脳筋と死にたがり
最後の更新日付2010年6月29日の、メモにしてはそこそこ分量のある書きかけを発掘。
最低限おかしい日本語や改行を直し、とりあえずキリよく最後の数行だけ追記して供養。
続きもないのでよほど暇でなければ読むの非推奨。
「俺と、付き合わないか?」
そう言うと、彼女は珍しくいつもの眠たげな半目を見開いて驚いた表情を作った。
午後四時を廻って少したった放課後の教室。丁度橙色の西日が差す放課後の教室には今、彼女と俺しかいない。
偶然ではない。帰宅部ならとっくに活動を完遂し、その他部活の生徒は各々の領分に勤しんでいるだろう時間をあえて狙ったのだ。
自分本位な事を言うなら別に周りに誰が何人居ようが気にしないのだが、やはりこういうことは相手の気持ちも考えなければならないだろうと思い、この時間と場所をチョイスした。
そのおかげでこうして、普段なら誰も見ることが出来ないであろう彼女の顔を独り占めできたのだ。頬に朱が刺しているように見えるのは、単に俺自身の願望という色眼鏡か、夕焼けの赤光の所為であるかもしれない。それでも、この絵を引き出した原因が自分の言葉なのだと思うとそれだけでも得した気分になってしまう。
だが、今日の主旨を忘れてはいけない。
俺はそう、この日生まれて初めて異性に告白をしたのだ。
しつこく答えを問い詰めたい気持ちを精一杯抑え、彼女が言葉を発するのをじっと黙って待つ。
緊張というものは、どうやら時間感覚に対して強い権限を持っているらしい。実際にはひと呼吸程度の間が、嫌に長く感じた。五感も研ぎ澄まされるのか普段は気にもならない校庭の音も、今は酷くうるさかった。
数秒ほど目を丸くしたままこちらの顔を凝視していた彼女がふいに、まるでロウソクの火が吹き消されたかのように表情をニュートラルに戻す。
おや? と思う。
そんな表情になるとは、ちょっと想像していなかった。
満面の笑みで首肯してもらえるというほど、さすがの俺でもそこまで楽観していたわけではない。だが答えに窮して目を逸らしたりするさまが見れるのでは、という少々嗜虐的な期待はあった。それは答えがイエスにしろノーにしろ、だ。
それがこんな徹底鉄尾、完全な真顔になるとは想定していない。
内心わずかにそのことでうろたえていると、また次の瞬間に彼女の表情が変化した。
ようやく恥じらいの表情をゲットかなどという期待は残念ながらかなわなかった。どうやら世の中そうそう思うようには行かないらしい。
でもそれは、危惧したものともまるで違うものだった。
相手を蔑むようにも、或いは己を自嘲するようにも見えるその表情。それは全てを諦めた全能者とか、そんな意味のわからないモノを連想させるような、歪で、胸を締め付けられるような表情だった。
彼女は薄く口を開く――
「何それ、どういう罰ゲーム?」
こうして俺の、産まれて初めての告白は見事に玉砕したのだった。
○○○
俺が彼女と出逢ったのは、お互いがお互いの存在を知るという意味で言うなら今年の春、高校に進学し同じクラスになったとき。少し意味を狭めて言葉を交わしたときと定義するなら、ゴールデンウィーク明けに行われた席替えの結果、偶然隣同士の席になったときの挨拶が最初だった。
だが一方的なことを言えば俺は高校入学よりも前に一度、彼女を見かけたことがあった。
以来ずっと、俺は彼女のことばかり考えるようになっていた。
一目惚れなんてありえないと信じていた俺はすっかり自身の基盤を揺さぶらせ、しばらくモンモンとしていた。
だから高校に入学して宛がわれたクラスでその姿を発見したときなどは、運命なんていう陳腐な言葉を連想してしまった。自身の基盤はこれで見事に崩落したのだった。
その後はもう、時間軸現在に戻るまで特筆すべき出来事はそう多くない。
気づくと目端でその姿を追っかけてみたり、何かと機会を見つけては話しかけてみたりして、自分の中にある気持ちの裏づけを取っていった。
そうして十分に核心を得た六月下旬の放課後、教室で二人きりになるタイミングを見計らって思いの丈をぶつけたのだった。人生初にして、当たり前に人生一度きりしかありえない実にドラマチックなイベントだったのだが、結果はといえば──
「ねーーーーーよっ!!」
付き合い数ヶ月の心の友に全力でダメ出しを受ける始末だった。
「ていうかツッコミ所多すぎだろ! たった一言に対してツッコミどころ満載とか、どんだけボケの才能あるんだよ」
「なんだよ、そんなにおかしい所あったか?」
誤解を与えないよう、正直に白状したつもりなんだが。
「どう聞いてもおかしいだろっ! その北伯が許されるのは長年つるんだ幼馴染か、魔王討伐に赴く勇者がヒロインの魔法使いを仲間に引き入れる時くらいだ」
「なんだそりゃ」
もう少しわかりやすく言ってくれないだろうか。
ファンタジー系のRPGを引き合いに出した喩えなことくらいはわかるが、生憎と俺がやったことのあるRPGは国民的有名古典RPGだけなんだ。かのゲーム主人公達は軒並み「はい」か「いいえ」以外の言葉をしゃべらないので参考にならん。
釈然としない顔を隠すことなく己が顔面に作ってみたが、どうやらこれ以上そのたとえを解説してくれる気は無いようで、兎耳山はまた少しだけ話題を逸らす。
