10・もううんざりだ
場の空気が、それまでとは違った角度に凍り付いた。
「お許し下さい、などと言う資格もありませぬが……元々いない存在だったのです。無に帰るのは、人の死より苦痛はない筈……セドリック王子」
と、アンドレーに向かって大神官さまは仰った。そのまま呪を唱えようとなさる。
「ちょっと待ってええ!! 大神官さま、そっちは王太子よ!」
私は思わず大声を上げて制止した。瞬間、大神官さまは、意味が解らないという顔で私の方を向かれる。
「聖女どの、つまらぬ時間稼ぎをしても無駄ですぞ」
「いや、どっちも消させたりしないけれども、とにかくそっちはアンドレー王太子です! どうなさったの大神官さま、二人を間違えるなんて!」
けれど、よくよく思い返してみたら、私たちは挨拶はしたけれど自己紹介はしていない。何でもご存知の大神官さまに対して、わざわざそんな事をするなんて却って失礼だろうという気持ちがあったかも。でも、大神官さまは『偽者の王子』の事を語っている間ずっと、主にアンドレーの方を見ていらした気がする。セドリックも発言していて当然大神官さまは解っていると思っていたけれど、会話がすれ違ってそれでも成り立っていたような……?
セドリックは沈んだ声で、
「大神官さま、セドリックは……偽者は僕です。兄に……いえ、本物のただ一人の王子に手を出そうなんて、どうされたのですか」
この言葉に、大神官さまは初めて動揺の色を見せた。まじまじとアンドレーを見つめる。彼の額に王太子の身分を示す輪があるのをようやくみとめて、言葉を失われたようだ。本当に人違いをなさっていたらしい。大神官さまともあろう御方がどうした事なのだろう。
「馬鹿な。何故人造人間が王太子に」
この言葉に私たちの頭は益々混乱を深めた。
「生み出した者である私には、纏う魔力でこちらの王子が人造人間だと入室された瞬間から判っていました。ですがそんな……」
「僕がセドリックです! 誰でも知っています! それに父……いや、陛下からも言われました。自分の勝手な感情で偽の命を与えてすまなかった、だが今は息子と思っている、と。だから……大神官さまが僕を消さねばと思われるならば、僕はもういいです。息子と呼んで頂けたから、生まれて来た意味はあったのだと、そう思いながら消えます」
セドリックが言う。そう言えば今まで忘れていたけれど、小さい頃は陛下はアンドレーばかりを可愛がり、双子の弟の方には冷たかった。どうしてだろうと悩みを打ち明けられた事もあった。『今よりもっと良い子になれるよう頑張りましょう。そうすればきっといつかは認めて頂けるわ。私も頑張るから』なんて子どもだったから無責任な励ましをしたものだった。でもその言葉がきっかけでセドリックは立派な王弟になれるよう努力を重ね、次第に陛下も彼を重んじる態度をとられるようになってきたんだった……。
「そんな、セドリック、今まであんなに尽くしてきたのに!」
「未練がないと言えば嘘になるよ。陛下は、聖女を娶ればきっと本物の人間になれると仰ったから……それには心が動いたし。でも、今までアイラを愛してきたのに、僕が人間じゃないばかりに、シーマもアイラも不幸にしてしまうかも、と思うと怖い気もして、とにかく混乱してたんだ。済まない」
「いつからそんな風に思ってたの?」
「父上が、いや陛下が、婚約の入れ替えを言い出された時に、僕はいち早く一人で陛下の所へ行って強く抗議したんだ。その時、『これはとにかくそなたの為に私が考えた事。これでそなたは本当の息子になる事が出来る』とだけ言われて……意味がわからず、どう振る舞えばいいのか判らなくなっていた。幸せにしてあげる、なんて今思えばおこがましかったね、シーマ。そしてアイラ、ごめん。今までありがとう」
「ちょっと待ってください!」
覚悟を決めているセドリックを遮ったのは大神官さま。
「セドリック……さま? とにかく、あなたの方が本物の人間である事に間違いはないのです! 恐らく……赤子の時に取り違えが起こったのではないでしょうか」
「そんな馬鹿な。いくら双子として育ったからって」
「いいえ、お二人は普通の双子ではない、元々一人の人間だったのですから、自我が芽生える以前は、私以外の誰にも見分ける事は出来なかった筈です。そうか、その可能性を考えていなかったとは、私は本当に愚かな……」
ええっ、では本当に、セドリックの方が兄で王太子で人間?!
「いい加減にしてくれ、そんな……ようやく受け入れたのに、もううんざりだ!」
「セドリック」
彼は低く呻いて座り込む。私は息を呑む。
「では、では、アンドレーは……」
「え、僕? 僕が?」
「そうです、あなたが偽の王子です!」
と大神官さまはきっぱりと仰る。アンドレーは泣きそうな顔になり、
「え、え? まさか、僕を消すの? そんな、助けて、シーマ!!」
と叫んだ。突然の事とはいえ、セドリックの覚悟を決めた姿とはあまりに違い過ぎる、と思ってしまった……。
「いえ……流石に、聖殿を訪れた王太子殿下がいきなり消えれば、国中大騒ぎになってしまうでしょう……。私はもうどうすれば良いのか判らなくなりました。今日のところはお引き取りください……」
「消えなくていいんだ! 良かった!!」
無邪気に喜ぶアンドレー。いや、何も解決した訳じゃないんだけど……と溜息が出る。確かに、いまアンドレーを消す! って言われたら大変だけれど、自分が人造人間って知って、なんで助かった事だけを喜んでるの。
憔悴した様子のセドリックをアイラが支え、にこにこしてるアンドレーに私が付き添って、聖殿を辞した。
……本当に疲れた。




