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♪(21)賽は投げられた

 第1弾、まずは担任に呼び出し。

 次に笠井に生活指導室召還。 最後に校長室。

 委員会が騒ぐ。 生徒が煽られて騒ぐ。


 スタート当時、茜の頭で組み立てられた「生徒会立候補への下準備」の予測は、その程度で止まっていた。 あとは遥か彼方の果てしない道のりが、やたらと遠く感じられるだけだった。




 それが実際に始まったのは、夏休みの2日前。 部室代わりの3-Dで、汗をかきかきギターの練習をしている時だった。

 「すっごいもめてるよ、職員室!」

 「笠井とウタちゃん、大バトル!!」

 鳥羽と舟木の2年生コンビが、大騒ぎで駆け込んで来たのだ。


 その時彼女たちは、職員室横の印刷室で、楽譜をコピーさせて貰っていたらしい。 職員室と印刷室は、アコーディオンカーテンで仕切られているだけなので、騒ぎの内容は筒抜けだった。

 「喧嘩のネタはあれよ、明日全校に配る、学校新聞。 ほら、新聞部が作ってるヤツ!」

 鳥羽の言葉に、茜の心臓がキュッと悲鳴を上げた。


 「恩田ちゃんのコイバナが載ってるの。 それが校則違反だって、笠井が騒いでんのよ。

  何でこんな物の発行を許可したのかって、笠井がポスト君に文句言ったの」


 「ポスト君て誰ですか?」

 さすがの青井もこのあだ名は知らなかったらしい。

 「数学の美濃先生よ」と鳥羽。

 「え、あのかったるい授業で有名な」

 「なんでポストですか?」

 青井と山吹が軽く食いつく。

 すると、その場に居た上級生が、揃って同じジェスチャーをした。 舌を出し、4本の指を揃えて口に入れて舐めたのだ。

 ドッと笑いが起こった。

 「やるやる! そう言えばいっつもプリント配る時に、指4本舐める」

 その仕草が、ポストに手紙を投函するのに似ているというわけらしかった。

 みんなが大笑いしているのに、茜は少しも笑えなかった。




 鳥羽と舟木の話によると、笠井はまず新聞部顧問の美濃に食ってかかったらしい。 しかし、あまりにも反応がなさ過ぎるのにすぐにイラついて声を荒げたところを、校長の錦野が仲裁に入って来た。

 「『病室に見舞いに行ってるだけなんでしょう? それ以外は、メールとかだけです。 ですよね。

  それをこっちからわざわざ規制するのもどうなんでしょうねえ。 いわば、お互いはお互いのファンである状態で、そういう高校生らしさ、みたいなものを買って、新聞が取り上げたわけでしょう? じゃないですかねえ?」

 「キャー! 鳥羽のおねーさん、校長そっくり!」

 「笠井もやってください」

 青井と山吹が笑い転げる。

 

 「笠井はこうよ。 『校長、現状がどういう新密度かって事は、この際関係ないッスよ。 こいつら交際宣言したんですよ。 それが校則違反になると言ってるんで!

   この新聞の発行許すと、他の生徒に示しがつかん事になって。 学校側が許可したと思い込んだ生徒は、自分たちもやってみなきゃ損だと思うでしょう?

  こういうのはドンドン飛び火するんだ、それで結局勉学がおろそかになる。 ここで止めないと、大変なことになるっていってるんス!』って言って、机をバーン!」

 「そっくりー!」

 他の部員は腹を抱えていたが、茜は笑う気になれなかった。


 (始まった。 とうとう始まっちゃった‥‥)



 職員室での大バトルは、次の日には教室まで知れ渡っていた。

 「結局、『担任は何をやってたんだ』みたいなこと言われて、ヴタコがキレたらしくってさあ」

 「お見舞いくらい、いいじゃんねえ」

 「でも、恩田ちゃんもステージの時に、好きです宣言しちゃったじゃん。 あれがなかったら、友達です的な言い訳もできたしお咎めなしだったんじゃないの?」

 「そーかなー、兄弟で歩いてても呼び出されるってのに?」

 「ってことは、ネットでしか会ってない付き合いでもダメって事だよね」

 「出会い系? 余計だめだろ」

 「じゃあつまり、この校則って、ひとを好きになる脳内活動全部を禁止してるわけ?」

 「あ。‥‥シーッ!」

 

 大きな声で噂話をしているクラスメートたちが、茜の姿を見た途端に口をつぐむ。

 茜は笑顔を繕いながら、キリキリ痛む胃の悲鳴に耐えていた。


 生徒が騒いで注目することを目的として始めたことだ。 だから、これは順調な流れなのだ。 そう思って、噂のカケラを無視して自分の生活をしようと努力する。

 でも心は痛んで崩れそうになる。

 (怖い! 私、クラスで孤立するんじゃないかな‥‥)



 山吹と青井は、発行中止になるんじゃないかと心配していたが、新聞は予定通り、その日のSHRの時間に配られた。 クラスのほぼ全員が、もらった途端にページをめくり、問題の記事を探して食いつくように読み始めた。