「それに、だ。あいつ、宝来宝。アレにコクるって言うのもオレとしちゃぁ理解に苦しむね。この数ヶ月間、本当にアレのことを見て過ごしてたのか? その二つの眼窩に収まった球体は縁日でごろごろ掬えるスーパーボールの類じゃなかろうな」
「試してみるか? 地面に叩きつけたら跳ね返らずに潰れるぞ」
「食事中にそういうこと言うなよ!? あぁ、くそ。弁当のプチトマトがなんか嫌なもんに見えてきたぞ」
言いながらこちらの弁当箱の蓋に二つのプチトマトを移動させてくる。ん、なんだ? トマトくれるのか。ありがたくいただいてやろう。
早速献上品を口に放ると何故か兎耳山は変な顔をした。
「お前……、いやもう何も言うまい。あらゆる変化球がまるで通用しない、変態的素直属性はここ数カ月で分かり切っている事だった」
「褒められてる気がしないぞ」
「その認識は正しいから安心しろ」
二つ目のトマトも咀嚼する。良く熟れて果物のような甘さの実に上等な品だった。お礼に輪切りにした湯で卵を二切れくれてやろう。隣に入れていたおかずのケチャップが少し付いているがそのくらい、男なら気にするなよ。
という、折角の行為を兎耳山は隠しもせず嫌な顔で突き返しながら、
「しかし弓弦よ。甲山弓弦さんよ。おまえの宝来に関する認識は、一般から大分ズレてるぞ。本当に知らんのか?」
「何をだ?」
遠慮はいらん、と再度卵を進呈する。
「宝来はなぁ、この学校じゃかな~り有名な、メンヘラ女だぞ」
○○○
「なぁ、宝来ってもしかして兎耳山と仲良かったりするのか?」
「……なんで?」
その日の放課後、いつも通り教室で独り机に身を投げ出した姿勢でスマホを弄っていた宝来にふと聞いてみた。
彼女は崩しきった姿勢を殆ど崩さず、思いっきり眉根を寄せて眼だけで、文字通り此方に眼を向けた。
「私と兎耳山くんが仲良くおしゃべりでもしているところを一度でも見た事ある?」
「ないな。じゃぁ同じ中学出身とかは?」
「それもありえないわね。アレがどこ出身か知らないけど、もし同じ中学だったとしても面識なんて殆ど無かったはずよ。ていうかだからなんで?」
そこでようやく宝来が、心底面倒くさそうに身を上げた。
表情は少し眉間に縦線を露わにしている程度だが、普段から眼が半眼気味なので大層不機嫌に見える。
実際に機嫌は良くないのだろうがしかし、おそらく目に見える印象ほど嫌悪的ではないだろうというのが俺のここ数ヶ月に渡る観察から導き出される推測だ。彼女は本当に嫌なら、そもそも相手をしてくれない。
「いや、あいつが色々知っている風に話すもんだから、もしかしたら知った仲なのかと気になってな」
正直に答える。
嘘をつく理由など無いし、俺は腹芸が全く出来ないので変に取り繕うことにも意味が無い。
「……知ってる風ってどんな?」
「えーと、──」
そこで俺は、昼休みに聞いたばかりのことを大体そのまま喋った。
正直、悪評っぽいことの方が多かったのだが、かといってソレをうまく取り繕って説明する語彙を俺は持ち合わせておらず、ならば下手に隠すよりはそのまま言って気にしていないということを示そうというわけだ。
俺に出来る打算などは精々こんなもんである。
しかし、喋ってみて判ったがやけに物知り顔の兎耳山から聞いた宝来評は、要約してしまうと
『見た目は良いが近寄りがたい変な奴』
『怪しい噂が色々ある』
といった程度で大した情報量じゃなかった。
聴いている宝来のほうもそのことに気付いているようで、自身に対する軽い中傷めいた評や根も葉もない噂であるにも関らず、あまり思うところはなさそうだった。
「それって彼の私に対する感想ってより聞きかじった噂ばっかりじゃん」
「うん、言ってみるとそうだな」
何故こうも他愛ない内容を気にしていたのか。
「軽く嫉妬心でも燃やしてたのかもしれないな、俺」
「は?」
「自分より宝来のことを知ってる男が居るってことで、なんかささくれてたのかもしれん」
「……あー、えっと」
急に宝来が眼を逸らして何かを言いよどんだ。
なぜかバツが悪そうな顔で視線を床を這わせた。が、ソレも数瞬のことで俺がどうかしたのかと声をかける前に少しわざとらしい咳払いをして表情をニュートラルに戻した。
「要はあれでしょ、人の噂とかが好きなだけでしょウサミミくんは。もしかしたら人の噂というより女の話が好きなだけかもしんないけど」
「下品な奴だなぁ」
ここで完全に余談なのだが、この時宝来が使った『ウサミミ』という言葉について。
彼女が普段の五割増の早口で次の言葉に繋げてしまったのもあって俺はサラリと聞き流してしまったのだが、どうやら兎耳山に冠されたあだ名だったらしい。
そのことに俺はこの日の帰り道に気付いた。
どうしてこの時とっさにそんなあだ名で兎耳山を呼称したのかを俺が知るのは、もう少し後になる。だが俺の中で『兎耳山=ウサミミ』という等号式は驚くほど抵抗なく腑に落ち、次の日から完全に定着した。
「行き過ぎはアレだけど、健全な男子高校生ならある程度そういう異性の話に興味持つのが普通なんじゃない?」
そう言って横目でちらりと、さも意味ありげに視線を寄越してきた。
む、ソレは俺への皮肉と同時に兎耳山への擁護の意味が含まれていないか?
