♪(23)策士は笑う
「わたし達には親の決めた婚約者がいるんです」
応接室の空気が緊張で凍りつく。
青井 愛子は、応接室の二人の教師、すなわち笠井とウタコ先生を落ち着いた表情でながめた。
それから茜の母を興味深げに観察し、最後に茜に視線を送ると、にっと笑った。
「以前、生徒会から髪型改正の申し出があった時、先生方のご意見は、『時代の変化を理由に、勝手に現行法を曲げて適用している状態で、改正案を受け取ることは出来ない』でしたね。 ごもっともだと思います。
ですからこのたび、わたしは松華会のほうへ問い合わせをいたしました。 これまで在校時に、婚約者ないしそれに準ずる相手がいたことを理由に処罰を受けた生徒がいたかどうか、をです。
答えは、ひとりもいませんというものでした。 これ、即答でしたよ。
何故調べもせずにわかるかと聞いたら、もともと結婚準備のために入学する人が多かったからだと」
「松華会ってなに?」
茜は小声で母に尋ねた。
「確か同窓会をやるために、卒業生が登録する会だったと思うけど」
あとで調べたら、実際にはもっと大きな、女性支援活動や文化教室までやっている会だと判るのだが、この時点では母の記憶も心もとない。
青井は淀みなく話し続けている。
「最後に校則改正があった昭和22年にも、婚約者がいる学生はたくさんいたと、24年卒業の方の証言も頂きました。 卒業式に親御さんと一緒に婚約者の方もお迎えにいらっしゃってたそうですね。
そういうことをとがめだてしないのが本校のスタンスであったのに、時代の変化を理由に先生方のご指導が一転しているのはおかしいんじゃないでしょうか」
(な、なるほど!)
茜は感心した。 服装改正の失敗を逆手に取っている。
もともと大正時代に開校した時には、賢聖女子学園は「花嫁学校」であったのだ。 しかるべき相手の家に嫁ぐために、家事や女性の心得を学ぶ場だった。
当然、在校生の多くにいいなづけがいたことだろう。 中には籍を入れる前に、すでに嫁ぎ先で生活している生徒もいたかもしれない。
嫁としての行為なら、不純異性交遊もなにもあったものではない。
昭和になっても、たぶんその認識は他校よりも強かったと思われる。 それが現在では、「みだりに遊び感覚で男性に近付くなかれ」という校風として残っているのだ。
つまり、時代の変化を理由に出来ないのであれば、「男女の交遊はこれを慎むこと」という生徒手帳の一文は、「決まった相手だけと、慎ましやかに交際すべきである」という解釈になるはずだ。
(私と鏡君を担ぎ出した、本当の理由はこれか……)
同じ校則でも、髪型や服装規定より、男女交際の方が突っ込みどころがある。 生徒会はそう考えて、今年の作戦を立てたわけだ。
「かく言うわたしと、後ろのこの方々には婚約者がおります。 生まれながらに親が事業の関係者と約束していた場合もあれば、本人同士が望んで親に頼んだ場合もあり、いろいろですが、いずれも家族どうしでお付き合いを認めているケースです。
もし恩田さんのことが問題にされて、我々のケースがおとがめなしということになると、条文を書き換える必要がありますね。
『交際は結婚を前提にした場合のみ許可される』と」
青井の言葉に、母が反応した。
「それはもし、うちが結婚を許すと言えば、茜のしたことは違反にならないということでしょうか」
「ちょっ……! 母さん!」
「だって鏡君、いい子じゃないの。 うちの娘が二人とも惚れ込んでる相手だもの。 どっちかのお婿さんになってくれたら母さんは嬉しいわ。
それを、お見舞いをするのはよくて、好きって言ったら処罰だなんて、学校側のやり方が納得できないのよ」
母は本当に頭に来ている様子で、目の前の二人の先生を睨みつけた。
ウタコ先生はついに堪忍袋の緒が切れたらしく、青井たちをその貫禄あるボディで寄り切ってしまう戦法に切りかえた。
「とにかく! 出て! 今は出ててください!
まだ処分が決まったわけじゃないのよ、これからご本人とおうちの方のご返答をもらって職員会議を開いて、それで決まるんですから」
「じゃあその職員会議で、伝達してください」
激しく押されながら、青井が叫んだ。
「もし彼女に何らかの処分がある場合は、わたしたちや他の生徒にも知らせて、こういうのは違反になりますという勧告書を頂きたいと」
「なんだそれは、勧告書だ?」
笠井が気色ばむ。
「そんなわけのわからんものは見たことがないぞ」
「簡単なもので結構です。 『今まで公にはしてきませんでしたが、親の監視下でも、不純な行為がなくても、処罰する場合がありますから、ほかの皆さんも自重してください』という文書です。
うちの親なんか短気ですから、そんな学校やめちまえと言うかも知れませんが、婚約の方をやめる家庭もあるかもしれないわけですし」
「そんなものを出す必要はない!」
「先生は私たちが同じ過ちを犯していると告白したのに、指導してくださらないんですか?
