7・混沌
結局、シェリーは鍵を出してアンドレーとアイラを解放した。
彼女の大逆に相当する罪は、アンドレーの不埒な行いを生涯決して口外しない誓約と引き換えに免除する事になった。セドリックは納得いかない様子だったが、アンドレーに失望した私は彼女を庇ってやり、アイラも同調した。アンドレーは私と視線を合わせる事を避け、黙りこくっている。
「流石は聖女さま、何と懐の広い御方でしょう!」
とシェリーは感激の面持ちで私を見たけれど、私は冷ややかに、
「勘違いしないで。貴女などに婚約者を寝取られたと公になれば、私の顔にも泥がつくからよ」
と言ってやった。その通り、私の中には彼女への怒りと、だからと言ってこれで一族連座の死罪にでもなったら可哀相だという気持ちがないまぜになっている。
彼女さえいなければ、アンドレーは今も私だけのアンドレーだった? 彼女が無理やりアンドレーを誘惑した? この二つの疑問に、否という答えを自分で認めずにいられないのだ。アンドレーは他にもやらかしているに違いない。初心そうな娘を狙い、弟の名を騙って近付き……。
「アンドレー、正直に言って。何人くらいこういう事したの?」
「……そんなの、覚えてないよ」
拗ねたようなアンドレー。私はイラッとして、
「覚えきれない程って事でいいの?!」
「そういう訳じゃないよ。でも言ったらシーマは怒るでしょ」
「もう怒り過ぎて怒りを通り越して呆れてるわよ。そして悲しいわ」
「え、怒ってないの?!」
彼はほっとした顔を見せる。
……アンドレーってこんなに馬鹿だったの? 情けなくて涙が出そうになるのを堪えて、
「ねえ、私の何がそんなに怖いの? 私、男の人を怖がらせるようなこと、した?」
そうだ、アンドレーを浮気に走らせたのは、何か私に良くない所があったからなんだろう。そんな覚えはないけれど、アンドレーの理由を知っておきたい。
するとアンドレーは暫し考えていたけれど、この際だから言ってしまおうというような表情で、私の顔色を窺いながらも、
「あのさ、僕はシーマを愛しているけど……多分、シーマは僕にとって母親のような存在なんだと思う」
と、ようやく煮え切らない態度を改めてはっきりと言った。言ってくれたはいいけれど、私は結構ショックを受ける。私とアンドレーは同じ歳なのに、母親??
「ど、どういうこと……私、老けてる?」
「違うよ、そういう意味じゃないよ。僕とセドリックは生まれた時に母上を亡くしたでしょ。顔も知らない母上だけど、父上はこよなく愛されていて、後妻を娶る事はなさらなかった。だから僕たち、小さい頃はよく、母上ってどんな感じだろう、って話し合っていたんだ。そしたらセドリックが、『シーマみたいな感じじゃないかな』って言って……それでそんな風に無意識に思ったのかも……」
「えええ? 意味解らない!!」
「それにほら、小さい頃、僕が熱を出すと、『寝冷えしちゃ駄目でしょう』って苦い汁を飲ませたじゃない? あれも母親っぽくて、そして恐ろしくもあったな。あれは本当にまずかったから」
「苦い汁って、頑張って作った薬湯のこと? ひどい、そんなに嫌なら言ってくれれば良かったのに!」
「だって怖くて言えないよ」
白状してすっきりしたのか、アンドレーは小さく笑った。だけどこちらは全然笑う気分じゃない。そんなの例えアンドレーの中では真実だとしても、婚約者を裏切る理由になんてならない。
「セドリック、貴方がそんな事言ったの? 私が母親みたいって?」
子どもの頃の話なのに、つい八つ当たり気味に矛先を向けてしまう。すると何故だかセドリックは少し寂し気に、
「兄上を一番想っているのはシーマだよ、って言いたかったんだよ。まさか浮気の引き金になるなんてね。ごめん」
と謝ってくれた。そんなに下手に出られるとは思っていなかったので、
「あ、いえ、謝るような事ではないでしょう。悪いのはアンドレーだわ。小さい子ならともかく、今は私と結婚すると理解しているのに他の女に手を出して子どもを、だなんて信じられないわ」
と驚いて答える。
全く、ここに来てアンドレーとセドリックはひとが入れ替わってしまったみたい。
……いえ、そうじゃない。アンドレーは隠し事をしていただけだし、セドリックはそんな兄の実態が明るみに出ないよう、わざと軽薄に振る舞っていたように思えて来た。
アイラはどう思っているのだろう。妹は、アンドレーを見つめていた。その表情からは心中は窺い知れない。
その時、シェリーが更に事態をややこしくするような事を言って来た。
「あの……シーマさま。ご寛大な御心に、わたくし、聖女さまに対してもうひとつお詫びを致さねばなりません」
「今度はなに?」
「あの、聖殿でお倒れになった日……眠り薬を入れたお茶を差し上げたのはわたくしなんです。でも、指示されてやった事で、聖女さまはお疲れが溜まっておいでだから、ゆっくりお休みできるようにとのお計らいだと聞いて……こんなおおごとになるなんて思ってもいませんでした! 本当に申し訳ありません!」
クラクラしてくる。それもあんただったの?! とはしたない叫びを上げそうになった。
「なんで。誰なの、指示した者って?!」
「わかりません!」
「わかりません、って……誰かも知らない人間の言うなりに、聖女に薬を盛ったって言うの?!」
「名前は判りませんでしたが、王家の印の入った封書だったんです。それでわたくし、てっきりセドリックさま……いえ、アンドレーさまがわたくしを思い出して下さってお役目を言いつけて下さったのかと」
もう、全く訳がわからない。でも、王家の印はそう簡単に偽造できるものではない。
「アンドレー? それともセドリック?」
私は王子たちを振り返ったけれど、
「ぼ、僕知らないし! 彼女の事忘れてたしね!」
とアンドレーはまた屑な事を言い、セドリックも、
「僕は彼女とそもそも知った仲ではなかったんだからそんな封書を送る理由はないよ」
と否定した。
「もうっ!! なんなの、いったい?」
私はヒステリックに喚いたけれど、この時妹のアイラが冷静に私の手をとって、
「お姉さま、最初の目的通りに、大神官さまに会いに行きましょう。大神官さまは国で一番魔力をお持ちで物知りなおかた。きっと、わたくしたちはどうなっているのか、どうすればいいのか、教えて下さると思うの」
と言ってくれた。
そうだ、婚約をどうするかは別として、真実を、みんなの本当の思いを知りたい。その相談相手として大神官さまは一番の適役の筈。魔道を極めた賢者なのだから、きっと何かしらの回答を下さる筈……。