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♪(22)保護者の召喚

 「どうだった?」

 廊下に出て来た茜を、青井と山吹、それと執行部3役の先輩たちが取り囲む。


 茜の胸が痛んだ。

 「ごめん、みんな。 お姉さん方もすみません。 全然ダメでした。

  私、戦わなかった。 抵抗しなかった。  黙って認めて来てしまったんです。

  堂々としていたくて、絶対間違ったことしてないと思っていたくて、こそこそするのいやだった」

 申し訳なさが膨らんで、泣きそうになる。 みんなでこれから戦っていこうと言うのに、初戦の自分が役立たずじゃ、全体の士気が下がるだろう。


 ところが、思いがけぬ言葉を、若草の口から聞いた。

 「なんで? 予定通りだよね。 謝る必要なくね?」

 しかも驚いたことに、全員がそうそうと相槌を打っているではないか。

 「だ、だって。 私が抵抗して騒がないと、生徒に問題を投げかけた事にならないんじゃないですか?」

 「違う違う。 恩田さん個人が教師とバトルやって頑張ったら、私達執行部の出番がないじゃないのよ。 おーい内海よ、コンセプトちゃんと伝わってないじゃんか」

 「あれえ? 説明したつもりだったけどなあ」

 内海も笑いながら首をかしげ、確認するようにゆっくりと話し始めた。


 「あのね、恩田ちゃんの役どころは、他の生徒たちと代わる所のない、か弱き一市民なのよ。

  学校側に、男女交際をやめるか謹慎処分かと迫られても、『そんなのどっちも無理だわ』って、教室に戻ってヨヨと泣き崩れたりして欲しいわね」

 「ヨヨと‥‥ですか」

 それは少しキャラ的な無理を感じるなと思う。 これまでの茜ならともかく、この学校での茜に泣き寝入りなんて言葉は似合うまい。


 「いや別にホントに泣かなくてもいいわよ。 そういう役だってこと。

  とにかく、学校側から厳しいことを言われてメゲてる恩田さんと、周囲の子達が見て騒ぐでしょう? 別にいいじゃん、プラトニックなんだしさあ、とかクラスの子が騒ぐでしょう?

  そこへ颯爽と生徒会執行部が出てって、みんなの思いを代弁して、謹慎処分を解いて貰う。 それで初めて、先生へのイケニエくらいにしか思われてなかった生徒会の価値にみんなが気づくの! きっとみんなが思ってくれるわ。 ああ、私が恋をしたときも、生徒会はきっと守ってくれるんだって。

  そのあと恩田さんが一念発起して立候補したら、きっとみんな大喜びだと思うの」


 「うわあステキ。 そしたらみんなが思うわね。 恩田ちゃんみたいな胸キュンの恋がしたい!って」

 青井がうっとりと叫んだ。

 (胸キュン‥‥)

 『ドキドキする』と言った、鏡の声を思い出した。

 茜の恋心も、まだ恋に恋する少女の域を出てはいない。

 これからの自分の恋が、全校生徒の見本になって、他の生徒の心までキュンとさせるのだと言われても、実感が湧くどころか、そんな恋になったらいいなとぼんやり夢見るのが関の山、おとぎ話を聞くのと大して違いはない。

 だのに、どうしてこんなに心が躍るのだろう。




 その日の放課後は、部活に出てもほとんど練習にならなかった。

 「やってるやってる、職員会議!」

 こっそり様子を見に行った青木が戻って来て言うと、もう処分のことが気になって、茜は歌詞の1番を2回も歌ってしまった。 しかも青井も山吹もそれに気づかず、間奏になってから「あれ?」と中断する始末だった。

 そして、茜への処分は発表されたのだった。



 7月最後の登校日であったその日、茜は帰り際、ウタコ先生から1通の封書を渡された。

 「保護者の方にはお時間の都合もあるでしょうから、今夜あたくしからお電話させて頂きますけど」

 「呼び出しですね」

 保護者の召喚! 来るべき物がやって来たのだ。

 

 「明日から夏休みで、自宅謹慎という処置が取れませんのでとりあえずそういうことになりました」

 ウタコ先生の口調は、ひやりと背すじが粟立つほど冷たい響きだった。

 これまで茜を信用し、庇ったり任せたりしてくれていたウタコ先生が、今回のことで完全に敵に回ったことがその口調から読み取れた。

 怖い。 先生でさえ感情で動くことがわかってしまった。

 裏切られた悔しさや、自分の立場が悪くなることへの怯えに流されて、信頼するべき大人が簡単に意見を変える。 増してや子供である学生はどうだろう。 そして感情を隠す必要のない家族の反応は?



