に加護を与えた人間のいた国あたりをって思ってるんだが、どこだっけ」
「それなら右行って、三番目の道を左に行って………あとは忘れた」
「だよなあ、百年ぶりだし」
湖は棚池のように無数に分かれていて、一つ一つが別の座標に通じている。
湖に顔を突っ込めば地上を覗けて、一定範囲であればどこでも見ることが出来る。
俺とソーナは曖昧な記憶を頼りに、湖の間を飛んで探した。
「このあたりだったと思うけど………」
「あ、あれじゃない?」
しばらく飛行し続けていると、なんとなく見覚えがある気がする湖に到着した。
そばに降りて、水の中を見てみる。
「………わからねえな」
「まあ、何百年も経てば跡形もなくなるわよね」
俺がかつて見た地上とは、少なくともまるで違う様相だった。
俺が最後に人間にちょっとした力を与えたのは百八十年前。
その子孫が何をしているのかとかちょっと気になっていたんだが、これじゃ探すのは難しそうだな。
そもそも、ここが俺がかつて見た場所なのかも定かではない。
まず、見えるのは瓦礫の山。それが何か所かに集められていて、あちこちにあばら屋が建っている。
人は皆汚れていて、必死になって街を再建しようとしているのが見て取れた。
「いかにも戦争の跡って感じだな」
「予想していたことではあるけど、文明はむしろ低下してるわね」
女も子供も関係なく働き、必死になって元の生活を取り戻そうとしている。
いや、違うな。元の生活じゃない。何せあそこで働いている人たちは、全員若者だ。
つまり、戦争前の平和な世界を知らない。戦い死の隣り合わせの世界しか知らない。
なんというか、見てていたたまれない。
俺たち妖精は、基本的に放置・傍観主義だ。なまじ全員が地上の生物の大半と隔絶した強さを持つがために、自分が地上で与える影響力を理解している。
だからこそ介入しない。
たとえば、俺たちが戦争を止めていたとしよう。
俺たちなら容易に止められる。五、六人の妖精を地上に下ろして、各地の戦いを人を殺さない程度に止めれば、数か月もあれば戦争は終わっていたと思う。
戦争によって利益を得ようとしていた上流階級の人間はともかく、巻き込まれていた民衆は俺たちに感謝するだろう。
で、その先は?
簡単だ、またなにかトラブルが起きたら妖精が何とかすると考えるようになる。
自分たちでの進化と発展を諦め、妖精に頼りきりのダメ種族になる。
それは俺たちも望まない。だからこそすぐにでも止めたい気持ちをこらえて、全員が地上を見るのをやめた。
地上の成り行きは地上に任せるのが筋。俺たちとは文字通り、住む世界が違うんだから。
「これ、復興に何十年かかるんだろうな」
「エルフの魔法文明も兵器級の魔法に寄っちゃったし、人間の街も崩落しているところが多いし。昔みたいに互いの種族で協力し合って、暮らしを豊かにするようになるのは、当分先になるでしょうね」
「だよなあ」
湖に映る光景をスライドしてみていきながら、意見を出し合う俺とソーナ。
「ん?」
「あら、ここは残ってるんだ」
そのうち、同時に俺たちの手が止まった。
百年前に世界を見ていた時と同じものを見つけたからだ。
「まあ、王城は残るよな。落とされたら終わりだし」
「そうね。真っ先に再建したのかしら、前よりきれいになってる気さえする」
せっかくだし、中も見てみるか。
視点を城の内部に寄せて、いろいろと見て回ってみると、なんというか、モヤっとした気持ちになった。
中は豪華絢爛で、王族たちが豪勢な料理を食べていた。
丸々と肥え太った人も少なくなくて、何不自由ない生活を送っているのが分かる。
ああ、だめだこりゃ。典型的な上が下の気持ちを考えていないタイプの国になっている。
戦争が始まる前は、平民が不自由なく暮らせるようにと考える人間が多い、いい国だったんだけどなあ。
「ねえ、もうやめようか。気分悪くなってきた」
「ああ、俺もそう思って………」
俺は見る部屋を変え、城から視点を出そうとした。
「え?」
だけど、出来なかった。
正確にはできたんだろうが、たまたま映った部屋から、もっと言えばそこにいた一人の人物から、目が離せなくなった。




