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03.意地でも振り返らない

「気になるなら、もういっそ本人とっ捕まえて訊いてこいよ。お前、足だけが取り柄だろうが」

 先輩は最後に投げやりにそう言った。しかし、的確なアドバイスだった。更に正確に言うなら、その足すら、頼りになるかどうか。なにせ、とんでもない速さだったから、彼女。足元を見ていなかったから、踵の高い靴を履いていたのかどかは謎だが、それにしたって速い。追い掛けたとしても、追いつけるだろうか。

 そんなことを考えながら、ゆったり走る。先輩に話して、少し楽になった。やるべきことが決まったからかもしれない。人間、どの方向に進んだらいいのか分からない時は、決まって不安になる。楽しめる人もいるだろうが、大抵の人間は不安だろう。僕は当たり前のように『大抵の人間』に含まれる。ごく一般的な感性の持ち主だ。先輩だったら、楽しめるのだろうか。

 先輩といえば、先輩が気になっている人が、僕は気になる。いや、気になる度合いでいうなら、彼女の方が上なのだけれど、先輩の気になる人も気になる。…うん、言葉がこんがらがってきた。

 何はともあれ、まあ先輩なら最終的に上手くやるのだろう、と僕は問題を放り投げた。先輩の意外な一面を見るのは、その彼女を紹介してもらえるようになってからでいい気がした。だって僕が介入しても、何も進まないだろうし。

 先輩から指摘された通り、僕はどうも、気持ちというものに疎いらしい。他人のソレはもちろん、自分のソレにも疎い。鈍い、と言い換えてもいいのかもしれない。言われて、ああそうか、と納得することも多いから、全く感じていない訳ではなく、単に希薄なのだと思う。

 恋人いない歴、イコール年齢。

 その原因は、多分そこにあるのだろうけれど、どう治したらいいのか、よく分からない。

 根本的に絵の才能が無い人が、どれだけ努力しても画家になれないのと、同じことかもしれない。

 僕にはきっと、根本的に恋愛の才能が無いんだと思う。才能が無いというのは、どこをどう失敗したのか理解できない人だと思う。説明を受けてでも、理解できれば成長できるけど、理解できなければしようがない。そんな感じ。鈍いのは分かる。疎いのも分かる。でもどこがどう、と具体的にしようとすると、ぐにゃりと曲がる。

 だから正直、彼女のことが気になる、というのも、恋愛的な意味でなのか、よく分からない。珍しいものを見たから気を取られているだけなのかもしれない。例えば、そう、彼女の隣に僕ではない男性が歩いていたとしよう。先輩でいい。例えばだから。どう感じるだろう。

(ナンパ中? いや、でも、先輩は心に決めた人がいるからなあ)

 結論。たぶん今そんなことはしない。

 本末転倒な回答になっている気がした。人選を間違えたようだ。

 ならば、と次に浮かべたのは、不埒を働こうとした男だった。隣に並んで歩いている図を想像する。

(………売られる前の光景?)

 どちらがどちらを、とはあえて言うまい。どこに、というのも伏せておく。僕は視線を彼方へやった。

 恋愛下手な僕でも分かる。これは、何か、すごく間違っている気がする。なんだろう。

 うう、と唸った後、突如、天啓を受けた。そうだ、そうだ。仲良さげな男性が、楽しそうに会話しながら、彼女と歩いている光景を想像すればいい!

 早速やってみよう、と胸を張り、視線を前に戻す。

「………あ」

 3メートル程先を歩く、彼女と目が合った。カアアアァ…ッ、と彼女の顔が見る見るうちに赤く染まる。

(…先輩、この子、赤面症かも)

 とすると、先輩の想い人が彼女である可能性もある?

(なんか、それは、嫌だなあ)

 不意に訪れた不快感を正しく掴む前に、彼女は踵を返して駆け出した。踵の低い靴だった。それにしても、速い。

 見事な走りだ。脱兎のごとく、という言葉は彼女にこそ相応しい。

「えっと…」

 僕は前回同様、固まり、

『追い掛ければいいだろ!』

 先輩の言葉に、弾かれたように走り出した。長距離走が、短距離走に変化する。…短距離で終わればいいけど。終わるよね、流石に。おそらく。

「ちょっ…待って!」

 19時過ぎの住宅街に、男の悲痛な声が響く。僕なんだけども。チラホラと、不審そうな目を向けられる。足払いを喰らわない程度には、善良な市民に見えているのだろうか。

 急にスピードアップした所為か、それとも彼女に出会ったからなのか、心臓がバクバクいっている。落ち着け、僕の心臓。止まると困ったことになるよ。

「すこっ、少し、だけで…もっ、話、聞いてくれよ!」

 周囲の目が、白いものに変わっていく。どう見えているんだろう。流石に僕が鈍くても、この変化は精神的にクる。わー、タンマ、タンマ。本当に辛い。ていうか、彼女が速い。でもここで追いつけずに終わると、残された側は痛い。

 呼び掛けは聞こえているはずだが、彼女はあくまで振り向かない。ひたむきに前だけ見ている。

「た、頼むから止まって! 止まってください! ストーップ! そうじゃないと、僕が犯罪者になっちゃうから!」

 テンパりすぎて、いろいろとトんだ頼みごとになった。たまたま横を歩いていた女子大学生の二人組が、ギョッとした顔をして、ヒソヒソ話しながら距離を取る。うん、傷付くよ、僕。そして彼女も、同様にビクッと肩を震わせた。うん、ごめんなさい。

