♪(17)トラブる者は幸いである
「ちょっとお! か、カタマリでおるやん!!」
「ホントだ! 5‥‥8‥‥10‥‥30人近いかも‥‥」
体育館の舞台の上で、幕の隙間から客席を見ながら、茜は山吹と囁きあった。
文化祭のステージが、あと数分で始まる、緊迫した時間の事だった。
閉まった幕の向こうから、客席のざわめきが流れ込んで来る。 客席にどんな人間が座っていようが、もう何も抵抗できないことは分かっている。
何回も練習したマイクセッティングを終えて、茜はステージ担当者の役員に言った。
「スタンバイOKです。 一旦ライト落として下さい。 客席も」
すでに7割方埋まっている客席の照明も落とされた。
軽音楽部は50分の持ち時間を、4つのグループでこなす。 今年はくじ運がよくて、昼食が終った1時半というゴールデンタイムが取れた。
茜たちは先輩の前座的な役割で、一番手の出演だ。
最初は、人がいっぱい入ったと喜んでいた先輩たちも、幕の向こうを覗いて青くなった。
客席の最前列に、とんでもない連中が集まっているのだ。
賢女の不良グループと言われる、いわゆる服装規定違反者の群れだ。 それぞれがくくってない髪をざんばらに垂らして、ウェーヴをかけている。 しかも赤だの茶だのに染め分けているので、そこだけ被災地の農作物みたいに目立つ。
ボタンをかっちりかけた制服の上着は、異様に細身に詰めてある。 しかも丈が短い。 ウエストすれすれでポケットごと切ってある。
これが賢聖女子特有の、「スリボレ(スリムボレロ)」という改造方法だ。 ダブルボタンの上着なので、こうすると闘牛士の正装みたいにスゴ味が出るのだ。
スカートは膝上15cmでこれも改造。 その裾からは、全員おそろいの黒と赤の下着が3センチもはみ出している。 よその学校でそんな改造をしているのを見たことはないから、それなりに工夫された制服ファッションなのだろう。 賢女限定の、ビジュアル系ツッパリのスタイルということらしい。
(すごい。 この厳しい学校にも、こんなに激しい人たちが結構な人数いるんだ)
茜の背すじに寒風が吹き込む。 校則改正云々の運動が始まったら、絶対にこの連中が問題にされるはずだ。 つまり自分たちの敵方になる集団というわけだ。
その中に、なじみの深い顔を見つけて、茜はギョッとした。
苅野まひると、同じくクラスメートの清川である。
ふたりは普段お下げにしている髪をわざわざほどいて、他の連中と同じように色をつけていた。
バレー部のレギュラー選考に落ちて以来、苅野が怪しい雰囲気になっている気は、確かにしていたのだ。 でも、彼女らがいつの間にこのツッパリ連中と同調したのか、茜は知らなかった。
増してや、そもそもろくに話した事もない清川の交友関係など、知る由もなかった。
一方で、茜たちのステージ衣装も制服だが、苅野たちとは逆の意味で目立っているかもしれない。 パンチラを気にする顧問のために、わざと校則ぎりぎりまでスカート丈を伸ばしたからだ。
「いつの時代の高校生や」
山吹が笑ったくらい、レトロな女子高生ファッションができあがった。
おまけに髪型は、3人同じ「おだんご」を結った。 その上から、黒いビニール素材の特大リボン。
これは、リボンの色は限定しても素材や大きさに言及していない校則を皮肉った物だ。
中央のスタンドマイクに、ボーカルの山吹琴子。
客席から向かって右手にセットしたシンセサイザーの前に、青井愛子が立っている。
茜ひとりが椅子をもらって、左手の低いマイクの前でアコーディオンを抱えた。
楽器のマイクと顔の前のマイクを軽く撫でて、音が入るのを確認する。
「イクで」
山吹が振り返って合図した。 もうこの先は「待った」が効かない。
「皆様大変お待たせいたしました。 これより軽音楽部の舞台発表を行います」
派手なMCやアオリを入れるな、と学校側からきつく言われているので、紹介アナウンスも相当レトロな、NHK音楽番組みたいな文章だ。
「軽音楽部トップバッターは、『青春選考委員会』です。
一年生ばかりの新設グループですが、放課後の練習時間だけで、すでに校内では大人気でした。
皆さんの中にも、一緒に生徒手帳を音読されたことのある方がいらっしゃるのではないでしょうか。
1曲目はその問題作『生徒手帳』をお送りします」
ゆっくりと幕が上がると、暗い客席にいっぱい人が座っているのがわかった。
最前列の連中は、今は動かずこちらを注目している。 それがまた、何かたくらんでいそうで不気味な印象を与える。
茜は何度も息を吸い込んだ。
何度吸い込んでも、息苦しさは治まらなかった。
イントロが始まると同時に、ライトがカッと3人を照らした。
一瞬目がくらんで視界がきかなくなった瞬間、事件は起きた。
二つの音が同時にした。
「あうッ」
小声で叫んで、山吹が息を飲む音。
パシャンと何かがはじける様な微かな音。
一瞬、茜の顔に冷たい液体が数滴かかった。
1秒後、明るくなったステージの上で、3人は硬直した。
山吹の顔面が、黄色に染まっていた。 どろどろの黄色い液体が額から垂れ、胸元まで汚してしたたっている。
(たまご? 生卵だ‥‥!)