 帰宅後、震える手で手紙を渡すと、母は一読して、ふううんとひとつ唸っただけだった。

 特に何のコメントもなかったので、怒っているのかと茜が怯えていると、夜になってから母は部屋へ上がって来た。

 

 「今、先生と話をして、あした学校へ行きますと言っておいたわ。

  でね、その前に母さん、ぜひ鏡くんに会って置きたいんだけど」

 「えっ?」

 茜の体が固まる。 母の表情は相変わらず読み取りにくい。


 「そりゃあそうでしょう、母さんは親よ。 親ってのは、誰かにあんたんちの子は悪い奴ですって言われたら、事実はさておいて取りあえずそんなことないわいって言いたいもんなのよ。

  学校側と話し合う前に、わが子が正しいんじゃないかと思える材料があったら、ぜーんぶ手に入れて置きたいわけ」


 なんと、母は戦う気満々でいるのだ。

 有難い話だが、鏡に会うことが即、茜の正しさにつながるという保障はない。 

 だからと言って、ここは負けて貰っていいのだとも言いにくく、茜は返す言葉に困って別の質問をした。


 「父さんはなんて?」

 「内緒に決まってるでしょう。 父さん、あなたの演奏のことは、文化祭終ってから何回も話のネタにしてるのに、鏡くんのことは母さんから話しかけてもとぼけたり無視したりしてまともに返事しようとしないの。 どうも知らなかったことにしたいみたいね」

 「鏡くんのことじゃなくて、呼び出しのこと父さんには?」

 「それもまだ内緒。 行ってみてからどう話すか決めるわ」




 鏡は無菌室から個室に移されていた。 抗がん剤が効いて経過がいいらしい。

 「急にごめん。 母がどうしてもお見舞いしたいって」

 「うわっ」

 茜が母を連れて病室へ入って行くと、鏡はパソコンを机に投げ出して帽子の上から頭を掻いた。

 「ど、どうもはじめまして、寝巻きですみません。 

  散らかってますがどうぞ。 あ、ごめん茜、いま茶菓子もなんにもない」

 「やだ鏡くん、おかしいおかしい」


 慌てるあまり病人を逸脱してしまう鏡を見て、茜は少し安心した。

 前回よりも顔の腫れが引いているし、体を動かす様子も前より楽そうだ。

 鏡の母が洗濯物をもって病室に戻って来た。 彼女が大慌てで頭を下げたのを皮切りに、親同士が照れ笑いをしながら妙にハイテンションで会話を始める。


 

 米搗きバッタになってしまった母たちを呆れて眺めながら、鏡が茜に囁いた。

 「これって茜の母さん、認めてくれたのかな?」

 「うーん、微妙。 警告かも」

 「マジか」

 「見張ってますよ誤魔化さないでね、的な」

 「反対はされてないんだよな?」

 「い、一応‥‥」

 「お父さんの反応は?」

 「明るめの現実逃避」

 「よかった」

 「え?」


 そこで喜んでしまう鏡の感性が理解できず、茜は思わず相手の顔を見直してしまう。

 「だって俺が病気だからどうとか言われてるんじゃなくて、普通の親の反応だろ。

  俺、こう言っちゃなんだけど、病気が治ればそこそこ大人に気に入られる好青年ってやる自信あるんだよな。 だって努力してるもん」


 (すごい。 絶対治る気でいるんだ)

 茜は不意に涙が出そうになって困った。

 鏡はいつでもすごい。 死病と言われる病を相手にして、1歩も引かずに治った後の人生を準備し続けている。

 まるで遠足の前日の子供みたいにワクワクして、万全に準備した荷物を何度も何度も点検しながら、雨が止むのを待っている。

 (私だったらとてもできない。 だって止まない雨はないけど、病気は‥‥)