それはなんだか非常に癪である。おのずと口をつくのは言い訳っぽい言葉になるが、前述どおり俺は嘘がつけないタチなので内容は正直なものだ。
「俺は知りたい相手のことは噂話なんかじゃなく、直接本人から聞くようにしているんだ」
「何でもかんでも本人に聞けば良いってもんでもないと思うけど?」
「というか今日はそのためにここに来たんだった!」
今思い出した。そういうことにした。
「……そう」
胡乱な眼を向けてくるが気にしないことにする。
「よし、じゃぁ訊くぞ」
「…………」
返事も無ければもはや眼すら向けてくれない。でも立ち去るわけでもないし、拒絶の言葉もあるわけではないので構わず続ける。
「好きな食べ物は?」
「ハンバーグ、コロッケ」
「嫌いな食べ物は?」
「ぬるぬるねばねばしたもの全般」
「趣味は?」
「読書、音楽鑑賞、散歩」
「得意科目、苦手科目は?」
「とくになし」
「休日何してる?」
「とくになにも」
「将来の夢は?」
「とくに」
「……もしかして適当に答えてるか?」
「さぁ?」
肩をすくめて見せる宝来の姿からは言葉の真偽は読み取れない。
こうも悉く即答されると思いついた単語を言っただけに聞こえてしまうのは穿ち過ぎだろうか。
会話のキッカケとしての問いかけなのだが、斬って捨てるような回答に返す言葉が両断されてしまい、ちっとも弾まない。
こんな質問はどうだろうか。
「好きなタイプは?」
「私のことを理解してくれる人、かな」
そこでようやく宝来が此方に顔を向けてくれたが、そこには悪戯っぽいにやけ顔が張り付いている。「おまえは当てはまらないよ」と言われているような気がしてまたしても返す言葉がなくなってしまう。
えぇと、何か他に話題を──
「そ、そうだ家族。宝来は兄弟とか入るのか?」
とっさにそんな言葉が出てきた。さっきまでの質問も後で兎耳山に話した時に「小学生のお見合いごっこか」と評されるような有様だったのだがこの質問もレベル的にはどっこいだった、そのはずだった。
相手のことを知るという意味で俺自身になんの他意もなく出てきた言葉だったので、内心ではまた軽く流されるだけだろうと頭の端っこで考えていた。
「………………。」
「………………?」
だから、急に黙り込んだ宝来の様子に俺は首を傾げる以外のことができなかった。
空気の読めないことに定評のある俺は、この時も彼女の雰囲気が変わったことになんとなく気付きつつもそれが何であるかにまでは考えが至らなかった。だから、
「……兄貴が、居たけど」
「へぇ! 兄さん居るのか。実は俺も姉貴が──」
「私が中一のとき、自殺した」
「──い、う、あ?」
「……」
「…………」
鈍い俺にだってわかる。
思いっきり地雷を踏み抜いた!
「ちなみに、そのときから家の中かなり険悪な空気になっちゃってね、私は家出同然で現在独り暮らし。その後まもなく両親は離婚が決定。以来二年以上親とは、仕送り以外のやり取りはなし」
家族の話題は地雷原だった。
一見当たり障り無い話題が、宝来に限っては何処触っても大爆発状態である。
「……あ、えっとその、すまん」
「いいよ、別に。実はそれほど、気にしてないから」
そう言いながらおもむろに、よいしょと少々重たげな調子で腰を上げた。
何事かと身構える俺だったが、そんな様子など露ほども気にせず宝来は机横に引っ掛けてあったカバンを拾い上げる。
部活や委員会には所属していなかったはずなので、どうやら帰るようだ。
「こう言うのも難だけど、元々あんまり、仲睦まじい家庭ってわけでもなかったしね」
珍しく自嘲というよりは少し困ったような、可愛げのある苦笑でそう言い、俺が何か返事をする前にやんわり手を振って、宝来はさっさと教室を出て行った。
「お、おぅ……」とか尻切れに言いつつ必然的に独り教室に残される俺。あまりにも急に立ち去ってしまったので呼び止める言葉も思いつかなかった。
夕日に紅く染まる教室に置いてけぼり。図らずも(或いは宝来のほうが意図したのかもしれないが)昨日と全く同じような状態になってしまった。
「また、まずったな……」
多分、口ではああ言っていてもやはりあまり触れて欲しくない話題だっただろう。
良く考えてみれば、別に家族との仲が良好だったとしても友人に嬉々と話すような話題でもなかった。これなら天気の話題でツッコミ待ちでもしたほうがまだしも言葉が弾んだかもしれない。アドリブが利かない性格なくらいは自覚していたつもりだったが、とっさの思いつきだけで口を開いてもろくなことにならないことが、残念ながら実証されてしまった。
今更ながらだが、今度から振る話題はもう少し良く考えた方が良さそうだ。
ふと時計を見ると、五時を少し過ぎたところだった。部活動をする者にとっては帰るには少しばかり早く、帰宅部にとっては遅い。中途半端な時間だ。
上げた顔をそのまま窓の外へスライドすると、生徒玄関から校門までの道を歩く宝来の後姿が小さく見えた。
一年の教室は他の学年の教室よりも玄関から遠い位置にあるため、のんびり歩くと校門を出るまでだけでも数分かかる。我ながら珍しく、あれこれと物思いにふけっていたようだ。
「ん?」
何やら引っ掛かりを覚えてもう一度教室にかかった時計を見上げる。逆算すると、宝来はほぼ五時丁度に教室を出たことになる。
「そういや……昨日もこれくらいの時間じゃなかったか?」
答えるものは誰もいないが、思い返してみるといつも彼女は放課後何をするでもなく教室に残っていて、ある程度時間が経つと唐突に帰るという行動パターンを持っていた。
そもそも俺自身、ソレを利用して昨日二人きりのタイミングを作ったのではなかったか。
今日、そして昨日も恐らくほぼ同じ時間に俺は此処に取り残された。
もしかして宝来は、その場に居辛くなったとか、気分を害したとか、どころか単なる気まぐれでもなく、単に教室を五時に出るというルールを自分で決めて行動していただけなんじゃないだろうか?
