05.素直になればいいのに
思い出した。
けれど。
(どんな…顔、すればいいのだろう)
忘れたままのフリを通すのは失礼な気がする。というよりもまず、僕にはそういう嘘が吐けない。
かといって、思い出したよ!と伝えるのも、話題的に…ねえ? 触れられたくない話題であるような反応だったし。
そんなことを考えながら、走る。
考え事をしながら走るのは、得意では無い。なんとなく頭を空っぽにして、草が綺麗だなー、とか、星が綺麗だなー、とか。ゴミ捨ててるやつがいるなー、とか。良いことも悪いことも全部ひっくるめて、あることをあると言うだけの、短絡的な思考。僕のストレス発散方法。
六年間を、コレで耐えてきた。下手したら、それよりももっと前から。昔から、ただ走ることが好きだった。
ああ、この道だ。
浅いことしか考えられない思考回路は、なんとはなしに、そう認識する。
彼女と『再会』した道だ。
予期せず意識するようになった、彼女を、初めて見掛けた場所。彼女が悪漢に襲われそうになった場所。
返り討ちにできるまでの実力を身に付けたのは、ひょっとして、高校のあの痴漢事件がキッカケだろうか。いや、間違いなくそうだろう。
でも何故彼女は、憎き敵の、的になるような時間帯に、あんなに可憐な格好をしていたのだろうか。それが、解せない。
(うぅ〜〜〜〜〜〜ん)
しかし僕の残念な頭では、答えはサッパリだ。これは多分、ランニング終了後でも同じ。いくら考えても、100%の限界が120%に上がるわけではない。
僕は、すぐに諦めた。
専門家に訊こう。この手の問題は、僕には不得手だ。
「だからって、部外者の俺に回すな、阿呆。ちったぁ自分で考えろよ」
「考えたんですけど…」
押し黙った僕に、先輩は続きを促す。続きを言わなければ、俺の手は貸せねぇな、という無言の圧力を感じる。ああ嫌だ、言ったところで、どうせ怒られるのが関の山だ。
「そういう格好をしていると襲われる確率がアップする、ということを知らないんじゃないか。という答えしか、僕には出てきませんでした」
「………」
先輩は、自分で続きを求めたくせに、僕の発言をスルーした。酷い。それならまだ怒られた方がマ…シ、なのか? いや、怒られない方がいいのでは? どっち?
「…おい、視線が現実からズレ始めたぞ。どこ飛んでった」
「甘い道を取るか、厳しい道を取るか。それによって、その後の人生って変わりますよね」
「モノに因るとは思うが突然何の話だ!?」
突然叫んだ先輩に、僕は驚いて目を見開く。どうしたっていうんだろう。
先輩はしばらくワナワナしていなけれど、やがて、はあっ、と大きく溜め息を吐くと、首をゆるゆると横に振った。
「もういい。気にしているとキリが無い。それよりお前、本題は…彼女が、夜にそんな格好してる理由、だったな」
「ああ、はい。そうです」
僕が首肯すると、先輩は腕を組み、ふむ、と唸った。
「単純に考えると、二つだな。一、彼女には可愛い格好を見せる相手がいる。まあ彼氏とかだな。プラス、その格好で襲われてもなんとかできる自信があった」
実際、撃退していた訳だし。でも撃退できることと、襲われるリスクをアップしても構わないと感じることは、些か違和感だ。だって、いくら撃退できるといったって、失敗する可能性もあるわけで。それでもその格好をする、というのは。うーん。僕が彼氏なら、心臓に悪いから止めて欲しい。
「二、そもそも、変質者ホイホイになることが目的だった」
「へ、変質者ホイホイ?」
僕が引き攣った声で復唱すると、先輩は神妙な顔で頷いた。
「例えば、さっき言ってた過去の痴漢事件。ソレをキッカケで痴漢撲滅を目指して、自ら囮になってるとか、な」
要するに復讐。あるいは、被害者を出さないという正義感。使命感。それを彼女が?
「そんなまさか! 危険ですよ」
「ま、なんにせよ。答えは彼女の中にしか無いんだ」
先輩は首の後ろを掻きながら、顔を青くしている僕を見やりつつ、やれやれと首を振った。
「申し訳ないが、俺は探偵じゃないんでね」
「………………」
余計にモヤモヤした気持ちで、僕は走っていた。考えながら走るのは苦手だ。
だけど。
公園の前で立ち止まる。
は、と息を吐く。空を見上げると、黒い空が広がっている。ぽつぽつと光る星。綺麗だ。
いや、そうじゃなくて。
片手をこめかみにあてる。
(…どうしてるんだろう)
走るのに、集中ができない。
(今日も一人で、歩いているのかな)
一人で。この暗い道で。彼女は今日も、歩いているのだろうか。
もしまた、危険な目に合っていたら。背筋がゾッとした。
意図的になのか、どうか。
それがどちらでも、関係無い。
僕は。
「っ!」
衝動的に、走った。
精神を落ち着かせるためではない。いや、ある意味では、そうなのかもしれない。
いつもの、長く走るようなペースではない。呼吸が乱れる。
ああ、この道だ。
昨日感じたことと同じ言葉を、以前よりもずっと強く、思う。
角を曲がる。背中が見えた。最近になってよく見る、彼女。僕は最後の力を振り絞り、コンクリートを蹴る。
声が出ない。苦しい。呼び止めることは諦めて、僕は彼女の腕を取る。
彼女は鋭い目で僕を睨み、しかし僕の顔を見るなり、驚いたように目を見開いた。
肩で息すること数秒。ぐっと顔を上げた僕は、真っ直ぐに彼女を見て、ようやく口を開く。
「あの―――」
彼の物語は、これにて終幕。
時は今一度舞い戻り、違う想いを紡ぎます。
彼が掴み取った“行く末”は、それまでしばし、お待ちくださいませ。