 茜も恐る恐る、「文化祭スペシャル」と書かれたそのコーナーを読んでみた。

 インタビューの時に撮影した写真の中では、茜がアコーディオン、他のふたりがギターを抱えて笑っている。


 記事の文中で、青井は服装規定に関する校則の不備を、茜は男女交遊禁止の曖昧さを、山吹は一般生徒の校則への関心の低さを嘆いていた。 もちろん、意図的に3人が分担して、現時点の問題点を語って見せたのだ。

 取材の時点では、正しいことをしている自分を誇らしく思った茜だったが、こうしてクラスメートに記事を読まれている現場に居ると、「なんて偉そうな女!」と思われている気がして、体がすくむ思いだった。


 「次の登校日は8月10日、教科によってはその時に提出する宿題も出てますから、プリントをよく見て、読み落とさないでくださいね。 それから、部活で学校にいらっしゃる時には‥‥」

 ウタコ先生の注意事項など、誰も聞いては居なかった。




 部活に行こうとする茜を、ウタコ先生が呼び止めた。

 「恩田さん、少しいいかしら。 お話がしたいのですけど‥‥」

 茜の全身がカチカチに凍る。

 (来た。 まず担任。 そのあと笠井、次が校長、生徒会‥‥)

 それはとてつもなく長いぬかるみの始まりに思えた。


 ウタコ先生に続いて教室を出る。 その茜に、廊下で駆け寄って囁いた者がふたりいた。

 「ガッツだ、がんばれ!」

 「廊下で待っとんで!」

 青井と山吹だ。

 その後ろで、生徒会長の内海と風紀委員長の若草が、こっそりピースサインをしている。 どうやら、後をつけて廊下で立ち聞きをするつもりらしい。


 茜の全身の緊張がふうっとほぐれた。

 (始まったんだ。 すごく大変な道のりが。 でも、私一人の戦いじゃない。 みんなでやるんだ。 たくさんの人の力で)


 今日できることは、とりあえず全力で努力しよう、と思った。

 29200分の1の1日のために。




 仲間たちのパワーに背中を押され、元気100倍。 絶対に言い負かされないつもりで、準備室に入った。

 でもそこで茜を待っていたのは、担任のウタコ先生の怒りではなく、悲しみと落胆という強敵だった。


 ウタコ先生は、うつむいて座っていた。 準備室の椅子に同情したくなるほどぐったりと体重を預けて、体を沈めている。 茜を見上げる目は、真赤だった。


 まさかここで泣きが入るとは思っていなかった。 気を飲まれて無言のまま、茜は向かいの席に座った。

 

 「ごめんなさい。 あたくし、今あまり平静ではないの」

 開口一番、物騒なことを言って、ウタコ先生は目頭をサカナ模様のハンカチで押さえた。

 「あたくしに嘆く権利はあるはずね?  あなたとは本音で話が出来たと信じてましたのよ。 だから、あなたが恋愛関係は皆無とおっしゃった言葉のままに、寄り道許可書を発行しました。

  今、その証明書が職員会議で大問題になっています」


 茜の胸に、重い鉄の塊が落ちて来た。


 確かに、寄り道許可を出して貰った段階では、茜は鏡と付き合っているつもりはなかったし、確かな恋心も感じている意識はなかった。 くだらない誤解の上に撒かれた疑惑だと思って憤慨したのだ。

 今の茜は鏡が好きだし、付き合いをやめるつもりはない。 その変化を、ウソをついたとか人を利用したとか言われたら反論するだろう。


 ただ、ウタコ先生が自分を信じてしてくれたことを、踏みにじる結果になったのは茜の責任だ。 反論の余地はない。 むしろ今の今まで思い至らなかったのが不思議なくらいだ。




 「先生、すみません」

 そういうのが精一杯だった。 手ごろな言い訳も、正当な理由付けも何も浮かんで来ない。

 「私、自分のことばっかりで忘れてました。 先生には申し訳ないことをしました」

 とにかく謙虚という名の美徳にすがろうと、精一杯頭を下げた。 しかし茜のその姿は、ウタコ先生をさらに落胆の縁へと追い込んだように見えた。


 「恩田さん! つまり‥‥お認めになるんですの」

 大声で詰め寄られて、茜は改めて硬直した。

 「あれはステージで歌を盛り上げるためにやった演出の台詞だと‥‥そうおっしゃるなら、あたくし学校側を説得してみようと思ってましたのよ」

 「それは先生、今からでもですか」

 「もちろんですわ」


 先生の嬉々とした返答が、茜の眉間にしわを入れた。

 (つまり、嘘をついておけ、と勧めてるわけね)

 何か大事なものが壊れる音を聞いたような気がした。


 そこまで言って庇って貰えるのは有難いことなのかも知れない。 

 だが、今まで正論を理路整然と唱えて来たウタコ先生が、この期に及んで裏工作をしようとするのは、生徒のためではなくわが身が可愛いからではないかと言う気がして成らなかった。

 静かな怒りが湧いて来た。 茜は、唇に笑みを浮かべた。 

 「大人ですね、先生は」

 皮肉な口調だった。


 ハッとしたようなウタコ先生の顔を、まともに見据える。

 「私は、多分ガキなんだと思います。 でも、曲がらないでやってみたいんです。 申し訳ありませんが、ご迷惑かけさせて下さい」

 ゆっくりと頭を下げた。


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