どうしてそんなルールを作っているのかは知る由も無いが、もしそうなら俺という存在など関係なく、宝来は自分のペースであり続けただけということになる。
俺の存在など、関係なく……。
今日はともかく、昨日のは俺にとって割りと一大イベントだったのだが……。
…………。
「帰るか」
誰もいない教室に残っていてもやることなど無いので、俺も自分のカバンを引っつかんで立ち上がる。
本当なら、今日は「途中まで一緒に帰ろう」と誘ってみようかと思っていたのだが、完全にタイミングを逸してしまった。
もう一度窓の外を見る。さすがにもう姿は見えないが走ったりでもしていない限りそう遠くへはまだ行っていないだろう。こちらが走ればあるいは追いつけるかもしれない。
が、結局そうはしなかった。
平気だとは言っていたが、あの妙に重たい家庭事情を聞かされた後では向こうは平気でも俺のほうが気を使ってしまう。
それに帰り道を誘うくらい、これからいくらでも機会はあるだろう。
と、今後一ヶ月近く毎日フラれ続けることをまだ知らない俺は、そんな暢気な展望を持っていたのだった。
○○○
宝来宝について、俺の主観的な好みで言わせてもらうならもちろん全く非の打ち所など無い美少女なのだが、兎耳山改めウサミミの言うところではどうも人に不思議な印象を与えるチグハグさをいくつも備えた人間であるらしい。
まず髪型は、そのままなら腰まで届くだろう長い髪を後頭部でまとめて結わう所謂ポニーテールという奴だ。
ポニーテールといえば一般的には活動的なイメージがあり、今までの俺の語りにある宝来の人物像には当てはまらないかもしれない。
しかし実のところ、彼女は立ち振る舞いがキビキビしていて姿勢も良く、背は高くないがスタイルも良いため、その長くてきれいな髪の尾を背後に流すようにして歩く姿は快活な運動部女子に見えなくもないのだ。
そんな後ろ姿にうっかり声をかけた運動部の先輩諸氏は、振り返った彼女を見てその笑顔を引きつらせることになる。
その顔は、眉目秀麗と言っても差し支えない整った目鼻立ちながらもどこか気だるげで、重そうな瞼の下にある三白眼気味の双眸から放たれる視線は非常にドライ。お世辞にも人相がいいとは言いがたい。
押しの弱い人であればそこで引き下がるのだがしかし、根気よくしゃべってみるとその声は音吐朗々として聴きやすく、相手に負の印象を与えるような陰鬱なトーンは殆ど無い。
かと思うと、その舌は相手の痛いところを遠慮なくつつく毒舌で、まともに相手をすると半日と持たず凹まされるらしい。協調性を尊ぶ多くのスポーツマンはここで離れてゆく。
ではインドアなのかと思えば、運動神経もどうやら悪くない(体育競技でしれっと運動部顔負けの記録を出したりするのだそうだ)。
授業態度もあまり意欲的でないわりに当てられたときの受け答えはしっかりしていて正確。でも定期試験の成績は赤点ライン上を低空飛行。
とにかく挙げ連ねると、何処をとってもまるでわざとやっているかのようにつかみどころが無い。
それが宝来に対する一般評なのだそうだ。
そんな評判と、元々人を寄せ付けようとしない態度の所為か、宝来には仲のよい友達というものが、どうやら居ないらしい。
休み時間は大抵席から離れずぼんやりしているか本を読んでいるかだし、昼休みは独りで学食を利用しているようだ。放課後は何をするでもなくしばらく教室に居残り、大方のクラスメイトが出払った後で気まぐれのようにふらりと帰る。
どの場面にも、隣に立つ者が居ない。
確かに放っておけという態度はあるものの、もっと話しかける女子が出てきてもいいんじゃないか。俺はそんな無邪気なことを、結局夏休みに入る直前までぼんやりと考えていた。
宝来が妙に孤立した存在になっている理由を俺はあまり深く考えていなかったのだ。
考えていればどうかなったのかといえば正直なところ、どのみち結果は変わらなかったような気もする。俺は宝来のことを殆ど何も知らず、周りのことも全く見えていなかった。
宝来に自分を見せることばかり、いや自分のことばかり考えていた。
だから俺は、聴いていたはずなのにすっかり忘れていたのだ。
宝来に対する、もう一つの評について。
○○○
時間は放っておいても前に進むし、良くも悪くも何処かに辿りつくものだが、俺と宝来の関係はアレからちっとも進展せず、行き着く先は未だ視えない。
気付けばもう一学期の日程をほぼ全て終了し、今日は終業式。つまり明日から夏休みになる。
学校行事の中で、始業式、終業式といったあまり面白みの無い全体集会系はお約束として校長先生の話が長いというイメージがある。
だが、我が校の学長殿はそういうモノを嫌う学生の機微に敏感なのか、或いは持ち合わせた人格なのか司会に呼ばれて壇上に上がると一言。
「怪我や病気に気をつけて、充実した夏休みを過ごしてください」
