07.嘘つきが最大要因
そのまま進展なんて、無いと思っていたのに。実際、半年以上、一度も話なんてしなかったのに。
まさか。まさか、まさか…!
(よりにもよって、変質者を取り押さえる場面で鉢合わせるなんて…!)
しかも、動揺と恐怖で、痴漢相手に、かなり脅しを掛けてしまった。あれくらいやらないと、怖いのだ。でもだからって、恋する相手の前で、アレはどうなのだろう。多分、駄目だ。
「かといって…そのままヤられる訳にも行かなかったし…」
致し方なかったのだろうか。
はああ、と大きくため息を吐く。
「こーと! どうしたのよ。さっきからため息ばっかりー」
香里が、私の視界にひょっこりと顔を出した。つん、と私の眉間を突き、「眉間のシワ、すっごいよ。固まったら大変だし、その辺りでストップしといたら?」と冗談交じりに助言をくれた。
「ていうか、何があったのよ」
腰に手を当て、唇を突き出す姿は、本当に可愛らしい。香里は、中身は姉御肌だが、外見は150センチくらいの小柄な体躯で、可憐な見た目をしている。だから、そんなポーズがよく似合う。
「その可憐さが少しでも、私にあればよかったのに…」
自分が、可憐、とは無縁であることは、よく分かっている。かといって、美人系なるものでもない。強いていうなら、ぽやぽやしている、らしい。友人談。そのリーダーである香里は、「そこが一番の魅力なのに、分かってないなあ」と笑う。
でも私は、できれば可憐な感じが良かった。それなら、痴漢に遭っても、この容姿だから、なんて言えたかもしれない。守ってもらう光景が、いっそ自然なら。流れるままに、彼から連絡先を教えてもらえたかもしれない。
(な〜んて…)
無いものねだりもいいところ。それに、可憐だから、が本当はなんの理由にもならないことを、私は知っている。
痴漢に遭ったのは、私が隙だらけで、相手がその隙に付け込むような悪いやつだったから。連絡先を訊けなかったのは、私の勇気が足りなかったから。
それをこの後に及んで、容姿の所為だなんて。情けない。でも情けなくなる自分を、許してもあげたい。なんでもできるスーパー人ではないのだから。
とはいえ。
目下の問題は。
「自分の世界に飛ばないっ! 事・情、はっ?」
目の前で目くじらを立てて怒っている、この友人だ。
「えええっと…変質者がやっぱり変質者で退治したら恋に痛手が?」
「は?」
…説明を省くなんて高度な技術の持ち合わせは、ありませんでした。
「ふうむ。なるほどねー」
事情を把握した彼女は、ぷるんとした唇に指を当て、思案顔。
「ま、でも、印象には残っただろうし…意外性としては、バッチリじゃない。ここから恋が始まるかも、よ?」
「でも怖い子って思われた…」
「そんなの、どうとでもなるわよ」
殊更気にしていない様子の香里に、私は眉を寄せる。そんなの、可愛いことを売りにできる彼女だから言えることだ。私が今更可愛げを見せたところで…。
『わたし、こわぁい!』
鳥肌もの、だ。うん。だめ。NGだ。
「ていうか、ことはどうしたいの?」
「? どう、って…?」
だーからぁ、と香里は、ジト目で言う。
「過去にあったこと、思い出して欲しいの? 欲しくないの? どっちにしろ、好きだってことに違いは無いんだろうけど」
「か、かかかかおりっ!?」
そんなあけすけに言わなくても! と声を荒げれば、なによ、とやはり仕方がないものを見るような目だ。
その視線に退路を絶たれ、項垂れる。
そんなことを、訊かれても。
「わかんないよ…忘れられちゃうのはショックだけど、もし憶えてて、あの時の被害者の子だな、なんて思われたら、嫌だ」
「ふーん。つまり、“あの時”じゃなくて、“今”を見てってことね?………って、なによその顔。口、開いてるわよ」
指摘されて、慌てて口を閉じる。
(自分でも、気付いていなかったけど)
先程の、親友の言葉を反芻する。今を見て欲しい。そういうことなのだろうか。
過去よりも、今を。
だけど。
(私自身、あの人の“今”を知らない)
今どころか、過去だって。
だから、好きじゃいけない?
―――そうではないはずだ。
好きだから、知りたい。私はまだ、あの人をあまり知らないけれど。それなのに、好きだなんて、言えた義理では無いのかもしれない。だけど。
否定と肯定を、心の内で繰り返す。
「私だって、百戦錬磨って訳じゃないけど、恋なんて人それぞれの形だもの。どうしたらいいかなんて、答えられないけど…後悔だけは、しちゃだめよ?」
向けられた視線には、心配そうな色が見え隠れしていた。
落ち着くために、一度目を瞑る。しっかり気を持たせるために、深呼吸をして、薄ら目を開く。
「ありがと…」
―――もうちょっと、頑張ってみる。
と、誓ったのに。
私は、また嘘をついてしまった。