では一体、恩田さんはなんのために、処罰を検討されているんでしょうか。
彼女の罪はなんでしょう? ステージの上で恋を告白したのが、慎みのない行為だからですか」
女生徒たちの目に明らかな敵意と反発が宿った。
彼氏を作るなと言われるだけでも腹立たしいのに、好きな人がいると言うのもいけないというのか、と。
笠井がこれはだめだと諦めたのか、かなり強引な実力行使で、ついに青井たちを外へ追い出してしまった。 そして、ドアを閉めると平静な顔を作ろうとして失敗したおかしな表情で、母に言った。
「あの子たちは問題をはき違えてますな。
とにかくお嬢さんがその男子生徒との交際をやめないと、夏休み明けに処罰が言い渡されます」
「わかりました。 ここ以外にも高校はありますわ」
母がきっぱりと言った。
応接室から出る茜の膝は、カクカク震えて頼りなかった。
(どうしよう、母さん本気で怒ってる。
高校変わることになったら、みんなに迷惑かけちゃうよ)
ココちゃん。 愛子。 部活の先輩。 内海・若草の生徒会コンビ。
茜に期待してくれた人みんなに迷惑がかかる。
「おつかれ!」
涼しい顔をして、下駄箱の横から青井と山吹が駆け出して来た。
さっきまで青井が引き連れていた「良家の子女軍団」は、どうやら解散したらしい。
「愛子ぉ……」
震える膝を指さして茜が情けない声を出すと、青井は笑った。
「大丈夫、処分はできないわ。 だって三条と北仙院がいるもの」
「だれ、それ」
「さっきのお嬢の中にいた上級生よ。
三条 由紀子の父親は大実業家で、学校に毎年高額の寄付金を収めてる。
北仙院の家はもと華族様で、政界にも顔が利いて、おまけに彼女のおばあちゃまは、ここの卒業生でもう数十年の間、松華会の会長さんをしているの。 ものすごく発言力のある人よ。
この二人が同類として該当するような処分は、絶対に学校側には下せないのよ」
「ほんとかなあ、すごく怖いんだけど」
茜は自分の胸に手を当てた。 鼓動がとても早い。
「大丈夫だってば。 それに夏休みまで処分を待つ必要はないわ。
あのお嬢たちが今夜、家に戻って親に話をするはずよ。 婚約者がいたらまずいんだって、って。
さあて、何人の親が学校に怒鳴り込んでくるかなあ」
楽しげに唇をなめる青井の顔を見て、山吹 琴子が、
「愛子、ドSやったんやー」
と、間の抜けたコメントをした。
夏休みに入って、校舎内が静かで涼しげになっても、職員室では連日の熱い会議が繰り広げられていた。
部活のために登校するたび、茜たちは職員室前の廊下で耳を澄ます。 けれど、先生たちは難しい顔をして、職員室の扉を固く閉ざし、話の内容を生徒に聞かれないよう、細心の注意を払っていた。
それでも時おり、PTA代表と思われる中年女性たちが、会議室周辺の廊下をのし歩き、校長が大汗をかきながらその後ろを付いて歩いている姿や、OGらしい老女が、仔細ありげに校長室に招き入れられているところを、度々目にするようになった。 どうやら、青井 愛子の放ったブルジョア魚雷の一発は、水面下で大波乱を起こすことに成功したようだった。
「ここまではまず予定通りね。 問題は、これよ」
青井が、いじっていた自分のスマートフォンを茜に見せて寄越した。 さすがに夏休み中は遠慮なく校内に持ち込むことにしたらしい。
まだ部活が始まる前の3-Dの教室では、早くから来た2年生がギターのチューニングを始めている。 開け放された窓から入って来るのは、グラウンドに立ち上るうだるような熱を含んだ西風だ。
「骨髄バンクのことをググってみたら、大変なことがわかったの」
細かく並んだ文字の一箇所を、青井の細い指が差し示している。
「あっ! 未成年ダメやん。 20歳からやないと登録できひんて書いてある」
横から覗き込んだ山吹が先に反応した。
「うちら、募集の対象外やんか!」
「そういうことね。 校内で呼びかけても、ほとんど意味はないってこと」
「親が許可して、手続きしてくれてもだめなん?」
「そうみたいね。 これは生体移植に当たるから、日本の規制はすごく厳しいんだわ。
親が勝手に、まだ自分の意思のない年齢の子供の体を使ってしまったりできないようになってるのよ」
「そやったそやった、一回テレビでやっとったの見たことあったのに忘れとったな」