という、一秒たりとも思考せずに出てきそうな文句を述べて早々に引っ込んでいった。おかげでその後の一学期最後のHRで担任が読み上げる諸連絡事項がやたらお堅い演説に聞こえてしまったほどだ。
感動的なまでに拍子抜けな終業式と、相対的に面倒だったHRが終われば補講も部活も無い身にとってはただ帰るだけ、気分的にはすでにほぼ夏休み突入である。
俺も現在はその身分なのだが、そんなグループに混ざっていられるほど暇ではない。
もはや日課となった行動として、宝来の席へ目を向ける。
平時ならばそこにぼんやりと席に身を沈めている宝来の姿を見ることが出来るのだが、さすがに午前終わりの日にまで長々と居残りをするつもりは無いらしく既に立ち上がってカバンを肩に引っ掛けているところだった。
普段の放課後には見られない、実に潔く素早い身支度である。
こちらも急いで帰り支度を済ます。
と言っても持って帰るべき教科書や体操着等はコツコツ事前に持ち帰っていたので、支度と言っても机の横に掛けてある萎びた煎餅みたいな平べったいカバンを掴むだけだ。
再度振り返って宝来の姿を探すと、教室後ろの引き戸に手を掛けているところだった。
何度かの席替えを経て、現在の彼女の席は後ろから二番目、俺の席は前から二番目。
互いに自分の席から近い出入り口が違う。
一瞬考えたが、俺は前の出口へ向かった。真っ直ぐ追いかけても良かったが、そうすると並ぶ座席や思い思いに帰り支度をするクラスメイトの合間を縫わねばならず、結果的に宝来の元へ辿り着くまでに時間がかかると踏んだからだ。
実際は大した距離じゃないから、気にするほどの差は出ないのだがそこは気持ちの問題である。
「よぉ、宝来!」
廊下へ出て彼女が居る方の口を見ると丁度此方に背を向ける形で生徒玄関へ向け歩き出していたところだった。その背中に声をかける。
散々帰り道の同行を申し出ても邪険に追い返され続けていたので、もしかしたらシカトされるかとも思ったが、幸いなことに宝来は立ち止まってくれた。
だが同時にこれ見よがしと肩が上下する。さすがの俺にも盛大にため息をつかれたのだと察しはしたが、構わずその背に近づく。
「途中まで一緒に帰ろうぜ?」
もう何度あしらわれたか判らない言葉を懲りずにかける。
宝来がその場で振り返る動作はいつも通り緩慢で隠そうともせず面倒くさそうだった。
同じ動作内で頭一つ分ほど上にある俺の顔を殆ど首を傾けずに眼だけで見上げてくる。形としては所謂上目遣いになるのだが、残念ながら恥ずかしげな表情とは遠くかけ離れた、ただただ胡乱な目つきである。
「いいよ」
その不機嫌に引き結ばれていた唇が動き、短い言葉を紡ぐ。
「そうかぁ、判った。じゃあまた今度……え?」
「そう? じゃぁ次に会うのは二学期ね、さよなら」
「ちょ、ま、まてまてまて!」
踵を返してさっさと帰ろうとする宝来を必死に止める。
すっかり断られるところまで日課のように身に染み付いてしまっていた所為で反射的に断られたときに返答をしてしまったが、今何て言った?
「いいって言ったか?」
「……何度も言わせないでくれる?」
すこぶる嫌そうな口調でそう言いながら振り返る宝来の顔には、なんとも形容しがたい複雑な表情が張り付いていた。言葉の調子に沿って嫌そうに眉根を寄せているわけでもなく、かといって皮肉気に口角を歪ませているわけでもない。
強いて言うならそう、無表情だ。
場合によっては怒っている様にも見えるかもしれないが、彼女は負の感情を態度で表すことに関してはかなり正直であることは経験的に何と無く察している。そして今の宝来からはそういったマイナスの雰囲気は感じられなかった。
ならば見た目どおり何も思っていないのかと言うとそれも違和感があった。
うまくは言えないがその瞳に何か秘めているような色があるというか、……そうだ、秘めている。その表情は何かを必死に押し隠しているような、そんな描写がぴったりのような気がした。
なら何を隠そうとしているんだろう、と考える。
「ほら」
と、無理やり作ったように見える無表情で言って返事も待たずに宝来が歩き出す。多分「行くよ」と続くニュアンスだろう。
「お、おぅ」
俺は戸惑いながらも何とか返事をして小走りにその背を追いかける。不思議な表情は気になったがソレを深く考えなかった。
結局のところ俺は浮かれていたのだ。だから芽生えた疑問にも非常に安直な答えを出した。
──きっと、宝来なりの照れ隠しなのだろう。
それなら今日の、普段に比べて妙にぶっきらぼうに感じられる態度にも説明がつく。
実に的を射た答えだと、そう思った。
○○○
早速一つ問題が発生した。
何しゃべって良いやら全くわからん。教室でないというだけでこうも口が回らなくなるとは我ながら予想外だ。
教室から生徒玄関、校門に至るまで見事に二人して無言だった。「こっち」と学校の敷地を出たところで促され「お、おぅ」と返事をしてノコノコ着いて行く。
実はこの時点ですでに俺のいつもの帰り道から外れていたのだが、迷わず同行した。
