2・愛しい人は
「アイラ、一緒に陛下に嘆願に行きましょう。貴女だって、こんな事耐えられないでしょう?」
自分で婚約破棄を覆す、という目標を見つけた私は、セドリックが帰った後、妹のアイラの部屋へ行った。アイラこそ今回の一番の被害者だと私は思っていた。何の咎もないのに、私が聖女を頑張り過ぎて倒れてしまったおかげで、熱愛していたセドリックとの婚約を破棄されてしまう。さぞかし泣き腫らしているだろうと思っていた妹は、しかし案外元気そうに見えた。
「嘆願? いったい何の嘆願でしょう?」
刺繍の手を止めて、小首を傾げてアイラは言う。本当に解らないといった表情以外に、私と同じその顔からは嘆きなど他の思いは読み取れない。
「えっ、婚約破棄の破棄に決まっているじゃない!」
「破棄の破棄って……だってもう決まってしまった事でしょう? 変えられっこないと思うのですけど」
私は、もう自分が愛するセドリックとの婚約を破棄された事を受け入れているらしいアイラの様子にとても驚いた。私が寝込んでいてアイラと会わなかったのはたった数日なのに、妹が別人になってしまったかのように感じられた。
「変えるよう努力しましょうよ! 貴女は私がセドリックの妃になってもいいの?」
「……セドリックさまとお姉さまが良いのなら、わたくしは別に構いません」
セドリックさま? アイラはいつも内輪では、はにかみながら『愛しいセドリック』と呼んでいたのに。もう婚約者ではないから呼び捨てにしないと決めた、そういう事なの?
あんなに愛していたのだから、もしかしたら妹は、こんな事態になってしまって自害を考えるかも知れない、とまで心配していたのに、そんなにあっさり気持ちを切り替えられるものなの?
「いったいどうしたの、アイラ。どうしてそんなに冷静でいられるの?」
「勿論、お話を聞いた時には動揺しましたけど、でも国王陛下がお決めになった事ですもの。そしてセドリックさまも……受け入れてらっしゃるのに、わたくしが泣き叫んだところでなんになりましょう? 見苦しいだけですわ」
そうか、アイラは婚約破棄よりも、破棄を受け入れたセドリックにショックを受けてこんな風になってしまったんだ、と私は気づいた。と同時に、またさっきの、へらへらしたセドリックの態度に怒りが湧き起こった。
「ねえ、貴女、セドリックに会ったの?」
「ええ。彼はこう言ったの。『アイラ、きみを愛しているけど、結婚は出来なくなったんだ。でも、兄上がきみを幸せにしてくれるよ。きみなら良い王妃になれるよ』って」
なんという薄っぺらい言葉だ! アイラの固い表情は話すうちに崩れ、目に涙が浮かんだ。
「アンドレーさまはお姉さまを想って王太子の座を譲るとまで仰ったそうなのに、あの人はわたくしに未練なんかない……愛してる? 言葉なんて何にもならないってよく判ったわ。わたくしが他の人と結婚して幸せになれるなんて思っている時点で、あの人は愛が何か、解っていないひとなんだわ!」
「アイラ……」
「ごめんなさい、お姉さま。わたくしの心はぐちゃぐちゃなの。まだそれでもあの人の『愛してる』を信じたいと思ったり……誠実なアンドレーさまの王妃になって見返してやりたいと思ったり……ああでもごめんなさい、お姉さまはアンドレーさまを愛してらっしゃるのに……」
「貴女のせいじゃないわ。私がいけなかったのよ」
私たちは抱き合って暫く涙を流した。私が引き起こした事ではあるけれど、愛しい妹が苦しんでいるのはセドリックのせい。
今までは、幼馴染で将来の義弟、話せば楽しいしアイラを大事にしてくれるし、いい奴だと思っていたけれど、私の彼に対する評価は急降下。
……でも、その彼と、私は結婚しなければならない運命にある。何としてでも阻止しなければ!!
アイラは自分から未練を見せるような嘆願はしたくないようなので、私は一人で王宮への馬車に乗った。
陛下より前にまず、アンドレーに会わなければ。アンドレーが私の行動に賛成でなければ、もう何も出来る事はない。
―――
「アンドレー殿下は、シーマさまにお会いしたくないそうです」
面会の申し入れに対し、暫く待たされた後、衛兵はあっさりと応接室で待っていた私にそう告げた。私に会いたくないですって?!
『兄上は深く沈み込んでおられる。きみに合わせる顔がないと』
セドリックの言葉が胸に甦る。もうっ、落ち込んでる場合じゃないのに!
でも、王太子が会いたくないと言っているのに無理に通る事は許されない。そこで私は咄嗟に言った。
「聖女として王太子殿下にお伝えしないといけない事があるのです」
「国王陛下ではなく王太子殿下にですか?」
(うるさいな! なんで聖女の私がツッコミを受けなきゃならないの? 大体、聖女になったせいでこんな事になったんだから、この地位は存分に使わせてもらうんだから!)
「先に王太子殿下にご相談しなければならないのです。ご神託です」
聖女は祈りの力で国を護るのが仕事だけれど、稀に神託を授かる事がある。どこそこに何を植えたら豊作になるかとか、どこそこで疫病が流行る恐れがあるから対策をしなさいとか、そういう類らしいけれど、聖女歴半年の私にはまだ未体験だ。
勿論、嘘の神託は許されないけれど、ここを通して貰う為の方便にくらいは使ってもいいんじゃない?
ふと、『婚約の入れ替えは駄目だという神託が下りた』って言えば? って思いついたけれど、流石にそれは嘘でしかないので、しては駄目だとすぐに反省した。
「とにかくお会いしてお話ししたいと殿下に伝えて下さい!」
私の剣幕に押された衛兵はすっ飛んで行って、間もなく私は王太子の私室に通る事を許された。
幾度となく訪れお茶をした、通いなれたアンドレーの私室……でも何だか遠く感じる。
入室すると、部屋は薄暗かった。まだ夕暮れ前なのに、厚いカーテンがかかっているのだ。
私は眉を顰め、気配を探る。というのも、目に見える所に愛しい人の姿はないものの、気配は感じたからだ。
「……アンドレー? 私よ。どこにいるの?」
私は呼びかけた。答えたのは啜り泣きだった。
「シーマぁ……ごめんよ、怒らないで。僕……」
私は続き部屋の衣装部屋の方から声がしたのに気づき、そこへ歩み寄り、扉を開けた。ずらりと並んだ豪華な衣装の下に隠れるようにして、私のアンドレーは蹲り、頭を抱えていた。
「怒ってなんて、いないわ……。どうにかしたいだけ」
私はアンドレーの傍にしゃがみ込む。
常に公では威風堂々として、立派な王の器と褒めそやされる王太子は、私と二人でいる時は時々幼児のようになってしまう。私の前でだけは、素になれると言ってくれていた。正直、格好いいとは言えない。
……でも、でも、私たちは愛し合っているんだから!