高速でまくし立てる二人とは逆に、茜の脳は問題をスピーディーに理解することを拒否していた。
「ねえ、どういうこと? だって、ジョーナンでは募集をかけたって言ってなかった?」
青井はうなずいた。
「それはつまり、鏡くんのママがPTAに働きかけたかなんかして、保護者宛に協力を募ったんだと思うわ」
「生徒会の仕事やないんや!」
「多分そうよ。 ジョーナンは鏡くんの学校だからそれができたけど、関係ない賢女が同じ活動をするのはちょっと難しいわね」
「だから、どういうこと? 現役員のおねーさんたちが、嘘ついてたってことなの?」
言いたくなかった言葉を、茜はやっとの思いで口にした。
「嘘ってわけじゃないわ。 ただ、未成年云々の話に言及しなかっただけだもの。
問題は、本当に知らなかったのか、知ってて単に説明が抜けただけなのか、……あるいは……」
青井はわざとここでぐっと声を落とす。
「知っていたのに、政治的計略のために、故意に情報を隠蔽して伝えたか……」
嫌な沈黙が、3人の表情を曇らせた。
「あんまり好きなやり方じゃないわ。 騙された感じ」
青井が眉間に皺を入れた。 山吹も嫌悪感を露わにして頷く。
「意外と信用できへんな」
「だからって、今更やめられる?」
「やめられるやん、まだ立候補したわけやないねんで」
「待ってよ、よく考えてよ」
茜は叫んだ。
「別に骨髄バンクのためだけに役員やるわけじゃないでしょう? もっといろいろ理由とか、理想があったじゃない!」
「骨髄バンクの話やないで。 あの人らについてってええんか、いう話や!」
茜が言葉に詰まって口をつぐんだ時、後ろでパンパンと手を叩く音がした。
「はいっ、みんな集合! 朗報デース」
部長の仁科が、ほかの3年生を従えて入って来たのだ。 いつの間にか、部活の開始時間になっている。
「学校に宿泊できる算段がついたわよ。 土曜日から3日間、校内で合宿やりまーす!」
「合宿!」
「学校で!?」
茜たちは飛び上がって、仁科に駆け寄った。 音合わせをしていた2年生たちも集まってくる。
「何しろ予算がほとんどない弱小同好会だからね。 お金のかかることはやめとこうと思うの。
外に合宿に出かけたって、体鍛えるわけじゃないからあまり意味はないし、楽器の運搬も管理も大変よ。 それよりここで3日間、何か目標を決めてみっちり練習をしたほうがいいわ。
と、いうことで、今週土曜から3日間、この3-Dの教室と、隣の3-Cを借りたので、練習と寝起きに使えます。 食事は夜だけ、家庭科調理室を使っていいことになったので、夕食はみんなで作りましょう。
朝はパンか何かで済ませて、昼は弁当でも外食でも何とかなると思うから」
「お風呂は?」
「ちょっと冷たいけど、プール棟のシャワー室が使えることになったわ」
「いいけどなんで土日スタートなんですか?」
「顧問の先生の都合よ。 先生にも泊まり込んでもらわないといけないでしょ。
でも先生たちは、ウィークデーは出勤して仕事してるもの、夜勤はハードよ。
だから、金曜日と月曜日、先生に希望休暇取ってもらって、土日に出てきてもらったの」
「そっかー、チャンスのじっちゃん、歳だからなー。 いたわらなくちゃな」
3日間、仲間と一緒に過ごせる。 それもほとんどの時間、歌いっぱなしだ。
考えるとものすごいことのような気がして、茜は胸がわくわくして来た。
「合宿中、それぞれのグループの曲数を増やすために、いくつか課題を出します。
最低でも1曲は作曲して仕上げて、それとは別にメンバーそれぞれのソロ曲を1つずつ。
最終日にお互い発表し合って批評会をやりましょう」
仁科の提案に、拍手が起こった。 普段の軽音楽部の活動は、どうしてもグループ単位になりがちなので、もっと一体感のあることをやりたいと茜も思っていたところだ。
「3日間ギター弾きっぱなしなんて、多分指がぼろぼろね!」
「声が涸れるでえ」
「この学校って、夜は絶対お化け出そうな感じだわよね!」
「うわー、こわー」
青井と山吹は文句めいたことを言いまくっていたが、その表情を見れば、本心は小躍りしたいほど喜んでいるのがわかる。
生徒会への不安は、とりあえず棚上げして、茜の心は初めての合宿へと翔んだ。