「おまえんち、こっちなのか?」
「いいから、ちょっと付き合って」
とにべもなく切り捨てられた。折角ちょっと話題っぽいものを掴んだと思ったのに。
しかし今の口ぶりからするとただ帰るんじゃなくてどこか寄るところでもあるのだろうか。
訝しく思いつつも、その背から立ち上る「黙って付いて来い」オーラが鈍い俺にすら解るほど露骨だったので以降下手に声をかけることも出来ずにしばらく二人して黙って歩き続けた。
目的地は分からないが進む方角からするとどうやら駅へ向かっているらしい。
我が校に通う電車通学の生徒が利用する駅には少し離れているが大きい駅と、最寄の中規模駅の二つほど候補がある。向かっているのはどうやら大きい方らしい。
駅から学校までが徒歩で二十分強もあるので最寄の方より利用者は少ない。数少ない利用者の中でも大抵が自転車を用意しているので徒歩で利用する生徒はさらに少ない。
そのせいか終業式で全学年一斉下校だというのに歩道を歩く同校の徒は想像以上に少なかった。
というか軽く見回した限り一人も居なかった。早終わりだから、友人知人と寄り道して帰る者や部活に勤しむ者が多いのかもしれない。気のせいでなければ宝来が人気の少なそうな道を選んで歩いていることも原因だろう。
気まずい沈黙の行軍を紛らわすために、俺は都会に来た田舎者のようにキョロキョロしていると程なくして駅前の大通りに出た。
ここまで来ると流石に大通りには多くの人が行き交っている。まばらだが同じ制服姿もいくらか確認できた。
このまま真っ直ぐ駅に向かうのか、それとも駅前で放課後デートでも企画してくれているのか、など後者あたり絶対に有り得なさそうなことを想像して独りで変な気分になりながら、宝来の背中に疑問の視線を注いでいると片側三車線の広い車道にかかる歩道橋へ彼女は足を向けた。
渡る先にはまたしても人通りの少ない道があり、地元民しか使わないであろう細い横路に入ったりしなければ駅の裏手側の改札口に出る。
歩道橋を渡らず大通りを道なりに行けば駅前に軒を連ねる商店や娯楽施設の密集したエリアになるはずだったのでやはり駅に向かうのだろうか。裏にまわる意味がわからないが。
宝来が電車通学という話は特に聞いたことが無いなと、ふと気づく。よく考えれば何処に住んでいるかなんて話題は今まで出したことがなかった。
「そういえば、宝来は何処に住んで──」
「私はさ、」
歩道橋の中程に差し掛かったあたりで、わざとか偶然か俺の質問を遮るようにして宝来が口を開いた。
そして何故か急に立ち止まる。一歩後ろを歩いていた俺は危うくぶつかりそうになってつんのめった。
「友達居ないのよ」
「お、おぉ……」
唐突な話題で咄嗟の答えに窮していると、何を思ったのか宝来は自分の鞄を足元に下ろし、実に身軽な動作で歩道橋の手すりにひょいと腰掛けた。すぐ下はかなり交通量の多い大きな車道である、背筋に冷たいものが走った。
「お、おい、危ないぞ──」
「何でだと思う?」
またしてもこちらの台詞を遮るように口を挟んできた。
見ていてハラハラする状況だが宝来自身はなんてことなさそうな様子で危なげというものが感じられない。全く感心するバランス感覚だった。とても体育のサボリ常習犯には思えない。
「何でって……」
俺は目を泳がす。
答えに窮している……のは実はフリで、本当は宝来のスカートの裾が気になってしょうがないだけだった。手すりという少し高い位置に、こちらを向く形で腰掛けているものだからちょっとした風でも吹いたらその奥が見えそうなのだ。なまじ宝来はスタイルがいいので非常に目の毒だった。
「つ、作らないからだろ?」
なるべく努めて平静さを装い──保養だか毒だか分からない部分を気にしない様に──そしてまたちゃんと宝来と会話するためにも、俺は彼女の目を真っ直ぐ見据えて思った事をそのまま口にした。
「何、友達って"作る"モノだったんだ? 材料とレシピ教えてよ、作ってみたい」
「……」
こちらが受け答えするのが苦手な表現でもって即切り返してきた。小馬鹿にしたふうに口の端を歪めた表情でわざとらしさすら、多分わざと見せている。
「ふふっ」
言葉につまる俺の態度にとりあえず満足したらしい宝来が再度口火を切った。
「まぁ、半分正解ってことにしておこうかな」
「半分?」
「そ、確かに私は自分から友達を作ろうとしないわ。けどね、それだけじゃぁ友達が出来ない理由には少し弱いのよ」
どういう事だ?
友達作ろうとしないから出来ないってのはすごく単純で間違えようのない事実に思えるのだが。
俺がそんな内心を現して首を傾けていると、宝来がおもむろに俺に向かって人差し指を突きつけてきた。ただでさえ不安定な場所に座っているのに片手を自由にしてて平気なのかと、話とは関係ない部分で不安を覚える。
「例えばあなたよ」
「俺?」
ん? これはもしや遠回しに貴方はあくまで『友達』であってソレ以上ではないという二度目のフリ文句か?
