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♪(5)最強のパートナー

 そのあとが大変だった。

 苅野のあまりの無節操さに、誰も彼もが怖くなって誰の名前も出せなくなったのだ。

 話し合いは座礁状態、やむなく教師がひとりひとり指名すると、

 「いや! ぜったいやりません!!!」

 みんな泣き叫ばんばかりに拒否反応を起こした。


 仕方がないので、空いているポストの数だけくじ引きで決めることになった。

 それでも当たった人は泣き崩れた。

 中でも一番泣いていたのは、風紀委員に選ばれた山吹と市川だった。 仕事柄、敵を作りやすいことが分かるだけに、このクラスでそれをやる事がいかに困難か想像がつくからだろう。

 「先生、他の役と変えて下さい。 他ならなんでもやりますから」

 ふたりは大声で訴えた。


 茜は呆然としていた。 なんだろう、この異様な雰囲気は。

 くだらねえ真似をするなよ、と誰か言ってくれないのか。 これが女子高か。


 茜は2箇所に名前があったので、自動的に先頭に書かれた代議委員のほうに決まったようだった。

 また、そうしないと、苅野をパートナーにする勇気がある人をさらに募集しなければならなかったからだろう。 どちらにしたって最低最悪だった。 

 とんでもないクラスに来てしまったことを、茜は胸の痛みと共に実感した。


 


 そしてその実感は、翌日の放課後には更に強烈に襲いかかって来た。

 「どうせこんなことだろうと思った」

 ため息混じりに、茜は職員室のドアを開いた。

 

 「あら、おひとり? 苅野さんはどうされたの?」

 橋本ウタコ先生は、ほっぺに食い込んだ眼鏡を引っ張り出しながら、茜に尋ねた。

 「すいません。 バレー部で新入生のテストがあるからと…」

 「と、言えと言われたのね?」

 「はあ……。 あっ、い、いえ…」

 たったそれだけのことで、冷や汗がドッと出る。 茜は小さくなって、

 「すみません」と謝った。


 その日の終礼が終わったあと、茜はウタコ先生から声をかけられたのだ。

 「明日のHRで、親睦レクリエーションのことを話し合って欲しいの。

  代議委員のお二人、これから資料を取りに来て頂ける?」

 苅野まひるは、茜の方が重宝されているように感じて気に入らなかったのだろう、これを無視した。 それでなくても席を立って帰りかけたところだったのだ。 茜が行こうと促しても、

 「知らねーよ。 ヴタコはあんたに言ったんだからあんたが聞いて来りゃいいじゃんか。

  あたしはクラブで忙しいんだ、無理無理」

 何を抗議する間もなく逃げられてしまったのだ。


 ため息をついても、言って行く所がない。 そもそも苅野を推薦したのは、茜自身なのだ。

 一人で職員室にやってきた茜に、ウタコ先生も肩をすくめた。

 「先が思いやられるわね、恩田さん。

  ああいうタイプはね、自分の利益にならないことは、どんなことをしてでもやるまいとするわよ。 お気をつけてね」

 「はあ」

 一体どう気をつければいいのやら見当もつかなかった。


茜が用事を終えて、職員室を退出しようとした時、室内中央の席あたりから、はっとするような声が響いて来た。

 その席に腰掛けているのは、例の生活指導の熱血体育教師だった。 印象的なその声は、教師の横に立ったまま話を聞いていた、女生徒から発されたものらしい。

 大きな声ではなかったが、りんと響いて強かった。

 「身に覚えがないと申し上げました。

  わたしの言い分を信じる気もないのに、この場にお呼びになったんですか?」

 

 室内の全員が、そちらに目をやった。

 声の主は背が高く、長い髪をきちんと編んで背筋を伸ばした、清潔そうな生徒だった。 

 胸のバッチは1年生。


 「だが、この話を教えてくれたのも生徒なんだからな。

  確かに青井という生徒を待っていると言ったそうだぞ」

 体育教師は頑固な口調で言った。

 「その他校の男子生徒が何か誤解をしているのだと思います。 わたしは存じません」

 女生徒がきっぱりと言い切った。


 (青井?‥‥青井愛子!?)

