FILE096:われら聖愛宕崇大学演劇部
それから数日後、都内某所に点在する『聖愛宕崇大学』。モダンかつレトロな外観で知られるその大学にて、浦和竜平の姉・綾女は自身が属する演劇サークルの部室で、いつものメンバーとともに練習に励んでいた。白塗りの壁には大きな鏡、床は動きやすい木造、歌や演奏用のピアノと、シンプルながらも無駄のない造りで、綾女は髪はそのままでウィッグも被らず、練習で演じる役に合わせて髪型を少しアレンジしていたようだ。今回綾女に振られた役は、『説明不要』の悲劇のヒロイン。恋人である主人公と共に悲しい運命を辿ることが決まっていた役ではあるが、綾女は最期のその瞬間までそのヒロインがどう生きるかを既に熟考しており、同サークルの先輩・後輩問わず、全メンバーを驚かせていたという。
「お疲れちゃん。みんなよくがんばってくれたな。そんじゃ、いったん休憩といきましょー」
「はーい!」
それぞれが熱意と夢を持って役作りに打ち込んでいた中、天然パーマとサングラスが印象的なルックスを持つ部長・新田古太郎からの指示を受けて、メンバーは心と体を休める。
「お疲れ様でした! 綾ちゃんいつになく力入ってないか?」
「えぇー、そんなことないですよ先輩。でも、リハも本番も迫ってるんで自然にそうなっちゃったのかも」
「こいつめぇ! ははは!」
「褒めたって何にも出ないんだから! アハハハハ!」
同じ【劇団】の先輩と笑い合ったところで、綾女は座ってペットボトル入りのミネラル豊富な麦茶を飲む。そのあと伸びをしたところで、スマートフォンに連絡が入った。アデリーンからだ。実の家族も同然である彼女のことはアデリンさんと、そういうあだ名で呼んでいる。
「もしもし。……それホント? わかった、その時はお願いしますね。じゃあね」
相手側の都合も考慮して、あまり長電話はせずに通話を済ませた。そんな綾女の姿が気になっていたのか、近くにいたメンバーの1人で、まつ毛はバシバシ、肌もきめ細やかで唇は豊潤と、全体的に耽美系なルックスの女性がそろりと近寄る。この女性は『キミ子』といって綾女の友人のうちの1人で、プライベートでもたびたび遊びに行くくらいには付き合いがよい。
「……誰から?」
「キミちゃんはもう知ってたと思うけど、亡くなった父さんの義理の娘さんで、私たちの姉妹にあたる人なの」
「あー! そういや、最近になってその事実が判明したって言ってたあの人だね!」
「外国の生まれで育ちは日本なんだけど、とびきり美人だしかわいいし、自慢の家族だよー。ふふふふふ……」
ここでも父への感謝を抱いて、綾女はアデリーンのことをキミ子や同じサークルの仲間たちに自慢している。それだけ彼女を尊敬してやまないということの証明である。
「もっと自慢したいけどそれは置いといて。今まで朴訥な町娘から、わがままな魔女、悪い女王様、姐御肌のスケバン、村の巫女様に、それから魔界のプリンセス――。いろいろやってきたけど。みんな、私まだまだこんなもんじゃないからね。今より上手くなって……」
「目指せプロデビュ~! アカデミー賞! ブロードウェー! ひゅーひゅー!」
改めて意気込みを見せる綾女。周りで部長やキミ子を含む仲間たちは口笛を吹いて、彼女をヨイショする。これは上っ面だけのものではなく、夢にひたむきな彼女へのエールであった。
「アハハハハッ、みなまで言うなっての。座長もですよ!」
「部長ね。でも、綾女を応援したいという気持ちがあるのは事実だ」
満面の笑みをこぼす綾女へ、モジャモジャの天然パーマを少しいじりながら彼女の肩を――持とうとしたが、その前に綾女が立った。改めて肩に手を置き、彼はその目でまじまじと見つめてから頷く。
「俺たちも頑張るから、今度の舞台は成功させような」
「もちろん!」
そのあと、「えい、えい、おー!」とみんなで気合を入れてから、彼らは再び練習に打ち込んだ。
◆◆◆
夕方、大学から帰宅した綾女は大きく伸びをしてリラックスし始める。しかし、勉強も台本の読み込みも、メモ取りも無論欠かさない。時間は賢く使いたいのだ。
「さすがはアヤメ姉さん……、有意義な過ごし方をしていらっしゃる」
「もっとホメてくれ。リュウは私かアデリンさんを見習ってくれ」
「そ、そこまで不まじめじゃないってばよ」
「大学に上がったらあとは遊び放題でいい、とは限らないわよー。リュウヘイの将来のためにもお勉強は……うふふふ」
母と弟のほかに、今日はフェミニンな雰囲気の服装のアデリーンとバンギャル風のワンピース姿の蜂須賀蜜月も一緒で、雑談のネタには特に困らない。姉弟のやり取りを見守っていたかと思えば、アデリーンも家族の一員として加わるなど、微笑ましい光景がリビングで繰り広げられる。
「そうよ~、竜平っち。ワタシだって一流の大学に入りました! はいオシマイ! じゃなくて、必死で勉強して今があるわけだからね。遊びたいのを我慢してでも、勉学に励む価値は十分あるわけだな、これが。おわかり?」
なぜか変装用兼アクセサリー用のメガネをかけて、蜜月は竜平のアドバイスも兼ねて自身の経験談を語る。前髪もセクシーにいじっていたが、とくに意味はなく、彼女がそうしたかっただけである。
「蜜月ちゃんの話はタメになるなー。人生の大先輩だわ」
「綾さんありがとう♪ ワタシはほかの人が見てないところで泥くさい努力を重ねるのが、なぜかたまらなく好きだった」
「アレでしょ。照れくさいからみんなに見せたくない、見られたくないってやつ?」
「そう! 綾さんノリがいい!」
「だってさ竜ちゃん。年上の言うことには素直に従ったほうが、いいこともあるわよ」
綾女と蜜月がアデリーンを巻き込んで盛り上がり出した横で、小百合が息子へと釘を刺す。竜平としては、このままドラ息子と思われるのはシャクだったし、「テストのたびに一夜漬けするのはコリゴリだ!」とも思っていたので、もっと勉強を重ねたかったのだが、そう都合よくはいかないのが高校生男子である。――と、そんな感じで盛り上がっていたところに水を差すように、インターホンの音が来客を告げて、一同は静まり返る。
「誰だろ? まさか――」
「アヤメ姉さん。私が出てみます」
「頼んだわ。アデリンさん」
綾女たちに確認をとって頷くと、アデリーンは警戒心から表情を険しく、深呼吸して玄関へ。ドアを開けて顔だけ覗かせてみると、そこに立っていたのは顔も服装もどこか冴えない雰囲気の青年だ。前に写真などで見たことのあるような顔をしていたし、相手のほうもどういうわけかアデリーンを見て顔が引きつったが、ここはあえて――。
「げんた誰ごす? ……失礼、どちら様でしたか?」
「だ、大毅です。繁野大毅、綾女と付き合ってた――」
それを聞いて、アデリーンは「ふーん……」と、冷たい目をした。