「本人が作る気がなくてもね、居るのよあなたみたいなおせっかい焼きやお人好し、或いは変に義務感の強いのが」
「俺は別におせっかいや義務感なんて無いぞ? 単にお前に惚れただけだ」
「……っ、じゃぁそういう勘違いさんも居るかもね」
一瞬、何故か言葉につまる宝来。俺は何か変なことでも言っただろうか。
「とにかく、そういう連中は変に頑固だから、ちょっと言葉で突っぱねる程度じゃ諦めてくれないのよ。でも、私はそういう人たちからも最終的には友達として受け入れられる事はなかったわ」
宝来が何を言いたいのか、俺は全く理解出来ず返す言葉が思いつかない。黙っていると、彼女は特にこちらのアクションを期待していたわけではないのか続けて口を動かす。
「そうは言ってもね、私にだって昔からずっと友達が居なかったわけじゃないのよ。中学一年の頃までは、多分一般的な同級生と同じように友達がいたわね。その頃の友人ですら、気づけば遠ざかってた」
中学一年の宝来宝。
その頃の彼女は一体どんな人間だったのだろうか。今のように普段から無気力オーラを発し、口を開けば毒の花が咲いたのか、或いは──
「何でだと思う?」
再度、宝来は俺に問いかける。
その質問は二度目だった。だが何か、ソレは今日最初に投げかけた質問と、少しだけニュアンスが違ったような気がした。問というよりは確認のような、答えを期待していない、というよりは最初から種明かしをするための枕詞としてそんな言葉を添えただけのような口調だった。
そこまで察していて、でも結局俺は気の利いた答えを思いつくことが出来ない。
「……わからん」
そういった俺の顔を見た宝来は、薄く、笑っているように見えた。あとから思えば此処が一つの分岐点だったかもしれない。或いは何をどう選んでも結果は同じだったのだろうか。
「こうしたのよ」
そう言って宝来は、後ろへ倒れこむようにして、歩道橋から堕ちていった。
「──は?」
思考が停止する。
直後鳴り響いた耳障りな人ならざる悲鳴のような音はなんだ?
続く鈍い衝突音はなんだ?
目の前に居たはずの宝来はもう、学校指定のカバンを残して目の前に居ない。当たり前だ、つい今さっき俺の目の前で歩道橋の向こう側へ堕ちていったのだから。
「な、なんで……」
思考が戻ってきたのか、まだ上の空なのか自分でもよくわからなかったが、とりあえずナニが起こったのかは朧気に理解し始めていた。
ふらり、と体がよろめく……様に感じたのだが実際は自分で宝来が腰掛けていた手すり側に歩み寄っただけだった。思考と体がまだ少し齟齬を起こしているようだ。
冷静なのか放心しているのか分からない頭で眼下の様子を、妙に他人事みたいに、事実確認するだけみたいな気軽さで見やった。
いつもは引っ切り無しに車が行き交う広い道路の真ん中に、何かあつらえた様にデカイトラックが斜めに止まっている。おかげで他の車も立ち往生していた。
道路をふさいだトラックは大きな損傷はないもののフロントガラスにちょうど人間がぶつかったら出来そうな蜘蛛の巣みたいなヒビが入っており、前面が少し凹んでいる。むしろ急ブレーキに反応しきれず追突したらしい後続車の方がよほどの損傷具合だった。
こういう場では煽るようなクラクションが鳴り響くようなイメージがあったが存外静かで拍子抜けする。皆何が起きたのかわからないだけなのかもしれない、俺みたいに。
と、そこまで考えていたところで一番前のトラックからいかにも土建屋な風貌のかなり若そうな男が飛び出してくる。
その顔は少し離れたここから見ても解るほど真っ青だった。
何かわめくようにトラックが鼻を向けた方へ足をもつれさせるように駆ける。
何処へ行くつもりだろうかと視線を先行させた。大通りと歩道を軽く隔てる街路樹の並木が続くその向こう側。
目算十メートルほど先の植え込みのようなところに何かちょうど人間大のモノがはまり込むように落ちている。目のいい方である俺にも流石にこの距離からソレが何かは判別出来ない。
──そんなわけあるか。
ソレが何かなんて、今この周辺にいる人間の中で俺が一番良く知っている。わかってなかったのはどうしてさっきまで目の前に居た宝来があんな遠くにいるのかという事だけだった。
だがソレも過去形だ。
実に単純な話だ。
宝来は俺の目の前で、道路に身投げしたのだ。
何故か?
そんな事、俺が知りたい。
訊くためには、そうだ、まずすることがあるだろう。
俺はズボンの左ポケットに手を突っ込む。そこにはいつも携帯が入っている。今時珍しいガラケーというやつだ。
何も考えずに取り出し、手元も見ずに開き、一瞬だけキーと指の位置を横目で確認して三つの数字を押した。
あとになって思ったことだが、このときの俺は混乱が一周していたらしく、人生で最も事を冷静に成し遂げた瞬間だった。なにせこれ以降自分がどう動いたのか思い出せないクセに、この時点で俺ができうる最良の結果を出したのだから。
朧気に思い出せることは、到着した救急車の尻が遠ざかる光景と、片手にぶら下げた宝来のカバンの、妙な軽さだけだった。
○○○
こんなことを言うのは不謹慎かもしれないが、驚いたことに宝来は命に別状は無かった。
歩道橋から身を投げ、急なことでほとんど減速すらしていなかっただろうデカイトラックに撥ねられて十数メートルも弾き飛ばされたというのに。
負った傷といえば一番酷くて左腕の骨折程度でそれ以外は軽い打撲や裂傷のみだったらしい。全治一ヶ月ちょい。大怪我には違いないが、奇しくも夏休み明けには完治する絶妙なタイミングで、学生生活には大きく影響しない。
とはいえ当日は流石に面会謝絶だった。
ドラマみたく手術室の前で待ち構える、なんて事を俺はせず翌日改めて見舞いへ赴いた。宝来の容態に関してはその時受付で教えてもらった。
聞いたときに何故か妙な顔をされたのはもしかして個人情報がどうとかそういう事で常識のない奴とでも思われたのだろうか、その割に教えてくれたが。
宝来の名を出した途端空気が変わった様に感じたことが、気のせいで無かったことを知るのはもう少しだけ後のことになる。
教えられた病室へ向かうと、驚いたことに個室だった。もしかして金持ちなのだろうか?