 それに比べたら、自分たちの歩いているのはなんて楽な道なのだろうと思う。

 立候補も選挙演説も、校則改正も、実現予定となった物をひとつひとつこなしていくだけのことだ。

 実現可能な予定を実現することが辛いとか難しいとか、とても言っていられない。 それはいやでもやって来る現実に向かってマニュアル通りに動いているだけなのだから。

 雨が降っていたら準備をして、止むのを待てばいい。 雨が止んだら靴を履けばいい。

 一つ一つ確実にこなしていくためのエネルギーなんて、お茶の一杯も飲めばいつだって簡単に湧いてくるのだから。



 

 3度めの生活指導は、笠井とウタコ先生、母の4人で行われた。

 さすがに階段下の部屋では入りきらないと見えて、応接室に通された。

 「茜がしたことは校則違反なんですか」

 母は天然に見えるほど、無邪気な口調で笠井に質問した。

 「そりゃそうです。 ほら、校則にも条文化してありますよ。『男女交遊はこれを慎むこと』。

  お母さんも入学前にプリントお渡ししましたからお判りでしょう」

 合格発表の時に貰った冊子と同じプリントを、笠井がぞんざいに母に押し付ける。


 「先生、『慎む』というのは禁止ではないですよね。 調子に乗らないように気をつけるというのが『慎む』ってことでしょう。 茜は慎んで交際してますがそれも違反でしょうか」

 母はもう1度質問した。 笠井がハッと顔を上げる。

 そう、母のしているのは質問ではなく反論なのだった。


 「先生、うちにはもう1人娘がおりまして、この鏡くんという男の子と同じクラスにいるんです。 当然、クラスのお見舞いメンバーに入ってしょっちゅう病院に寄って帰るんですが、それは男女交際ではないですよね。 

  茜もそれと同じ事しかしてないのに、これは男女交際だと言う。 親としてそんな差別はできませんよ」

 「お母さん、城南は男女交際自由ですから、そもそもそういうことを重視していません。 同じように扱うこと事態間違ってます」と、笠井。


 「親が許可して家族ぐるみでお付き合いしてもですか」

 「保護者の方が、校則を破るような許可を出して貰っちゃ困るんです」

 「では別れさせろと?」

 茜が一瞬息を飲む。


 笠井は渋い顔で母を睨んだ。

 「卒業を待って交際をスタートすればいいじゃありませんか。 本当に好きならそれが出来るはずだ」

 「病気で苦しんでいる時にお見舞いにも来なかった薄情な娘と、3年も経ってから交際してくれる奇特な青年がいますかね? しかもその彼がその時まで生きている奇蹟を祈っていろと?」

 「誰だって明日の命の保障はないんです」

 笠井が冷たく吐き捨てた。


 「あの、もしやめなかったらどうなりますか」

 あまりに腹が立ったので、茜はつい口を挟んでしまった。 それだって自分の抱いている感情に比べてずいぶん穏やかな声が出たと、不思議な気分になったくらいだ。

 「このまま交際を続けたら退学ですか」

 「恩田さん!」

 ウタコ先生が席から半分腰を浮かせる。

 「学校側の具体的な処分は、夏休み以降に職員会議で決まりますけどね。 わかってるの? これは執行猶予みたいなものなのよ。 夏休み中に自重すれば、処分以前の話で済むかも知れないのに」


 この人はまだそんなことを言ってるのか、と茜は憐れむ気持ちになって、眼鏡フレームの食い込んだウタコ先生の顔を見直した。

 もう崩壊している校則に縋り、もう取り返せない信頼に頼ってなんとか自説を通そうとしているウタコ先生の姿は、恋人に嫌われたのを認められないハイミスみたいに醜悪だと思った。



 その時、コンコンと応接室のドアがノックされた。

 ウタコ先生が眉をひそめてそっとドアを開けに行くと、廊下に立っていたのは、青井愛子を先頭にした8人ばかりの女生徒だった。

 「まあ青井さん、何事ですの? 出来れば後にしてください、今大事なお話をしてるんですのよ」

 ウタコ先生が小声で追い払いにかかる。


 「先生。 恩田さんを処分される時は、私たちも同じにお願いします。 それが言いたくてみんな集まってくれたんです」

 「ああ?」

 大声で反応したのは笠井だ。

 「なんか知らんが非常識な真似をするな。 話ならこっちが終るまで‥‥」

 「だってわたし達、実は婚約者がいるんです!」

 青井が朗々とした声で言い放った。


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