シュールな夢を見ているような気がした。
どこから飛んできたかは、見ていなくてもわかり切ってる。 最前列の面々が笑い転げ、苅野が顔を伏せてにやにや笑いを隠そうとしていた。
客席が、異変に気付いてざわめき始めた。
舞台の裾から、部長の仁科と副部長の浅木が飛んできて、ハンカチやタオルで山吹の顔を拭き始めた。
「ああ、ダメだ。 ギターにかかるから下ろしなさい」
ギターベルトを外して、山吹を舞台裾に引っ張って行く。
仁科が茜に小声で叫んだ。
「何してんの、早くつないで! つなぐのよ!!」
「つ、つなぐって」
初ステージなので、全くアクシデントの対応が出来ない。
「ココちゃん、卵が目に入ってるから、洗って来なきゃいけないわ。 ふたりで4分くらい保たせてちょうだい。 2曲目のソロを最初にやれば、恩田さんが歌えるでしょ?」
「ええ? 私がひとりで歌うんですか」
「そうよ、練習の時にそのパターンもやってたじゃない」
「だってヘタクソだったからやめたんですよ」
「いいからやりなさい! 時間オーバーしたら、あとの2年3年の出し物が削られるのよ!!」
山吹と先輩たちが去って行ったあと、ステージで茜は青井と顔を見合わせた。
客席はざわついて静まらない。
マイクスタンドがぐらぐら動いている気がしたのは、実は自分が震えているからだとやっと気付いた。
青井がマイクを取って、まず何かしゃべろうとしてくれた。
「新入生代表、青井愛子!!」
すかさず最前列から大きな声で野次が飛んだ。 入学式の時に、青井が挨拶文を読んだことへのからかいだ。
苅野の笑い顔がこちらを向いた。 ふたりが立ち往生しているのがさぞ愉快なのだろう。
茜は涙が出そうになった。 目の前に、こんなにいっぱい人がいるのに、誰一人自分たちの味方はいないのか。
さらし者だ。
その時。
「がんばれ!!」
不意に、客席から声がかかった。
聞き覚えのある、男性の声だった。
(鏡くん‥‥?)
そんなはずはない。 鏡はまだ病院だ。 目を凝らして客席を見渡したが、それらしい姿は見つからなかった。
(鏡くんが来てる。 ううん、そんなはずない。 でも、さっきの声は‥‥)
茜は客席をぐるりと眺め渡し、明かりに照らされたひとりひとりの顔を確認した。
鏡の姿はどこにもない。
その代わり、茜は見ることが出来た。
今まで見えなかったたくさんのものを。
父と母が来ていた。 会場の中央辺りに座っている。 ふたりでOKサインと握りこぶしを交互に出している。
「大丈夫、行け」と言っているらしい。
客席の後方には、生徒会長の内海と風紀委員長の若草がいる。 その周囲に見覚えのある顔が多いのは、生徒会役員の群れと言う事かもしれない。
全員で、「大きなマル」を作って見せてくれた。
その意味はすぐにわかった。 生活指導教師の笠井が、数人の教師を伴って前の方へ出て来たのだ。
内海たちが、前列のツッパリグループの監視を頼んでくれたらしい。
そして、思いがけず前の方の席に、鏡の母の姿があった。
隣の中年男性は、面差しから見て鏡の父だろう。
(鏡くんったら、お父さんにそっくりなんだ。 ああそうか、さっきの声は、お父さんの声なのかもしれない)
鏡夫妻は、それぞれの手の中の物を掲げて、茜に見せてくれた。
ビデオカメラとミニカセットレコーダー。
その時、不思議なことが起こった。
普通は自分の声が録音され、姿が録画されていると知ったら余計に緊張するところだ。 ところが茜はこの瞬間、憑き物が落ちたようにすうっと気持ちが澄み切ってくるのを感じたのだ。
このステージが、まっすぐ鏡に届けられる。
あの閉鎖された病室で、繰り返し見てもらえる。
少なくとも彼の退屈を軽減する役にくらいは立つだろう。 それでいい。 自分に出来ることがあったのだ。
そう思うと、早く歌いたくて心が逸った。
茜の腕がアコーディオンのベローをグッと引く。
ムードミュージックの哀愁ある1節を、突拍子もなく演奏した。
ざわついていた客席が、ビックリして押し黙る。
「高校に入って、好きな人が出来ました」
唐突に喋りだした茜を、観客がぽかんとした顔で見る。 青井も隣で驚いた表情を見せた。
「私たち、今日はちょっとおふざけ入ってるけど、基本的には校則規定守る派です。
だって規則は守るのが普通だから。 例えばプロ野球選手がユニフォーム改造してたり、お相撲さんがアフロヘアにしてたりしたら、誰だって文句言うじゃないですか。 守って当たり前なんです。
だから、男女交際するなって言われれば、それは守らなくちゃいけないと思います。
でも、心はそうじゃない。 私が心の中でその人をどれだけ好きでも、校則違反ではありません」
しん、と客席が静まり返った。
「人を好きになったことがある人はわかるでしょう。 相手の視線の前の、これっくらいの空間って特等席なんです。
赤ん坊だったら、揺りかごは特等席で、しかも指定席ですよね。 そういう気持ちで、あなたは私の揺りかごなんだという意味の歌を作りました。
『クレイドル・ボーイ』、聞いてください」
拍手が起こった。 即座にこれだけの言葉が自分の口から出て来たことを、茜は自分ですごいと思った。
ところが。
「恩田ちゃん、ギターが!」
慌てたように、青井がマイクに入らない声で注意した。
「あッ‥‥!」
ギターがない。 後ろの席に放り出してある!