とりあえずノックしてみる。
寝ていたら出直そうかと思ったが、すぐに「どうぞ」という素っ気ない返事が来た。少しだけ思い切った気分で引き戸に力を入れたが、拍子抜けするくらいスムーズに開いてしまって危うくつんのめるところだった。
「っとと、よぉ」
「──!? なっ……」
入って早速声をかけると、宝来はあからさまに驚愕の表情を浮かべて絶句した。
「なんだ? 幽霊でも見たような顔して」
軽口を言ってみたが、目を見開いたままの宝来はピクリとも反応してくれなかった。我ながら珍しく気の利いた台詞だったと思ったのだが。
それにしても反応が実に不可解だ、驚いた宝来の顔といえば最初に告白したときにも見たが今のはその比じゃない。
そんなに大きかったのかと思うくらい目をまん丸にして、口なんかわずかにパクパクさせている。
ちゃんとノックして返事をもらった上で入ってきたのだから驚かせる要素などアポなしできたくらいしか思い当たらないのだが。
「……おい、その、大丈夫か? なんか驚かせたなら謝るが」
「──……んで、」
「ん?」
「……なんで?」
「なんだよ、俺は友達の見舞いに来ないような薄情者だと思われてたのか?」
実に心外だ。これでも友人は大切にする方なんだぞ?
それが惚れた奴だったらなおさらじゃないか。
「そういう事言ってるんじゃ……っ!」
と、何故か怒るみたいな口調で突っかかってきた。
本当に今日の宝来は普段の落ち着き具合からは想像できないほど情緒が安定してない。まさか事故の影響じゃあるまいな。
「本当にどうしたんだ? 何かあったのか、ってこの場で言うのはさすがに変か」
自分で言って苦笑する。何かもなにも、あんな自殺未遂劇があって今この状況なのだから。ん、そうか自殺なんて図るのだから、むしろ落ち着いているほうが変なのか──
「……あぁ、もう!」
と俺が状況を認識しかけたところで、宝来は何かを吹っ切るような声をだし、さっきまで険しかった表情を幾分デフォルトに近づけた。
「で、何しにきたわけ?」
「何って見舞いだ、他にどんな用事があるように見える」
「……そうね、今の質問は私がバカだったわ」
「そこまで言わないけど」
「何で来たの?」
「なんでって、友達の見舞いに来るのは当然──」
「あぁ、わかったストップ」
と急に手をかざされて口をつぐむ。
宝来はといえば頭痛に悩まされているように額に手を当てて俯いていた。何度もしつこいかもしれないが、大丈夫か?
「あなた、バカなのね」
「よく言われる。治したほうがいいかな?」
「やっぱりバカだわ。知らないの、バカは死ななきゃ治らないのよ?」
「そんなことはないのでは? 俺は努力だけは結構得意なんだぜ」
なにせ親も姉貴もストイックな人たちだから、これも英才教育というやつなのだろう。
「……ふーん、それじゃぁ勝負してみない?」
「勝負? なんのだ」
「私に近づく人はね、みんな死んでしまうの」
「はぁ?」
普段から掴みどころのない宝来だが、今日はいつにもまして意味が分からないことを言う。
「代わりに私はどうやっても死ねなくなった。歩道橋から飛び降りて、ダンプにはねられてこうして生きていられる人間が普通居ると思う?」
「ごめん、努力はするが今はバカにも判るように、順番に言ってくれないか。勝負ってのは?」
「バカは死ななきゃ治らないのか、そうでないのか。私がバカ卒業を認めたらあなたの勝ち。その前にあなたが死んだら、私の勝ち逃げね」
「それ宝来は勝ってうれしいのか? 第一どうやって勝負するんだよそれ」
当然の疑問を差しはさんだつもりだったのだが、宝来はまるで出来の悪い教え子でも見るように鼻を鳴らした。
「聞いてなかったの? 私に近づくと死んじゃうんだよ?」
だから──
と、宝来は続けた。
「私と、付き合ってみない?」
8年も前ゆえにあまり覚えもなく、設定メモもほとんどないためこの後どんな展開にする予定だったのかわからないので続けられない。
ただ、わずかな痕跡からおそらく『少女の死ねない体質の真相を追っていく伝奇っぽい雰囲気のなにか』を書きたかったと思われる。異能バトルとかそういう派手なのはないタイプの。
それでもあえて、今の好みでラストの落としどころを考えるならば、最後にこんな感じのやり取りで〆る方向にもっていきたい。
「こんな私なんかのために命張るなんて、あなた『死にたがり』なんじゃないの?」
「お前こそ、自分が死ねばいいとか考えが短絡的すぎんだよ。『脳筋』か!」