 しかし結果オーライだったのか、彼女の足は止まった。振り返りは、しないけれど。近寄らない方がいいだろうか、と僕は一定距離を空けて、立ち止まる。いや、ていうか、ごめんなさい、ちょっと本気で休憩させてください。苦しい。ぜぇはぁと荒く息をする僕は、申し訳ない、と思いつつも、その場に崩れ落ちた。本当は走った後はゆっくり歩き続けるのがいいんだけど、歩くと追いついてしまうし。だから。

「はっ…はっ…はああぁ」

 座り込んで膝をついた僕に、す、と影が差す。

「あ、あの………大丈夫、ですか?」

「へぁ…」

 間の抜けた声が、口から漏れた。恐る恐る、目線を上に向けると、心配そうな顔色。バッチリ目が合うけれど、今は顔が赤くはならないし、目は逸らされない。

 だがしかし。

「ごめんなさい、もうちょっと待ってください」

 僕に、それを喜ぶ余裕は無かった。

 ああ、でも。

 ようやくちゃんと話せる。


「どうぞ」

「あ、どうも」

 スポーツドリンクのペットボトルを受け取り、グッと呷る。

「お金…」

「あ、いいです。お気になさらず…」

 それでも無理やり200円を手渡す。手が少しでも触れ合うと、すぐに引っ込む。先程は確かに正面から見ることができた目線は、今は下に落ちている。

「………」

「………」

 無言。僕の息が整ったから、余計に静か。先程の騒々しさが嘘のようだ。静けさが緊張感を運んでくる。

「あの…」

 声を掛けると、彼女の肩が跳ねた。これは…嫌われてるのかなあ、と思う。もしくは、非常に怖がられている。顔は、怖いタイプじゃないと思うんだけど。

「えっと、あの後、特にお変わりないですか。へ、変な人がいたりとか」

 言いながら、僕も大概変な人だよなあ、と思う。その証拠に、チラチラと彼女の視線が僕に向く。お前だよ、と言われている気分だ。申し訳ない。

「………えっと、大丈夫、です」

「あ、お、そ、そうですか。それは、良かったです」

 ぎこちない会話は、そこで途切れた。

「………」

「………」

 気まずい無言の時間が流れる。

「あ、あの」

「あ、は、はい」

「その…か、格闘技っ、でも習ってるんですか?」

「えぁ…そ、そうですね。少しだけ…」

 少しで、あれだけ強いものだろうか。

 ぼんやりとそんなことを思う。

 その一方、僕はとても焦っていた。このまま、彼女が「貴方、もう大丈夫そうなので、帰りますね〜♪」と言って、去ってしまうのではないか。

 まだ何も話せていないのに。

「あの…僕、あなたに訊きたいことがあるんです」

 腹を決めた。うだうだ悩んでいたって、仕方ないのだ。そうだろう、僕。バクバク言い続ける心臓を押さえつけたい衝動に耐えながら、声を絞り出す。思いのほか、しっかりした声になった。

「…なんでしょう?」

 少し固くなった声色。

「僕とあなたって、会ったこと、ありましたっけ?」

「え?………えっと。夜に散歩する時にお見かけしましたし、あとそれから、先日も…」

「それよりも、ずっと前に」

 彼女が顔を上げ、僕を見た。その瞳にある感情は、驚きと…少しの、恐怖。それから、哀しみと、戸惑い。それらがない交ぜになった色が、僕に真っ直ぐに向けられている。彼女は何度か口を開き、その度にまた閉じ、唇を噛んだ。

「はい、一度だけ。でも………些細なことですから」

 先程感情が露わになった反動なのか、絞り出した声からは、考えていることは読み取れなかった。

 些細なこと。彼女は、そこまで言って、口を噤んだ。そして、目線は再び落ちる。その目が向く先にある両手は、膝の上でギュッと力を込められていた。まるで、何かに耐えるように。

 その出来事は、少なくとも彼女にとっては『些細なこと』ではなかったのではないか。僕にはそう思えて、仕方がなかった。それ故に、思い出せない自分に腹が立つ。

「すみません、すぐに思い出せなくて…どこで、お会いしていたんでしたっけ」

「………………」

 長い沈黙。おそらく、答えたくないことなのだろう、と思った。しかしそれでも答えが知りたくて、僕はあえて、黙る。黙り続ける。

「で、電車で」

 根負けした彼女は、どもりながら、そう答えた。電車。電車?

 首を捻る僕を一瞥し、彼女は慌てた様子で立ち上がった。「すみません、用事があるのでこれで」と明らかにこれ以上の追及を逃れる方便の言葉が投げられ、そのまま彼女は走り去っていった。やはり、速い。その間、一度も振り返ることは無かった。

 取り残された僕は、もう一度「電車…?」と復唱した。

 いつの電車だろうか。電車はちょくちょく乗る。出張があった時などは。しかし、それは最近だ。

 彼女と出会う前に、電車に乗った経験。その中で、一度で憶えてしまうような、強烈な出来事。


 ひとつだけ、覚えがあった。



会話がぎくしゃく…。

お互いがお互いを、ツンツン突ついて、うかがい中です。

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