 茜は目まいを覚えた。

 思い出した。 青井愛子は実在する。


 1年A組の出席番号1番が、青井愛子だ。

 そのせいかどうか知らないが、青井愛子は入学式に新入生代表で挨拶文を読んだのだ。

 その時の記憶が、茜の頭の中に残っていたのだろう。 鏡に名前を聞かれた時、自分ではでたらめを言ったつもりだったのに、聞き覚えのあるその名前を名乗ってしまったのだ。


 (男子生徒って、多分鏡くんのことだ。 

  きのう私、早く帰ったから会えなかったけど、また誘いに来てたんだ。 待っても来ないから誰かに私を見かけなかったかとか、そんなことを尋ねたのかもしれない)

 茜が考えている間にも、青井と体育教師は、言い争うように激しいやり取りを続けていた。

 

 そして、ついに、教師がキレた。

 「ここじゃいかんな。指導室に来い!!」

 

 「待ってください!」

 茜の口から、思いがけない大声がほとばしった。

 それは職員の注目を一気に集めた。

 「なんだ?」

 いぶかしげな表情で、体育教師がこちらを向いたので、茜はすくみあがった。


 思わず割り込んでしまったのはいいが、この教師を相手に抗議や説得をする自信は、茜にはなかった。

 だからといって、自分のことですと名乗り出たら、結果的に鏡の名も出さざるを得ない。 今度は鏡の方に迷惑がかかる。

 (でも、でも、このままじゃ私のせいで、本物の青井さんに生活指導記録が付いてしまう!!)

 茜は必死で脳裏を検索した。


 「あの‥‥あの、私、知らなかったんですけど。

  男子生徒と一緒に帰っただけで違反になるんですか? 

  そんなの、校則のどこに書いてあるんですか」

 声の震えを抑えたために、大声になった。


 「なんだ、お前は」

 「しッ、失礼しました。1-Dの恩田です。

  お話中申し訳ありませんが、一昨日先生にご注意を受けてから、校則が気になって。

  確認させてください、どこに書いてありますか」

 「あとにしろ、今は青井と話をしているんだ」

 「でも、それについてのことなんです!

  もしも書いてなかったら、その人を叱るのは間違いってことになりますから!」

 やぶれかぶれで大声を出してしまうと、不思議と肝が据わってきたようだった。

 

 「つまりですね、私が生徒手帳を読んだ時に、他校の男子生徒と連れ立って帰宅しちゃいけないという校則があったとは思えなかったんですけど」

 「5-3という項目にちゃんと書いてあるはずだ」

 教師は生徒手帳を見せようと、机の引き出しをガタガタ探したが、見つからない様子だった。

 

 すると黙って様子を見ていた青井が、

 「校則5-3。 『異性との交遊はこれを慎むこと』という項目でしょうか」

 低めだが清々しい声で言った。

 (スゴイ! もしかして、全文暗記!?)

 茜は内心舌を巻いた。


 「この文章には、交遊とはどの程度のお付き合いを指すのか、はっきり書いてはありませんね」と青井。

 「交遊は交際と同義語だ。 1対1の付き合いは、映画だろうがショッピングだろうがハイキングだろうが、全て禁止だ!」

 体育教師がイライラと言った。

 「そ、そりゃおかしくないですか?」

 茜は必死で言い募る。

 「交際じゃなく、交友でもなく、交『遊』でしょう?

  交遊だったら、不純な付き合いを指してる感じじゃないですか」


 「同義語だと言っとるだろうが!!

  ‥‥あのーすいません夢本先生、国語辞典お借りできますか」

 体育教師は国語の先生から辞書を借りて広げた。“交遊”のページだ。

 「見ろ『交遊。親しく付き合うこと。 (同)交際』。

  つまり2つは同じことだ、わかったか!!」

 辞書を突きつけられて、茜はひるんで黙り込んだが、青井の方はびくともしなかった。

 彼女は涼しい顔で、辞書をめくって教師に示したのだ。

 「ではここをご覧になって下さい」

 「なんだ? 『愛人』‥‥?」

 「はいそうです。 『愛している人。 情人。 (同)恋人』

  これによると、愛人と恋人は同義語ですが、どう思われますか」

 体育教師は目をしばたたかせた。


 「そりゃ、昔は同じ意味でも使っていたからで……それは特別な例だろう!」

 「辞書で全てのニュアンスを限定してしまうのは、危険じゃありませんかとお尋ねしてるんです」

 「屁理屈を言うな!」

 「あのあのでも聞いてくださいッ」

 語気を強めた体育教師をなんとか止めようと、茜はふたりの間に割って入った。

 

 「先生、例えば私なんか、先月まで共学の学校にいました。

  その間、クラスメートと会ったら話をするくらい普通のことでしたし、道が一緒になったら会話しながら歩きました」

 (ホントは男子とそんなことしたことないけどね)

