三題噺「桜、車の鍵、旗」
三十年前はマンモス校だった校舎には使われていない教室が山とある。立て替えではなく耐震工事という選択を取り、新しい校舎になるわけでなく年を重ねた廊下を上靴替わりのスリッパをぱたぱたと音を立てながら歩く。
裏山に面した特別教室棟の一階の東の突き当たりにそこはあった。廊下の窓は珍しく開けられていてそこから裏山の桜が時折迷い込んでくる。途中拾った自転車の鍵を手の中で弄びながら目的の扉に向かう。今日はいるだろうか。
廊下いっぱいに響き渡るレールと扉の悲鳴に当てられながら立て付けの悪い引き戸を動かす。いるようだ。
「先輩、こんにちは」
無造作に置かれた職員室での仕事を終えた事務机の一つに先輩はいた。
「やっぱり。今日あたり来ると思ってた」
そう言って使い込んで塗装の剥げたシャープペンをノートの上に落とすと椅子から降り鞄をごそごそを漁る先輩に、言葉にしてはいけない感情が沸き上がる。チャラチャラと音を立てていた自転車の鍵が自分の手から滑り落ちる。
「あれ?君、徒歩通じゃなかったっけ?」
そんな些細なことを覚えてくれていることに胸が弾む。
「落ちてたんで拾っときました。どうせ暇なんで。チャリ通学生がチャリ置き場で慌ててたら声掛けれるじゃないですか」
長く掃除されていない床に落ちた薄汚れたキーホルダーのついた鍵を拾いながら返事をする。肌寒いとも言えなくない四月の初旬に先輩はジャケットを脱いで薄いブラウス姿になっている。衣替えまで数ヶ月あるというのにだ。
「この暇人が。早く鍵の持ち主見つかるといいね」
と言いつつ目当てのものが見つかったのか、使い古され大きく軋む椅子から立ち上がり扉の前で立ちすくむ自分の前にとことこと言う擬音が似合う歩き方をして先輩が近づく。
「はい、これ食べるでしょ?」
渡されたのはよくある輸入菓子のグミで、最近先輩がハマっているのか常に持っているものだった。
「これ、最近先輩がよく食べてるやつですよね」
「気づいてた?おいしいんよ、これ」
一緒に座ろう?と何故かこの部屋にあるくたびれたソファーにぽすんと先輩は膝を立てて座り込む。黒タイツに包まれた脚を惜しげも無く晒してスカートの下から体操着のハーフパンツが覗いている。何も考えないようにして隣の一人分のスペースに座る。隣の先輩を直視出来ずにすぐ横にある棚を眺める。棚には先日あった入学式で使われた国旗と校旗が仕舞われた箱が見える。片付けに駆り出され、自分は延々とパイプ椅子を運んでいた隣で先輩が畳んでいたのを鮮明に覚えている。
体育館ではバレー部やバスケ部のシューズが鳴いているし、グラウンドでは野球部が声を揃えていて吹奏楽部のてんでバラバラな楽器の音が鳴り響く放課後を、くたびれたソファーの上で甘ったるいグミを口の中で転がしながら他愛もない会話がぽつぽつと続くことにどうしようもなく幸せを感じた。




