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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

名前のつかない感情

作者: 九埜七海

「名前、教えてよ。」


そう、手話で話しかけられた。ここは普通学校で、まさか手話が使える人がいると思わなくていささか驚いた。手話で"水橋伊吹"と答えると、少したどたどしく、指文字で"おおみやはやて"と表し、こう書くんだよと大宮颯と書かれた紙を差し出された。


「よろしくね。」


手をグーにして鼻から前に出し、拝むのを片方の手でやるかのような仕草を見せた。


「颯なにしてるの!?」

「それ手話だろう?いつの間に覚えたんだよ?」


クラスメイトが僕の机にわらわらと集まる。

昨日徹夜で覚えた、とはにかむ彼に、僕は名前の分からない感情を覚えた。



僕は三歳の時、聴力を失った。高熱が続き、意識が覚醒した時には、世界は音を失っていた。

それから手話を覚えたにもかかわらず母の方針で普通学校に通わされた。口話を習っていたものの、発音が変だと笑われていじめられ、どの学校でも孤立化した。この学校は転々としてきた先の学校だった。

軽く自己紹介を済ませた矢先のことだった。誰よりも早く僕の席に来た彼は、揶揄するでもなく同情のまなざしを向けるでもなく、ただ純粋に話しかけてきてくれた。


颯のおかげかクラスの皆も手話を勉強し始め、1か月と経たないうちには手話での会話が大体できるようにまでなっていた。この学校では孤立しないどころか、"普通の人"と同じように楽しい学校生活が送れた。

教室移動、給食の時間、昼休み、掃除、放課後。どれをとっても颯はいつも隣にいて、周りにみんながいて、颯が手話を使えばみんなも自然とそうするようになって、僕は初めて人と会話をすることができた。輪に入ることができた。



「とりっこで決めようぜ」


ある日の体育の時間、一人がそう言った。

バスケのチーム決めをするのに、その都度じゃんけんをして自分の好きな人をとっていく。そうなれば自ずと運動神経の悪い奴が残り、惨めな思いをすることになる。運動はできるがコミュニケーションを普通にとれない僕は、憂鬱な気持ちが湧き出た。


「席の前にいる人後ろにいる人とでチームになればよくない?」


突如、颯がそう口にする。とりっこで決めようと言い出した奴は不服そうな顔をしたが、


「時間がもったいないよ。一試合でも多く試合できた方が楽しいだろう?オレ、前の席チームのリーダーやるから、朝倉は後ろの席チームのリーダーよろしくなっ!」


笑顔で肩を叩くと、彼は気分良く後ろの席の人らを集めた。運動神経の悪い奴等もホッとした顔で集まる。

颯は、そういうやつだった。誰の気持ちも汲み取り、誰もが笑顔になる方法を知っていた。


「前の席のやつ集合!バスケ初心者の人いる?そしたらバスケできるやつでカバーできるように5人選出していい?みんなボールさわれたほうが楽しいだろ?」


みんなが納得し、試合が始まった。

8人チームで構成されて、颯と川崎というやつがスタメン、残り5人はローテーションで代わる代わるになることになった。

耳の聞こえないオレは、バスケの振動とみんなの動きに神経を研ぎ澄ませる。颯と川崎が上手い具合にパスを回してみんながボールを触りつつ、得点を徐々に増やしていった。


「伊吹!」


突如川崎からボールが回ってくる。敵チームは負けているため、焦りからか気迫が感じられる。怖かった。


"こいつは耳が聞こえないからボールは横取りできる"

"耳が聞こえないから使えない"

"なんでこいつにボール回すんだ"


聞こえもしない言葉が聞こえてくる。

すると、颯が思いっきりジャンプするのが見えた。

敵チームの誰もいないところだった。考える前に敵チームをすり抜けるようにボールを投げていた。

颯が受け取る。敵チームが一斉に颯の元に来る直前、ゴールに向かってそれを放った。かなり遠い場所だったのに、綺麗な軌跡を描いて、ゴールをスルリと抜けた。


「ナイスパス!」

そういって笑う彼は、かっこよくて頼もしくて、心臓がいつまでも高鳴っていた。



それから2週間も経った頃だろうか。すっかり仲良くなった颯は、僕の家にまで来るようになっていた。

二人でゲームをしたり、母の作ったお菓子を食べながら談笑したりしていた。


「ごめん、そろそろ帰ったほうがいい?」

そう言って、颯は帰り支度を始めた。この時間はいつも、母と次の日の授業の予習をしていた。授業の内容が聞き取れなくてはついていけないからと、教育熱心な母が奮闘しているのだ。そのために時間を気にしてしまったのだ。その旨を話して謝ると、彼はいいよ、と笑って帰っていった。


「伊吹!今日時間ある?これから一緒に勉強しない?」


そう言われたのは次の日のことだった。後から聞いたことだが、担任に次の日の範囲を聞いて夜に勉強していたらしい。それからは母とではなく、颯と勉強をする毎日を送った。


彼には何から何まで世話になりっぱなしだった。

クラスは一緒にしてもらうどころか、席も隣でいつでも一緒にいた。それでも陰で何かを言われなかったのは、僕の障害と彼の人望のおかげだったに違いない。

颯は、勉強も手話も一日で覚えてしまうくらいの天才で(手話は覚えても表現するのは難しい、と言っていた)誰にでも愛想がよくて遊んだり話したりするのがべらぼうに上手かった。

そんな人が、誰と話していても自分を気にかけ、いつもそばで笑ってくれる。名づけようのない想いは増すばかりだった。でもそれが迷惑な気持ちだってことは一番よく分かっていた。君は男で、僕は男で。君は健常者で、僕は聾者だから。



『なんで、僕なんかと一緒にいるの?』


一度、そう聞いてみたことがある。自分の気持ちに気づいてから、彼といるのが楽しければ楽しいほど、別の感情がこみあげてくる。それが欲望だとわかった時には落胆した。このままでいたいのに、このままでは嫌だった。


「一緒にいたいからだよ。」


そう言われたが納得しなくて、それが読み取れたのか彼は照れ臭そうに話し始めた。


「伊吹にだけは話したじゃん、オレ記憶力が半端ないって。だから大抵のことは何でもできるし、運動だってわりに得意だし、だからかな。何にも熱中できなかったんだ。でも伊吹のためなら手話だって勉強だって夢中で覚えられて…何っつうかお前は特別で、オレの生きがいみたいなもんなんだよ。」


彼は真っ赤になって、でも目をそらさずに手話と声で続ける。


「どうせお前、オレに何にも返せないとか思ってるんだろ。いいんだよ。オレは伊吹に何かもらうために一緒にいるんじゃねぇし、お前の存在がオレにとっては大事なんだ。それでいいだろ?」


出会った頃よりも格段に速く手話ができるようになっていた。そのことだけでも泣きそうになるのに、もっと目頭が熱くなるようなことを言う。僕は俯き、彼は明後日のほうを向いた。


あぁ、僕が健常者だったらよかったのに。こんなうれしい言葉、君の声で直接聴きたかった。


「颯、好きだよ。」


声に出していってみるけど、その声は空気と化した。彼は相変わらずあっちのほうを向いていて、しかし耳が真っ赤に染まっているのを垣間見て、僕の感情に名前が付いた気がした。


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