 心の中で舌を出す余裕が生まれて来ている。


 「そんな付き合いだったもとクラスメートにも、この学校に入った途端、無視しろとか口もきくなとか言うのが、この校則の意図ですか」

 「そんなことは言っておらん。 最低限の儀礼的な付き合いを禁止しとるわけではない」

 「儀礼的かどうか、見ただけの生徒にわかるんですか。 増してや、又聞きしただけの先生にわかりますか」

 「だからこそ、指導室に呼ぶ前にこうして確認しているんだろう」

 「でしたら、それを信じてあげるのが大前提でなくてはおかしいです!!」


 信じられないことだった。

 茜の口から、淀みなく理論的な言葉が流れ出して来て、茜自身を惚れ惚れさせた。

 青井が、瞳を輝かせて茜を見ている。

 

 「笠井先生」

 青井が、ひどく落ち着いた声を出した。

 「こういう微妙なニュアンスの校則については、入学説明会等で事前にもっと説明があるべきではありませんか?」

 「それは生徒会の仕事だ。 各役員から各委員が、クラスに伝えて守らせるんだ」と体育教師、笠井。

 青井はにっこり笑い、

 「そうですか。 でしたらわたしの仕事ですね。 わたし、今回1-Aの風紀委員になりましたから。

  でもまだ委員会が開催されていないので、そう言ったことが誰にも伝わっていない状態です。

  教えてくださるのには感謝しますが、少なくとも1年生には、そういう伝達があった後で注意や減点をなさるようにしていただけませんでしょうか、先生」

 ことさら笑顔を浮かべて、ピシリと言い切った。


 (この人、カッコイイ!)

 茜も瞳を輝かせた。 興奮で胸がドキドキして、体が熱くなってくる。

 (こういう人が、委員の相棒だったらよかったのに!) 





 結局、茜は青井と一緒に生活指導質に引っ張られた。

 笠井教諭が完全にキレてしまい、見かねたウタコ先生がなだめに入って来て、「きちんと話を聞きなさい」と生徒2人を叱ったからだ。

 指導室で繰り返された説教にも、2人は屈しなかった。 2人一緒の心強さに支えられて、非を認めずに頑張ったのだ。

 「停学になりたいのか!」

 20分後、笠井教諭が怒鳴って、親に連絡すると息巻いた。 つまり、指導記録いきなり3つ分が付く、ということだ。

 

 「結構です、何でもなさって下さい。 ただし、委員会で各クラスに伝達が行われて、私たちが校則を理解してから、更に先生に反論があるかどうか確認してからにしてください。 先程からわたしたちは単に反抗してるんじゃなくて、まだ校則を知らなかったと言うことを主張してるんですから。

  うちの親にも、そう説明させていただきます」

 青井は一歩も引かなかった。

 親を呼ぶといわれて崩れかけた茜も、その様子を見てだんだん落着きを取り戻した。



 「恩田さんは見かけよりヤルわね。 うん、頼りになりそう!」

 指導室から出るなり、青井は茜の肩を叩いて微笑んだ。

 「そんな!青井さんのがすごいよ。 なんかねえ、名プレーの瞬間を見た気がする」

 「大げさよ」

 「いやほんと、サッカー選手がドリブルでパーッとゴールまで持ってっちゃうじゃない、あの感じ」

 「面白い人ねえ」と、青井。


 「それに、愛人と恋人が同義語になってるなんて、よく知ってたわね」

 「あれは、あはは、ハッタリというか、ズルよ」

 「ズル?」

 「現代国語辞典なら、愛人と恋人は別の言葉として乗ってるわ。

  でも夢本先生は古文の授業も担当してるから、古典と両用の辞書を持ってるわけ。

  うちのアニキが同じ辞書持ってるから、たまたま知ってたってワケ」

 「ど、度胸あるなあ」

 茜は2重に感心した。


 「私なんか内心すっごいブルってたもん、ちっともすごくないよ。

  それに、私‥‥私、青井さんに謝らなきゃ」

 茜は、鏡とのことを正直に打ち明けた。 あきれられるのを覚悟の上だ。

 「あくまでデタラメの名前をいったつもりだったのに、本人がいたんでパニくっちゃって。

  ごめんなさい、ほんとに」

 「そんなことじゃないかと思ってたわよ」

 あっさりと青井が言ってくれたので、茜はホッとした。

 

 「その代わりと言っちゃなんだけど、これからクラブ見学に行くの、付き合ってくれない?」

 青井が提案した。

 「いいわよ、どこ?」 

 「軽音楽部」


 茜はドキッとした。

 自分には出来っこない、と思った気持ちが蘇る。

 でも、見学くらいならいいかと思いなおした。 せっかく芽生えたふたりの連帯感に水を差すのは、勿体ない気がしたのだ。

 それに加えて、さっきからの高揚感が自分をうちから突き上げていた。 今の自分は、今までの自分とは違う気がしていたのだ。

 今なら、なりたい自分になれるかも知れない。


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